第11話 襲撃

 

 昼下がり、カノエはリリアを背負い、イサイの家を出た。

 あれから数週間経った。川に落ちてできた傷も打ち身も完全に癒えている。

 丘から少し下った勾配のなだらかな土地に、花が咲き乱れている場所がある。

 リリアが退屈そうにしているので、イサイの家の者に許可を取り、連れ出したのだ。

 草の上に降ろすと、案の定、リリアは嬉しそうだった。

 カノエはリリアの隣に座ってシロツメクサで花輪を編み始めた。カノエは花が好きだが、いつも家にいるのでこのような遊びをしたことがない。

 リリアは珍しそうに眺めながら、花輪の完成を待った。

 荷馬車に多くの荷を積んだ行商の一団が、段々畑の向こうの道を通過していくのが見えた。

 不死の村の者達が街へ行商に出かけるように、この集落にもごくたまに珍しい品々を持って行商がやって来る。

 女達は鮮やかな服飾品を着てより艶やかになり、妙薬を手に入れた老人達は活力を取り戻す。

 花輪が完成したのでカノエはリリアの頭に載せてやった。リリアは得意げな面持ちになった。

 陽が沈み始めて、カノエは屋敷に戻ろうとリリアを背負った。

「カノエ、今日は楽しかったわ」   

「また連れて行ってあげますよ」

 歩きながら、カノエは肩越しに返事をした。

 急な坂道を上り、番兵が守る屋敷の一の門をくぐって、さらに階段を上るとようやく屋敷にたどり着いた。

 リリアは軽く、カノエは小柄な方だが軟弱というほどではないが、屋敷の床に彼女を降ろす頃にはさすがに応えていた。

 侍女から水を受け取ってひと息吐くと、家路に急いだ。

 屋敷を出る前に厩舎でロシスと遭遇して、カノエは挨拶した。

「いつも妹がすまんな」

 それはリリアがどれだけ我儘な娘なのか知悉しているロシスの、口癖のような台詞だった。

 家に帰り着いたカノエは、グラーネの夕食の支度を手伝った。

 流しで下ごしらえをしているグラーネは、いつもと違って何だか落ち着きがない。

 その理由をカノエは察することができた。

 家に帰り着く途中、集会所に明かりが点って女達の弾んだ声が外まで聞こえていた。グラーネは夕飯どころではないはずだ。

「行商が来てるんだろ? 行っておいでよ。後は俺がやっとくからさ」

「いいのかい? 気の利く子だね」

 グラーネは顔を輝かせて前掛けを解き、鏡台の前に立つと大急ぎで唇に紅を差して、家を後にした。

 グラーネの喜ぶ姿を見ると、カノエはほっとした。

 オドも妻想いなだけに、カノエは時折、グラーネの幸せのためだけに生きているような気さえしていた。

 自分だけが黙っていれば、うまく回る。

 家庭の調和を乱すくらいなら、自分は犠牲を強いられる道を選ぶ。

 どうしても絶望で瞼が重くなったら、アルジェの元を訪れる。そういう時は何故か彼も暗い顔をしているのだ。 

 きっとこれは以心伝心だとか、運命の赤い糸だとか、とりあえず知っている言葉で当てはめようとしてみたら、無礼者だと突っぱねられた。

 アルジェは皆から畏怖される王だが、カノエにはもう、それが一部誤解なのだと知っている。

 カノエにとってアルジェは、温かいようで、気難しい人間だ。距離を縮めようとすると反発する。

 だが心に壁があるのは、誰しも同じだ。

 オドが帰って来る気配がして、カノエは台所の窓から外を覗いた。

 すると月明かりの下で矢筒を背負った影が見えた。

「オド、お帰り」

 オドはドアを開けて入るなり、妻の姿を探した。

「ただいま。お前一人なのか?」

「グラーネなら、行商が来てるから集会所に行かせたよ」

「優しいじゃないか」

 オドは満足げな笑みを広げた。

 カノエはほっとした。間違っていなかった。父の心に沿えて、よかった。

 夜が更け、グラーネが帰宅した。婦人達と話し込んで、買い物が長引いたらしい。

 異国の綺麗な反物が買えて、大喜びしていた。

 反物を広げて鏡の前で自分に当ててみるグラーネを眺めて、オドは酒杯を片手に満悦していた。

 しばらくしたらグラーネはその美しい織の反物を夏用の衣服に仕立てるだろう。

 そして、全員が床に就いた。

 集落の人間が寝静まった頃、家のどこからか、声が響いた。

 昼間リリアを背負って丘を登り降りして筋肉痛になり寝付けずにいたカノエは、その切羽詰まった人の声にすぐに気が付いた。

 子供部屋のベッドから起きて、寝間着のまま家の外に出てみた。

 遠くの家が燃えているのが見える。

(た、大変だ、火事だ)

 そう思った矢先、少し離れた家の屋根も燃え始めたではないか。

 よく見ると、あちこちで中空に火が付いた矢が飛んでいるのが見える。

 火事は過失によるものではなく、何者かの仕業だ。

 カノエはオドに知らせるべく家に戻った。

「オド、大変だ!」

 寝室の戸を開けた時にはオドはすでに防具と剣を装着していた。

 寝ぼけ眼のグラーネは、窓を開けて、戸外の騒動に不安を感じているようだ。

「夜襲だ。カノエ、お前はグラーネを連れて城に逃げろ。俺は非常時の持ち場に着く」

 カノエは頷いて、グラーネに上着を羽織らせて家を飛び出た。

 夜道をつんのめりそうになりながら、城を目指した。

 女子供は非常時には城に逃げ込む手筈になっている。備蓄があり、数か月の籠城も可能だ。

 丘を駆けあがると、門番が大声で急ぎ城に入れと急かしていた。カノエの家は村里のはずれにあるので、こういう時に後れを取る。

 グラーネの手を取り城の跳ね橋を通り抜けると、直後に門扉はすぐに閉ざされた。

 同じく避難した老婆が言うには、襲撃してきたのは昼間に訪れた隊商の一団だということだった。

 商品を入れていると思われていた櫃の中に火薬や武具を隠していたらしい。

 広間に集う人々の雑多な声の中で、カノエの耳はある声を拾った。

「大変、リリア様がいないわ!」

 どきりとしたカノエは、声の主を探した。

 イサイの家に奉公している娘だ。

「誰も連れて来なかったのか!?」

「カノエ。私、今日はお休みをいただいていて……ロシス様がいらっしゃるといいのだけれど」

「ロシス様は夜からの会議で城にいらっしゃるぞ。早くお知らせせねば!」

 言って、老婆が急ぎ足で会議が行われている部屋へ赴いた。

 嫌な汗がカノエの背中を伝った。リリアは足が悪い。

 カノエは居ても立ってもいられなくなった。知らせを受けたロシスが動く前に、逃げ遅れたリリアの身に何かあったら。

 だが城の扉は閉ざされている。自分の一存で再び開けてもらうのは不可能だ。敵が押し寄せてくるかもしれない。

 カノエは城の上階に上がった。

 護衛兵の詰め所で縄梯子を借り、バルコニーから縄を垂らした。

 階下に降りて城の周囲を取り巻く濠を泳ぎ、岸辺に着くなり丘を下る。

「カノエ──ッ、妹を頼む!」

 背中にロシスの悲壮な声が掛かり、振り返りバルコニーから身を乗り出す彼に向けて頷いた。すでにバルコニーは一部隊が一斉に弓をつがえた物々しい様相を呈していた。

 丘を駆け上がる遅れをとった女達とぶつかりそうになりながら、カノエはイサイの屋敷を目指した。

 豪壮なイサイの屋敷は敵襲によって燃え盛っていた。

 リリアを介助してくれている人間がいればいいのだが。

 令嬢の住む棟に着くと、火を放った賊の一味が、逃げ遅れた女を捕まえては各所で狼藉を働いていた。

「お嬢様──ッ」

 カノエは叫んで室内を見渡した。

 飾り立てられていたリリアの居室は、調度や衝立が薙ぎ倒されて今や惨憺たる有様だ。

 それらを股越して、奥へ進む。

 箪笥の陰で血染めの剣を手にうつ伏せに倒れている者がいた。この土地の装束ではない。賊だ。息はない。床に血の染みが広がっていた。

 賊の死体の先に視線を移動させると、カーテンが破れた窓から吹く風を孕んではためいている場所で、女性の装束の裾と白い脚二本見えて、カノエは死体を飛び越えて側に寄った。

 リリアだった。唇から血を流し、胸には傷を負っている。死体の男に斬られたのだ。

 カノエは虫の息のリリアを抱き起した。間に合わなかった。

「お嬢様、しっかり!」

「──いつも仕えている者達も、こういう時には本音が出るものね。みんな、我先にと逃げ出したわ」

 皮肉げに笑うリリアの水色の瞳は、もう虚ろで、カノエを映してもいなかった。

 リリアの手には短剣が握られていた。倒れた男のものと同じく、血に染まっている。

「カノエ、兄様には──イサイ家の娘、ロシス兄様の妹リリアは悪漢を返り討ちにしましたと……伝えて。いいわね?」 

「……承知しました」

「お前が昨日くれた花輪は……あちらの世に持って行きます」

 そしてリリアはこと切れた。

 屋敷は梁が落ち、崩れ落ちようとしていて、慟哭している間もなかった。

 カノエは令嬢の亡骸を抱えて燃え盛る炎の屋敷を脱出した。

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