第30話「運命の地、サンライト」

 色鮮やかな赤、黄色、橙色の木の葉が揺れる風景。

 枯山水に響き渡るのは、静かに水が注がれる鹿威ししおどしが鳴らす竹の音。

 作られた風流に彩られた景色を見ながら、ホノカが精進料理に付けた箸を止めた。


「……魔法少女に出会った? 本当ですか、華世?」

「ええ。空気の無いあの場に生身でいて、キャリーフレームを倒しながらそう言ったんだから、間違いないでしょ」


 緑色を基調とした独特の衣装。

 ケモノ耳のような飾りがついたフードを被ったその少女は、巨大な電磁砲レールガンでキャリーフレームを圧倒した。

 大電力を必要とするレールガンを動かすための電源やケーブルが見えなかったことから、原動力はおそらく魔法。

 しかも発電装置を介さないとすれば、電気そのものを操る能力を持っているのだろう。


 これまでに確認された魔法少女は、華世を含めてこれで5人。

 「風」を生み出せるホノカ、「光」を放てるもも、「炎」を封じたミサイルを生成する結衣、そして「雷」を操るナノハ。

 ゲームで見るような属性がそれぞれに割り当てられているのは確かだが、未だに華世自身の魔法の方向性は不明だった。


「それで、その魔法少女はどこへ?」

「気がついたら消えてたわ。まあ、敵じゃないならそのうち会えるでしょ。それにしても……」


 再び、カコーンという鹿威ししおどしの音が響き渡る。

 広間の別のテーブルでは内宮やラドクリフたち大人組が、料理に口をつけながらワイワイ話し合っている。

 窓際に位置する華世たちの席から外は、広々とした日本庭園しか見えない。


「平和よね……コロニー・オータムって」


 最前線のすぐ隣とは思えない長閑のどかさに、華世はひとつため息をついた。

 


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       鉄腕魔法少女マジ・カヨ


     第30話「運命の地、サンライト」


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 【1】


 第11番コロニー・オータム。

 ビィナス・リングに存在する四季コロニーの1つであり、司る季節は「秋」。

 その気候を生かした農業を中心としたコロニー……だったのだが、金星開拓の開始から遅れて作られたこのコロニー。

 農業一本では苦しかったらしく、秋の風景と気候、そして和をテーマとした観光地となったらしい。


 アーミィがV.O軍に対して大きな攻撃を仕掛けようとしている今。

 内宮たちアーミィの実力者がここで油を売っているのは、なにも呑気を極めた結果ではない。

 もちろん元々の居場所から離れたコロニーに来た疲れを癒やすのも目的の一つである。

 けれども「作戦を前に呑気にくつろいでいるはずがない」と思わせることで警戒をさせない狙いもあるという。

 それが、どこまで本当の話かは定かではないが。

 

 華世とホノカはそんなコロニーの特色を存分に活かした旅館の料亭から、宿泊先の二階へと上がる。


「あっ、おかえりウィル……と、リン」

「ちょっと! 主役であるはずのわたくしを、ついでみたいに言わないでくださいまし!」

「イチイチうるさいわねぇ。それで、巡礼は終わったの?」

「もちろんですわ! ほら……!」


 そう言って、首からかけていたロザリオを手にとって見せるリン。

 その中心に光る宝玉が輝くような白い光を放つのを見て、ホノカが「わぁ!」と感嘆の声を出した。


「お疲れさまでした、リン・クーロンさん! これで見事、巡礼の旅は完了となります!」

「あとはわたくしがクーロンに戻れば、コロニーの人々にV.O.軍は手を出せなくなるわけですわね。けれど……」


 長い目的の達成に喜びたい感情に影が差すように、うつむくリン。

 その沈黙の内に秘めるであろう想いを、いまいち空気の読めないアホ毛目玉……もといレスが勝手に言葉で表す。


「こいつさ、サンライトにいる両親が心配なんだってよ」


 確か聞いた話では、コロニー・クーロンの領主であり政治の一端を司るリンの両親は、表敬訪問のためにサンライトを訪れていた。

 その矢先にV.O.軍がサンライトを占領。

 消息は分かっていないが、おそらく隠れているか囚われているのだろう。


「レス、あなたわたくしの考えを……!」

「いちいちニンゲンってのは面倒だなぁ。事実なんだしいいだろ」


 頭ひとつで口喧嘩をするリンとレスの口喧嘩を聞きながら、華世はこの前ナノハと名乗る魔法少女から渡された情報を思い返す。

 華世の故郷を滅ぼした元凶がいま、サンライトにいる。

 それが真実だとしても、そのような存在が一箇所にとどまっているとは考えにくい。

 まだ他の誰にも明かしていないこのことについて考えを巡らせていると、不意にホノカも口を開いた。


「私も、ラヤとミオスの二人がなぜV.O.軍に入ったのか。それを知るために一度サンライトを訪れたいと思っていました。しかし……」


 いま現在、リン、ホノカ、そして華世の3人にサンライトを訪れる大きな理由がある。

 しかしV.O.軍占領下のコロニーに、民間船であっても近づく事はままならないだろう。

 それに、うかつな行動が引き金となって、アーミィの反抗作戦を邪魔する危険性もある。


「……バレないように入り込むだけなら、できるかもしれない」


 答えのない沈黙を破るように、ウィルが言った。

 その目には、二人の女の子の助けになれるなら、という強い意志が垣間見える。


「ウィル、それ本当?」

「V.O.軍は、というかレッド・ジャケットはコロニー施設の防衛に当たるとき、港以外の外部の通用口に自動関門装置を付けるんだ」

「自動関門装置……無人の関所ってこと?」

「うん。表に出しにくい物資を運ぶときに、傭兵団のIDを持った小型艇を機械で読み取って通す仕組みだ。そして俺は、内部の人間しか知らない関所の弱点を知っている」


 ウィル曰く、自動関門装置はIDの検出こそするがそれが誰かまでの判断はしないらしい。

 つまりは通るのが内部の人間か否かの判断しかしない、大雑把なシステムだという。

 それは、先にも出た表に出しにくい物資、例えば傭兵団のみが保有する機体の補給物資や、コロニーによっては厳しく取り締まられる嗜好品。

 そういったものを運び入れる人間には後ろ暗い人物も多いため、あえてIDのみのスキャンしかしない……というのがウィルの説明だった。


「なるほど、それでみんなの分のIDを用意して、こっそり乗り込もうってわけね」

「みんなの分……あっ、そうだ……ね」


 途端に歯切れが悪くなるウィル。

 さっきまで自信満々だった彼の顔が、萎むように弱々しくなる。


「……よく考えたらID、俺の一人分しかなかったよ」

「それじゃあ一人しか入れないじゃないの! 最低でもリンとホノカ、そしてあたしの三人分は無いと……」

「華世もサンライトに用事がありますの?」


 リンに問われ、華世の眉が無意識にヒクつく。

 殺したい相手がいる、などと話せばふたりに全力で止められるのは明白である。

 このチャンスを逃さないためにも、華世は本当の理由を伏せることに決める。


「リン。あんたの護衛よ、護衛。ホノカも故郷となれば、いつもどおりとは行かないでしょ」

「それは……そうかもしれません」

「と言いましても、コロニーに入る方法が無くてはこの話し合いも無駄ですわね……」


「入る方法、あるじゃん」


 リンの頭頂部から顔、もとい目を出したレスが不意に放った言葉に、この場にいる全員が彼の方へと視線を移す。

 緊張感のない軽い口調で話す彼ではあったが、華世は過去の発言からその方法を察していた。


「あのドアだかなんとかいう粒子でも使うの?」

「あったりー! ワープには目的地の具体的なイメージを誰かが浮かべる必要があるけど、ホノカってやつの故郷なんだろ。そこって?」

「あ……」


 サンライト出身のホノカであれば、その内部の正確なイメージは可能だろう。

 突然湧いた解決法に、華世は冴えた頭で考えた計画をみんなに話し始める。


「じゃあ整理するわよ。これからレスの言った方法で、ホノカを介してサンライトに入りこむ。アーミィの行動開始は明日だから、それまでに脱出ね」

「あのー、華世。俺も一緒でいいのかな?」

「ウィルはバックアップを頼むわ。秋姉あきねえたちへの言い訳と、さっきのIDを使って念のためにキャリーフレームを回しといて」


 万が一にでもコロニーにいるあいだに戦闘が始まってしまったら、流石の華世といえど防衛についているV.O.軍のキャリーフレーム群には勝てっこない。

 しかし、少なくとも機体さえあればみんなで逃げ出すことくらいはできるはずだ。


「じゃあウィルさん、念のために私の〈オルタナティブ〉もお願いします」

「小型艇の借り入れと2機分のキャリーフレーム搬入の言い訳かぁ……考えておかないとな」

「頼むわよ、ウィル」


 念押しに華世はウィンクを飛ばす。

 こうされればウィルが断れないことを知っている。

 呆れながらも了承した彼の顔を拝んでから、華世たちは移動の準備を始め……ようとしたところだった。


「やけに静かやと思うたら……そないな勝手、絶対に許さへんで!」



 【2】


 勢いよく開いた引き戸の奥から、大声とともに乗り込んできた内宮。

 そのまま華世たちを並ばせ正座させ、絵に書いたような説教風景を作らされる。


「今、サンライト解放のための作戦を前にして面倒ごとは起こしたらアカンのや。それにしても、いつもの華世やったら止める立場やろ……」

「でも秋姉あきねえ……」

「けれども、わたくしは両親の無事が知りたいのです! それにホノカさんも……」

「はい……。私も、故郷を前にしてはいても立ってもいられません」

「前にて言うても、お隣さんにしちゃあ距離はかなりあるんやけどなぁ……」


 内宮の言うことはもっともである。

 いま華世たちがいる11番コロニー・オータムと12番コロニー・サンライトは数字の上では隣同士ではある。

 けれども実際は宇宙艦を用いても数時間。

 今は最短経路が封鎖されるため早くても一日はかかる距離である。


「なんにしても、や。クーロンへ帰るんやったらまだしも、サンライトへ行くんは絶対に許さ……」

「千秋さん、そのことですけど……」

「んぁ? 深雪はん……?」


 下の名前で呼ばれた内宮が振り向いた先。

 そこに立っていた遠坂艦長が部屋に入り、華世たちの顔を見渡す。


「いま、大元帥命令でサンライト内部へ調査のために人員を送れないか……という打診がアーミィ全体に発布されたみたいです」

「ホンマか? なんや華世たちに都合ええタイミングやな……しかし、なぁ……」


 腕を組んで考え込む内宮。

 勿論、彼女がイジワルで華世たちを叱責しているわけじゃないのは知っている。

 家族同然、いや同じ屋根の下に住み同じ釜の飯を食う家族たる華世たちの無事を心配しているのだ。

 これまでと違い、向かうのは敵軍の占領下。

 もしも捕まりでもすれば、何をされるかわかったものではない。

 現に華世は一度捕まり拷問されたこともある。

 けれど、華世はこのチャンスを逃すわけには行かなかった。


「あたしたちに行かせて、秋姉あきねえ。絶対に、みんなで無事に帰ってくるから……」

「せやけど……」

秋姉あきねえ、今まで一度でもあたしが約束を破ったこと、あった?」

「……無い。はぁー……これやったらうちがワルモノやないか。ホンマに無事に帰ってこれる算段、あるんやろな?」


 内宮の念押しに、華世は力強い頷きを返す。

 レッド・ジャケットから下ったウィル。

 サンライトを故郷にもつホノカ。

 そしてワープする力を持つレス&リン。

 彼ら彼女らがいなければできない偵察任務なのは間違いがなく、内宮もさすがに納得せざるを得なかったようだ。



 ※ ※ ※



「ええか。誰ひとり欠けることは許さへんからな。アーミィが攻撃開始する明日の正午までに、脱出してここオータムへ帰って来るんやで?」

「もちろんよ、秋姉あきねえ。それじゃあ……リン、じゃなくてレス?」

「合わせてレスリンなんてどうでしょうか」

「もはや別人ではありませんの!」


 頬を膨らませぷりぷり怒るリン。

 敵地に潜入する直前とは思えない緩さの華世たちを見回して、内宮が一つため息をつく。


「緊張感が無いのはええんやけど……その格好、なんなんや?」


 格好、というのは先ほど羽織った衣装のことだろう。

 いま華世たち3人はホノカに渡されたシスター服を普段着の上から羽織り、頭には黒いベールまで被っている。

 その外見はホノカの魔法少女衣装から、機械篭手ガントレットを除いた姿そのものと言ってもいい。

 と言っても、ホノカが変身してるときの服は動きやすいようにスカートにスリットが入ったものであるが。


「ホノカに着ろって言われたのよ。少しサイズが小さいからあたし胸のあたりがキツイんだけど……」

「……華世、あなたは仮にもアーミィの人間兵器のひとりで、かつ決して世の中で顔を知られてない存在ではありません。だから少しでも目立たないようにするため、女神聖教の修道服を着てもらってるのです」

「それでしたら、わたくしもこの格好なのはなぜですの? わたくしも少し胸がきついですわ」

ちちデカどもめ……」


 低く小さい声でホノカが悪態をついた。

 華世には聞こえている声であったがあえて黙っていると、ホノカがひとつ咳払いをする。


「それはその服が宗教的な意味合い以外にも、サンライトの環境に合わせた作りになっているからです。……無駄話はここまでにして、そろそろ行きましょう。レスリンさん?」

「その呼び方は不服ですわよ。ええと……レス、こうでよろしかったかしら」


 そう言ってシスター服の袖のなかに手を引っ込めたリン。

 代わりに機械のノズルのような構造体が手のかわりに伸び、その先端のエアダクトめいた部分からキラキラと光る粒子が放たれ始める。


「そうそう、それでいいよ。糸目の姉ちゃん、下がってないと巻き込まれるよ」

「あ、ああ……」

「あとはシスター女、目的地の風景を頭の中に思い浮かべるんだ。イメージが固まったら、跳躍って叫びな」

「わかりました。急に人前にワープして騒ぎになっても困るから、人気ひとけの無い場所をイメージイメージ……」


 ホノカが目を閉じ、光の粒子が舞う中で祈るように手を合わせる。

 そして目を開いた彼女が「跳躍!」と声を発すると、一瞬にして周囲の景色が歪んだ。

 まるで暗闇のトンネルをくぐっているかのような感覚。

 疑似重力が失われたような浮遊感にバランスを崩しかけ、踏みとどまろうと足を伸ばす。

 その足が伸び切った瞬間、華世たちは白い景色の中に降り立った。


「……雪?」


 ギュッ、という音とともに踏みしめられたのは降り積もった純白の雪。

 雨の日のような灰色の雲が頭上に広がり、辺りは正午過ぎだというのに薄暗い。

 そして目の前の柵が転落防止用であり、ここが何かビルの様な建造物の屋上だと言うことがわかったとき、華世はホノカの言っていた言葉の意味がわかった。


「なるほど……そりゃあ、この服が必要になるわけね」


 絶えず降り続け、一面に積もった雪。

 ときおり頬を撫でる、刺々とげとげしく冷たい風。

 羽織ったシスター服の内側から放たれる温かさが無いと、あっという間に体温を奪われていただろう。


「そうです、華世。ここが私の故郷……名前にしか陽の光が当たらない極寒のコロニー、サンライトなんです」


 冬という季節を形にしたコロニー・ウィンターよりも厳しさを感じる極寒の世界。

 それがホノカの故郷……ここ、コロニー・サンライトだった。



 【3】


 建物側面の金属階段を降り、踏み固められた雪に覆われた通りに出る華世たち。

 タイヤの跡が幾重にも雪面に刻まれた道路を通る車両の数はまばらで、足跡状の窪みだらけの歩道を行く人々もどこかよそよそしい。

 所々に立っているV.O.軍の者と思しき小銃を持った厚手のコートの男たちが目を光らせる中、華世は先導するホノカの背中を追う。

 しんしんと雪が振り続ける中を歩きながら、リンが両手に吐息をかけて温めた。


「寒いですわ……でも、この修道服がそこそこに暖かいのが救いですわね」

「内側に保温性の高い特殊繊維が編み込まれてますから。とはいえ温かさはいつまでもとは行きませんので、急がなければ……」

「ホノカ、今どこに向かってるの?」

「私が生まれ育ったクレイア修道院です。マザー・クレイアならリンさんのご両親の居場所に心当たりがあるかもしれませんし、休める場所は必要でしょう」


 クレイア修道院。

 ホノカが生まれ育ち、また傭兵として稼いだ資金を仕送りしている先である。

 彼女が弟・妹のようにかわいがっていた修道院の子供が、レッド・ジャケットのドラクル隊の戦力となっていた。

 その経緯を知るためにも、名前からして施設の責任者であろうマザー・クレイアという人物を訪ねようとしているのだろう。


「マザー・クレイアという方はどんな人物ですの?」

「包容力のある心優しい女性です。私のような修道院の子どもたちにとっては、文字通り母親のような存在ですね」

「包容力ねぇ……あ、もしかしてそこじゃない? 修道院って」


 斜め前方に見えてきた、古めかしい建物を華世は指差した。

 振り続ける雪の奥に見えたそれは、屋根の上に金星を表す♀マークを模した彫像が立ったやや大きめの木造建築。

 石造りの塀はかなり広い部分を囲っており、庭に相当する場所はかなり広く取られているように見える。

 見るからに年季が入ってそうな建物、その大きい両開き構造な木の扉の前で華世達は立ち止まった。


「思ったより大きいけど……なんだかくたびれてるわね」

「建て替えや改修工事なんかができる経済状況ではありませんからね……」

「ふーん。もしもー────うわっ!?」


 呼び鈴代わりに木造扉を一度ノックした瞬間。

 僅かに開いた扉の隙間から散弾銃の銃口が伸び、華世の胸先へと突きつけられる。

 そして同時に響き渡ったのは、気迫を感じる年配の女性の大声。


「何度来たって同じだよ!! もう一人たりともあんたたちにくれてやるもんかっ!!」

「ま、マザー・クレイア……! 私です、ホノカです!」

「ホノカ……? ああっ!」


 すぐに扉を全開にし、姿を表した修道服の女性。

 ベールの隙間から長い灰色の髪をこぼした彼女は、銃を手放しホノカを抱き寄せた。



 ※ ※ ※



「ごめんなさいね。ホノカのお友達に銃を向けてしまって……」

「友達っていうかクライアント? まあ、別に気にしてないからいいわよ」

「華世、そこを否定されると少し傷つくのですが……」


 修道院の中に案内された華世たちは、小さな談話室へと通された。

 その隣に位置する狭い給湯室から、マザー・クレイアが湯気の立つマグカップをテーブルへと持ってくる。


「外を歩いて身体が冷えたでしょう? お飲みなさい」

「ええ、いただきます。……ん?」


 一口飲んだ華世は妙な味に眉をひそめ、改めてカップの中を見た。

 無色透明の、ほんの少しだけ粘り気を感じる液体。

 改めて口をつけて、それが何かを察した。


「これって……砂糖水、というか砂糖湯?」

「口に合いませんでしたか? 最近は配給が少なくて、ただのお湯を出すくらいならと思ったのだけれど……」

「配給ねぇ……」


 給湯室の方へと目を向けると、調味料こそあれど食材らしい食材が見当たらなかった。

 この状況下では茶葉ですらも贅沢ぜいたく品なのだろう。

 そもそも新設で出された飲み物にケチを付けるのも無粋なので、口の中に広がる甘みを華世はゆっくりと堪能する。

 その隣でマグカップの中身を空にしたホノカが、机をバンッと叩いて立ち上がった。


「マザー・クレイア、私……ラヤとミオスのふたりに会いました。レッド・ジャケットの兵士をやってるふたりに……」

「ホノカ……」

「修道院にいた子たちも姿が見えませんし、いったい何が起こってるんですか!?」


 突然のホノカの詰問に、クレイアは口を閉ざし目を逸らす。

 言われてはじめて、華世はこの修道院にクレイア以外の人の姿がないことに気がついた。


「レッド・ジャケットが子供を戦力にしようとしたんですよね! それでラヤとミオスは守れなくて……それで、子供たちは別の場所に避難させたんですよね、マザー・クレイア!」

「そ……そうよ、ホノカ。私一人じゃ、子供たちを守りきれなかった……。だから、これ以上酷いことにならないように……一時的に知人たちに子供たちを預けてるの」

「やっぱり……そうだったんですね」


 トーンダウンし、椅子に座り直すホノカ。

 静かになりながらも震える握りこぶしが、彼女の中に燃え上がる怒りを外目から表していた。

 華世とはホノカを挟んで反対側に座っているリンは、部外者ゆえに話に入れず気まずそうにしている。

 そんな二人に目配せしたクレイアは、立ち上がって花瓶から一輪の花──明らかに布で作られた造花を手にとってホノカへと渡した。


「ホノカ、せっかく帰ってきたんだもの。お墓参り、まだしてないでしょう?」

「あ……」

「えっと、あなた。よかったら手伝ってあげないかしら?」

「わたくし? え、ええ……構いませんわ」


 墓石の掃除用と思しき道具の入ったバケツを受け取りながら、リンが礼をする。

 そしてそのまま、裏庭へとつながる扉を開けホノカとリンの二人は外へと出ていった。

 二人きりになった空間で、クレイアは華世の正面の椅子へと座り直す。

 そして、ホノカへは逸しがちだった視線を、真っすぐに向けてくる。


「……私のついた嘘。あなたには見抜かれてますよね?」


 急に丁寧になった口調でそう問いかけてきたクレイアに、華世は静かに頷いた。


「ええ。あたしの想像だけど……ラヤとミオスだっけ? ふたりは自分の意志でレッド・ジャケットにくみしたんじゃないの?」

「概ねそのとおりです……。あの子達は、ホノカからの仕送りだけじゃ修道院が苦しいのを知って、出稼ぎとしてレッド・ジャケットのスカウトに応じてしまいました」


 その理由を聞いて華世は、クレイアがなぜその事をなぜホノカに明かさなかったかを理解した。

 それを聞けば責任感の強いホノカのことだ。

 必ず自分を責めて自らを深く傷つけ苦しめてしまうだろう。


「でも、あたしに言ってよかったの? こう見えて口が軽い人間かもしれないわよ」

「それは大丈夫です。あなたのことはよく聞いてますから……葉月華世さん」

「……あたし、名乗った覚えはないわよ。誰から聞いたの」

「それはね、ドクター・マドカからですよ」

「ドクター・マドカ……? ドクター・マッドのこと? あなた、ドクターと知り合いなの?」


 唐突に飛び出た知り合いの名前に、眉をひそめる華世。

 そんな華世から目を逸らすようにクレイアは立ち上がり、窓のカーテンを開けて外へと目を向けた。


「知ってますか? このコロニーって、ドクター・マドカの古巣なんですよ?」



 【4】


 リンがホノカと共に足を踏み入れた修道院の裏庭。

 外界とを雪の積もったブロック塀で隔てられた広い空間には、背の低い無数の墓石が等間隔で並んでいた。

 その中のひとつ、修道院からあまり離れていない位置にあった墓の前で、ホノカが足を止める。


「ここに眠られている方は……?」

「私の……尊敬していたせんせいのお墓です。私が魔法少女になる前に、ツクモロズの手に掛かり命を落としました」

「ツクモロズの……」


 ホノカがリンの持っているバケツからスノーブラシを手に取り、墓石に積もっていた雪を優しく払う。

 そのまま洗剤を染み込ませたスポンジを墓石の表面にあて、彼女は優しく磨いていく。


「あの日、せんせいは氷でできた狼のような怪物に戦いを挑みました。その者に傷つけられていた少年を助けるために」

「少年って、もしかして」

「はい。私に魔法少女の力を授け、事切れた存在です。戦いが終わったときには、全てが手遅れでした」


 墓を磨きながら、暗い口調なれど饒舌じょうぜつにホノカは語る。

 そのせんせいと呼ばれる人物は、ある時にふらっと修道院に現れ、助けてくれるようになった人物だという。

 最期まで名を名乗らない人物であったが、ホノカが魔法少女姿の時に使っている機械篭手ガントレットを身につけ、時に修道院にやってくるならず者を撃退していたという。

 そして、どこで手に入れたのか定かではないが修道院に多額の寄付をしてくれていた。

 その見返りは修道院を家として住むことくらい。

 欲もなく誠実で、頼もしい人物だったとホノカは言った。


「でもよぉ、それっておかしくないか?」

「レス!」

「僕が見てきた人間はみんな……いや、あの鉤爪の女以外はみんな欲望を持ってたぜ? ツクモロズだってそうなのに……それに、名を名乗らなかったってのも妙だと思わないか?」

「それはそうですけれど……」

「レス、よしなさいってば!」


 確かにその人物には腑に落ちない部分がいくつもある。

 けれどもここは死者の眠る場所であり、ホノカの大切な人の墓の前なのだ。

 死人に疑いを持つことなど、不毛であるし失礼の極みだ。


 一通りの墓掃除を済ませたホノカが、最後にクレイアから渡された一輪の造花を墓前へとそっと置く。


「私はせんせいから託された機械篭手ガントレットで、修道院を支えていくために戦うと決めました。けれど、ラヤとミオスと戦うことになるなんて……」


 瞳を震わせるホノカの目から、こぼれた涙が頬を伝う。


せんせい……教えて下さい。私はどうすればいいんですか? 私は……」


 墓石の前で祈りながら、静かに涙を流すホノカ。

 その様子を見て、リンは華世が涙を流している姿を一度も見たことがないことを思い出した。




 ※ ※ ※



「このコロニーがドクター・マッドの古巣? あの人ってサンライト出身なの?」


 思ってもいなかった所からドクターに関しての情報が出てきたので、華世は必要な情報を聞くのも忘れて尋ねてしまった。


「いいえ。正確にはこのコロニーにある生命科学研究所に、ドクター・マドカは所属していました」

「生命科学研究所……?」

「そもそも葉月華世さん、あなたはどうしてこのコロニーがこのような気候になっているかご存知ですか?」


 クレイアの問いかけに、華世は無言で首を横に振る。

 そもそも、このコロニーにそんな研究機関があることすら知らなかったのだ。

 コロニーそのものの情報も、V.O.軍に対抗するための役に立つかもしれない。


「このコロニーは最初から金星にあったわけではなく、最初は地球圏に存在していました」


 華世は、説明を続けるクレイアの言葉に耳を傾ける。


 曰く、サンライトというコロニーの存在理由は、生命科学研究所そのものだという。

 何十年も前、地球圏では様々な研究機関が人間そのものの強化を目的とした研究を行っていた。

 それは未知なる外宇宙からの脅威に対してか、それとも人類の可能性を追い求めてか。

 倫理や人道、道徳を無視したその研究の結果の一つとして、強い遺伝子をベースとした強化クローン人間の製造技術などが生まれたという。


(……それって、もしかしなくてもテルナ先生や双子たちナンバーズを作った技術よね)


 テクノロジーの利用先に心当たりを感じながらも、引き続きクレイアの説明を聞き続ける。

 こういった運動に待ったがかかったのが、30年前に起こった外宇宙から来た異星人勢力との戦い、半年戦争。

 その戦争によって表沙汰になったのが、地球人そのものの強さと天然物の天才が起こした奇跡。

 人道に反した改造は不要とされ、幾多もの研究機関がプロジェクトごと凍結されたという。

 そんな中、コロニー・サンライトが建造された。

 それはプロジェクトを凍結された科学者たちが秘密裏に研究を続けるため、というのが有力な理由だという。

 表向きは居住用スペース・コロニーとしながらも、その円筒形の先端部分に大きな研究施設を備えた巨大建造物。

 夢を止められた研究者たちの隠れ蓑は、意外な方向からラブコールが入った。


 それは、金星における人間の強化のため。

 金星圏という過酷な環境に適合できる人類を作り出してほしいというオファーを受け、サンライトはビィナス・リングを構成する最後のコロニーとなった。


「つまり、このコロニーの劣悪な気候は……」

「はい。もともとは人が住むように設計されていなかった部分を、むりやり後付で最低限カバーした結果です」

「このコロニーの出自はわかったけど、ドクター・マッドは最初からここにいたの?」

「ドクター・マドカが来たのは17年前、ちょうどベスパー戦役が起こる数ヶ月前でした」

「17年前って……ドクターがまだ子供の時よね?」

「当時から彼女の頭脳は研究所でも指折りでした。いくつもの重度の宇宙放射線病の治療法を、あの人は発見していましたから」

「……待って。そう言うってことは、あなたももしかしてただのシスターってわけじゃないわね?」

「はい、ご想像の通り。私は昔、生命科学研究所の研究員をしていました」



 【5】


「リンさん、私……夢があるんです」

「ホノカさん?」


 墓の前で泣くのをやめたホノカと、庭が見えるベンチに座るリン。

 彼女が突然話し始めた話に、驚きながらも耳を傾ける。


「私いつか、本当の両親を探したいと思っているんです。そして、捨てられた私はこんなに立派に成長できたって、見せつけてやるんです」

「本当の両親……ホノカさんは孤児でしたわね」

「マザー・クレイアやせんせいは私にとって両親そのもの。けど……血のつながった両親という存在にも、いつかは目を向けないとと思ってるんです」

「両親ですか……そうですわね」

「あ……リンさんのご両親は今、大変なんでしたね……」


 ホノカに言われて、改めてリンは考える。

 自分がここに来たのは、このコロニーに隠れているか捕まっているであろう両親の無事を確かめるため。

 あわよくば言葉をかわし、抱き合いたい。

 そのために、危険を承知で敵地にやってきたのだ。


「大丈夫ですわ。お父様もお母様も、無事でいるはずですから。コロニー領主という身分は、人質とするならばかなりの価値ですから。V.O.軍もそれをわからないはずがありませんわ!」

「ふふっ、リンさんって強いんですね……」

「後の世で人の上に立つ人間ですからね! へくしゅっ!」


 ひときわ冷たい風が吹き抜け、リンの身体全体を震わせる。

 垂れた鼻水をハンカチで拭いながら、ホノカと少し笑い合う。


「うう……油断したら鼻水が凍りそうですわ」

「お墓参りも済みましたし、そろそろ戻りましょうか。……あら?」


 そう言って二重扉の1枚目をくぐったホノカが、足を止める。

 窓ガラス越しに見える内扉の奥では、深刻そうな表情でクレイアと華世が話し込んでいた。


「マザー・クレイアのあんな顔、見たことがありません……」

「お邪魔しては悪いかもしれませんわ。回り込んで正面からこっそり戻りましょう」

「そうですね」


 再び外に出て、庭を通り抜けるリン。

 華世がクレイアから何かしら両親の居場所につながる情報を得ていることを期待して、修道院の正面を目指して雪を踏みしめた。



 ※ ※ ※


 

「ドクター・クレイア。あんた、もしかして接ぎ木グラフト手術について知ってるんじゃない?」


 クレイアが元、生命科学研究所の研究所だったことを知った華世は、ウィルから聞いた技術について尋ねた。

 もしかすれば自分にも関係があるかもしれない人間の強化手術。

 華世が睨んだ通り、クレイアはその質問に対し首を縦に振った。


「特殊な方法で脳細胞を移植することで、別の人間の才能を植え付ける技術……もちろん知っています。どこでそのことを?」

「あたしの知り合いがそれで強化されたって聞いたのよ。もしかすると、この修道院からV.O.軍に下った子供も、その技術で強化されたのかもね。ベテラン顔負けの操縦技術してたわよ、あのふたり」

「そうですか……あの二人が。子供たちはあの技術から逃がれられない運命なのかもしれませんね……」

「……どういうこと?」


 これまでよりもより、重々しい表情でクレイアが語った。

 この修道院にいた子供たち、その中でも年齢の高い子達はもともと生命科学研究所で暮らしていた実験材料だったという。


 戦災孤児、借金のカタに売られた子供。

 捨て子もいれば、不治の病で預けられた子供もいた。

 理由はどうあれ、無垢で成長途中の子供というのは、様々な実験のモルモットとして優秀だった。

 とはいえ、表沙汰になってはまずい人命に関わる実験はせず、あくまでも社会実験や病気治療の方向で実験に参加させられていた。


 しかし、あるときに奇妙な出来事が起こった。

 死に至る病を患った、ある男の子と女の子がいたという。

 その治療のための手術がふたり同時に行われたとき、男の子は絶命し、女の子は危機的状況に陥りながらも奇跡的に手術が成功した。

 その後に、助かった女の子に異変が起こった。

 死の淵を彷徨っていたときに死亡した男の子の記憶や好みが、女の子に植わっていたという。

 脳に関する病気だった少女を救うために、男の子から採取した脳細胞を使ったのが理由だとされ、すぐさまこの現象の究明が成された。

 別の人間の記憶や技術をあとから植え付ける、接ぎ木グラフト技術の発見だった。


「発見した当初、その手術は子供には負担が重く、危険な行為でした。ドクター・マドカは自身を実験台にし結果を出しつつも、他の研究員には固く利用することを禁じるほどに……」

「……すごくさり気なくドクターが接ぎ木グラフト技術の恩恵得ているって話したわね。それで?」

「数年の後、ドクター・マドカが研究所を離れ地球へと向かった後のことです。研究員の中に、子供にこの手術を受けさせようと考える人間が現れ始めました」

「子供に予め才能を植え付けておけば、天才になる……という狙いかしら?」

「ええ。その中には、自らの子を優秀にすべく実験材料にしようとする人もいました」


 その狂気に呑まれた人物は、嫌がる自分の娘を無理やり手術台に乗せ、死ぬかもしれない手術を始めようとした。

 けれど、宇宙放射線病で藍色の髪を持ったその子供の怖がる眼を見て、クレイアは思わず握ったメスで子供の両親を刺し、手術台の上の娘を連れて逃げ出した。

 混乱の中で、他にも実験材料として集められた子供たちも全員連れ出し、この修道院へと逃げ込んだ。

 それが、クレイアという研究員が多くの子供達とここにいる経緯らしい。


 それから間もなくして、研究所は閉鎖。

 表沙汰にできないことを行っていたために、内部の情報はその折に抹消されたらしい。

 後に刺された研究員がふたりとも死亡したという情報を聞いたクレイアは、その罪を背負ったまま修道院で子どもたちを育ててきたという。


 話の中に整合性が取れない部分が多々あるが、おそらく色々あったのだろう。

 細かい部分に目をつぶりつつも、華世はその話の中で気になった情報を、確認した。


「もしかして、あんたが刺し殺したっていう二人の研究員って……」

「はい、ホノカの両親です……私は、あの子を守るために────」


「マザー、それって……本当なんですか!?」


 部屋の中に響き渡るホノカの大声に、クレイアが驚愕の表情で立ち上がる。

 おそらく、窓越しにホノカたちが庭から戻ってきそうだと察したら、この話は止めるつもりだったのだろう。

 けれどもホノカは、なぜか最初に華世たちが入った正面の方からやってきた。

 そのために、クレイアはホノカが戻ってきたことに気づかなかったのだ。


「そんな……マザー・クレイアが、私の両親を……!」

「ホノカ、お願い! 落ち着いて話を……!」

「ひ、人殺し……うわぁぁぁっ!!」


 叫びながら、修道院の外へと飛び出すホノカ。

 彼女が立っていた場所でうろたえるリンへと、華世は叫んだ。


「リン、追いなさい!!」

「えっ、わたく……」

「追えっ! 早く!!」

「は、はい!!」


 走ってホノカの去った方へと駆けていくリン。

 華世は、情報を得るどころではなくなった事態へと頭を抱えた。



 【6】


「ハアッ……ハアッ……!」


 雪道の中を、リンは駆ける。

 幸いにも、ホノカの足取りを追うのは簡単だった。

 積もりたての新雪の上を、彼女の足跡だけがくっきりと刻み込まれていたから。


 走っている内にふと、リンは違和感を抱く。

 進めば進むほど、人気ひとけがなくなっている。

 そういった場所に向けてホノカが走っているのか。

 それがわからないまま、雪に埋まった公園のような場所で立ち止まるホノカのもとへと、リンはやっと追いついた。


「ううっ……マザー・クレイアが、私の両親を殺してただなんて……」

「ぜえっ……ぜぇっ……。ほ、ホノカさん、きっと……ゲホッ。何か理由があるんで……おえっ。ですわよ……!」

「人殺しの理由って何!? あの人は……私を騙していたんですよ!!」


 吹きすさぶ吹雪の中、ホノカの眼からこぼれ落ちる涙が空中で凍りつく。

 まるで親しい人に裏切られ、温かみを失っていく彼女の温和な部分が凍りつくのを表すように。


「でも、あの方は今までずっとホノカさん、あなたを育ててくれたのではありませんの……?」

「だとしても、そうだったとしても……! わかんない、わかんないよぉ……」


 両腕を雪につけ、かがんだまま泣くホノカ。

 リンはかける言葉が見つからず、その場で途方に暮れる。


(こういうとき……華世でしたらなんて声をかけるのでしょう……?)


 あまりにも無力な自分に嫌気が差しながら、リンは必死にホノカへとかける言葉を探す。

 親同然の人物が信じられなくなった時など、経験したことがない。

 迂闊な言葉で更に傷つけてしまうことも考えれば、いまリンにできるのは沈黙だけだった。


「う……!?」


 突然、ホノカが額を手で抑えながらゆっくりと立ち上がった。

 その表情は涙こそ流れているが、すでに悲しみから驚きと恐れを伴ったものへと変わっている。


「どうしたんですか、ホノカさん!?」

「ツクモロズの気配……感じられなくなったと思ったのに、それにこの痛み方は……!!」


 ホノカがまっすぐに見据えた先。

 激しい吹雪で霧のように見えなくなった彼方から、雪を踏みしめる音が近づいてくる。

 街灯の明かりを受けて輝く、青白い透き通った脚。

 くぼんだ暗闇から光るように輝く瞳を携え、開いた口から鋭い牙を覗かせる顔。

 そして、短くも鋭いトゲのように弧を描き伸びる、鋭い尾。

 氷でできた大きな狼。

 それが一番言葉としてふさわしい、存在だった。


「今日は、どうして……親の仇にばかり会うかな……」


 ホノカの顔つきが、怒りと憎悪に染まっていく。

 これまでに一度も見たことのない、彼女の険しすぎる顔。


「ドリーム……チェンジ」


 低く、静かに唱えた変身の呪文で、一瞬にして巨大な機械篭手ガントレットを携えた魔法少女の姿へとホノカが変身する。

 その時、リンは彼女の言葉の意味を理解した。


(あの日、せんせいは氷でできた狼のような怪物に戦いを挑みました)


 墓参りの最中に聞いた、ホノカの父代わりだった恩師の死。

 そのきっかけとなったのは、氷の狼。

 今まさに目の前にいる、ツクモロズそのもの。


「絶対に許さない……! 殺してやる……殺してやるッ!」


 怒りに満ちた声とともに、ホノカが真っ赤な火炎をまとった。



 ※ ※ ※



「ホノカのあの取り乱し様……今の話、あいつは知らなかったのね」

「あの子は研究所時代の記憶を失ってましたから……」


 悔やむように俯くクレイア。

 ホノカは親が娘の生命を危険に晒そうとしていた下りを聞かずに、クレイアが刺し殺した部分だけを聞いてしまったようにみえる。

 勘違いを正さなければならないのはもちろんだが、華世は今ここで本来の目的を果たすことにした。


「ところで、V.O.軍が占領時にアーミィや他コロニーの要人を捕らえたと思うんだけれど……その行方について心当たりはないかしら?」

「要人ですか……? そういえば……V.O.軍の占領下に置かれてから、生命科学研究所に灯りが灯るようになりましたね」

「そこって、さっき言ってた研究所よね……?」

「はい……」


 ダメ元な質問だったが、重要な情報を得られた。

 もともとコロニーの存在意義そのものだった研究施設。

 ともなれば、基地としての機能も持っているはずだ。

 そこをV.O.軍が利用し始めたともなれば、捕虜を閉じ込める場所として人体実験施設はピッタリだろう。

 華世は急いで義眼を操作し、予め決められていた暗号化プログラムを噛ませたメッセージを発信する。

 少なくともこれで、大元帥から言い渡された偵察任務についての責任は果たせたはずだ。


「じゃあ、あたしはホノカを連れ戻しに行くわ。あなたは念の為に隠れて────」


 そう言いかけたとき、修道院の大扉をノックする音が静かな屋内に響き渡る。

 リンがホノカを連れて戻ってきたのかもしれないが、そうでなかった場合が厄介だ。

 華世はクレイアに隠れるよう指示をし、いつでも戦闘態勢に入れる準備をして大扉越しに声をかける。


「どちら様? あいにく今たてこんで……」


 僅かに開けた扉の隙間から見えた顔。

 その人相に見覚えのあった華世は、有無を言わさずに扉を蹴り開けた。

 勢いよく開いた扉のそばから、一人の女性が軽い身のこなしで後方へ飛び退く。


「いったい何だってこんな……ほう?」

「……あたしの顔に見覚えがあるってことは、あの時のあんたよね? ……女神像のツクモロズ」


 華世の前に立っているのは、服装や身にまとう雰囲気こそあの時とは違うが、魔法少女になって間もないときに出会ったツクモロズだった。

 コロニー・サマーで人攫いをし、多くの人間から生命力を奪った存在。

 神父の妻に成り代わり暗躍していた、ビューナス教の女神像から生まれたツクモロズ。


「運命ってのは奇特だねぇ。どこかに行っちまった犬っコロを探してたら、鉤爪に会えるなんてさ」

「鉤爪って……ツクモロズ内でのあたしってその印象で固定されてるのね。……ドリーム・チェンジ!」


 本格的な戦闘が始まる前に、魔法少女へと変身する華世。

 鋼鉄の義手と義足を光らせた姿へと変わり、斬機刀を鞘から抜く。

 周囲に人の目があったら面倒だなと思っていたが、数メートル先が見えなくなるほどの吹雪が、華世たちの戦いを覆い隠してくれそうだ。


「ツクモロズがこのコロニーに何の用事? どうせろくな事じゃないでしょうけど」

「わざわざ言うと思ったかい? 知りたきゃ……腕尽くで聞いてみな!」



 【7】


 飛来する氷柱つららをバックステップで回避し、同時に可燃ガスを散布。

 魔法で生み出した微風でその位置を調節しようとするが、吹きすさぶ吹雪がそれを許さない。

 やむなく放出したてのガスに点火し、燃え盛る機械篭手ガントレットの拳で殴りつけようと、ホノカは憎い相手へと飛びかかった。


「くっ……このっ!!」


 虚しく空を切る炎の拳。

 軽い身のこなしで飛び退きつつ回避する氷の狼が、ホノカをあざ笑うように牙を見せる。


「くたばれぇっ!!」


 まっすぐに腕を伸ばし、高熱のスーパーテルミットを発射。

 けれどもまっすぐに放たれたその攻撃は高い跳躍によって飛び越えられ、流れ弾となった熱球が公園の鉄柵をドロドロに溶かす。

 反撃とばかりに氷の狼が空中から無数の氷柱つららを発射。

 防ごうと機械篭手ガントレットの手のひらから炎の障壁を発生させるが、いくつもの氷柱つららが熱をものともせずホノカへと襲いかかる。

 防火服を兼ねたシスター服に無数の小さい切り傷が付き、かすめた頬から血が噴き出る。

「うああっ……!?」


 唯一の攻撃手段を吹雪によって封じられている今、ホノカは手も足も出せずに一方的に攻め立てられていた。


「ホノカさん、逃げましょう! 戻って華世と合流しませんと……!」

「でも……こいつを野放しにしたら、この街が……!」


 ホノカの脳裏に焼き付いている、恩師の命が消える瞬間。

 あの悲劇を繰り返さないために強くなったのに。

 無力だった自分に別れを告げたはずなのに。

 同じ相手に一矢いっしも報いれないままに、ホノカは膝をついていた。

 明らかに弱っている相手を前にしているにも関わらず、氷の狼は積極的に攻撃をしてこない。

 舐められているのか、それとも力のない相手を弄んでいるのか。


「私が、もっと強かったら……」


 キャリーフレームを操縦できるようになっても、生身が強くなるわけではない。

 優しい周りから褒められ続けて、勘違いをしていたのかもしれない。

 目の前に憎い憎い仇がいるのに、何もできないまま倒れるのか。


 動けないホノカを前に、じっとしていた氷の狼が唸り声を上げる。

 戦わなくなった相手に飽きたのか、それとも別の理由があるのか。

 原因が何にせよ、相手はホノカにトドメを刺すことに決めたようだった。

 これまで飛ばしてきたのとは違う、人の腕ほどの太さをした氷柱つららが狼の眼前で生成される。

 全力を出せば一度くらいは回避できるだろうが、その後は続かないだろう。


(これが、私の限界だったんだ……)


 ホノカの中で、諦めの気持ちが浮かぶ。

 ラヤもミオスも救えず、母親代わりに人殺しと叫んで分かれたきり。

 愚かな人間にふさわしい惨めな最期かも知れない。


 巨大な氷柱つららが空を切る音がする。

 けれど、ホノカの目の前で……覚悟していた結果とは違う出来事が起こった。 



──────────────────────────────────────


登場戦士・マシン紹介No.30


【レイビーズ】

体長:1.6メートル

体重:不明


 氷でできた身体を持つ、狼型のツクモロズ。

 本来、ツクモロズは人型に近い姿を取るものであるが、誕生に至ったストレスが大きすぎたことで神獣化に近い状態がデフォルトとなったために獣の姿となっている。

 見た目通りに氷雪を操る能力に長け、吹雪を起こしたり氷柱つららを発生させるなどの攻撃を行う。

 ホノカの恩師と、ホノカに魔法少女としての力を与えた妖精族の少年を殺めた存在。


──────────────────────────────────────


 【次回予告】


 苛烈を極める、凍りついたコロニーでの戦い。

 呼応するように始まる、宇宙を舞台にした戦闘。

 そしてついに、華世は家族と故郷の仇へと対面する。


 次回、鉄腕魔法少女マジ・カヨ 第31話「復讐の結末」


 ────憎悪と憎しみに呑まれて戦う先には、何が待ち受けるのか。

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