第26話「裏返る黒い影」

 青い海、白い砂浜。

 雲一つない快晴の大空に浮かび真珠のように輝いた太陽……の代わりの人工陽光はたまらなく眩しい日差しで、海水浴場をジリジリと焼くかのごとく照りつけていた。


「んで、なーんであたしはこんな所でパラソル立ててるのかしらねぇ」


 ウィルと一緒に組み立てたビーチパラソルを砂に突き立てながら、華世はポツリとボヤいた。

 そうやってできた影の中にレジャーシートを敷き、腰を下ろしてひと休憩をする。


「しょうがないよ華世。巡礼の手続きしようとしたら、システムトラブルの真っ最中だったんだから」

「デジタル化も行き過ぎると難儀よね。艦の補給も兼ねて2日間の滞在決定。だけど復旧までの時間つぶしだからって、呑気に海水浴だなんて……」


 ざざーん、と波が砂浜に飛び込み、そして引いていく静かな音が響き渡る。

 華世たちが居るコロニー・サマーといえば、年中が夏の気候に固定されている四季コロニーのひとつ。

 金星でも有数の人気レジャースポットの一角である。

 しかし、V.O.軍の活動でコロニー間の移動に制限がかかった今、観光地に鳴くのは閑古鳥。

 リン・クーロンのつてで利用許可をもらったこの砂浜も、現在はプライベートビーチもかくやと言った静けさだった。


「ま、静かなのは何よりね。ナンパもされないし」

「華世、中学生なのにナンパされるんだ?」

「そりゃあ、この美貌だったらねぇ。秋姉あきねえに連れられて何度かこういうところに行ったけど、そのたびに声かけられて大変だったわ。ま、海水浴といってもあたしは泳げないから砂浜の散歩くらいだったけど」

「まあ、華世って雰囲気が大人びてるから間違えられるのもわかる気がするや」

「それにしても、サマー……か」


 パラソルの布越しに輝く人工太陽の煌めきを見上げながら、華世は魔法少女になりたての時の頃を思い出した。

 田舎町で起こった失踪事件、その先に起こったツクモロズの暗躍。

 そんな因縁あるこの地に、もう一つの因縁が生まれようとは、このとき華世は想像すらしていなかった。



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       鉄腕魔法少女マジ・カヨ


       第26話「裏返る黒い影」


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 【1】


「華世、あなたなに景気の悪い顔をしているんですの?」


 レジャーシートの上で横になっていた華世を、リン・クーロンの真っ直ぐな眼差しが覗き込む。

 視界の端に映った奇妙な格好に、ゆっくりと上体を起こして目を凝らす。

 彼女が着ていたのは、白い布地が眩しいハイネックビキニ。

 首元まで覆われたデザインの水着は、彼女の年齢不相応にグラマス──華世ほどではないが──な身体を細く可愛らしい印象に包み込んでいた。


「あら、わたくしの水着姿に見とれておりますの?」

「いや、なんでそんな格好してるんだろって」

「まっ!? ここはビーチですわよ! ビーチといえば海! 海の正装といえば、水着ですわ!」

「正装ねぇ」

「あなたこそ、そんなTシャツにショートパンツなどと……夏らしくはあっても、海っぽくありませんわ!」


 そう言ってリンは、肩にかけたショルダーバッグをゴソゴソと弄り始めた。

 途中、散弾銃がバッグの中にチラリと見えたりもしたが……リンはようやく目的のものであるビニール袋に入れられた何かを取り出し、華世に手渡す。

 首を傾げながらその袋を開封してみると、中身は真っ赤な色をしたビキニ水着だった。


「……これは?」

「わたくしが選んだ水着ですわ。サイズはピッタリのはずですわよ」

「ま、あんたが正装に着替えろって言うなら従うわよ」

「でしたら、更衣室は向こうに──」

「ここで良いでしょ。よいしょっと」


 シャツの裾をつかみ、そのまま脱ぎ捨てる華世。

 上半身がブラジャー一枚になった姿を見たウィルが、ぎょっとした顔をしてから後ろを向く。

 同時に、リンが顔を真赤にして怒り出した。


「な、な、な! 華世、あなたには恥じらいとかはありませんの!?」

「他に誰も居ないんだし構いはしないわよ。ほら、ウィルは目をそむけてるし」


 そのまま華世はショートパンツを下着ごと脱ぎブラジャーを外し、一糸まとわぬ姿になる。

 そしてリンから渡された水着を身に着け足を通し、最後にパレオを腰に巻くと赤を基調とした水着姿が完成した。


「ほらウィル、着替え終わったわよ」

「華世、君って……ときどき大胆だよね」

「ウィル、あんた別にあたしの裸なんて見たこと無いわけじゃないし、恥ずかしがることないでしょ?」

「そういう問題じゃないんだよ……」


「ちょっ、やめて、恥ずかしいから本当に!」


 呆れ顔のウィルの後方から、ホノカの叫びが響き渡る。

 見ると、色こそ藍色だが華世のものと似ているビキニ水着を着た……というよりも、着せられているホノカに向けて、同じく水着姿のユウナが携帯電話のカメラを向けていた。


「いいじゃない! この激写したセクシー姿を送れば、愛しの彼もメロメロ間違いなしよ!」

「愛しのって……カズは別にそんなんじゃ──」

「あれれ~、私は名指しはしてないけど~? どうしてカズ君って思ったのかな~?」

「ユウナさんっ!!」


 怒りながら砂浜を駆け回り、笑顔で逃げるユウナを追いかけるホノカ。

 遠目に二人の様子を見ていた華世は、こっそりとホノカの写真を携帯電話で撮影する。


「まさか、本人に内緒で送りつけますの?」

「一般回線は制限されてるからできないわよ。カズに見せるのは帰ってから、ね」

「見せる流れは変えないんですのね……」



 【2】


「いいか、砂浜でのランニングは関節への負担こそ少ないが、足腰のトレーニングとしては非常に効率が良い! あそこの海の家の前までとココの10往復、始めっ!!」

「「「「はいっ!」」」」


 ラドクリフの号令と同時に駆け出す、ネメシス傭兵団のキャリーフレームパイロットたち。

 その中に交じる姿は、ウィルとホノカ。

 バカンス気分を中断され部隊のトレーニングに混ぜられた2人を眺めながら、華世はのんびりとパラソルの中でジュースを飲んでいた。


「あなたは参加しなくてもよろしいですの?」


 自動販売機で缶ジュースを買ってきたリンが、華世の隣に腰を下ろす。

 彼女の問いかけに、華世はペットボトルに蓋をしてからゆっくりと答える。


「あたしは義手義足が付いてるから、筋力バランスが大切なの。そのバランスを崩さないように、ああいう激しい高効率トレーニングはしない方がいいの」

「そうですのね。……華世、あなたこの前から少し変ではありません?」

「この前って?」

「レッド・ジャケットに捕まってからですわ。なんだか一人で考え込むこと、増えたような気がしますの」

「そうかな……そうかもね」


 ──君はいったい、何者なのか。


 捕まっていた際に投げかけられた、オリヴァーの問い。

 華世が故郷を失った「沈黙の春事件」以前の華世の記憶と性格を持つももと、持たない華世。

 ツクモロズとして現れたももと、事件で救出され内宮と共に暮らしてきた華世。

 肉体的には華世は華世であるが、内面的な部分と伯父アーダルベルトの態度は、ももこそが真の華世である可能性を肯定している。

 もしもももが本当の華世だとしたら、いま華世の肉体に宿る心は、記憶はいったい誰のものなのか。

 哲学めいた答えの出ない疑問は、打ち込まれたくさびのように華世を静かにむしばんでいた。


「リン……もしもあたしが偽物で、本物の華世がももの方だったとしたら……どうする?」

「別に、どうもこうも無いのではありませんの?」


 サラリと、リンが華世の言葉を受け流す。

 思っていなかった答えに、華世は思わずキョトンとした。


「だって、わたくしがあなたに護衛を頼んだのは……あなたが誰であろうと、頼れる人間だと思ったからですわ。もしも華世の本当の名が権左衛門之助ごんざえもんのすけだったとしても、私は権左衛門之助ごんざえもんのすけのあなたに頼んだでしょう」

権左衛門之助ごんざえもんのすけって……もっとなにかあるでしょ。名前」

「い、いいではありませんか! 浮かんだ名前がそれしか無かっただけですわ!」


 今の華世には、少しの気休め。

 けれども答えに詰まっていた状態、ゼロの状態から0.1くらいはマシになった。

 再びランニングするホノカたちに目を向けつつ、少し口元をほころばせる華世。


「ホノカ、ペースが落ちてるぞ! ウィルはあと4往復!」

「は、はひっ……」

「はーいっ!」


 息も絶え絶えな顔をするホノカと笑顔で返事をするウィル。

 二人の顔を見ていたら、華世は少しだけ悩みのことを忘れることができた。



 ※ ※ ※



 穏やかな水面の上に、ぷかぷかと浮かぶレンタルの小さな手漕ぎボート。

 レオンがオールを握りユウナが鼻歌を歌う中、ホノカは波間に揺られる舟の縁に座り込む。

 水着姿にパーカーを着た格好の彼女は、痛む節々を撫でながら溜まった疲労にため息をついた。


「身体中が痛い……もう太ももパンパン」


「凄い訓練だったよねー! お兄ちゃんは参加しなくてよかったの?」

「ユウナ、俺はアーミィだからいいんだよ。まったく、ココのアーミィと情報交換してたってのに遊びのために呼びつけやがって……」

「いいじゃない。後のことはクリスさんがやってくれてるんでしょ?」

「まあ、かわいい妹のためならなんとやら、だぜ!」

「そんなお兄ちゃんが、私だ~いすき!」


 兄妹仲を見せつけられ、思わず呆れ顔になるホノカ。

 仲のいい兄妹という姿を見ると、無意識に修道院の子どもたちを思い出す。


(ラヤとミオス、どうして二人がレッド・ジャケットに……?)


 華世から聞いた、レッド・ジャケットの基地にいた二人の話。

 部屋に修道院の写真が飾られていたということは、共に育った家族のことを忘れたわけではないだろう。

 自分たちから入隊したのか、それとも無理やり連れてこられたのか。

 本人たちが居ない上に情報が皆無な今、その理由は想像もつかないが考えることはやめたくなかった。


「おい、あれ人じゃないか?」


 不意に、レオンが指さした先。

 そこは浜から離れた場所だというのに、水面に女の子のような頭がひとつ浮かんでいた。


「周りにボートも無いし、沖に流されちゃったんじゃない!?」

「そうだとしたらマズイな……あっ、沈んだぞ!」

「舟で行ったら間に合わない……だったら!」


 ホノカはパーカーを脱ぎ捨て、海へと飛び込んだ。



 【3】


「それで、私が溺れてるって思ったんですか? アハハッ!」


 シュノーケルを外した女の子が、ボートの縁でケラケラと笑う。

 ホノカはタオルで濡れた身体を拭きながら、自分が早とちりでしてしまった醜態を恥じる。


「リリアンちゃん、だっけ? 遠泳が趣味なんて、凄いね!」

「そうかな? ありがとう、ユウナお姉ちゃん!」


 拾った少女を乗せ、いったん岸へと舟で向かうホノカたち。

 リリアンという少女にとっても、少し遠くまで来すぎたから楽になるのはありがたいらしい。


「お姉ちゃん達って、サマーの人じゃないよね?」

「まあ、旅の道すがら……って感じかな」

「よくわかんないけど、戦いが起こってるから外から人が来なくて、知り合いのお店の人とか困ってるの。でもお姉ちゃん達みたいな人が来れるようになったら、また賑やかになるよね!」


 無邪気に喜ぶリリアンの姿に、口をつぐむホノカ。

 自分たちは様々な問題をクリアして、やっとこさ旅を続けられている身。

 彼女の期待を裏切ることを恐れ、困りながらもほほえみを静かに返す。

 その表情を悟ったのか、ユウナが別の話題を切り出した。


「そういえばね、ホノカって凄いのよ。本当はシス────」

「ストッーープっ!!」


 慌ててユウナの口に手のひらを押し当て、発言を食い止めるホノカ。

 何で? という表情で訴える彼女へと耳元で小声で理由を話す。


(このサマーってコロニーは、女神聖教とヴィーナス教っていう、対立する2つの宗教の信者が両方いるの。迂闊にシスターだって言って、この子がヴィーナス教徒だったら大変よ)

(し、知らなかった……ごめんね)


 一息ついて、首を傾げて「しす?」と尋ねるリリアンへと向き直るホノカ。

 横目で睨んだ先のユウナは、アハハと乾いた笑いを浮かべながら言い訳をする。


「シス……テムエンジニアの知り合いがいるんだよ! あは、あははは……」

「そうなの? すごいんだー」


 要領を得ないといった返事で話題を終えたリリアンに、ホノカはホッと胸をなでおろす。

 アフター・フューチャーと呼ばれて久しい時代でも、宗教の対立というのはシャレにならないものである。

 特にこのコロニーは熱心なヴィーナス教徒が多いと聞いていたため、触れるのは避けたかった。


「……そうだ。お姉ちゃんたち、街を歩く時は黒オバケに気を付けてね」

「黒オバケ?」

「リリアン、それって例の路地の奴か?」


 唐突にリリアンが話し始めた話題に食いつくレオン。

 会話に入らずにオール漕ぎに徹していた彼の発言に、ホノカは少し呆気にとられる。


「例の……って、お兄ちゃん心当たりあるの?」

「ああ。ここのアーミィの方にも少なからず通報があった事象で、ユウナに呼ばれる直前に報告を聞いたんだよ」

「それで、そのオバケってどんな?」

「なんでもひと気の無い路地で生ゴミなんかを食い漁る謎の生き物が出るらしい。目撃者によれば、逃げる姿は1メートルくらいの真っ黒な大きい塊だったそうだ」


 真っ黒な、というからには動物らしからぬ黒さなのだろう。

 それに1メートルという単位か出るとなれば、生半可な大きさではない。


「でね、でね! 私の友だちが言ってたんだけど……黒オバケ、人の言葉を喋ってたんだって!」

「人語を? そんな報告は聞いてないが……」

「大人って、子供の言うこと信じてくれないんだもん」

「ああ……ね」



 【3】


「黒オバケ……ツクモロズの可能性が高そうね」


 浜辺に戻ってきたホノカが、パラソルの下で昼寝していた華世へと行った報告。

 それを一通り聞き終えた華世は、上半身を起こして腕をうんと伸ばした。

 

「で、リリアンはどこ行ったの?」

「レオンさんとユウナの二人が車で送って行くことになりました」

「そう……顔合わせなくてよさそうで、何よりだわ」

「華世、前にリリアンちゃんと何かあったんですか?」


 悪気なく興味本位で聞いてくるホノカへと、苦い顔を返す。

 サマーで起こった女神像ツクモロズとの戦いは、結果的に華世がリリアンから恨まれる結果となった。

 そんな彼女が元気をしていることが知れただけでも、華世としては一安心だった。


「前に、色々とね。さぁて、そろそろあたしたちもホテルに行きましょうか。そろそろ先に行ったウィルがチェックインと荷物運びを終えてるだろうし。ほら、リン起きなさいよ」

「ふが……」


 華世に頭を軽く蹴飛ばされ、垂れていたヨダレを拭いつつ起き上がるリン。

 育ちのいいお嬢様とは思えない仕草に笑いながら、華世とホノカはパラソルを片付ける。

 三人で更衣室に向かい、水着から私服へと手早く着替え。

 そして海水浴場の事務所に借りてきたパラソル他、レジャー用品を返却。

 事務所を出たところで、白いワンピース姿のリンがガサゴソとカバンを漁り始めた。


「リン、何やってるのよ?」

「先程、オバケが出るという話をしていたでしょう? 護身用ですわ!」


 そう言って取り出したのは、小ぶりな散弾銃。

 前に彼女の屋敷でツクモロズ相手にぶっ放していたことを思い出しつつ、華世は苦笑いを浮かべざるを得なかった。


「その物騒なものを抱えてホテルまで歩く気?」

「いつでも取り出せるように整理しただけですわよ!」

「……リンさん、私達がボディガードをしますから大丈夫ですよ」

「それでもわたくし、足手まといだけは嫌なのですわ! せめて……せめて、華世たちの力に少しでもなれたらって」


 少し涙ぐむリン。

 彼女の気持ちはわからなくもない。

 リンは、魔法少女でもなければキャリーフレームパイロットでもない。

 かといってカズのように裏方で活躍できる技能も皆無。

 同年代の仲間がみんな何かしらの技能で活躍をしている中、リンだけはずっと何もできないでいた。

 今もクーロン・コロニーを守るためと巡礼の旅の真っ最中だが、その実は華世たちやネメシス傭兵団の皆に護られているだけ。

 そんな彼女がずっと疎外感、あるいは無力感を感じていただろうな……ということは少なからず感じ取っていた。


「……わかったから、泣かないの。役立ちそうなときは頼ってあげるから」

「ですわ……」


 散弾銃をカバンに仕舞い直したリンを先導するように、ホテルに向けて歩き始める華世。

 海水浴場からホテルまでは、車ならば高架の有料道路を走ればすぐの場所である。

 しかし徒歩の場合は高架を通るわけには行かないので、した道を通ることになる。

 このした道と言うのが、例のオバケが出るという路地に近いのは、華世のミスだった。


「……華世、レオンさん達が車で戻ってくるのを待っていたほうが、良かったんじゃないですか?」

「何よホノカ。弱気になるなんてらしくないじゃない。オバケ、怖かったりするの?」

「そ、そんなことは……少しありますけど」

「ツクモロズだったとしても、民間人相手に逃げ回るようなヤツよ。あたしたちなら大丈夫でしょ」

「そうだったらいいですが……誰もいませんね、このあたり」


 細い路地を挟む建物はみな、シャッターが閉まっていた。

 ゴーストタウンもかくやといったこの区画は、もともとは観光客向けの商店街だったらしい。

 けれどもV.O.軍との戦争で客足が止まっているため、一時閉店。

 シャッターの張り紙を見る限りは、そういう事情のようだった。

 

 大人が二人横に並んだら壁に詰まりそうな路地を歩きながら、怯えるホノカと共にホテルへと目指す華世。

 ときどき後ろを振り返り、同じくビクついて黙っているリンがはぐれてないかを確認する。


「それに、あんたツクモロズが近くにいたらわかるでしょ?」

「最近、その感覚が鈍ってますけどね。幸せに慣れすぎたのかも……」

「なにそれ? 不幸だと鋭くなるっていうの?」

「華世に雇われるまで、自分の食事に使うお金まで切り詰めていた頃はそれなりの距離でも感じれたんですけどね。ももからも、全然ツクモロズの気配を感じられなくなって……」

「そういうものかしらねぇ? ……それよりリン、あんたやけに静か────」


 振り返った華世は、言葉を詰まらせた。

 そこに居たはずのリンの姿が、どこにも見当たらなかったからだ。


「リンさん?」

「はぐれた? 別にそこまで入り組んでないこの路地で?」


 確かに、途中いくつかの曲がり角や分かれ道はあった。

 けれども後ろからついてくる分には、はぐれようのない距離を歩いていたはずだ。


「……ホノカ、リンに電話かけられる?」

「今、呼び出してますけど……出ませんね」

「冗談じゃないわ。探すわよ!」


 嫌な予感を感じながら、華世は来た道を引き返した。



 ※ ※ ※



「華世ー……どこですのー……?」


 リンはひとり、薄暗い路地の中で震えながら歩いていた。

 決して道を間違ったり、目を反らしていたわけじゃない。

 華世たちが曲がったはずの、直角カーブ。

 その後を追おうとしたホノカがたどり着いたのは、新し目の壁で塞がれた行き止まりだった。

 慌てて引き返し、分かれ道の通ってない方へ進み直したリン。

 けれども華世と合流できるはずもなく、無人の路地の中で完全に迷子になってしまっていた。


「華世ー……ホノカさんー……どこに……?」


 脳裏によぎる、黒オバケの話。

 カバンから散弾銃を取り出したリンは、いつでも撃てるように構えながら、一歩一歩すすんでいく。

 そんな中、上着のポケットに入れていた携帯電話が、細かく震え始めた。

 そういえば電話があったと自己の失念を恥じながら、散弾銃を片手に携帯電話を手に取る。

 と、同時に自身を覆う影。


「────!!?」


 気がついたときには巨大な黒い塊が、リンの真後ろまで接近していた。



 【4】


「リンさーん! リンさーーん!!」

「ったく、世話のかかるお嬢様なんだから……!」


 悪態をつく華世と共に、リンを探しまわるホノカ。

 ここからさらにはぐれては元も子もないため、非効率を承知で二人一緒に行動をしている。

 繰り返し電話もかけているが、相変わらず出る気配はない。


「まさかリンさん、オバケに襲われたんじゃ……!?」

「笑えない冗談よ、それ。……あれって、リンのカバンじゃない?」


 華世が指差した先に落ちていたのは、散弾銃と携帯電話とともに鎮座する見覚えのある大きめのカバン。

 急いで駆け寄り、散弾銃を持ち上げる華世。

 ホノカも落ちていた携帯電話を手に取り、それがリンのものであることを確認する。


「荷物がここにある……でもリンはどこに?」

「華世、足音が近づいてきます」


 路地の曲がり角の向こうから聞こえてくる靴音に、ホノカは警戒心を強める。

 しかし現れた白いワンピース服姿を見て、それが杞憂だということに気がついた。


「あら……華世さん、ホノカさん。心配をかけましたわね」

「リンさん! よかった、何かあったかと……」


 ニッコリと微笑むリン・クーロン。

 胸をなでおろすホノカだったが……次の瞬間、華世がリンへと向けた散弾銃が火を吹いた。

 いったい何が起こったのか、理解できないまま世界がスローモーションになる。

 顔面の右半分が吹き飛び、後ろに倒れるリン。

 銃口から煙を吹く散弾銃を握る華世は、非常に険しい顔をしていた。


「華世……!? どうして、どうしてリンさんを!?」

「落ち着きなさいホノカ、あれを見て」


 華世が指差した先、飛び散ったリンの顔の残骸が黒ずんで地面に溶けるように消えていく。

 同時に、顔の半分を失ったままゆっくりと立ち上がるリン・クーロン。

 まるでホラー映画のゾンビのようなその動きに、ホノカは思わず「ひっ……」と声を漏らした。


「ひひ、ひ、ひどいですわね……。と、友達にむむ、向かって、撃つななんて……」

「下手な芝居はやめなさい、偽者。リンはあたしのこと、さん付けで呼んだことなんてただの一度もないのよ」

「そそ、それはリサーチ不足だったね。相変わらずの抜け目のなさだ、鉤爪の女と……シスター女」


 欠けた部分から黒い塊が膨れ上がるようにして、元の形に戻るリンの顔。

 口ぶりからするとこのリンの偽者、どうやら初対面というわけではなさそうだ。


「野暮な質問だと思うけど、リンをどこへやったの?」

「知りたいかい、鉤爪? あの女は、僕の中さ」

「中……ですって?」

「肉体情報を得るために取り込ませてもらったよ。おかげで、外見だけじゃなく記憶も貰えた」

「……ドリーム・チェンジ」


 呟くような変身の呪文とともに、魔法少女姿へと変身し斬機刀を抜いた華世。

 振るわれたその斬撃を、影から伸びるような鋭い漆黒の刃が受け止め、火花が散る。


「……この攻撃。あんた……レスね」

「御名答だ、鉤爪! お前たちに殺られてからの屈辱の日々、ここでお前たちの死を持って終わらせてやる!!」



 ※ ※ ※



 次々と飛び出す漆黒の棘を、後方への飛び退きで回避する華世。

 義足の蹴り上げと同時に、足裏からナイフを発射。

 赤熱した刃がリン……もといレスの頬を掠めるも、その傷はすぐに修復され返す刃が華世を襲う。


「フレイム・シールド!」


 いつの間に変身したのか、シスター姿のホノカが機械篭手ガントレットの手のひらから炎の障壁を出しつつ前に出る。

 熱気の壁に当たり、先端が消失する黒い棘。

 華世はすぐさま義手の手首を曲げ、ビームをレスへと向かって放つ。


「容赦なさすぎじゃないか? お前たちの友達じゃなかったのか、このお嬢様は」

「お生憎さま、あたしたちは外見に惑わされて手心を加えるほど繊細じゃないの……よっ!!」


 義足の装甲をスライドさせ、プラズマミサイルを発射する華世。

 煙の尾を引いて飛翔する青光りする弾頭が、空中で影の刃に貫かれ爆発。

 輝く煙の中から、レスが腕を大振りな刃に変えて飛びかかってきた。


「ホノカ、下がりなさい! このっ!!」


 咄嗟に斬機刀を握り直し、斬撃を受け止める華世。

 その横を、ホノカへと向かってレスの影が伸び、鋭い棘が彼女を狙って伸びる。

 直後に発生する、石床を吹き飛ばす爆発。

 後方から飛んできた瓦礫の雨へと、華世は咄嗟に振り向いてVフィールドを展開。

 受け止めたそれらを身体ごと半回転させ、レスへと容赦なくぶっ放した。


「ホノカ、あたしを殺す気?」

「華世だったら平気でしょう。それより……」


 土煙の中から、崩れた身体を修復しながら立ち上がるレス。

 ここまでやってもなお、傷一つつけられている実感がない。

 全身くまなく破壊しているはずなのに、まるで相手は弱点がないかのように振る舞っていた。

 隙を見せないように正面へと二人で構えつつ、ホノカの小声に耳を傾ける。


(華世、あのリンさんに化けたツクモロズ……本当に影の怪物なんでしょうか?)

(……どういうこと?)

(私の炎で攻撃を受け止めたとき、ほんの一瞬ですが沸点に達した液体のように、泡立ちを確認しました。それに、影が熱で止められる……というのも妙な感じです)

(確かにね。なら、あいつが決して地から離れないのもヒントの一つかもね)


 華世は過去に2回、レスと交戦していた。

 思えばその時も彼は走りこそすれ、必ず片足が地についている状態を維持し続けていた。

 そして、それは現在も例外ではない。


「ははぁーん……なんとなく読めたわ。あんたの秘密」

「秘密だって? なんのことかなぁ?」


 リンの顔でニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべるレス。

 彼が一歩ずつゆっくり歩み寄っている間に、華世は手早くホノカに指示を出した。


「何を企んでも……無駄だよっ!!」

「ホノカ、2点同時爆破!!」


 華世の合図で機械篭手ガントレットを打ち鳴らすホノカ。

 同時に華世の前と後ろで、同時に爆発が起こる。

 ひとつは、レスの足止めのための爆発。

 もうひとつは……頭上に舞うマンホールの蓋を無理やり開けるための爆発。


「開きましたよ、華世!」

「さっさと飛び降りる!!」


 地面にポッカリと口を開けたマンホールへと、ホノカと共に飛び降りる華世。

 予想が合っていれば、この先にレスの弱点があるはずだ。

 そうでなければ、敵に有利な閉所へと戦場を移すことになる。

 これは華世たちにとって、分の悪い賭けだった。



 【5】


 水滴の落ちる音と、汚水が流れる音だけが響き渡る下水道。

 コロニーの地下、宇宙空間と壁を経て接するアーマー・スペースから見れば上に存在する空洞へと降り立った華世とホノカ。

 下水道の構造は、例えるなら中央に汚水が流れる大通り。

 その両サイドに存在する、歩道にあたる足場の上に華世たちは立っていた。

 薄暗く数メートル先が見えない中で、ホノカが機械篭手ガントレットの指先に小さな炎を灯した。

 突然の明かりに、華世は義眼である右目を手で抑える。


「ちょっと、何も言わずに光らせるんじゃないわよ」

「だって、先が見えませんし……」

「義眼の暗視モードで周囲を見てたの。ったく……」


 光量の増幅量を調整し、下水道の道を前へと進む。

 正面に分かれ道が現れたところで、一旦足を止めて周囲を確認

 今いる場所は、降り立った場所からはそこそこ距離をとった位置。

 T字路の交差する点のフェンスから身を乗り出し、流れる汚水の河の上で敵の姿を探す。


「……華世、ホノカさんは無事でしょうか」

「わからないわ。あいつの言ったことが本当であれば、喰われてしまった可能性もある」

「そんな……!」

「今はリンの心配をしている場合じゃないわよ。あたしたちでなんとかしないと、あんな化け物は他に任せられない……!」


 姿を自在に変え、あらゆる物理的な攻撃を物ともしないツクモロズ。

 いかにキャリーフレームの戦力が魔法少女と同等だとしても、いや、同等であるがゆえに任せることはできない。

 大きな破壊を伴うキャリーフレームでの戦闘は、二次被害を広げることに繋がりかねないからだ。


 そんなことを考えていると、ホノカが「ひっ……」と怯えた声を出しながら、もと来た道の方を指差した。

 その方向に目を向けた華世の視界に写ったもの。

 それは、黒い闇の中に浮かぶ、無数の眼球だった。

 華世が気づいたことに反応するように、目のない隙間に浮かんだ口が、パクパクと開き始める。


「「「察しが良すぎて困っちゃうね。まさか下水道に僕の本体があること、見抜かれちゃうなんてね」」」


 高さの違ういくつもの声が重なったような音を出して喋る口たち。

 そして闇の中から人のような輪郭が盛り上がるようにして浮かび上がり、その全身を肌色へと染めていく。

 生まれたままの姿で全身を顕にしたリン・クーロンの姿。

 その表面を遅れて溢れ出した黒い液体が包み込み、彼女が着ていた白いワンピース服を形成した。


「ふぅ、女の身体ってのも悪くないね。柔らかいし、なにより心地がいい」


 そう言いながら首を回すリンの姿をしたレス。

 その足元から伸びる線は、目玉を浮かべる闇……いや、漆黒の巨大な塊へとたしかに繋がっていた。

 地下にある本体から、排水溝や地面を通じて地上の人間体と繋がっている。

 それそのものは予想通り、だった。


「僕の本体を見つけて作戦通り……と思ってるようだけど、大きすぎて絶句したのかい?」


 悪い笑みを浮かべるレスの言うとおり、華世は少し相手を甘く考えていたことを後悔していた。

 あの後方にある黒い塊は、どうみてもこの下水道の半円状の空間をみっちりと埋め尽くしている。

 天井までの高さが5メートルと仮定しても大きいのに、その奥にはどれほどの長さ、あの巨体がひしめいているかは想像ができない。

 相手の余裕綽々っぷりから考えるに、表面をビーム攻撃したり爆破した程度では宇宙に空気を流し込むようなものだろう。


「ラウンド2といこうか。鉤爪ぇっ!!」


 足元から聞こえた水音に気づくと同時に、下水道の中央を流れる河から伸びる黒い腕に足首を掴まれる華世。

 そのまま水の中に引きずり込まれこそうになったところで、義手の手首を射出。

 向かい側のフェンスを掴むと同時に、左腕で義手手首のビーム発振器を引き抜き光の剣で足を掴む黒い腕を斬る。

 かろうじて落水を回避した華世へと、レスはヒャハハとゲスい笑いを浮かべた。


「この女の記憶から知ったんだよねぇ! お前が泳げないってことをさ!」


 次々と華世を引きずり込もうと、無数の黒い腕が汚水から飛び出してくる。

 華世はホノカと頷きあってから、T字路の交差点にある網目の橋を通って合流。

 そのままレスのいる場所から逃げるように走り出した。


「どうするんです、華世! あんな怪物、倒しようがありませんよ!」

「あいつが液体気質なツクモロズって見抜いたまでは良かったけど……下水道なんて奴にとっては身体の素材が取り放題な場所だったわね」


 不意に後方が光った、と思った瞬間。

 華世とホノカの間を通り抜けるように光線が走った。

 一瞬だけ後ろを見ると、レスの本体である漆黒の巨体。

 リンの姿が上半身だけ生えたような表面の周囲に浮かぶ目という目がエネルギーを貯めているような光を放っていた。


「ホノカ、ジャンプ!!」

「えっ? きゃあっ!?」


 掛け声で同時に飛んだ足元を、ビームが突き抜ける。

 次々と放たれる光線の雨が、フェンスを溶かし汚水を跳ね上げ、壁面に焦げ目を刻んでいく。


「このままじゃジリ貧ですよ!!」

「わかってるわよ! この状況を打開する手……何かあるはずよ、何か!」



 【6】


 華世は、過去のレスとの戦いを必死に思い返す。

 学校と、アーマー・スペースでの2つの戦い。

 その両方でレスを苦しめることができたのは、斬機刀の鞘から放った電撃攻撃。

(奴は水性の怪物……電気攻撃が効くのは理解できる。けど……)


 過去二回の交戦の際は、レスは人間大の身体で戦っていた。

 実際は別のところに本体があったのだろうが、瞬時に姿を消していたことを考えるとあまり大きくなかったのだろう。

 けれども今、背後から追ってきているのは横倒しにしたキャリーフレームよりも大きいと思われる巨体。

 そのすべてに電撃を浴びせるにしては、斬機刀の鞘だけでは電力不足だ。


(さっきから鉤爪、鉤爪とあたしばかりに執着している……だったら!)


 華世は走りながら、思いついた作戦をホノカに耳打ちする。

 彼女は本気か、と言いたげな表情を返してきたが、すぐ先のT字路で無理やり背中を押し、脇道へと方向を変えさせる。


「二手に分かれた? だったら鉤爪の方から先に仕留めてやるよ!」


(かかった……! 頼んだわよ、ホノカ……!)


 別の道へと向かったホノカの事を信じながら、ひとりレスの追撃から逃げ続ける華世。

 後方から放たれる光線は、狙いが正確なものだけを義手のビーム・シールドで弾き防御。

 そのまま直角のカーブを曲がり、直進。

 あの巨体でカーブを曲がるのは苦手らしく、その瞬間だけは距離を大きく離すことができていた。


「カーブで離そうとしているけど、そろそろ諦めたらどうだい? ペースが落ちてきてるよ! ヒャハハッ!」


 レスの嘲笑の通り、華世の疲労は着実に蓄積していた。 

 突き当たったT字路を左折しつつ、胸を抑えながら全力疾走。

 ここで距離を詰められるわけにはいかない。


(次を左に曲がれば……!)


 不意に、華世の横を通り過ぎるように黒い影が壁に伸びていく。

 直後、華世の足元を狙うように漆黒の刃が襲いかかる。


「ぐっ……!?」


 とっさに回避したが、刃の一つが華世の生身である右足をかすめた。

 ズキリとした痛みとともに鮮血が宙を舞い、身体が前へと倒れ込むようにバランスを崩す。

 華世はとっさに義手の手首を射出。

 正面の直角カーブにかかる柵を掴み、ワイヤーを巻き取りつつ体勢を立て直す。

 そのままカーブを曲がり、脇目も振らずに走り続ける。

 十分な距離が、とれた。


「華世ーーっ!! 準備、できてますよーー!!」


 遠くから聞こえてくるホノカの声に、華世は斬機刀の柄に手を伸ばす。

 そして数秒の疾走の後に、ホノカと合流。

 彼女が差し出したケーブルを、華世は斬機刀の鞘へと素早く巻きつける。


 ホノカが立っていた場所にあるのは、下水の水流を使った水力発電機。

 そこに溜め込まれている電力が、鞘へと送電される。


「来ましたよ、華世!」

「ホノカ、あたしの後方を爆破! 勢いつけて飛ばしてちょうだい!」

「わかりました、行きますよ……! 1、2の……」

「「さんっ!!」」


 ホノカの点火とともに、爆発を起こす華世の背後。

 その爆風に乗って、こちらへ向かってくるレスの巨体へと突撃する。


「鉤爪っ!?」

「こいつで、痺れろやぁぁぁぁっ!!!!」


 飛び出していたリンの上半身、その胴体へと勢いよく鞘ごと斬機刀を突き立てる。

 直後に凄まじい光と、バチバチという電気エネルギーが空中を走る放電音が周囲へと響き渡る。


「「「ぐわぁぁぁぁぁっ!!?」」」


 発電機から送られる高電圧を浴びせられ、悲鳴をあげるレス。

 巨体の表面はボコボコと泡立ち、巨大な球体が次々と浮かび上がっては破裂する。

 飛び散った漆黒の液体は汚水の河へと流れていき、ただでさえ腐臭を放っていた水が黒く濁っていく。

 その間にもレスの巨体は泡立ち、どんどん膨れ上がっていく。

 そして、耐えきれなくなった水風船が破裂するかのように、一気に溢れ出した。


「がぼごぼっ……!? お、溺れる……!?」


 溢れ出した巨大な黒い津波に巻き込まれる華世。

 水への恐怖で斬機刀から手が離れ、身体が流れに飲み込まれてしまう。


「華世、捕まってください!!」


 差し出されるホノカの機械篭手ガントレットの手。

 華世は腕を伸ばし掴もうとしたが、その手は無情にも空を掴む。

 けれども、華世は沈みつつもその場所を見失わなかった。

 ダメ元でホノカのいる方向へと義手の手首を射出。

 引っかかるような感触を頼りに、ワイヤーを巻き取った。


「えぇぇぇいっ!!」


 一本釣りの如く、ホノカがワイヤー越しに華世を奔流から引き上げた。

 そのまま足場に水揚げされ、その場でゲホゲホと口に入りかけた水を吐き出す。


「た、助かった……。ナイスよ、ホノカ……」

「よ、良かったぁぁぁ……」


 波が引き、黒い水たまりが無数に残る足場にへたり込み、脱力するホノカ。

 レスを仕留められたかは定かではないが、あのダメージの受け様であればすぐに回復することは無いだろう。

 あとは現地のアーミィにでも任せれば、解決ができるはず。

 決死の中で掴み取った勝利に、華世とホノカは金属のコブシ同士を打ち合った。


「ところで……ここ、どこでしょう?」

「必死で逃げてきたけど……確かに、出口はどこかしら」


 勝利の余韻に浸る暇もなく、新しい危機の中に華世たちはいた。



 【7】


 すっかり空も暗くなった時間帯。

 華世とホノカは、やっとの思いで当初の目的地だったホテルが見える場所まで戻ってこれた。


「それにしても……リンさんのこと、皆になんて伝えましょうか」

「考えてなかったわね……。巡礼の旅をするお嬢様は怪物に食われて死にました……なんて、とても言えないわよ」

「そもそもです。本当にリンさんは、あのレスというツクモロズに食べられてしまったのでしょうか……?」

「あたしが泳げないことを記憶だよりで知ってたところを見ると、生存は絶望的でしょうね……」


 憂鬱な気分になりながら、ホテルの入口前にたどり着いた華世たち。

 ふたりの姿を確認してか、嬉しそうな顔でウィルがロビーから駆け寄ってきた。


「ふたりとも、帰りが遅かったから心配したんだよ! 携帯電話もつながらないし……」

「それは心配かけたわね。ウィル、リンのことなんだけど……」

「うん! リンさんだったら一足早く帰ってきて、部屋で二人を待ってるよ!」

「そう、リンさんが……えっ!!?」


 ウィルの口から放たれた言葉に、動揺を隠せないホノカ。

 リンの生存が絶望的な以上、確実に今このホテルにいるのは彼女に化けたレスのはずだ。

 それが部屋で待っている、ということは報復のための待ち伏せ以外には考えられない。


「ウィル、そのリン……喋り方とか変じゃなかった?」

「いや、別に……? いつも通りのお嬢様言葉にしか聞こえなかったけど……」


 眉をひそめつつ、ウィルとともにホノカと三人でエレベーターに乗り込む華世。

 ウィルがお人好しだから見抜けないのか、それともリンの真似が巧みになったのか。

 エレベーターを降り、宿泊先の部屋の前で覚悟を決めてから、華世は扉を開けた。


「華世、戻って来ましたのね!」


 白いワンピース服姿で嬉しそうに華世を出迎えるリン・クーロン。

 呼び方、仕草や口調などには一切の違和感は感じられない。

 自分のすぐ後ろにいるウィルを見て、ふと華世はリンが本人かどうかを明らかにする手を思いついた。


「どうしましたの華世? えっ……?」

「そおいっ!」


 リンの着ているワンピース、そのスカートの裾をおもむろに掴み上げ、一気にめくりあげる。

 勢いよくめくったことで、彼女の履いている純白に小さな赤いリボンがついたパンツはもちろん、ヘソやブラジャーの下端までが顕となった。

 すぐに両腕でスカートを抑え、顔を真赤にして涙目になるリン。

 華世の後ろでは言葉を失ったウィルが、頬を赤くしながらボーッと突っ立っていた。


「な、な、なっ!!? 華世、どういうつもりですのっ!!?」

「うーむ、この反応は間違いなくリンそのものね」

「そうですね。リンさんに化けていたあいつは羞恥心とか全然ないタイプでしたし」

「わたくしが本物かどうかのために、こんな事を!? もうわたくし、お嫁にいけませんわーーっ!!」



 ※ ※ ※



 いちおう再び魔法少女へと変身した華世とホノカは、落ち着いたリンをベッドに座らせた。

 そしていつでも反撃できる準備を整えながら、ふたりはリンへと事情を問いかける。


「それで、あんたはどういう経緯でここに戻ってきたの?」

「わたくしも記憶は曖昧なのですけど、あの路地で黒いオバケ……レスにわたくしは取り込まれましたの」

「ってことは、あんたはやっぱりレスなの?」


「それについては、僕が教えてやるよ。鉤爪……」


 ニュッと、リンの頭頂部辺りから黒い球体が飛び出してそう喋った。

 球体というよりは表面に瞳のような模様が浮かんだ物体であり、リンの頭とは底面がつながっていた。


「あたしを鉤爪って呼ぶってことは……」

「君の想像通り、僕はレスさ。でも今はこの女に主導権を握られてて、こんな惨めな姿でしか主張できない身だけどね」

「主導権?」

「どうせ黙ってても、この女が僕の記憶から読み取って言っちゃうだろうからね。素直に白状するよ」


 事態が飲み込めない華世たちへと、レスは説明を始めた。

 擬態能力によって作り出した壁で孤立させたリン・クーロンを取り込んで、華世たちへと襲いかかったレス。

 しかし激闘の末に華世とホノカによる電気攻撃を受けたことで、レスは致命的なダメージを受けることとなった。

 その過程で地下道にあったあの巨体は崩れ果て、残ったのはリンの身体を構成する程度の体積だけ。

 下水の流れからなんとか抜け出し、地上に脱出したあたりで変化は起こったらしい。


「たぶんあの電撃のせいだろうね。僕はこの身体を動かす主導権を失った」

「そしてわたくしは身なりを整え、このホテルで華世たちの帰りを待つことにしたのですわ」


 話をまとめると、たしかに今のリンはレスの能力で作られた身体らしい。

 けれどもその身体を動かすことができるのはリン・クーロンであり、レスは今のように端っこに喋る目を出すくらいしか動かせなくなったという。


「でも、だとしたらリン……あなた、人間じゃなくなったわけだけど」

「……そう、ですわ。わたくしのこの身体は、たしかに人間からはかけ離れたものになりました。でも、意外と便利ですのよ?」


 そう言って備品として用意されていたリンゴを指差すリン。

 次の瞬間、彼女の指が黒いトゲのような形状に変化してまっすぐに伸び、リンゴを貫いた。

 そして指がもとに戻るのに連動して彼女の手元に引き寄せられるリンゴ。

 そのままリンは刃物のような形状に変化させた指先で、リンゴの皮を剥き始めた。

 包丁で切ったように剥かれ、切り分けられたリンゴを口に入れながら、リンはニッコリと微笑む。


「人間でなくなったことは、たしかにショックでした。けれども、華世たち魔法少女も言ってしまえば似たような存在ですわ。人間離れした強さを持ち、宇宙でも平気な身体。それを思えば、人間でなくなったことを悪く思うのは、あなたたちに失礼だと思いましたの」

「リン……」

「だからわたくし、この力を華世の役に立てるように使おうと思いましたわ。やっと、やっとわたくしも……足手まといなだけではなくなりましたから……」


 そうやってしおらしい表情をする彼女の顔は、まぎれもなくリン・クーロンその人のものだった。

 華世は疑うことをやめ、静かに変身解除の呪文をつぶやく。

 ホノカも遅れて、変身を解除した。


「悪かったわね、リン。じゃあ後は、その目玉野郎を引っこ抜けば……」

「いっ……? 僕を、どうするんだい?」

「知れたこと。ドクター・マッドにでも頼んでねじ切って塩漬けにするとか、ケツに爆薬でも詰めて発破でもしてやるわよ」

「お待ちなさい、華世! この方も……被害者ですのよ!」

「被害者ぁ?」


 この期に及んでレスを庇おうとするリンに対し、訝しむ華世。眉をしかめるホノカとウィル。

 そんな三人を説得しようと、記憶から読み取ったというレスの過去をリンは話し始めた。



 【8】


 始まりは10年前の大事件、黄金戦役だったという。

 姿かたちを自在に変えられる知的生命体メタモス。それが黄金戦役で人類が戦った相手だった。

 戦いの結果はメタモスと地球人類による和解の成立だったが、それを良しとしない人類もいた。


 メタモスの特性を軍事利用できると考えた、ある研究機関があったという。

 彼らは研究の末、兵器として使えるメタモスのような擬態生命体を作り出した。

 それが、レスだったという。


「……まあ、僕は連中にとって失敗作だったみたいだけどね」

「待って、それじゃあレス……あんた、ツクモロズじゃないの?」

「それはこれからお話しますわ」


 リンは説明を続けた。

 細部まで模倣する擬態のために、対象となる存在を取り込む必要があったレス。

 その能力は、研究者たちの目的には足りなかった。


 そのため、飼育ケースの中に閉じ込められたまま、長い時間放って置かれたという。

 その間にも擬態生命体はつくられ続けたが、生き残ったものはレスを除いていなかった。


 そんなある日、研究所で爆発騒ぎが起きた。

 酷い扱いを受けていた何かしらのモノか実験生物か。

 依代は不明だが、ツクモロズが自然発生したことによって起こった事件だという。


 騒ぎの中、レスは閉じ込められていたケースから脱出した。

 そして事件の発端となったツクモロズを取り込み、正八面体の核晶コアを確保。

 事故の中で死亡した少年ティム・ジョージの姿を借り、ツクモロズを迎えに来たツクモロズ幹部へと接触。

 自分がツクモロズだと偽り、彼らの仲間になったという。


「つまりレス。あんたは、ツクモロズのフリをしているだけの一般実験生物ってこと?」

「一般……? まあ、そういうことになるね。……僕はどこでもいいから居場所が欲しかった。だからツクモロズの目的のために働きもした。まぁ、ツクモロズじゃないことがバレたみたいで、お前たちを使った粛清をされたわけだけどさ」

「粛清……? それって、あのアーマー・スペースの戦い?」

「ああ。ツクモロズの中でもキレ者で、人間のスパイやってるアッシュってのがいてね。あいつが僕を消すためにお前たちを手引きしたんだ」


 華世はふと、あの戦いの中でレスがやけに怒り狂っていたことを思い出した。

 ちょうどその時起こったのは、なぜかキャリーフレームに乗った内宮の参戦。

 あの時、内宮はなぜか用意されているはずのない愛機が用意されていたと言っていた。

 つまり戦いの中でのレスの怒りは華世たちへ向けられたものではなく、内宮へと機体を用意したアッシュなるツクモロズに対してのものだった。

 そこまで考えると、一連の流れ全てに説明がついた。


「死にかけた僕は取り込んだティム・ジョージの骨を吐き出すことでお前たちに死んだと思わせることに成功した。その後は小さく惨めな身体で水に紛れて宇宙船から宇宙船へと乗り継ぎ、ひときわ水が多く存在するこのコロニーの中で力を蓄えていたのさ」

「そして、憎い憎いあたしたちが来たからリンを取り込んで、復讐しに来たと」

「そういうこと。本気でやったのにあんな結果に終わったから、もうお前たちとやり合う気は無いよ。ま、身体の主導権取られちゃったからやりたくても無理だけど」


 そう言って、リンの頭から飛び出た眼球だけの目をそらすレス。

 リンが訂正しないことから、その発言は嘘偽りなく本心のようだ。


「それで、リン。あなたはこれからどうするの?」

「もちろん……巡礼を続けますわ。クーロンに平和を、取り戻すために……」


 その答えは、華世たちにとっては救いだった。

 リンの死亡という形で終わったとも思っていた巡礼の旅。

 それがリンの意思で続けられるとなれば、傭兵団の皆やクーロンで待つ彼女の関係者を悲しませずに済む。


「わかったわ。ただしリン、もしもレスが歯向かったら……その時はわかってるわよね」

「ええ……その時は華世、わたくしに遠慮する必要は……ありま、せんわ」


 いざという時の介錯かいしゃくを任せる、ということは常に死への覚悟をするということ。

 言葉の詰まり具合が、その覚悟の決まらなさを如実に訴えかけていた。

 けれども、言い切ったのはリン・クーロンという存在の気高さのあらわれ。

 その心意気を、華世は信用した。


「だーかーらー……僕はもう主導権ないし、歯向かう気も無いって言ってるじゃないか」

「敵の言うことをすぐに信用できるほど、あたしは甘ちゃんじゃないのよ」

「これだから人間はぁ……」

「信用されたかったら、これからジャンジャンとツクモロズの情報、素直に吐きなさいよ」

「へ~い」


 生返事をするレスだったが、華世にとってはようやく手に入れたツクモロズの情報源。

 それももものような利用される存在ではなく、幹部級からの情報。


 長かった一日の、夜が更けていく。

 けれどもその一日は喪失と奪還、そして新たな力の会得へとつながった。

 レスと一体化し、能力を得たリン。

 二人の運命が今後どうなっていくかは、今は誰にもわからなかった。

 


 ──────────────────────────────────────

登場戦士・マシン紹介No.26


【レス(リン・クーロン)】

全高:1.5メートル

重量:40キログラム


 液状の擬態生命体・レスにリン・クーロンが取り込まれた姿。

 見た目はリン・クーロンそのものであるが、レスの力によって身体を自由に変形させることができる。

 影のように伸ばした体の一部から、トゲや刃の形に変形させた部分を飛び出させることで攻撃を行う。

 光を反射しない真っ黒な色と地面や壁を這って動かすことから、まるで影を操る能力者のように見せかけていた。

 その実は液体に近い存在であり、多量の水分を取り入れることによって変形に使える体積を確保する。

 華世の捨て身の電撃攻撃によって何らかの作用が働いた結果、取り込まれたはずのリン・クーロンの意識が肉体の主導権を握った。

 レス自身も本気の状態を打ち破られた上に主導権を失ったことで、完全に華世たちへの戦意を喪失した。



【レス(巨大化)】

全高:5.1メートル

重量:不明


 華世とホノカが地下下水道で交戦したレスの本体。

 下水道の空間を埋め尽くさんばかりの巨体を持っており、横倒しにしたキャリーフレームを遥かに超える体積を持つ。

 その内部には多量の生命エネルギーを蓄積しており、体表面に浮き上がらせた眼球のような器官からビームのような光線として発射することができる。

 また、流れる下水の一部も自由に操ることができ、泳げない華世を水に引きずり込もうとしていた。

 巨体ゆえに華世たちの武器ではダメージを与えられなかったが、水力発電機の電力を加えた斬機刀による電撃を直接浴びせられ敗北。

 黒い身体の殆どが喪失し、同時に身体の主導権をリン・クーロンへと奪われる結果となった。



──────────────────────────────────────


 【次回予告】


 コロニー・クーロンの中で、アンドロイドたちが暴走する事件が多発していた。

 そのさなか、ミュウを擁するドクター・マッドへとツクモロズの刺客が忍び寄る。

 一連の事件の中、ももはみたび大蛇の姿へと変貌を遂げた。


 次回、鉄腕魔法少女マジ・カヨ 第27話「想いの架け橋」


 ────心が通じ合えば、誰が誰かなんて関係ない。

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