第8話 異端II
アルヴィスは空中を移動する。
飛び降りたあと、即座にバブルチェーンを丘の側面に放ち、まるでかの有名な蜘蛛男の様にその高度を下げながら飛び回っていた。
アルヴィスはあまりの楽しさに大声で笑っていたため、周囲からは注目の的だ。
下では、幼い子供が飛んでいる、と大騒ぎになっていたが、それは彼の意識の外の話だ。
風を一身に受け、さながら自由に飛び回るアルヴィスは、とうとう自分はこの世界を生身で実感しているという錯覚にあり、嬉しくて堪らなかった。
「おいっしょ!」
ーーーガチャン!!
「よしっ!」
そしてアルヴィスは民家の屋根上に着地し、そのまま走り出した。
民家間はもちろん、跳躍スキルのあるアルヴィスにとって大通りを飛び越えることも容易であり、アルヴィスは家々の屋根を疾走し、また時には大ジャンプで飛び移る。
そんな中、屋台通りが視界の端を掠め、アルヴィスは足を止めて屋根の上から飛び降りる。
ここまで来れば先の丘からも大分離れ、野次馬も殆どいなかったため、突如として上から降ってきた少年に周囲の人間は目を丸めた。
アルヴィスはキョロキョロと見渡し、一つの屋台に目をつけ、駆け寄る。
売っているのは串肉。
「おばさん!お二つくださいな!」
「あら坊や、一人かい?お父さんとお母さんとはぐれちゃったの?」
「違うよ、家から抜け出してきたんだ。きっと家に帰ったら大目玉だよ。アハハハハハハ。」
この屋台の女性はアルヴィスが上からやってきた事を知らないが、その場にいた人々の多くは目撃している。
一体あの少年は何者なのか、その興味が勝りすぎて、もはや視線など逸らせるはずもなかった。
「いくら?」
「2本で60イルザよ。」
「えぇと、これでいい?」
そう言ってポケットから銅貨を6枚出してみせる。
アルヴィスが家から持ってきた銅貨は10枚、少し多めに持ってきはしたが価格は"Trampling On The Victim"内と同じで胸を撫で下ろす。
「坊や。」
「ん?何?」
焼き上げの肉の刺さった串を2本、アルヴィスへと手渡す時、その女性が話しかける。
「あんまりお父さんとお母さんを困らせちゃいけないよ?」
当然のことだ、彼にはちゃんと分かっている。アルヴィスとて元より迷惑なんてかけたくはない側の考え。
しかしそれもある程度の戦闘力を身につけるまでは仕方ないとも考えている。
だからこそアルヴィスは満面の笑みを浮かべてーーー
「うん!」
ーーーそう応えた。
その後、屋台前でアルヴィスはそれを口にし始め、恍惚として「うまぁい!!」と二本を食べ終えるまで連呼した。
別に世辞などではない。
本当の料理人が作ったものでは無いとはいえ、確かにそれにはアルヴィスを唸らせる美味さがあった。
あと、雰囲気もそれに呼応するだろうが。
そしてあまりにもアルヴィスが美味しそうに食べていたため、彼を観察していた人々も無性にその串肉を食べたくなるという現象に襲われ、この日の、その屋台の売れ行きは、祭りの売れ行きを越して過去最高を記録したとか。
「じゃあね、おばさん!お肉、美味しかったよ!」
「そうかい、その串こっちで捨てておこうか?」
「いや!この後使うかもしれないから!持ってくよ!」
「つ、使うのかい、それを?
まぁ、取り敢えず気をつけて帰るんだよ坊や。」
そんな会話をしてアルヴィスは通りを走りながら手を振り、屋台の女性もそれに振り返す。
次の瞬間、アルヴィスは跳躍し、またも軽々と屋根の上に着地し疾走。
これを見た屋台の女性は顎を外さんばかりに愕然とし、当然これには呆然とする他なく、「一体何者なんだ……あの坊やは……」と。
アルヴィスは走りながら人差し指に、小さな水の玉を魔法で発生させる。
2本の串をその水に通して洗うと、水を切ってバックの中へ。
走ること数分、アルヴィスはその目的地に着いた。
役所である。
しかし中には入らない。
中には入らず、役所の横の建物の屋根の上で飛び跳ねる。
そのアルヴィスの視線の先には役所の一室。窓の向こうに父、レオンが机に向かって仕事に励む姿がある。
「おーーい!」
飛び跳ね、窓の高さで叫ぶ。
「おーーい!」
「おーーい!」
「おーーい!」
それを何度も繰り返す。レオンが気づくまで。
一方グレオンは大きなため息をついていた。終わらせても終わらせても無限に出てくる書類仕事。
デスクワークにはデスクワークの辛さがあるというもの。
「レオン様、追加ですよ。」
そう言ってこの部屋に秘書のポストにある男が入ってくる。
「またか……くそ、マジで領主なんて碌なものじゃない。辞めたい……」
「まぁ、いつもの事ですね。」
「いや、そうなんだが今日は特におかしいんだ。息子が俺を呼ぶ幻聴が聞こえてくるんだよ。」
「へぇ。……でも僕も確かに何か聞こえますけど?」
「は?」
そして一瞬、時が止まる。なぜ自分だけに聞こえているはずの幻聴が秘書にまで聞こえるのか。
答えは単純だった。
「まさか!!」
そう言って振り返ると、そこにはーーー
「おーーい!とーーさーーん!!」
ーーー窓の向こうで手を振り、上下しているアルヴィスの姿。
「ええええ!!!?」
秘書はそれに気が付き盛大に驚く。
ここは役所の3階。周囲にここに匹敵する建物は存在しないはずなのに、何故窓の外に人、それも子供が見えるのか。
驚愕には十分すぎた。
「アルヴィス!?」
レオンは勢いよく窓を開ける。
アルヴィスも飛び跳ねるのをやめて屋根に着地。
ニカァと笑いながらレオンを見上げる。
「父さん!じゃあ俺、今から外に行ってくるね!」
「ま、待てって!!お父さんと話し合おうじゃーーー」
「ーーーやだよ!」
アルヴィスは、今度は本当にレイティアの出入門を目指して走り出す。
「ったく!最近は物騒な噂も多いのに!」
そう、ここ最近レイティアでは何件かの人攫いの報告があがっていた。
実際、レオン達、アルヴィスの両親はその懸念もありアルヴィスの外出をよく思っていないのだ。
「レオン様!何やらよく分かりませんが急ぎましょう!
色々とツッコミたい気分ですが子供一人を放っておくなんて出来ません!」
「分かっている!!と言うかツッコミを入れたいのは俺の方だ!
お前は何人か騎士の応援を連れてきてくれ、多分アイツは門から外に出るはずだから、俺はアルヴィスに追いつく。」
レオンは悪態をつきながらも指示を出すと窓から飛び降り、アルヴィスの後ろを追い掛ける形で走り出した。
秘書の男も、「急がなきゃ!」と直ぐに行動を移す。
アルヴィスが随分と騒いでいたせいで見物人に野次馬、多くの人々が集まってきていた。
「おいおい聞いたかよ。」
「あれが領主レオン・リアノスタの息子か!
そんな大衆に紛れて碌でもない人間が二人。
最近、このレイティアで人攫いの事件が何度か起きていたが、その主犯である。
先のレオンが呟いていた良くない噂とはこの事。
意図してはいなかったが、早速主犯が釣れたのだ。
「こら待てぇぇアルヴィス!!」
「いやだよーーー!!」
レオンはアルヴィスに追いつけないでいた。その気になれば確かに一瞬で捕まえられるだろうが、その場合、身体強化は必須。
しかし身体強化で踏み込めば、足場及びその周囲の破壊は必然であり、民家に被害がでかねない。
その一方、アルヴィスの足は速すぎた。
身体強化由来の速さではない。これは走るのに特化したスキル"疾走"である。
アルヴィスはこのスキルを、大人の走力にも負けない程度に熟練度を上げていたため、レオンは距離を詰められないでいたのだ。
何せアルヴィスは1年、限界を超えて走り続けたのだから。
その時ーーー
「アルヴィス!前!!」
レオンとの追いかけっこに夢中で視線を父親へと向けていたアルヴィスの進行方向に2人の男が現れる。
「ケケケケ!!!領主の息子だぜ!!」
「ゲットぉぉ。どう調理してーーーー」
アルヴィスは直前で屋根を蹴る。
地面と水平な方向へのスピードを殺さずに低い高さーーーー大人の肩少し上程の高さを最高の高さにして、その2人の間を突破する。
体操選手顔負けの動き。
「「はぁぁっっ!!??」」
予想外の素早い動きに反応できなかった人攫い達はアルヴィスを追って後ろへと振り向く。
だがそこには自分達に満面の笑顔を向けてくるアルヴィスが地面とほとんど平行にスライド移動に近い軌道で、なお浮いていた。
アルヴィスの大きく開かれた両手。
それが勢いよく閉じるように腕が振られる。
たった一言。
「ストーンバレット!」
両手に握られていたのは小石。
その魔法名が呟かれた途端に粒は手のひらサイズに肥大化した上、腕の振りと同時に射出された。
あまりにも速い一連の動作、人攫い達は全く対応出来ずに、その大きく膨らんだ石の弾丸を鳩尾に脆に喰らい、後方へと吹き飛んだ。
「「ヒィィィィデェッ!!!」」
加えてーーーー
「「ブァゥッゥゥァ!!!」」
背後からレオン。
弾き飛ばされた2人は見事にレオンに屋根へと叩きつけられた。
見事な連携である。
ドゴォォン!!
「や、ってしまった……」
もちろん手加減はしていた。
が、それでも屋根を突き破るとはいかないまでも、半壊状態だ。
「後はお願いね!父さん!」
アルヴィスの足は止まらない。
「……アルヴィス、お前どんな修行をしてきたんだよ。」
驚愕するレオン。
「シラ!後は頼んだ!」
シラ、とは先の秘書のこと。
彼は既に騎士を引き連れ、レオンが声を張って聞こえる範囲までには追いついていた。
シラは一体何を頼まれたのか分からなかったが、人が群がっているそこに辿り着いて察した。
「マジですか……しかし今すぐに追いかけなければいけないから……仕方ない!ここはあなたたち2人に任せます!」
連れてきた6人の騎士のうちの2人を指さして指揮を執るシラ。
そう言い残して残りの4人とレオン達を追いかける。
「……な、俺たちの上司って……人任せだよな。大変なのは分かるけど。」
「止めとけ、今に始まったことじゃないからな。」
◇◇◇
その頃、アルヴィスとレオンの追いかけっこも終盤に差し掛かっていた。
アルヴィスが前を走る形で門前がすぐそこまで迫っている。
「騎士達!そいつを止めてくれ!」
レオンが声を張る。
この街の出入口の警備をする騎士は交代制で10人程が待機しているため、数的優位はレオンにあると言っていい。
「レオン様!?」
「と言うかあの子供を!?」
「……おい、なんか速くね!!」
「取り敢えず捕まえるぞ!」
そんな感じで門に駐在する騎士は総出でアルヴィス確保に動く。
武器は構えないものの、門の前でフォーメーションを取り、前の者が抜かしたとしても後ろで対応できるような布陣が完成した。
門を通るには全員を撃破するしかない、しかし戦闘をしていたのではあっという間にレオンに追いつかれてゲームオーバー。
そんな窮地にも関わらず、アルヴィスは笑っていた。
門に一番近い民家の屋根の上、アルヴィスはそこから大きく跳躍する。
その軌道から、着地地点は門前の騎士達のど真ん中。
流石にレオンもこれには、「アルヴィスもとうとう諦めたか。」と思った。
が、しかし、アルヴィスはもちろん、そんなことは微塵も思っていない。
「射程、圏内。」
その一言ともに、パンッと手を叩く。
すると、いつの間にか騎士の周囲に浮いていたシャボン玉の様なモノが一斉に破裂する。
視線誘導。
アルヴィスは屋根から跳んだ時点でこの幻覚魔法、睡泡ーー夢魔を仕掛けていたのだ。
騎士の全員が例外なく倒れて夢の中。
アルヴィスの着地と同時に倒れ伏した。
「幻覚魔法!?それも詠唱を破棄して!」
レオンはまたも目を丸くする。
この数分で一体何度驚いた事か。
結局騎士は誰もアルヴィスを止める事が出来ず、とうとう外へと出てしまった。
「ヤッホォォ!!!」
アルヴィスは飛び跳ねる。
が、彼もまた理解していた。
ここが正念場だと。
なんと言ってもここは街の外。
レオンが被害を考えなくてもいいテリトリーに入ったのだ。
森までは100メートルほど。
逃げ切れるか、捕まるか。
「身体強化!!」
レオンが踏み込むと地面にはヒビが入り、それを蹴ると今度は鈍い音と共にそのクレーターが拡大する。
そしてアルヴィスとの距離は一瞬で詰まりーーー
「捕まえーーー!!?」
ーーーられなかった。
否、手を出したその瞬間に、アルヴィスは素早い動きで浮かび上がり、レオンの身体を軸にして回転していたのだ。
つまり今、この瞬間、アルヴィスはレオンの肩に片手を着いて、まるで倒立をしているかのようなシーン。
その動きに身を任せたアルヴィスが着地する。同時にレオンも背後へと振り返り、視界にアルヴィスを入れて捕らえようとした。
が、ザザザザッという音を残してそこには既にアルヴィスはいない。
スライディングでレオンの股を華麗に抜けて森へと走り出していた。
さらに、その速さは今までの速さとは一線を画す。
倍、いや3倍……少なくとも今の今まで本気で走ってはいなかったことは自明であった。
それはレオンの身体強化を持ってしても容易に追いつける速さではない。
「嘘だろ!?」
そんな言葉もアルヴィスには届かない。
そして森へと侵入し、木を足場にして縦横無尽に次々と飛び移り、気配に気をつけながら確実にレオンとの距離を離していく。
「よし!これで森の木を隠れ蓑に使えば父さんは捲けーーー」
木々を足場に飛びながら進むこと数分、アルヴィスは足を止め、木の上に立ったまま森の奥へ視線を周囲に巡らせる。
「なんだ?」
Sixth sense とは別のスキル、索敵に人生初の魔物を複数体補足した。
このスキルは言わばSixth Sense の前段階スキルのうちの一つ。つまりは劣化スキルだ。しかし今のアルヴィスでは情報量が多すぎてSixth Senseを自在に扱うことが出来ない。
現状のアルヴィスの熟練度を考慮すれば効果範囲だけなら索敵の方が有効なのだ。
「……おかしい。」
アルヴィスが森に入ってまだ数分。本来この森の浅瀬に魔物がいることはない。
にも関わらず十数体のゴブリンが森を一直線に突っ走る光景。
加えてゴブリン達は木の上のアルヴィスに気が付きながらも無視。
「……拙いな、レイティアの方面に向かってる。」
そのゴブリン達が向かう先にはレイティアがある。そして何が拙いのか、外部からの侵入を防ぐための警備、その門番全てをアルヴィスが先程眠らせたばかりだということ。
今のレイティアは警備もくそもない。
「仕方ない、戻るーーーーー」
刹那、森の中で一つの気配がスキルに引っかかる。
「……なるほど、そういう事ね。」
アルヴィスは来た道をーーーとは言っても木だがーーー今度は真っ直ぐ戻る。ここに入るまでは父親のレオンを警戒していたが、今は緊急事態。
そんなことは言ってられないと判断。
「ーーーうおっ!!」
と、その時、アルヴィスは浮遊感に襲われる。
「やっと捕まえたぞアルヴィス。」
ふぅ、と一息つくレオンに捕まってしまったのだ。しかしアルヴィスにとってはそんなにもゆったりしていられない。
「父さん!今すぐ戻って!オーガが来るから森の中じゃ戦いにくい!」
「は?オーガだと?」
そう、魔物達の行動はまさにオーガから逃げる為。
オーガは基本的に中位以上の魔物に分類される。
確かにレオンならばオーガ程度一人で屠ることも出来るが、アルヴィスは経験を積むため自分で倒しておきたかった。
しかし、今のところコスパのいい火の魔法を軸に戦闘を考えているアルヴィスにとって森の中での戦闘は好ましくなかった。
「父さん!速く!」
「いや、しかしなぁ。」
「父さん!俺は家の警備騎士の皆から逃げ出したんだよ!約束!」
レオンは呻く。
もちろんアルヴィスの言った通り約束は約束なのだが。
「だがオーガがこんな所に来るのも珍しい事だしな……それに、ゴブリンならまだしも、流石にオーガは……」
「父さん!!」
アルヴィスの強いプッシュ。
レオンも、「ぁぁぁ!!もう、分かったよ!」と首を縦に振った
「危ないと思ったらお父さんが割り込むからな!」
「了解!それでいいよ父さん!!」
そう言ってアルヴィスはビシッと進行方向へと指をさす。
「アルヴィス、危ないからお父さんに捕まってなさい。」
「あい!」
グレオンはアルヴィスを抱えて、再度身体強化を発動し、街の方角へと駆け出した。
「ふぁぁぁ!!すっげえぇ!!はぇぇぇ!!」
相も変わらず、アルヴィスは楽しそうだった。
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