インドカレーと大学祭、それと女の勘
大学院に進学した俺は月見里が住んでいる場所とそう遠く離れていない場所に引っ越していた。どちらも小塚市からは遠く、親元を離れての生活であった。
会おうと思えば会える距離であったが、以前の演奏会みたいに何が何でも会いたいと積極的になれるほどでもなく、近くに住んでいる間に1回か2回会えればいいかという程度で、何か偶然のきっかけがあればいいかなと思っていた。
そうした偶然は秋に訪れた。
きっかけは140文字SNSで俺が投稿した内容だ。
〈インドカレー屋に行けないチキンなアカウントはこちら〉
大学の近くのインドカレー屋について研究室の後輩、岡と話していたのだ。引っ越して半年、まだ行ってないことを野次られたことがきっかけだ。
1人で知らない店に入る度胸がないことを笑われるのはこの際仕方ない。ただカレー好きとしては1度くらいインドカレー屋に行ってみたいというのがあった。
〈堂々と1人でインドカレー屋に行ったノットチキンなアカウントがこちら〉
そんなつぶやきに月見里がリプライしたのだった。月見里もカレーが好きなようでしばしばインドカレー屋に行っているらしかった。
〈ぜひ連れてっていただきたいw〉
彼女ならそこら辺詳しいのではないかと思い、お願いするが
〈むしろそっちが気になるところに連れてってよw〉
と返されたので、俺は知識ゼロで探すこととしたのだった。
いつ行くかお互いの空いている予定を合わせたら、1週間後の週末となった。
(あれ、この日って確か学祭だったよな)
通っている大学の大学祭が同じ日にあったのだ。どうせなら長く話していたかった。だから選択肢を提案してみた。
〈・インドカレーを食べてみる会
・大学祭に行ってみる会
・お酒を飲む会〉
何も三者択一ではない。なんなら全部選べるような選択肢だった。
〈お酒はあんまり飲めないから上2つのどっちかだな……〉
〈ならやれることは全部やる! 昼か昼ちょい過ぎに学祭行ってそのあとインドカレー!〉
俺が考えたのは夕方か夜にカレーを食べるという計画だった。
〈インドカレー行ってから学祭行こうぜ!〉
対して月見里は昼にカレー、その後に学祭と考えていたようだった。
昼時は混むだろうなと思いながら、彼女の案を了承するのだった。
*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*
そして当日。
(明後日にはあいつの誕生日か)
カレーを食べに行く日が月見里の誕生日に近かったのだ。忘れていたわけでもなく、意図的にその日に設定したわけでもなく、全くの偶然の産物だった。
ともあれそうであるなら彼女に何か用意するべきだろう。そう考えた俺は約束の時間よりかなり余裕を持って家を出た。
そうして駅前の百貨店で何か買おうと俺は物色していた。
(決まらん……)
月見里が喜びそうなものと考えてもそう思いつくものでもなかった。
(やっぱり消え物がいいかな)
いつぞやの誕生日プレゼントのようにストラップなど残るものにするのは今の関係だったらやめた方が良いのだろうか。そんなことを考えながら俺はお菓子コーナーへと向かった。
いろいろなものを見ながら何が良いかを考えるが、結局ベストなものなんて思いつかなかった。
(それだけ俺があいつを見なかったってことなんだろうな)
あの日々で俺が彼女に理想を押し付けていたツケがこんなところでも出てきた。見ていなかったからこそ彼女の好きなお菓子なんて知らないのだ。選びようがなかった。
(俺がいいと思ったものしか選びようがないのか)
いくら考えても無駄ならもう自分が貰って嬉しいものという基準で選ぶしかなかった。そうした基準で目に入ったのがチョコレートの焼き菓子だった。1人分で値段も悪くなく、俺が欲しいと思ったものであり、条件は良かった。
「これ1つください」
贈答用ということで丁寧なラッピングをしてもらって受け取った。
(これ、いつ渡すべきか。会っていきなり渡したら手荷物が増えるしな……)
そうなると渡すタイミングは最後にしかなかった。
(忘れないようにしなきゃな)
楽しさのあまり渡すのを忘れてしまったら目も当てられない話だ。俺は心に強く書き留めて、約束した場所へ向かうのだった。
*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*
待ち合わせ場所は小さな駅であった。
少し早めに着くようにしたので時間にはまだ余裕があった。
(店の場所の把握はしておくか)
迷うなんてことがないように事前に場所を実際に歩いて確認するなどして時間を潰そうと考えた。
(我ながら緊張してるな)
目的のインドカレー屋は駅から徒歩3分もかからない場所にあった。時間を潰そうにも微々たるものでしかなかった。結局駅に戻って月見里の到着を待っていようにもそわそわしてしまっていた。
(俺は中高生かよ!)
ただそうなってしまうのも理由があった。このおよそ13年間で月見里とKSとは関係なくどこかに行くなんてことは1度たりともなかったのだ。
(なんで中学高校で1度も誘うなんて考えもしなかったんだろうな)
女性とデートをしたことがないわけでもない。高校のときだって女の子と桜の花見で公園やあっちこっちを散歩してたりしていた。大学生の頃もそうだ。
だというのに月見里とはそんなことは1度もなかったのだ。それとも週1回の練習で会えることに満足していたのだろうか。
今となってはそんなことを思い返したところで理由もわからないが、今更という言葉が似つかわしいことだろう。
そんなことを考えていたら電車が到着し、それに乗っていたようで月見里が駅のホームから出てきた。
「久しぶり!」
1年半ぶりの再会だった。4年ぶりと比べれば短い期間だろう。それでも人の雰囲気が変わるのには十分な時間だ。
彼女の髪は1年半前と比べれば短く切られており、昔みたいに肩くらいまでに短くしていたのが印象的だった。
「それじゃ、行くか」
もしかしたら内面も変わっているかもしれない。会うまでそう思ったけれど、最初の一言で1年半なんて時間を感じさせないでどうせ会話できてしまうのだろうと、一種の信頼に似た安心感を感じていた。
そのインドカレー屋は人気店であり、昼食時も過ぎたというのに待合室のような場所で30分以上待つこととなった。
その間、会話が止まるなんてことはなかった。俺達はいつだって会話が尽きなかった。一体何を話しているんだと思うが、取り留めのない話でしかないし、全て記憶できるほど印象的な話でもない。
ただ言えることは、どんなに長く会わなくとも会って話せばいつも通りになるのだということだった。
*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*
肝心のカレーについては、インドカレー屋で初めて食べたカレーともあって、どこがどう美味しかったという感想は思いつかなかった。そりゃ隣にかつての意中の人が隣にいれば味もわからなかっただろう――ということはきっとない。
カレーを食べて満腹となった俺達は、そのまま大学へと行くために電車で2駅先を目指した。
車内は空いており、2人が座るにはかなり余裕があった。
「広瀬くんも座ってよ」
月見里は早速座って俺に隣に座るよう促した。
「いやいいよ。若者だからね」
たった2駅だ。立っていても苦労はしない。そういう意味に加えて、同い年の彼女に向かってわざと皮肉を言ったのだ。いつかのエスカレーターの件を引き合いに出して揶揄った。
「見上げるのつらいんだよ!」
といった皮肉は通じず、半分マジな雰囲気で言われてしまったので大人しく隣りに座った。
「恋人は私と身長あまり変わらないから見上げなくて楽」
時々、月見里から彼氏についての話を聞く。その度にふーんと頷くことしかできなかった。その話を聞く度にあの日々の後悔を思い出すからだろうか、今でも月見里を好きだと思っているのだろうか。ただどう反応したらいいのかわからないでいる。
そうした出来事もありながら大学に到着した。
「もし俺の知り合いに会ったらどうしよっか」
実際の関係はともあれ、今の月見里と俺の状況を知り合いが見ればデートの類だと思うことだろう。今回は俺の知り合いに会う可能性がゼロではなかった。寧ろ十分考えられることだった。
「元・両片想いの腐れ縁って正直に言えばいいじゃん」
そんなんじゃつまらないし、そう簡単に信じてくれないだろう。さらなる説明だって求められるかもしれない。そう思った俺はこんな設定にしようと提案した。
「君が童顔であることを利用して、キャンパス見学で来た受験生の従妹って扱いにしよう」
その方が信じられないのではと思いつつも面白い設定だったので、もしものときはそんなバレバレの嘘にすることとなった。
*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*
結局、大学の知り合いに会うことはなく、時間は過ぎ去っていった。
お腹がいっぱいだったこともあって露天で何かを買うこともなく、ほぼ出し物を見るだけとなった。
「もうこんな時間か。帰るよ」
夕方になり、大学を出て駅まで見送ることとなった。
駅に着いたところで俺は荷物からプレゼントを取り出した。
「少し早いけど」
「わ! ありがとう」
照れ臭くて真っ直ぐ目を合わせることができないし、最後まで言葉を紡げなかったがそれでも意味が通じたようだ。
彼女は中身を見て何故か少し驚いたようだった。
「まさかお菓子をくれるとは思わなかったよ」
「まぁな」
消え物がいいのかな。とは言わなかった。いくらなんでもそれは無粋すぎる。
「いつも太るぞーとか言うくせにねw」
「意外か?」
彼女の言う通りいつもそう言っていた。けれどだからと言って俺がお菓子をプレゼントに選ぶのはそんなにも意外なことだったのだろうか。気になって俺は問いかけた。
「うん。スタンププレゼントしたし、普通にスタンプくれるかと思ってた」
それも考えた。けれどそれはサプライズじゃないかなって思ったのだ。
「こう言っちゃなんだけど、広瀬くんって私の誕生日憶えてたり律儀なところあるから、何かあるんだろうなぁとは思ってたけど、まさかお菓子とは思わなかったよ」
「こんな感じのものが1番喜びそうだと思ったから選んだだけだよ」
嘘ではない。嘘ではないが、決して全て本当のことでもなかった。
それが顔に出ていたのだろう。意外と言われたり、律儀と言われたりして俺は不貞腐れたように俺は答えたのだった。
「そういう広瀬くん、好きだよ」
以前は不素直だった件を引き合いに、今の不素直さに対して好きだよと言ったのだろう。ただそれでもドキッとしたのは男として仕方なかったと言いたい。
こうして俺のサプライズプレゼントは一応の成功を果たしたのだった。
*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*
後日談。
翌日、付き合っていたカノジョからこんなメッセージが来た。
〈ぷいっ〉
何故か拗ねていた。
〈なんでぷいっ?〉
〈昨日女子と会ってたでしょー〉
そりゃもう心臓が跳ねた。
〈……はい〉
何故わかったのか全くわからなかった。
〈!? そうなの?笑〉
〈カマかよww〉
何という罠。本当に勘で鎌をかけたのか、それとも何か予想するようなことがあったのかは知らない。けれど、このときの俺にとっては女の勘としか言いようがなかった。
〈適当に言ったのに……素直なんですね笑〉
〈もしかして妬いた?〉
そんな可愛げがあるのかなって思いながら訊いた。
〈妬くというよりは、誰かに取られてしまう気がして寂しかったです〉
すると予想を上回るものが返ってきたのだった。
それともう1つ。
翌週の月曜日に研究室の後輩にこんなことを言われた。
「学祭で広瀬さんらしき人を見かけましたよ。女の人と一緒だったので見間違えかもしれませんけど」
見間違えではなく、それは俺である。声をかけられなかったのが救いだっただろう。
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