運命を変える 後編
定期演奏会本番の日。
前日は予想通り、珠奈や鍋島はエキストラで演奏参加しており、彼女らとは4年ぶりの再会を喜んだ。
俺が演奏するのは『運命』だけだったので、それ以外の曲も弾く彼女らを俺は舞台袖で見ながら聴いていた。
最初の曲目は卒団生達がソロを弾くバッハ作曲 2つのヴァイオリンのための協奏曲であった。
俺がKSに入って1番最初の定期演奏会で弾いた曲であるそれは、入って3ヶ月というのもあって思い出があまりないのだが、よくもまぁこんなテンポが早い曲をみんなで弾いたものだなと思い返していた。
続いて俺が小学6年生――月見里が入ってきた年に弾いた日本人作曲の曲だった。
こちらは1年間練習してきただけあって思い入れがそこそこあった。あれから11年経って舞台袖で聴いていることに不思議なものを感じつつ、しかし曲の雰囲気の違いを感じると、やはりあのときと今のKSは違うのだなと感じるのだった。
それは上手いとか下手とかではなく、新鮮さを感じる一方で少しの寂しさを感じたけれども、それが変化であり成長であることはわかっていた。第2楽章のゆったりした、暖かくも少し寂しいそれを聴いているからこそ思ってしまったのだ。そう飲み込んで。
その後、モーツァルト作曲 アイネ・クライネ・ナハトムジーク 第1楽章となった。俺は『運命』だけ乗るつもりだったのだが、どうせならと言われて前日に俺も演奏することになったのだ。
何かと縁のあるこの曲で、俺は珠奈とペアという現役時代にはなかった組み合わせでの演奏となった。今回のこの曲は演奏会でのKSの体験会みたいな扱いでの曲目なので、気張る必要もなく気楽に弾けるものであった。珠奈とも演奏前後で軽口を叩きながら弾くのであった。
*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*
そうした思い出を掘り返すような曲を聴き、演奏し、次の曲目が『運命』を控えたところで休憩となった。
〈来てるの?〉
今しかタイミングはないと思い、俺は控室に戻ってすぐに月見里にメッセージを送った。
もしかしたら来てないかもしれない。家でごろごろしてることだって考えられた。来ていてもケータイなんて見てないかもしれなかった。
彼女が来ているかどうかなんて祈るしかなかった。
〈来てるよ〉
だから彼女の返信には安堵してしまった。
〈ロビーまで出てこいし〉
彼女がどこの席で聴いているかわからない以上、月見里にはロビーまで来てもらうしかなく、俺はすぐにメッセージを送りながら控室を出てロビーへと向かった。
俺が卒団した翌年かそのまた次の年あたりで、休憩時間中に卒団生達によるロビーコンサートが開かれていた。俺はそれを尻目に彼女が来るのを待っていた。ケータイを見れば、仕方ないなぁと彼女の返信が会ったから来ることはわかっていたがそれでも不安があった。
(最後に会ってから4年か。容姿が変わってて気付けないとかあるかな。人混みが多いし見つけられない可能性もあるか)
そんな不安もあったが何よりも1番不安だったのは
(会ってどう切り出せばいいんだ!?)
舞台に乗るより緊張していたことだろう。どうせ会ってしまえば自然と話が出るだろうと思いながらも、どうしても拭えない不安だった。
そんな緊張と不安で時が引き伸ばされることもなく、月見里は2階席の出入り口からやってきた。
階段を降りきった彼女を真っ先に見つけたのは俺の方だった。間違いようのないその顔を、雰囲気を。
4年前と比べれば髪は伸びており、成人女性らしく、あるいはらしからぬ薄く化粧をした彼女を見つけるのは思っていたよりずっと容易だった。
彼女も俺をすぐに見つけた。
「久しぶり!」
「おう」
俺はいつものように片手を挙げて応対した。
改めて彼女を観察した。
強いて4年前と比べて変化があったことと言えば――
「微妙に太ったか?」
「そんなこと言うなら会いに来なければよかった」
いつもの意地悪な言葉を放ってしまうのは緊張を誤魔化すためだった。
「そう言う広瀬くんは痩せた? そんなにガリガリだったっけ?」
「運動も年明けてからしてないし変わってないと思うぞ」
痩せて見えるのは俺がスーツを着ていたからだろう。高校時代以前はゆるい服ばかり着ていたため体型が太っているように見えたのだろう。スーツなどややタイトな服を着ると痩せて見えるというわけだ。
「2人とも変わってないってことだな」
月見里自身と俺自身だけでなく、4年の月日を経ても一切のぎこちなさもなく会話が出来てしまう程には、俺達の間に変わりはなかった。
いつも通り話が盛り上がっていたが、気付けば休憩時間はもう終わりに差し掛かり、会場スタッフである団員のお母さんに声を掛けられてしまう始末だった。
「レセプション来いよ!」
さようならは今ここでは言わないと決めていた。
「気が向いたらねぇ」
そう簡単に行くと言わないのなら俺にだってやり方がある。そう心に決めて俺は控室に戻って次の曲である『運命』の準備にかかるのだった。
*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*
実は肝心の『運命』の演奏での記憶があまりなかったりする。
必死で弾いたからなのか何なのか。決して印象に残らないわけではなかったが、もしかしたらあの日の熱情と重ねようとし過ぎてしまったからなのだろうか。KSらしい弾き方ではあったし楽しかった。
けれど事実あの日、ドイツ人達と弾いた『運命』が鮮烈過ぎて霞んでしまったことは確かだっただろう。
ただ得たものだってあった。まだ俺は音楽を好きでいられたのだと。3年間も音楽をサボっていたけれど、それでも弾くことを楽しめるのだと。また演奏したい。そう思えた。
*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*
演奏会が終わって、私服に着替えた俺はレセプション会場に向かった。途中、ロビーで月見里がいないか探したものの、先輩も一緒にいたためそのままレセプション会場まで来てしまったのだ。
会場に月見里がいれば良かったものの、彼女はそこにはいなかった。
(もしかしたら帰っちゃったのかな……)
だからと言って諦める俺でもなかった。楽観視して待てば来るとも思えなかった。
俺は荷物を置いて急いで来た道を戻ることとした。
ロビーに着けば、目的の彼女はKSの団員と話していたようだった。
「あ、広瀬くん」
「おまえを迎えに来た」
絶対に逃さないぞといった目で俺は彼女を見た。そして彼女らと共に再びレセプション会場へと向かった。
エレベーターが混んでいたため階段で上ることとした。彼女らが先で俺が後ろの構図で上っていた。すると俺はどうしても彼女の背を見ながら上ることとなり、気付かずにはいられないことに気付いてしまうのだった。
(やっぱり太ったよなぁ)
自分の4年前、5年前の記憶を引っ張って比較するとどうしてもそんな結論に至ってしまっていた。
「こんなに太かったか?」
その後、俺が彼女に殴られたというのは今までの流れからしても予想できるだろう。
*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*
「どうしてそこまで私と話したかったの?」
レセプションでのことだ。俺も俺で、彼女も彼女でそれぞれの後輩、OB・OGとのやり取りはあったが、俺としては月見里と話したかった。先輩達への挨拶と後輩達にいじられるのもそこそこに俺は彼女のもとへ行って話しかけるのであった。
そんな会話の1つに今日に至るまでのやり取りに関する質問だった。
「んー、決着? もしくはケジメ?」
ただそれは正直に答えていいものではなかった。
今まで彼女に素直になれず、傷つけてしまったこと。いつまでも素直になれない自分への後悔。未だに燻り続ける彼女への想い。
それらに決着やケジメを付けるべきだった。月見里に会えばそうした残り続けるものが解消できるのではないか。そう考えたのだ。
もちろん単に月見里と会って話したかったというのもあるが、今日の今日まで残った気持ちに何かケリをつけたかったのも事実だった。
会話は続いていった。何せ5年分だ。話しても話し足りないくらいにはあった。それでも俺達は1つ1つ消化していった。あの日々では口にできなかった話題もあった。
中には
「広瀬くんと付き合ってても別れたと思うよ?」
「どうしてそう思うん?」
「だってキスとかしそうにないし」
「なるほどね」
素直になれなくて、守るべき存在だと、自身が奥手であることを履き違えて勝手に思い続けていたのならば、そうなっていてもおかしくなかっただろうと口には出さないものの納得した。
他には
「広瀬くんと私のこと小説にしたら見せてよ」
「そんなバッドエンドしかない恋愛小説、誰が好き好んで読むんだよ」
「私は読みたいけどなぁ」
なんてものもあった。
たくさん話たいことはまだまだあった。けれど時間は有限だ。
レセプションはあっという間に終わりを迎えようとしていた。
珠奈や鍋島はレセプションの途中で帰ってしまったため、月見里と俺しか同期はいなかった。
月見里はどうやって帰るのだろうと考えているところに今日の演奏会を手伝ってくれていた母がやってきた。
「あんた、真子ちゃんを送っていきなさい。途中喫茶店にでも行ったらどう?」
母からそんなことを命令されて楽器とスーツを持っていかれてしまったのだった。
こうして夜道を女性1人で云々は建前として、俺は彼女を駅まで送っていくこととなったのだった。
「2人で帰るなんて久々だな」
「そうだね」
久々も何も卒団以来なのだから当たり前なのだが。
「喫茶店でも寄るか?」
まさか本当に喫茶店に行くとは思っていなかったし、だからこそ敢えて訪ねた。このまま真っ直ぐに駅へ向かうか、どこか寄り道でもするのかと。
「アニメショップに行きたいな」
「じゃあ行くか」
ブレないなと思いつつ、俺は了解して歩きだした、
「今日来て正解だったなぁ」
「ほう? 理由は」
「久しぶりにみんなと話せてよかった。みんながちゃんと私のこと憶えていてくれてたし」
彼女も不安だったのだろう。自分を忘れてしまっているかもしれないことを。5年もの歳月だ。高校3年生の4月で卒団するのだから5年前に中学1年生の子が今年卒団なのだ。そんな子達が今でも5個も年上のお姉さんを憶えていないかもしれないと考えるのは当然のことだっただろう。
俺自身、5つ以上年の離れた後輩、まして俺からすれば彼ら彼女らの顔や性格は知っていても名前を覚えていない子達がまさか憶えているとは思っていなかった。だからって悪戯心で踵で俺の足を思いっきり踏みつけて喜ばないで欲しかったのだが。
でもみんな憶えていた。現役の後輩達だけでなく、OB・OG、先生方にもちゃんと忘れられてはいなかった。
「私、運命って信じてるんだよね。だから今日来たのは運命だよ」
運命なんてものは偶然の皮を被った必然だと俺は思っている。だから俺がそんな彼女の考えに言えることはただ1つだった。
「じゃあ俺がおまえの運命を捻じ曲げたんだな」
「そうだね。広瀬くんが声掛けてなかったら来なかった」
俺が必死に演奏会に来てくれと言わなければ来なかったかもしれない。俺が小森さんに演奏会に参加したいことを言わなければ、演奏に参加どころか演奏会に手伝いにすら行ってなかったかもしれない。ボランティアに行ってなければ小森さんに会うことすらなかっただろう。夏休みに長期帰省していなければボランティアに行く機会もなかった。『運命』じゃなかったら弾きたいと思わなかったかもしれない。
偶然ではあるけれども、俺がそうしたいと思ったから、引き起こした出来事だ。月見里に会いたくて、『運命』を弾きたくて、ボランティアに参加してもいいと思って、小森さんに言えば何かあるかもと思った。参加が確定したからこそ、月見里に来てくれと強く言えた。
俺が変えた彼女の運命はささやかなものだ。それでも今日この日、月見里と話しているこの日は本来起こり得なかったことだろう。そうであっても、そうでなくとも、月見里が喜んでくれたのなら俺は良かったと思えた。
そしてもちろん俺自身も彼女と再会できて、心に残っているものにケリをつけられたと、そう思えることができたのは良かったことなのだろう。
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「嫌なら来なきゃいいのに」
アニメショップに着いて俺達はとあるコーナーへと向かっていた。
アニメはいろいろ見ているが、アニメショップには単身で入ると羞恥心というか何かにやられて出て行きたくなる。2人3人ならノリで耐えることはできても、それでも感じるものは感じる。
そのことを月見里に言えば苦笑いされて先のことを言われたのだった。
「意外とそんなハードな表紙絵じゃないんだ……ではないな」
たどり着いた場所――腐女子向けコーナーで俺は本を手にとって表紙を見ては苦笑したり目を逸らしたりするのだった。
「俺も寛容になったもんだな」
「そうだね」
何に、とは訊かれなかった。誤解したのかもしれないし、わかっていたのかもしれない。俺自身言うつもりもなかった。
(だからこそあのとき、月見里の全てを好きになれなかったんだろうな)
今更そんなことを言ったところで何の意味も持たないのだから。
5年前、あるいはそれ以上前にこの場に居合わせたのならば、俺は彼女に対してどこか嫌悪感を抱いたことだろう。それが理不尽で自分勝手であることにすら気付かずにだ。
相手の趣味嗜好を認めず、拒絶することがいかに自己中心的か、5年前の俺は気付けないでいた。
*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*
結局、アニメショップでは見るだけ見て、小塚駅へと着いた。
「エスカレーター使うのか? 階段か?」
あの日を思い出しながら俺は彼女に訊いた。
楽器とそのケース含めて5kg近い荷物を背負っているというのにエスカレーターに乗ろうとしたところで、彼女は「若者は階段!」と言って背負っていた楽器ケースを引っ張ったのだ。以来、俺は上り下りする度に思い出しては階段を使うこととなった。
だから改めて俺は彼女に尋ねたのだ。
「んー、エスカレーター」
さすがにもうそんなことは言わなかった。約10年前の出来事である。考えだって変わることだろう。
エスカレーターでは彼女が前に立って、その1段下に俺が立った。
普段ある身長差がこのときばかりはほぼ埋まった。すぐ近くには彼女の横顔が目に映った。
(キスしたいなぁって気持ちか)
彼女の唇が目に入ってしまった。
今まで思わなかったことをこの日になって思ったのは俺が変わったからだろうか。それともさっきの付き合ってもキスしなかっただろうと月見里が予想した話題のせいだろうか。
しかし、今更ありえない話だと片付け、すぐにそんな気持ちを振り払ったのだった。
こうして長くも短い彼女との再会が終わるのだった。次会う約束なんてしていないというのに、次会える日があるかのように彼女は別れを言って改札を通っていった。
仮に次会うのなら何年後だろうか。5年後か、10年後か。連絡は取り合っても実際に会うのはいつの日になるのか、このときの俺達にはわからないことだった。
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