それから

君の想いに気付けない

 好きだった気持ちは幕を降ろしたのだった――そう簡単に想いに区切りをつけられるなら良かったのかもしれない。演奏会で終わりであったならば、ただの振られただけの話になって、もしかしたらその方が良かったのかもしれない。


 けれど、現実はそれでおしまいにはならなかった。


 毎日のように楽器を持って練習をして、毎週のようにみんなで演奏して、その度に月見里と話す。そんな日常が終わった俺に残ったのは空虚な想いと未だ消えることのない後悔だった。


 月見里を好きな気持ちはそんな簡単に消えるものではなく、1年近く経っていても素直になれなかった後悔が俺を苦しめ続けた。あの日の嫉妬を思い出してしまえば胸をどうしようもなく締め付けた。


 救いようもないその気持ちに、考えに足掻く日々が始まったのだ。


 誰かを好きになれば楽になるかもしれない。誠実なんて良い人振ってるから後悔することになるのだ。ならばいっそ不誠実に、自分勝手に生きて楽をしてしまおう。


 そう本気で考えてしまうくらいには、俺の精神的は参っていた。


 頭の中ではヴィヴァルディの協奏曲が未だに鳴り続け、月見里の姿が脳裏に浮かび、その度に月見里との日々を思い出してしまっていた。


 時には本当に耐えきれず、彼女にメールをしたこともあった。


 しかし、当時の俺はあれだけ後悔しても素直にはなれなかった。そうした捻くれが彼女を怒らせることになるというのに、俺は真っ直ぐに彼女と話すことはできなかったのだ。



*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*



 そうした日々が半年続いた。


 季節は秋になり、その日は月見里の誕生日だった。


 誕生日を祝うのは律儀な性格と言えるのだろうか、それとも彼女と話すきっかけが欲しかっただけだろうか。例年のように俺は月見里にメールを送った。


 積み重なった記憶はどんなに拒みたくても思い出してしまう。特にちょうど1年前の出来事ならなおさらだった。だからだろう。会話の内容も自然とそのことになった。


〈どうしてあの日、来たの?〉


 誕生日プレゼントをあげたくて100分待ったあの日、俺は月見里が来てくれないだろうと思っていた。それでも待っていたのは意地でしかなかった。


 しかし彼女は来た。だから気になったのだ。どうしてあの日、月見里は何を思って小塚駅まで来たのか。遠くないと言ってもわざわざ家から駅までは行くには億劫になる距離だ。


〈多分気まぐれで現れたんだよ(笑)〉


 彼女らしい答えと言えばそうかもしれないが、ごまかされている感じもあるものだった。


〈あっ教えてくれる気になったの??〉


 彼女も彼女で俺が長時間待っていた理由を知らないでいた。まさか誕生日プレゼントのために遠出してきたから遅れた。なんてことは口が裂けても言えなかった。


〈気になってたの?〉


 でももし月見里がこのことを気にしていたのならヒントくらいは出そうかと考えた。俺は彼女がどう思っていたかを尋ねた。


〈いや忘れてた(笑)〉


 その程度なのかと少し失望してしまったのは俺が未熟であったからだろう。


 本当は気にして欲しかったと期待してしまっていた自分がいた。


 俺が彼女の返信を読んで答える気が失せたのは自業自得ではあるのかもしれないが、仕方ないことでもあった。



*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*



 それから3週間ほど経った休日のことだ。


 仲が良かった地理の先生から政治経済を教わるという奇妙な昼を過ごして、自習室で勉強しているときにケータイが震えた。


 未だ設定を変えていなかった月見里からのメールだけに設定された振動パターンが俺の心臓の鼓動を早めた。


〈ねーねー、質問してもいい??〉


 果たして俺に今更何を訊くことがあるのだと思いつつ返信した。


〈どうぞ〉


 何を訊いてくるんだと少しドキドキしながらも彼女の返信を待ちつつ、俺は予備校へ行くために一緒の部屋にいた珠奈に別れを告げて自習室を出た。


〈男って男友達に「嫌い」って言われたら傷つくの??〉


 何を尋ねてくるのかと思えばそんなことだった。


〈そりゃ傷つくだろ〉


 少なくとも俺はそうだ。嫌われたくなんてない。だから誰も嫌わないようにだってしていたのだから。


〈じゃあノリが軽いやつに言われたら??〉


 不意に思い出してしまった6月の件はともかくとして、彼女の次の質問を俺はイメージした。


 悪ふざけとかの一環で嫌いと言われたらどう思うか。どうも思わないだろう。そう想像した。


〈冗談だろうって思うだろうな〉


〈ほぅ、なるほど! ありがとね〉


 しかし気になることがあった。何故月見里はこんな質問をしたんだという疑問だ。


〈なんで男子の心情なんか気にしなさそうな君がそんな事聞くんだ?〉


 気にしなさそうと言ったが、気にしないと断言できた。


〈男の心情は気になるよ! 女とは違う発想な感じがするし。どういう心境なのかかなり考えるよ〉


 一体いつからそんなことを考えていたんだと思わず言いそうになった。


(ん? つい最近なら理解できるが、最近でないならどういうことだ?)


 疑問に思った俺は皮肉も混ぜてメールを送った。


〈その割に、俺は気にされた気がまったくしないんだがな〉


 気にされてたら俺の想いはかなり前から知っていたことになるからだ。


〈さぁそれはどうでしょう〉


 明らかなごまかしメールだった。


 今まで何度もお互いの気持ちを見せたいからとごまかしてきたこのやり取りを、俺はもういい加減やめようと思った。


〈そこでオレはごまかされるんですか!?〉


 丁寧語なのは本心を隠そうとする動きだったが、それでも俺は一歩踏み込むことにしたのだった。


〈じゃあ中学あたりからだんだん心境を考えるだけになったかなぁ。う~ぬ、男の友情ものとか書くの難しいわ。〉


〈は??〉


(友情モノ? 書く? 創作でもしているのか?)


 俺の関心はそちらへと移っていた。


〈中学あたりから貴様にああいう意味で興味がなくなった〉


 しかし彼女は俺の疑問を前半の部分と捉えたようだった。


〈今の疑問に思ったところは「書く」と言うところだ〉


(違う。こんなことを訊くときじゃない)


 メールを送ったものの、訊くべきことは別にあった。


〈で、ああいう意味とは?〉


 即座に追加でメールを送った。好奇心もあった。訊いていいのか不安もあった。


〈え? 聞いちゃうの?!〉


 もしかしたらと思ってしまう俺がいた。そうでなかったら今以上に絶望するだろうことも予想できてしまった。


 けれどこのまま何も知らないでいるが1番嫌だった。彼女との6年間が何よりも大切だったから、俺は真実を知りたかった。


 彼女に素直じゃない態度はもうやめよう。


〈俺はそこを聞く〉


 これが最初の一歩だったのだろう。素直になる最初の一歩だった。


 待つこと9分が経った。


〈好意的な〉


 たった4文字の返信だったがそれだけでも十分意味がわかった。


 心臓はバクバクとしていたが、訊きたいことはもっとあった。


〈中学までかー。なんかあったっけ?〉


 中学と高校までの間で何があったかと言えば受験くらいだった。彼女の言う興味がなくなった出来事は思いつかなかった。


〈確か広瀬くんが冷たくて、他の女子と仲が良かったからだった気がする〉


 そんなメールを読んで俺は、あの6月の出来事を思い出していた。生まれて初めて誰かを嫉妬し、憎悪したあの雨の日だ。


 彼女は俺よりずっと早くから嫉妬していたのだろう。


 俺の同期には男子は俺1人で当時は女子が6人だった。俺が月見里以外の同期と話していたところをたくさん見掛けていたことだろう。逆の立場だったらと思うと、俺も嫉妬しただろうことはすぐに予想できた。


 それを俺は気付けないでいたのだ。


〈俺が他のやつと仲良くしてても……あぁそうか、わかった気がする〉


 文章を打っている最中にそうした考えに至った。


(俺はどんだけ鈍感なんだよ……)


 自分の察しの悪さ、いかに月見里を見てこなかったかを痛感した。


 幻想の彼女ばかり見て、自分は察して欲しいと彼女に当たっていた。そんな自分が憎かった。いっそ殺してしまいたかった。


 もっと素直になっていれば。もっと優しくできていれば。もっと彼女を見ていれば。もっと寛容であったなら。


 様々な後悔が渦巻くと同時にどこか救われた気持ちもあった。この想いが決して独りよがりではなかったのだと、そう安堵したのも事実だ。


 彼女のその気持ちを知ってから俺に変化が訪れたのは、それから3年半も先のこととなる。

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