冬 寒空の下で

 お弾き初めというものがある。書き初めと同じで、年が明けて初めて演奏する会である。


 俺や吉井はKSの先生に師事しており、毎年お弾き初めで発表することとなっていた。


 この年は卒団ということもあって、ヴィヴァルディの協奏曲もその際に発表してしまおうということになった。つまり門外生である月見里や鍋島もお弾き初めに呼んで弾こうというのだ。


 とは言え、ぶっつけ本番は良くないので年明けに1回集まって練習しようということになった。その場所がKSの練習場ではなく個人レッスンでの場所、先生のお宅であった。


 個人で発表する曲も練習しながら、4人で弾く曲も練習をするといったハードな年明けを過ごす中、合同練習の前日の夕方に月見里からメールが来た。


〈あたしさぁ、先生の家の場所わからないから教えてくれないかな……?〉


〈どこから先生の家へ??〉


 教えるのは一向に構わないが、どこからどうやって行くのかわからなかったため教えようがなかった。


 しかし返信はいくら待っても来なかった。


 結局返信が来たのは日付が変わる3分前のことであった。


〈駅から! お願いできないかな!?〉


 地元の駅からだったため、特に問題はなく、俺が案内すればいいと思って了承のメールを送って寝たのだった。


 翌朝。


 目を覚ますとメアド登録していない人からメールが来ていた。どうやら月見里のメールから1時間後に来ていたようだ。


〈みずほだよ~! 先生ちの行き方わかんないから弥生ちゃんにアド教えてもらったよ! 行き方教えて~笑〉


 鍋島からのようだった。


 送っていくのが1人でも2人でも変わらないことだし了承のメールを送った。


〈うち多分車で行く予定だよね。車でもその行き方でいける?〉


 どうやら徒歩ではなかったようだ。そうなると場所だけ教えるしか方法はなかった。


 今みたいにスマホの地図アプリで場所を教えるようなことは難しく、当時の俺にできることは目印となる場所をいくつか教えて場所を教えるくらいが限界だった。


〈ありがとう!〉


 鍋島から返信を受け取りながら俺は月見里にも確認を取った。


〈確認だけど歩きだよね?〉


〈電車でくるよ!〉


 これが月見里クオリティである。



*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*



 こうして意図せず月見里と2人で先生宅まで行くことになった俺は、駅で彼女の到着を待った。


 俺の家、先生宅、駅は徒歩でも行けるが自転車があると便利な程度には離れていた。


 なので俺は自転車で駅まで向かい、月見里と合流して自転車を押しながら歩くこととなった。2人乗りは道交法違反以前に楽器を背負っているので絶対にできない。


「最近、広瀬くんって優しくないよね」


 そんな道中、彼女はそんなことを言った。


「まぁそうだな」


 思い当たる節は多くあった。


「どうして?」


「うーん……」


 その問い掛けに俺は考えている振りをした。正直に言おうか言うまいか、迷ったのだ。


 好きな子を前にしていじめたくなる男の子の気持ちもあったし、素直になれなくてその裏返しのせいでもあった。けれどそれを全部答えるのは情けなくもあり恥ずかしかったのだ。


「元を言えば余裕がなくなったんだろうな」


 だから答えられる範囲で俺は答えた。


「なんで?」


「中学の頃はさ、そんなに勉強しなくてもそこそこの成績は出せてたし、中学のメンバーはみんないいやつばかりだったし。気軽だったんだよ」


 それが高校に入ってから、進学校というだけあって勉強は大変だし、人間関係も面倒なことが多かった。楽しくないってわけでもないけど、退屈な日々であったりもした。


 そうしたことが積み重なって俺には誰かを気にかけるような余裕がなくなっていった。


「それとなんの関係があるの?」


 さっきから質問攻めであったが、そこまで説明するのは気恥ずかしかった。結局のところ、余裕がない自分に優しくして欲しかった、甘やかして欲しかったのだ。


 それを同い年の子に求めるのは筋違いであるし、プライドも許せなかった。


「自分自身にも素直になれないんですよ」


 だから丁寧語を使ってまで自分の本心を隠し、自虐してしまうのだった。


「素直になれないと後悔ばかりになるよ」


「まぁそうだな」


 そんなことは痛いほどわかっていた。目の前の少女こそ、それを実感させたのだから。


 歩いている道は細く、2人で並んで歩くのが限界な道幅しかなかった。そこに向かい側から人が歩いてきた。


「先行って」


 すれ違うためにも俺は月見里を先に歩かせた。


「なんか広瀬くん自転車であたしを轢いてきそう」


 そんなつもりは端からなかったが、いかにも振りな気がして俺は歩みを早めて自転車を押していった。


「とか言うと本気で轢きそうだからやめてね」


 6年もいればお互いの性格なんて熟知しているもので、彼女は俺がそうしようとしたことに気付いたようだった。だが問題はその際に立ち止まって振り返ってしまったことだった。


 寸で止めようとしていたが、急に彼女が止まってしまったせいで目算に誤りが生じた。このままでは本当にぶつかってしまう。俺は急いで右側のブレーキレバーを握って急ブレーキをかけた。


 前輪が止まったことで勢いのついたままの自転車は後輪が大きく浮いた。


「急に振り返って止まるから本当に轢きそうになったぞ!」


 轢くつもりはなかったし、ちょっと驚かせればそれで良かったのだが、危うく轢きかけて俺は思わず早口で言ってしまった。


「やっぱり広瀬くんっておもしろいね」


 そんな俺を彼女は笑うのだった。


「でもそう言うところ優しいよね」


 面白いという点については月見里といるからこそであって同意できることであったが、俺が優しいという点については納得できなかった。それも轢いてやろうという悪戯をしようとした奴に優しいというのは尚更理解できなかった。


 以前にも時々、彼女は俺のことを優しいとか紳士的だとか言う。


 理由を聞いても納得できないことばかりで、一体彼女は俺のことをどう見ているのかよくわからなかった。


 でも、そういう風に褒めてくれるのはむず痒く、少し嬉しいことでもあった。


 そうしているうちに俺達は先生宅へ到着したのだった。


 ちなみにお弾き初めはなんとか弾けたという程度であった。まだまだな出来であり、4月の定期演奏会に向けてさらに上達させなければならないなと感じたのだった。

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