秋 日常――37小節目
俺と月見里が仲が良いというのはここまでの流れでわかったことだろうが、鍋島や吉井といった他の同期とも仲は良かった。
鍋島とは小学6年生のときに隣同士になって譜面台の位置でどちらかに近いと文句を言ってよく口論していた。きっかけは褒められたものではなかったが、今ではお互いを尊重し合える仲だった。
吉井は俺よりKS在団歴が長く、俺が入団した当初は先輩的な感じでもあった。月見里が吉井と仲良くし始めたのは小学6年の頃からだったが、俺と吉井が会話したのはずっと後、高校1年になってからだ。
きっかけは持っているケータイが同じだったことだ。このときまで友達の友達でしかなかった吉井に対して苦手意識を持っていたが、徐々にその苦手意識を解消していき、彼女が留学から戻ってきてヴィヴァルディのコンチェルトを練習しているうちに仲良くなっていった。
つまり、吉井とは1番長い付き合いだというのに1番最後に仲良くなったのだ。
男子1女子3の男子からすればなかなかに居心地の悪い組み合わせだが、それでも並程度には仲良くできていたと思う。
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この日はKSの練習が終わって卒団生だけでヴィヴァルディの曲を練習することとなった。
俺が1st、月見里が2nd、鍋島が3rd、吉井が4thと4つのパートに分かれて曲を弾いていくこの曲で、俺がリーダーとして練習していかなければならなかった。
この曲は16分音符がたくさんあり、かなりリズミカルな曲である。だが早いため、早くしようという気持ちが働いてさらに早くしてしまいがちなのだ。
それが4人一緒に弾いているときは誰かが抑止力になるから早くなることはあまりない。しかしソロパートでは1人だけが弾くため抑止力はなく、結果早くなってしまう。
第1楽章ではそうしたミスが目立った。各々のソロパートの度に段々早くなっていって首を絞めていってしまったのだ。
仕方なくメトロノームを取り出して、練習を続けることとした。
練習は第2楽章へと移った。第1楽章とは違って非常にゆっくりとしたテンポで弾いていく曲だ。一方で単調な部分が多く、似たようなフレーズを弾き続けるため、楽譜を見ながらだと自分が今どこを弾いているか見失ってしまうこともしばしばある。
俺が楽譜をめくって次の部分を弾こうとしたとき、月見里が見失ってしまったようで途中からやり直すこととなった。
「じゃあ、37小節目からでいい?」
全員が弾き始めるのにちょうどいいフレーズを失敗したところから遡っていくと37小節目であった。
「いいよー」
鍋島が早速ヴァイオリンを構えて返事をした。
37小節目から再開し、この表情豊かに奏でる曲を弾いていった。
ところが今度は鍋島と吉井が場面を見失ってしまった。
「37小節目からだな」
「ごめんよ」
吉井が謝った。誰にでもあることだし、失敗できるのは今のうちだ。
今度こそ、37小節目から最後までやり通して、そのまま最終楽章である第3楽章へと続いた。
第2楽章とは打って変わって第3楽章は第1楽章のように速いテンポで弾いていく曲だ。
第1楽章との最大の違いは、第1楽章ではソロパートは1人で完結する部分が多い曲に対して、第3楽章はソロパートを別のソロパートへと受け継いでいくバトン形式である。かなり複雑に繋がっていく曲であり、自分の弾く部分だけ理解していても弾くことはできないのだ。
例えば、中盤の部分は2つの旋律を同時並行に進められていくのだが、1stが片方を弾いてそのまま2ndへ渡していく傍らで3rdがもう片方を弾いて4thへ渡していく。受け継いだ2ndは今度は3rdへ渡し、4thは1stへ、3rdは1stへ渡し、1stは4thへ戻す。このように2つの旋律をワンフレーズ毎に誰かが誰かに網目状に渡していくため、見失いやすいのだ。
そうした中で、俺は見失ってしまった。
「どこからがいいかなぁ」
複雑な部分に入る前からが良いだろうと思って、かなり前の部分まで戻っていった。
「37小節目か」
見つけたときには思わず笑ってしまった。
「また37小節目なのー!?」
鍋島も笑い、他の2人も笑った。
何とも37小節目が目立つ練習であったのだった。
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帰りは4人とも駅まで徒歩で帰ることとなった。
「あ、お祭りやってる!」
通り道から見える広場でやっているお祭りの提灯が並んでいるのを発見した月見里が指をさした。
「屋台あるかな? 焼き鳥食べよう!」
「行ってらっしゃい」
特にお腹が減っていない俺は素っ気なく返した。
「やだよ、寂しいじゃん」
月見里でもそう言うことがあるんだなとか、意外に感じたからそれを思ったまま「なら言うなよ」と返そうかと思った。
「じゃあ誰かと行けばいいじゃん!」
しかし俺自身の口から出てきたのは皮肉でしかなかった。
彼氏と行けばいいじゃないかという未だ残り続ける嫉妬と、俺と行こうという淡い期待がそこにはあった。直前に1人で行って来いと言っていることも忘れて。
「いないでしょ」
皮肉が通じたのか月見里はそう返した。
「何やってるのかなぁ、お祭り……」
だがそれでも彼女はお祭りが気になるようで、再び広場を見て呟いた。
「そんなに行きたいなら行く?」
2度目も言うのだからそれだけ行きたいのかなと思った。だが、月見里を誘ってみてすぐさま気付いたことがあった。
「みんなでとか」
これではまるで月見里と俺の2人で行くようなものじゃないか! そう気付いてしまった俺は慌てて言葉を付け足したのだった。
しかし、歩きながらの会話であったため、お祭りの会場からも離れてしまい、月見里の表情も「もういいや」という感じだった。
「あー、でも今、金ないんだよなぁ」
そんな状況もあって、俺はふと現在の財布事情を思い出した。さすがに屋台2, 3件は行けるが、残金はあまりなかったはずだと把握していた。
「そうなの? 札とかあったら首絞めるよ」
月見里がそう脅す理由も深く考えずに俺は残金を数えるために財布を取り出した。妙に重かったが気にせずにまずは小銭から数えた。
「100円玉6つに500円玉1つ」
100円玉が6つあるのは1000円札を自動販売機で使ったときのお釣りが100円玉しか出なかったからだ。重かったのはそれが理由だった。
続いてお札を数えようとしたところで――
「やべぇ」
思わず笑ったが直後に月見里に首を絞められた。
中に入っていたのは5枚の1000円札だった。完全に残金の把握ができていなかったが、月見里に首を絞められていてそれどころではなかった。
「な、鍋島はどう?」
しっかりしてるし、なんとなく1番持ってそうな鍋島ならこの状況を打破してくれると思ったので問を投げ掛けた。
「3000円くらいかな?」
悪くはないが、打破できそうになかった。
「吉井は?」
(財布の中身的な意味で)期待度は鍋島に劣るが、それでもなんとかしてくれると望みを託して残る1人に訊いてみた。
「2000円くらい」
「なんでみんなそんなに持ってるの!?」
案の定ではあったが俺を含む3人が1000円台の所持金であったため、俺は首絞めから開放されたのだった。
「じゃあおまえはいくらだよ」
大体予想はついたがオチ要員として最後に月見里の所持金を尋ねた。
「う~ん、300円くらい?」
予想通り、そして期待通り、見事にオチたことは俺と鍋島、吉井の表情から明らかだった。
この頃の俺は、こんな日々がいつまでも続けばいいなと思っていた。
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