秋 オーケストラ 後編

 テストや修学旅行のような学校のイベントがない限り、毎週KSの練習に行っていたし、この時期はその夜に小塚フィルの練習にも参加していて、大変ではあったが充実していた。


 この日も例に漏れず、昼のKSの練習の後に小塚フィルの練習が待ち構えていた。


 小塚フィルでも練習のときに座る席は固定されておらず、その日の参加状況で前に詰めることとなっていた。その日はたまたま切りが良かったようで、2ndヴァイオリンパートでは表も裏も同じ人数であったため、俺と月見里は隣同士となった。


 こうなったのは中学3年生のとき以来であり、久々に隣で彼女の弾く音を聴けた。特段それが嬉しいことかと訊かれればそうでもないのだが、気心の知れた相手が隣だと弾きやすいし楽しいものなのだ。


 3時間の練習が終わり、時刻は21時となった。


 俺も月見里もヘトヘトとなって疲れたぁって言い合う中、俺は帰る手段を見つけなければならなかった。


 その日はいつも送ってもらっているヴィオラのOBことヴィオラのお兄さんが不参加だったため、今日こそは自力で帰る必要があった。


 月見里は例の如く母親が車で迎えに来ていた。


 その様子を見ていた俺は決して妙案ではないが、ベターな策を思い浮かべたのだった。


「あの、駅まで送ってってくれますか?」


 厚かましいお願いではあるが、練習場から小塚駅まで歩くのには少し遠いのだ。おまけに夕方から雨が降っていた。


 手段は選んでいられないと考えて、俺は月見里のお母さんにお願いをしたのだった。


 流石に断られるとは思っていなかったが、快諾してもらい、月見里と共に乗せて貰うこととなった。


「どこの駅でいい?」


 と訊かれたが返答に困ってしまった。というのも月見里の最寄り駅は小塚駅ではなく、そこから俺とは別方向に1駅行ったところにあった。そのため、図々しく小塚駅でと頼むのも気が引けたのだ。


「小塚駅でいい?」


 それを察してくれたのだろう。月見里母は俺にとってベストな方を提案してくれた。


 かくして15分間の会話が始まり、話題は学校のことになった。


 俺の通っていた高校や月見里の通っている高校は目と鼻の先とまでは言わないがかなり近かった。徒歩5分足らずで着くくらいだ。


 俺の方の高校は丘の上に建っており、毎朝息を切らさずにはいられない急な坂道を登る。一方で月見里の方はその坂道は使わず回り道を使って登っていく。どちらも同じ標高だが、短く急な坂道と長く緩やかな坂道、どちらが大変なのか言い合いになったのだ。


「1度あたしの学校の方の坂を昇ればいいんだよ!」


 実はその話題が楽譜を朝に渡して一緒に登ろうという考えが俺の中で至ったのだが、誕生日プレゼントの件の通り、それは叶わない話となるのだった。



*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*



 あれから誕生日プレゼントの件があった2日後。


 俺はその日もKSの練習を終えて、夜の練習に向けて軽食を取って向かおうとしていた。


「3人とも送っていくわよ」


 またまた月見里母がそう申し出てくれたのだ。


 今日は鍋島は夕方から友達と遊びに行くとのことで小塚フィルの練習には参加しなかった。残りの3人、つまり俺と月見里と吉井の3人を月見里母は送ってくれるとのことだった。


 お言葉に甘えて俺達は月見里母に送ってもらったのだが、近くのハンバーガー店で降ろされた。そして去っていった。


 一瞬意味がわからなかった。が、つまりはこういうことを意味したのだ。


 俺達3人で夕飯を食え、と。


 年頃の男子高校生が同じ年の女子2人と一緒にご飯と赤の他人が聞いたら、それはもうハーレムだと言うかもしれないだろう。


 だが、そんなものは夢か幻なのだということを理解して欲しい。


 ところで当時の俺はハンバーガー店なんて滅多に行かなかった。育ちが良いというより両親がハンバーガーを好きじゃないために連れて行ってもらう機会がなかったからだ。


 そのためハンバーガー店のあの独特なメニューに関して知識がなかった。と、なると俺は人の模倣という乳幼児期から培われる技術の取得方法を使うしかなかった。


 1番最初に頼み始めたのは吉井だった。彼女はでかでかとハンバーガーセットと書かれているものとポテトを注文した。続いて月見里は同じくハンバーガーセットとチキンナゲットを注文した。


 ここまで2人がハンバーガーセットを注文し、プラスアルファで注文していた。


 そこで俺もハンバーガーセットを注文しようと思ったが、当時の俺はピクルスが好きでなかった。そこでピクルスの入っていないテリヤキバーガーセットを注文した。プラスアルファは注文しなかった。


 無事、テリヤキバーガーセットを受け取って俺は先に注文した2人が座っている席へと向かった。


 どうやら彼女たちは部屋の角を陣取っていたようで、2人席を繋げた4人席に座っていた。そうなると俺は余った2席を座ることになるのだが、実質一択であった。


 何故ならば吉井は1番角を空けてその隣に座っており、月見里はその対角線に座っていたからだ。


 そのため俺は吉井の正面、月見里の隣に座るしかなかった。これが意図的なのか何なのか知らないが、当時の俺としては女子2人が隣り合って男子が1人みたいな組み合わせになるのではないかと疑問に思った。


 さて、吉井が先程ハンバーガーセットにポテトを注文したのを覚えているだろうか。そう、ハンバーガーセットにはポテトがついてくるのだ。


「ポテト食べない?」


「え?」


「間違えちゃって余計にポテト頼んじゃったの。ハンバーガーと飲み物だけかと思ってて、それなのにこの値段かって高いなぁって思ってた」


 吉井もまた、ハンバーガー店に行かない人種だったのだろう。だから吉井がポテトを一緒に食べようと提案してきたのは仕方なかったのかもしれない。


 そうしたこともあって俺達は夕飯を食べ終えて練習場へと向かうことにした。


「寒いぃ」


 外に出た瞬間、吉井がぼやいた。


「上着を脱げば暖かくなるかもしれないよ?」


 そんな冗談を言えば真っ当な人は


「余計寒くなるじゃん!」


 と返してくれるはずだ。現に吉井もそう返したのだが


「じゃあ広瀬がシャツまで脱ぐと暑くなるのかよ」


 冗談を冗談で返してきたのだった。


「なんで!?」


 しかも論理が飛躍していた。


「練習場所に着いたからもう脱いじゃダメだよ」


 そのことに月見里まで便乗してきた始末。そう、これこそがハーレムなんかじゃない所以だ。こういうやり取りはいつだって攻められる側にしかならないのだ。


「いや脱いでないから」


 そんな否定をしても無駄であった。


「やべ、想像したら気持ち悪くなっちゃった」


 吉井が追撃してきた。それも恐ろしいことを言ってきた。


「想像すんなよ!」


「いやしてないし」


「どっちだよ!」


 そうしたやり取りをしながら今夜も小塚フィルの練習が始まったのだった。ちなみに練習後の帰りはヴィオラ兄さんの送ってもらった。



*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*



 小塚フィル定期演奏会本番の前日。この日は昼の1時からリハーサルがあった。だが、その1時間前に俺は集合していた。


 大体の演奏会のプログラム冊子には広告が挟み込まれている。KSの定期演奏会もその広告として挟み込むため、今回はその挟み込みに協力するために早く来たのだ。


 KSの定期演奏会の広告を挟み込みに来たのだから当然俺以外のメンバーも来ているものだと思った。だがそこには俺と母、それに月見里母の3人しかいなかった。


(理不尽だ……)


 不満には思うものの口には出さなかった。出したところでどうにもならないから実に合理的な判断だ。そう思いたかった。


 団員の方々と一緒に手際よくやって20分後には全てを挟み込み終わった。


 そうしてやっと楽器を取り出して自分の準備にかかった。


 練習が始まる30分前、鍋島瑞穂がやって来た。


「あれ、早くない?」


 練習30分前に来るのは早いのだ。そこまで準備に時間が掛かるものでもないからだ。10分もあれば十分だ。


「え、早い?」


 そんなことは鍋島もよく知っているはずであった。だがしかし彼女の反応は何か違和感を感じた。


「練習1時から始まるし」


「そうなの!?」


 何時に始まるか知らなかった? そんなことあるか?


 そう疑問に思ったが、伝達不足というのもあったのだろうと結論に至った。


「まぁ俺はチラシの挟み込みのせいで12時に来てますけどね」


 そんな彼女につい不満を漏らしてしまったのは己の未熟さ故か。皮肉を言ってしまった。


「瑞穂もそれで」


 それを聞いてどうして早く来たのか納得がいった。挟み込みで早く来る必要があることは理解していたものの、それが何時から始まるかは伝えられておらず知らなかったのだ。


「それ30分遅いから!」


「え!? ごめん!」


 知らなかったものは仕方ないだろう。それでも挟み込みで早く来る必要があると思っていたのだから。鍋島よりもたちの悪い輩が2人がいるのだ。


 さらに時間が経って月見里が来て、最後に吉井が来た。彼女らはそもそも挟み込みを知らなかったのだろう。月見里母が来ているからそれは考えにくいと思ってしまうのだが。もう終わってしまったことを言うのもバカらしくなって何も言うことはしなかった。


 こうしてリハーサルは始まるのだった。



*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*



 小塚フィル定期演奏会は恙無く終わった。


 本番で隣になったのは、ヴィオラ兄さんの車によく乗っていたOGの人であった。とても上手な方でその上、親切に教えてくれたので困らずに演奏できた。


 こうして終わった俺は打ち上げに来ていた。


 だが、俺より先に演奏会場を後にした月見里達3人が来ていなかった。


「どうしたの?」


 4人固まって打ち上げにひっそり参加する形になるだろうと思っていた。だが一向に誰も来なかったのだ。


 どうしたら良いのかわからなくなって外でうろうろしていたとき、ヴィオラ兄さんの車に一緒に乗っているOB(ヴァイオリン)――コンマス兄さんが打ち上げ会場に到着して俺に声を掛けてくれた。


「いやぁあいつら来てないみたいで……。まだホールの方にいました?」


「来てないの!?」


 つまりいなかったことが判明した。


「というわけで俺1人になっちゃいました」


 苦笑するしかなかった。今から帰りますなんてことは言えなかった。当たり前である。


「そこは今からでも呼ぼうよ」


 そんな度胸はなかった。それに俺が今言ったところで来るとは思えなかった。


「いや、来ないですよ」


「まぁいいや。とりあえず入ろうか」


 俺はコンマス兄さんに連れられて彼の隣に座らせてもらった。


 これがまた波乱を呼ぶこととなったのだ。


 コンマス兄さんが座った席には先代コンマス、コンマス兄さんの隣に座っていた白髪おじさん、2ndヴァイオリンのトップ、トランペットのトップといった錚々たるメンバーだった。


 その中で若輩で末席にすら連ねない俺がいるわけであった。


「お、未来のコンマスか?」


 当然こんな流れになるわけであった。先代コンマスさんもまたKSのOBであり、顔ぐらいは俺のことを知っていただろうが、直接話したことはこの日までなかった。


「いやいやいや、そんなわけないですよ」


 すごい方々と一緒にいる中で、俺は恐れ多くて否定しまくるしかなかった。


「ところで他の子達はどうしたの?」


 コンマス兄さんと同じ質問が先代コンマスさんからも来た。


「それが来てないんですよ」


「今からケータイで呼べばいいじゃん」


「僕達が呼ぶとセクハラだしね」


 コンマス兄さんはすかさず冗談を飛ばすのであった。


 他の団員さんも続々と集まってくる中、コンマス兄さんがピッチャーを持ってきた。


「いる? 炭酸麦茶」


「いやいや、それ麦茶じゃないですよね!? ビールですよね!」


 未成年に何を飲ませようとしているんだ。


「オレンジでいい?」


「ありがとうございます」


 冗談で済んで良かった。


「ビールいりますか?」


 やっぱりビールじゃないか! という突っ込みはともかく、コンマス兄さんは先代コンマスさんにも尋ねた。


「いや、いいよ。永遠の未成年だから」


 こう何度もボケてくるのだから大人達の会話は怖いなと思った。


「高校生だったしね」


 まだボケるのか。


「そりゃあみんな高校生だったよ」


 白髪おじさんが突っ込んでくれてみんながどっと笑った。


 6人全員に飲み物が渡ったところでトランペット兄さんがジョッキを持ち上げた。


「まずはリハーサルですね」


「リハーサルがなくっちゃね」


 白髪おじさんが応答した。


 まだ会は始まっていないにもかかわらず、早速飲み始めようと言うのだ。


「「かんぱ~い!」」


 何もかもこのノリについていけなかった。みんなそろって全員で一緒に飲み始めるものだと思っていたからだ。その奔放さに俺はついてこれなかったのだ。


 しばらくすると便乗して他のテーブルの団員さんがやって来て「かんぱ~い!」と言って飲み始めた。もちろん俺達も「かんぱ~い!」と答えた。まさかの2度目であった。


 さらに時間が経ってようやく司会の人が乾杯の音頭をとった。


「「かんぱ~い!」」

「「さんぱ~い!」」


 俺達の席だけ明らかに違うことを言っていたがもう気にしていられなかった。


 高校生の俺からすれば少し大人な食べ物を口にしつつ、会も中盤に入った頃、ヴィオラ兄さんがやって来た。


「おい、一緒に外出てタバコ吸おうぜ」


「未成年ですから!!」


「オレが高校の時は合宿のとき酒とタバコ普通だったぜ」


 そういう問題じゃない! という反論は許されなかった。


「どっちのタバコがいい?」


 コンマス兄さんまでそんなことを言ってタバコを取り出した。


「いい先輩を持ったね」


 ついにトランペット兄さんまで俺の肩を叩いてきた。酔っ払ってるおじさんとはかくも恐ろしいのかと俺はこのとき初めて知ったのだった。


 タバコはちゃんと断れたが、会が終わったときにはフラフラだった。酒を飲んだわけでもない。緊張が解れて疲れた結果だった。楽しかったが、疲れの方が大きかったのだ。


 後日、月見里にこのことの不満をぶつけたのだが彼女は「誰も行かないと思った」と言った。俺の気の疲れを1ミリでも知れと心の中で呪ったのだった。

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