夏 告白
告白と言ってもどんな告白をすれば良いのか。その日になってもわからないものである。不器用な俺は今でもそう思う。
それにタイミングもまた図れずにいた。夏合宿中、日中は練習が続いているため、告白なんてできるわけがなかった。せめて2人きりのときにしたかった。
果たしてそんな都合のいいときが訪れるのだろうか。今までにだってそんなこと少なかっただろうに。そう頭の片隅では考えていた。
結局は自分から行動を起こすことでしか解決できないのだ。今までも、これからも。
だからだろう。本当に一瞬であっても、今までにも無数にあったチャンスのその1つを使ったのは。
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夏合宿2日目のことだ。
初日は例に漏れず、夜遅くまで後輩達と遊んで4時に寝て、7時に起きてはホテルのバイキングでコーヒーを飲んでは眠気を覚ましていた。
とても今日告白しようと思ってる人間の行動ではないと思われるだろうが、いつも通りというのをどうしてもしたかった。
KSにとって高校2年生は最高学年である。その1年間の全てのイベントは最後なのだ。だから最後らしくいつも通りにしていたかった。
景色の良い大講堂に昨日からセッティングされた椅子と譜面台を再調整して練習が始まった。楽しく、眠く、ちょっと厳しく、そしてそうした光景もあと少ししか見られないそんな練習だ。
ところで、KSの定期演奏会の曲目に最高学年のメンバーだけで弾くというものがあった。KS全員とは違って1パート1人で弾く曲だ。その年に卒団生が2人ならデュエット、4人ならカルテットになるといった具合だ。
6つ上の先輩は4人だったため、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲第12番『アメリカ』の第1楽章だった。5つ上も同じく4人だったからチャイコフスキーの弦楽四重奏曲第1番第2楽章アンダンテ・カンタービレだった。尤も、その年の卒団生はヴァイオリンが3人とコントラバスが1人の変則的なカルテットではあった。
1つ上の先輩達はヴァイオリン4人、ヴィオラ1人、そしてチェロ1人の六重奏――とはいかなかった。
この年はメイン曲に協奏曲が3曲あり、ソリストが4人であった。つまり2人だけ活躍できる曲がなかったのだ。そこで卒団生達の曲をヴィヴァルディの『調和の霊感』第8番の2つのヴァイオリンのための協奏曲 イ短調となり、その2人がソロを務めることとなった。
そして今年、月見里や俺などの代の卒団メンバーはヴァイオリン4人、チェロ1人というあるにはあるが、選択肢はかなり絞られてくる構成であった。
そうして決まった曲が昨年と同じヴィヴァルディ『調和の霊感』――その第10番 4つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲 ロ短調であった。さらに、今年は卒団生だけで弾くのではなく、伴奏にKSのみんながついて弾くこととなった。
つまりKSの伴奏の上で卒団生5人はソロ部分を弾くのだ。
その中で俺は1stヴァイオリンというメインのパートのソロとなっていた。つまり、この曲のトップであった。
いつかの代打でソロを弾くのではなく、本番でみんなの演奏の上で自分が花を飾るのだ。当然緊張した。それが練習であってもだ。
もちろんこの夏合宿でも練習は行われた。出来はまだまだ発展途上であったため、不出来なものでしかなかった。
それでも来年の4月までには人前に聴かせられるだけの出来にしなくてはならなかった。それがトップの責任でもあったからだ。
さて、今年の卒団生の曲がみんなでの合奏であることに納得しなかった人がいた。
俺と月見里を除いたヴァイオリンの2人、鍋島瑞穂と
彼女ら2人が言うに、卒団生だけで弾く曲をやりたいと言うのだ。
2日目の練習が終わった夜、彼女らの不満はついに先生に抗議する形となったのだ。
あまり事情を把握していなかった俺と月見里はほとんど巻き込まれたようなもので、その話し合いには立ち会うような立ち位置となってしまった。
彼女らの言いたいことはわからなくもなかった。今まで卒団生だけで弾いてきたのに、今年になってメイン曲と変わらずみんなで合奏なのだかららしさがないのだと。
しかしヴィヴァルディの曲こそが卒団生の曲なのだと俺と月見里は知っていた。それを意図して選曲されたのだから。話を聞いているうちに、どうも鍋島と吉井はそのことを知らなかったのではないかと感じてきた。
そんなことを先生方が説明する形で彼女ら2人は渋々納得したようで、会はお開きとなった。
講堂から出て部屋に戻る道中、やっぱり納得していなかったのか何なのか、鍋島と吉井はおらず、俺と月見里の2人で戻っていた。
心臓がバクバクと鳴っていた。
今しかないのだと、思った。
何の特別な日でもない、特別な場所でも、ロマンチックな雰囲気でもない、何の前振りもない、時間にして1分くらいの、そんなありふれた『今』だった。
「なぁ月見里」
彼女を名前で呼んだのはこれで2回目だった。
口が渇いていた。思考も全然まとまらなかった。
前を歩いていた彼女が立ち止まって振り返った。
「あ、名前で呼んだ!」
「俺がおまえの名字で呼ぶときは大事な話だから……」
しかし次の言葉が出てこなかった。
未だ心臓は落ち着くことなく鳴り響き、ついさっきまで張り巡らせていた思考はまっさらとなっていた。
告白するか、しないか。まだ選択肢はあった。
二の足を踏むこともできた。さっきまで練習していた曲の話を持ち出して、なかったことにだってできた。
「……大事な話なんだけど」
しかしそうはしなかった。
今日の今日まで勇気が持てなかったけれど、もうそうするのはやめよう。そう決断したのだから。
「ん?」
そんな俺の決断を月見里は知ってか知らずか、彼女は首を傾げた。
俺は歩きだして、彼女を追い越した。
「俺は月見里のことが好きです」
笑うことなかれ。
脚は震えていて、口は渇き、声は震えないで出すのが精一杯、その上顔なんて合わせられなかった。それほどにまで緊張していた。
好きになったのなんていつかなんてわからないし、それを自覚した理由なんて尚更話せなかった。
それでも想いを伝えることはできた。一言で済ませられるかなんてわからなかったけれども、伝えた結果どうなるかなんて予想なんてできなかったけれども、それでも俺は一歩を踏み出すことにしたのだ。
「え!? なんでこのタイミング!?」
驚くのも当然だったろう。彼女からすれば本当に何でもないタイミングなのだから。
「このタイミングを逃せばおまえに告るタイミングがないと思ったから」
もしこの日に伝えられなかったら、秋が来てすぐに冬、そして春になれば定期演奏会だ。タイミングなんてものはないはずだった。しかし彼女は否定した。
「いや、去年のクリスマス会とか去年の定演とか今度の定演のレセプションとかさぁ」
「クリスマス会でそんなことできるタイミングなんかあったか? 定演も――
「あったよ!!」
彼女は俺が言い切る前に強く否定した。
確かにタイミングなんてないと思っていた。作りさえしないのだから当然だ。
「でもレセプションで公開処刑されるのはやだな」
「おいおい」
そんな彼女の言葉に俺はつい緊張が緩んで笑った。
「レセプションで、おまえと会えなくなるのはいやだ! とか言うの期待してたのに」
「オレはそんな理想を持つ人じゃありません。だいたいそんなもう会えない日に言うか!?」
最後の最後で伝えたくなんかなかったから今を選んだのだ。
「あたしはそんな理想を持ってました」
確かにロマンチックかもしれない。だが、それでも今を俺は選んだ。今を逃せばまた二の足を踏み続けるだろうと、そう恐れて。
「広瀬くんがあたしのことを好きだって思ってるのは薄々感じてたけどさぁ」
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結論から言えば振られた。
6月から付き合っている先輩がいるらしい。そう、あの雨の日に見た彼である。
ショック……ではあったのだろう。ただ振られた直後はそれすら実感していなかった。
お互い別々の部屋に入ってその場はおしまいとなった。
部屋に入れば卒団はしたがOBとして参加している1つ上の仲のいい先輩が待っていた。
どうやら卒団生の練習が終わるまで風呂に行くのを待ってくれていたようだ。彼は大浴場に行くかと言って早速支度をし始めた。
つい直前まで告白して振られるという一大事件があったが、彼はそんなことを全く知らない。だから俺もそれを隠そうと努めた。よし、行くか。そう返事をした。
大浴場は夜も遅く2人きりだった。彼は多弁というよりも寧ろ寡黙な人だったから風呂場で話すことはあまりなかった。広いから平泳ぎをして子どものように遊んだり、そんな最後の夏合宿の夜を楽しんだ。
2日目の夜は初日の徹夜もあってみんな早く寝る。だから風呂上がり後はすぐに部屋の明かりが消された。俺も明日に備えて寝ようと思って横になった。
だが寝られなかった。
未だ心臓はその鼓動を鳴り響かせ、脚は震えたまま、思考はまとまらず、ただただ目が冴えてしまっていた。
脳裏に浮かぶのは先の出来事であった。何度も何度も何度も何度も再生され続けた。
思い出したくないことを強制的に思い出しては心拍が早くなった。
また、脳内には音楽が再生された。さっきまで練習していたある曲だ。皮肉なことに恋愛バラードをイメージされた曲だった。
眠れなかったオレは部屋を抜け出すことにした。
大講堂は鍵がかけられており、中に入ることはできなかったが、その講堂までのソファーに座って落ち着こうと試みた。
依然として断続的に心臓は早鐘を撞くように激しく、恨み言のようにある単語が俺の心を埋めた。
後悔
もっと早くに素直になれていれば、もっと早くに勇気を出せていたならば、もっと早く――
どうしようもない感情が、どうしようもない想いが、どうしようもない願いが、どうしようもない後悔が、涙さえ流せない俺自身を押し潰さんとした。
この日、俺が寝たのは昨日と同様に4時であった。しかし、起きたのは1時間半後の5時半であった。
空は俺の気持ちとは異なり、夏特有の快晴であった。
結局ほとんど寝れなかった俺は外を散歩していた。全く気持ちは晴れなかったがそうしなければやはり自分の心が潰れてしまいそうだったからだ。
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そうして迎えた合宿3日目の最終日である。この日は午前で終わりのため、練習は午前だけであった。
(今日も月見里と会うんだよな)
気不味さはあるだろう。だが、6年近くの付き合いだ。普通に接するくらいできるだろう。そう気楽に考えようとしていた。
だが未だ心臓はバクバクと鳴らしたままで、どう話し掛けていいのかなんてわからなかった。
そうして始まった練習では、話すようなことはなかった。月見里は一体どう思っているのだろうと気になりもしたが、聞くことなんてできなかった。
練習は一旦休憩となり、俺と月見里は後半の練習で弾くヴィヴァルディの協奏曲のために譜面台の位置替えの準備をしていた。
準備中、俺と月見里の間でちびっ子が騒いでいた。いつものように俺や月見里に構ってもらうためだ。
いつもだったら俺がちびっ子を使って月見里にちょっかいを出したりして遊んでいただろう。だが今日は2人の間に会話はなかった。ただ間に立っているちびっ子が何やら騒いでいるだけだった。
「だよねー」
だから彼女が急にちびっ子に賛同するように笑っている理由がわからなかった。
そこでちょっとだけ様子を見ていたらどうやらこのちびっ子は俺の
「なんでだよ!」
なのでいつもの通りに俺は反論して怒った。
月見里との会話はとてもスムーズとは言えないギクシャクした会話だったが、他の人から見れば普通のように見えたことだろう。だけどどこか奥歯に物が挟まった会話であった。
こうして、最後の夏合宿は終わるのだった。
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