夏 夏の日

 月見里を好きだと確信しても、いつどこで告白するかは問題として残っていた。


 今日なのか、来週なのか。ずっと先延ばしにしてきたことをいざしようと思っても、どうしたらいいのかわからなかった。


 そうこうしているうちに夏休みが来た。高校2年生の夏休みだ。


 俺の通っていた高校は所謂進学校であった。大学進学しようとする人がほとんどで、就職する人は年に1人2人しかいないようなところだった。とは言え、毎年何人も日本一のと呼ばれるような大学に行く人がいるわけでもなく、大体は地方国公立大学か有名私立大学に進学する中堅的な進学校であった。


 つまるところ、高校3年生のときは受験勉強に熱を入れるが、2年生では一部の意識の高い人だけが勉強する。そんな環境であった。


 俺はそんな一部ではない輩の1人であった。遊んで騒いでだらけて夏を過ごそうとするような大多数に入る高校生であった。


 とは言え、あくまでもであって仮にも進学校である。高校側主催の夏期講習があったりもした。


 夏休み始まってすぐはまだ勉強へのモチベーションは高く、宿題をしようと考える人はそれなりにいる。そんな時期に夏期講習があるのだからとりあえず受けてみようと考える人は一定数いるのだった。


 そんなこんなで、がっつり受験勉強するわけでもなく、かと言って何もしないのもどうかと思った俺は、英語が苦手だったこともあって、英語長文の講習を1週間受けることにした。


 わざわざ暑い真夏の中、急な坂道を登って登校し、教室に入るとそこには珠奈澄恵がいた。


 彼女は高校入学と同時にKSを退団したが、それでも何だかんだ言って時々メールをするような付き合いがあった。


 一緒の講習を受けることとなっていたのは全くの偶然であるが、知り合いがいれば挨拶だってするし、会話だってするものだ。


 午前は英語講習であったが、その後にこの教室で何か授業があるわけでもないため、自習に使って良いと言われていた。


 教室は冷房がかなり効いた涼しい部屋であった。わざわざそこまで涼しくもない自習室に行く必要もなく、教室に残ったまま夏休みの宿題をする人が多かった。


 最初の1, 2日目は、俺は授業が終わったらいそいそと帰るか部活をしに行っていた。だが3日目のとき、流石に俺も宿題をせねばと思ったのだろう。


 授業が終わっても俺は教室に残ってリュックから本を取り出した。新書を読んでそれを要約せよ(+感想)。といった宿題だ。


 普段、新書なんてものを読まない俺にとっては読みづらい代物であり、内容がうまく頭の中に入らないため、読むペースはとても遅いものだった。


 教室内は静かだった。普通はシャーペンを動かす音やわずかに聞こえる息遣いなど、そこに人がいる音が聞こえるはずである。しかしそれが聞こえなかった。


 今更になって俺は教室内を見渡した。


「あれ、珠奈だけか?」


 どうやら今日は俺と珠奈以外は帰ったようだった。彼女も俺と同じく新書の宿題をすべく読書中であった。


「珠奈は何の本にしたの?」


 新書読書に飽きた俺は休憩がてら珠奈に話し掛けることとした。


「これだよ」


 そう言って見せてきたのは若者を批判するようなタイトルの本であった。珠奈がどうしてこの本を選んだのかは知らないが、この手の内容でいつも思うことがあった。


「思うんだけどさ、若者を批判する今の人達だって、さらに上の世代に批判されてるわけじゃん? となるとさらにさらに上の世代に批判されてるとなると、最終的にアダムとイブが聖人君子で1番すごい存在になるじゃん。ってなるけど、実際にそんなわけないと思わない?」


 人間、年を取れば若輩者を批判したくなるのだ。理由は様々だろうが、自分のことを棚に上げて言いたいことを言うものなのだ。


 当時の俺はそこまで考えていなかっただろうし、そういうものだということすら知りもしなかった。ただ、ゆとり世代だなんだと言われて事ある毎に批判される立場であったからこその反抗的な考えであったのだろう。


「あ、それもそうだね。感想の部分に書こう」


 果たしてどこまで納得したのか、あるいは共感したのか。珠奈は感心していた。


 その後、宿題を再開してしばらくすれば、彼女も新書に飽きて別の宿題である英語に取り掛かっていた。


 だが、だからといって無言で進めるといったこともなかった。珠奈が英語について俺に質問してきたり、俺も俺で雑談を持ちかけたりもしていた。


「ところでどうなの?」


 そんな雑談の1つ。


 何が? とは言わない。珠奈はわざと主語を削って尋ねたのだ。


「なんにもないよ」


 その名の通り、何もない。週1回会うだけ。会話しないときだってある。それを何もないと言えるのは良いことか悪いことか。当時の俺にとっては良かったことだと思っていただろうと今では思う。


「早くしないと誰かにとられちゃうよ?」


 そんな未来を、俺は思い浮かべることができなかった。


「誰があいつをとるんだよ」


 俺は鼻で笑ってそう答えた。


 オタク気質で女の子らしさもそんなにない。むしろ元気いっぱいに走ってすっ転ぶような奴だ。そんな奴を好きになる奴は奇特な奴だ。


 ある種の自虐だが、それが月見里真子に対する考えでもあった。


 珠奈は苦笑いをして返答を濁していた。


「一瞬そう思っただろ?」


 珠奈の苦笑はそういう意味だと見抜いて俺は尋ねた。


「でもさ、早く告りなよ?」


 そんなことわかっている。とは言えない。事実そうできなかったのだから。


「あ、そのcomplexは劣等じゃないぞ。複雑なって意味だ」


 とは言え、宿題をしている最中である。恋愛話も雑談の1つでしかなく、勉強をしながらの会話であり、違う話題があればすぐさまそちらに飛び移るのであった。


 そしてさらに時間が経った頃。


 未だ俺は新書を読み続けている中で、急に珠奈が声を出す。


「じゃーん! どう?」


 珠奈が俺に見せてきたそれは地理の宿題として出されていたどこか1つの国について調べるレポートであった。


 そこにはいくつかの国旗が描かれていて――


「あ、なんか嫌なこと思い出した」


 その一言に珠奈は反応して俺と目が合った。


「……」


「……」


 ほんのわずかの間であったが静寂が支配した。


「たぶんわかってるだろうけど敢えて訊こう」


 アイコンタクトでしか為されなかった会話ではあったが、珠奈は俺が何を言いたいか察し、俺は珠奈が何を察したのかを察したのだ。そして、察し合ってしまったからお互い笑いそうになっているのを堪えていたのだ。


 だが俺はそれに耐えきれずに言い出したのだった。


「聡美ちゃんのことでしょ?」


 その通りであった。古川聡美のことである。


 俺は珠奈が描いている国旗を思い出して留学しに行った古川のことを思い出したのだ。


「まぁ半分正解」


 正確には――


「色紙のことでしょ」


 あの雨の日の出来事を俺は珠奈にメールで話していた。月見里のことを話せる唯一の相手であったからだ。相談、とまでいかなくともそれに近いことを俺からも珠奈からもしていた。


 だから珠奈はあの雨の日の出来事を知っていたのだ。


「珠奈ならどんな気分になるのさ」


 メールでした質問ではあったが改めて直接聞きたくもなった。


「あたしが? やっぱショックだなぁ……」


 誰しもそうなるとは予想していたが、珠奈でもなるのだから回避できない気持ちであったのだろう。そう思う他なかった。


「ふーん……」


 だから俺はこの答えに頷く以外の反応を示すことはできなかった。


 勉強も疲れたし、珠奈は部活の開始時間になったようで自主勉強会はお開きとなった。


「「うわ……」」


 冷房を効かせた教室から出た俺達は廊下の温風に顔を歪ませることとなった。


 俺は珠奈を見送って家に帰ることとした。早く告白しろと何度も珠奈に激励されながら。


 次に月見里に会えるのはいつかを俺は思い浮かべた。


 しばらくKSの練習は休みであり、次の練習は夏合宿であった。


 3年前の中学2年の夏のとき、彼女が不意に告げたあの言葉があったあの場所で、3年後の高校2年の夏に今度は俺が言う番なのだと。想いを告げるならそこしかないと。


 俺は今度こそと意思を固めたのだった。

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