夏 誕生日

 1年の中で嫌いな日が2日ある。


 1つは月見里の誕生日だ。毎年祝っていたからだろうか、毎年その日は否が応でも彼女のことを思い出すからだ。


 もう1つは俺自身の誕生日――6月12日である。


 16歳までの誕生日は祝って欲しい期待でいっぱいになる自分に嫌悪感を抱いてしまい、それが嫌いであったが、致命的に嫌う出来事は17歳の誕生日であった。


 それは果てしなく自分勝手で、どうしようもなく救いようもないことであるが、それ故に自己嫌悪を感じ続けることとなった。


 当時の俺は月見里に誕生日をメールだけでいいから祝って欲しかった。


 今考えればそれは承認欲求なのかもしれない。彼女の心の中に俺という存在がいることを確かめたかったのだろうし、それさえわかっていれば勇気を出せるかもしれない。そう考えていたのだ。


 その日もどうせ誕生日なんて覚えていないだろうなと思いながらも期待してしまう俺がいた。何の連絡もしなくても月見里がおめでとうと言ってくれたらどんなに嬉しいことか、そう願ってしまっていた。


 しかしいくら待っても連絡は来なかった。


(ま、期待するだけ無駄か)


 そう思うに留められなかった。月見里真子の中にいる広瀬亮という存在は誕生日の3桁の数字すら記憶に残らない存在なのだと。そう思いたくなかった。


〈やっぱり忘れあがった〉


 理不尽な怒りであることは理解している。理解しているが、理屈では通らない感情であった。


〈忘れあがったってなに〉


〈今年も誕生日を祝ってもらえなかったなぁって〉


 でもやっぱり彼女に自分の怒りをぶつけるのはおかしいことは気付いていた。そんなアンバランスな気持ちから溢れたのは淡々とした事実だけを告げることだった。


〈いじけんなよー(笑)。こっちだっていろいろあったんだよー〉


 だから彼女はこのときの俺の気持ちなんてまず気付かなかっただろう。だから(笑)を付けたのだろう。


〈おめでとうくらい言って欲しいもんだよ〉


〈そんなに祝ってほしいんだ〉


〈やっぱり誕生日は嫌いだな〉


〈なんで嫌いなの? まぁいいや、そっちにもいろいろあるんだろうし。

それよりも誕生日おめでとさん! 来年の定期演奏会は頑張りましょうね〉


 目標は達成されたと当時の俺は思えなかった。ここまで祝ってくれって言って手に入れるものでもないし、本当はこんなやり取りなく祝って欲しかったからだ。


 だからだろう。お祝いしてくれたというのにそんなケチを付けたメールを俺は送ってしまった。


〈っつかなんでお前の都合にあわせなきゃいけないんだよ!!! あたしだっていろいろあったんだよ!! 本当に、それどころじゃなかったんだよ〉


 全くの正論である。ただ一言、ありがとうと言えば良いだけなのに、それが言えない。


 そして1つ気になったことでできた。彼女に何があったのか。いろいろとは何なのか。


〈何があったの?〉


 翌日、俺はそれを尋ねた。


〈いやだねー。すぐに返さなかったお前が悪い〉


 返信が次の日になって彼女はご立腹であった。


〈ケチだなぁ〉


〈あんたのほうがずっとケチだよ〉


 相手が怒っているからと言って宥めるほどに気遣える人間でもなかったし、この程度で破綻する人間関係でもなかった。ただ、良くも悪くも思ったことを言える関係だった。


〈話してくれたっていいじゃん〉


〈あんたがいつもなにも言わないのが悪い〉


 隠していることを言えば今までの関係じゃいられなくなる。そんなことは言えなかった。嘘をつきたくなかったから何も言えなかった。


 あれこれメールを続けているうちに月見里からこんな問い掛けが送られてきた。


〈あとなんで六月七日のメールを返信しなかったの?〉


 1週間前のことである。彼女は男の嘘と本気がわからないといった内容のメールを送ってきたのだ。


 その日、俺がどう答えたかは覚えていないが、当時の俺ならば時と場合によるんじゃないかと答えたと思う。


 そして、こんなことを俺は訊いた。


〈俺なら信じるの?〉


〈広瀬くんなら信じるよ〉


 そのメールに俺は返事をしなかった。理由は覚えていない。いつも通り、ちょっと忙しいからまた今度メールを再開すればいい。そう思っていたことは事実だろう。


〈どうしてそんなこと聞くの?〉


 そこで先のメールに戻る。


〈いや、君がメールを返信しなかったから思わぬ事態に転がってしまったのよ〉


〈おいおい……〉


 どうしてそうなった。


〈おいおいって言いたいのはあたしのほうだよ。誕生日メールを送るのを忘れるくらい衝撃的なことがあったんだから!〉


〈何があったんだよ〉


 そこまで言われたら気になるものだというのに彼女は


〈んー、まぁいつかわかるよ〉


 そう言って誤魔化したのだった。


 ただ、彼女のメールはこう続いていた。


〈絶対わかるよ、多分〉

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