秋 友人

 珠奈澄恵たまな すみえを憶えているだろうか。


 KSの海外演奏旅行では俺を嫌っていた同期である。彼女とは高校が同じだった。また、高校進学と同時にKSから退団した。


 彼女は音楽以外にもスポーツもやっていた人で、高校ではスポーツを集中して頑張りたいとのことでKSを辞めた。


 小塚高校の合格が決まって、俺はその報告も合わせてKSに復帰したときの練習日、珠奈も同じ高校であることを知った。


 海外演奏旅行以来ほとんど会話したことはなく、そのときも何故か俺を嫌う性格の悪い奴。というのが俺の珠奈の認識であった。であったというのに


「一緒の高校だね、よろしく」


 と言ってきたのだから俺の頭はポカンである。珠奈は俺を嫌っていたはずなのでは? 何故それがなかったことになっているのだ?


「何がよろしくだよ」


 おまえ俺を嫌ってるんじゃないのかよ。だったらよろしくしたくないだろうが。そんな嫌味を込めたが伝わるはずもなく挨拶は終わってしまった。


 高校は1学年300人以上いるため、3年間通しても知り合うことなく卒業することだってある。教室が離れていれば珠奈と話す機会はないだろうと思っていた。


 音楽の授業が一緒になったのだ。それどころか隣のクラスにいた。


 週1回の授業には必ず会うし、それ以外でも顔を見ることはよくあった。俺自身苦手意識はあったが嫌っているわけではないし、珠奈が俺を嫌いでなければ何ら人間関係に問題はない。だから知り合いがいれば挨拶をするのは当然の流れですれ違いざまに手を挙げることだってあった。



*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*



 そんな関係が続いた梅雨の季節のことだ。


 天気予報にはない雨が降っていた。強くも弱くもないが、傘がまず必要なくらいの雨だった。


 こんなこともあろうかと思って用意してあった折り畳み傘で帰ろうと思っていたところに、珠奈と彼女の友人を見掛けた。どうやら2人は傘を持っておらず濡れて帰るしかないようだった。


「はい、貸すよ。友達としてね」


 知ってしまったからには渡すしかなかった。ここで知らないふりをして帰る方がよっぽど嫌だった。


 1人くらいなら相合い傘でもすれば良いと思っていたが3人で折り畳み傘に入るのは難しい。だから俺は彼女らに傘を貸すのだった。


「え、いいよ」


 遠慮する珠奈ではあったが


「駅から家近いし大丈夫だから」


 そう言って俺は珠奈に折り畳み傘を押し付けて雨の中走り出していた。


 駅から家が近いなんて嘘である。徒歩20分は近いとは言い難い。偽善者だろうとなんだろうと、自分が濡れる方が良いと判断したのだから俺は押し付けることにしたのだ。


 後日、珠奈は俺の教室に来て傘を返すのだった。


「ありがと。友達もそう言ってたよ」


「どういたしまして」


 こうして俺は珠奈と友達となったのだ。


 余談が長くなるが、実はあの雨の日の珠奈と一緒にいた友達と俺は妙な関係を築いていたりした。後になって知ったことだが彼女――斉木さんは珠奈のクラスメートであり部活仲間でもあった。


 化学の授業のことであった。授業は移動教室、と言っても隣である珠奈のいる教室で行っていた。珠奈も斉木さんも化学を受けておらず、別教室で授業を受けていたため、会ってどうこうといったことはなかった。


 たまたま座った席は落書きがしてあった。おそらく机の主が書いたものだろうと思って、悪戯心でその文章にコメントを入れてみた。


 すると次回の化学の授業では俺の文章にさらにコメントがついていた。面白くなった俺はさらにコメントを付けていく。そんな交換日記ならぬ交換机……でもない交換座席が行われていった。


 だいぶ後になって珠奈と話していたとき


「斉木さんの机に書いてたのって広瀬?」


 と訊かれてあのとき傘を貸した女の子なのだと知った。


「面白い人だって言ってたよ」


「俺も面白かった」


 そんな斉木さんとのやり取りであった。


 閑話休題。


 珠奈と音楽の授業以外でもよく話すようになったのはもうすぐ冬になる頃だった。


 音楽の授業で作曲家であるアントニオ・サリエリの映画を見た後のことだ。音楽室から教室での帰り道、たまたま1人でいた珠奈に俺は話し掛けた。


「よっ。部活はどう?」


「まぁまぁじゃないかな。うまくいってるよ」


 この頃には珠奈が努力家であることや人柄を理解するくらいには会話していた。


「KSの方はどうなの?」


「うーん、今回の演奏会は結構きついだろうね。曲が難しいし」


「あー」


 そう頷いて珠奈は音楽室の扉に貼ってあったKSの定期演奏会ポスターを見た。


 俺より1つ歳上の世代は上手すぎる人達が多く、そのため彼ら彼女らに合う曲目を今年はやることになっていた。その負担は学年が下ほど大きかった。


「小塚弦楽合奏団の話?」


 そう割り込んできたのは音楽の先生であった。


「珠奈さんもKSに入ってるの?」


「入っ……てました」


 辞めたとは言い難いものである。珠奈は先生の問いに苦笑いをして答えた。


 ちなみに俺がポスターを貼ってもらうよう先生にお願いした。先生も以前に小塚高校に通うKSの人に頼まれたのか、すんなり受け入れてくれた。


 そんな話をしながらもうすぐ教室に付くとき、俺は珠奈の肩を叩いた。


「メアド教えてよ」


「いいよ」


 かくして俺と珠奈は連絡先を交換したのだった。


「次回の俺の卒団のときはおまえを絶対に演奏会に呼ぶからな」


 いろいろあったが珠奈も元とは言っても同期に変わりはなく、何としても呼ぶと俺は決めた。


「えぇ、無理だよ」


 そんな尻込みする彼女を引っ張ってでも俺は呼ぶと決定したのだった。


 教室に着いてしばらくすると珠奈からメールが来た。


〈広瀬♡真子ちゃん〉


 俺は机に頭をぶつけた。


〈なんでそうなる!?〉


 以降、俺は珠奈に度々からかわれることとなった。

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