秋 君のいない日常

 あっという間に夏合宿が終わった。


 友達とは良いお年をと告げるほどにはしばらく会わない。


 彼女とも同様だ。これから半年以上も仲の良い人と会えないのだと思えば、それが好きな人でなくとも辛いものがあるだろう。


 しかし毎週、会えたらなと思っていたのも最初の1ヶ月で慣れてしまったのは俺が薄情なだけか、それとも受験で忙しかったからか。


 ところで当たり前の話だが、俺の人間関係はKSだけで収まっていない。学校には男女隔てなく友達だっているし、通い始めた学習塾に講師生徒含めて人並みにいた。


 問題はこの男女隔てなくにあった。


 中学3年のときの記憶によく残る人が2人いる。


 1人目は同級生の女の子――たちばなさくらだ。ほんの少し茶色い髪質で目はネコのような釣り目が特徴的だった。こう表すと初恋の人に似ているが、性格はそうでもなかった。陸上部に所属しており、男勝りな強気な性格をしていた。


 彼女とは前々から知り合いであったが同じクラスになったことはなく、ちゃんと話すようになったのは中3のときの委員会であった。


 当初、珠奈とは比較にならないくらい俺を嫌っていたことを覚えている。うざいだの何だの、ことある毎に暴言を飛ばされていた。


 そんな子を好きになるほど俺はマゾでもないが、同じ委員会にいる以上、やり取りだってあるし仕事でペアになることだってあった。


 俺としては橘へは完全に苦手意識を持っていたが、どうも俺以外には勝ち気なところはあるが当たりは厳しくないのだ。そんな様子を見ながら俺は彼女のことを顔は悪くないんだからあとは性格をどうにかすればモテまくるだろうにとか、そんな勝手なことを考えていた。


 委員会が一緒だったためか、次第に彼女の態度も柔らかくなっていってくれて、俺も橘への苦手意識も薄れていった秋の日だ。


 中学の文化祭でも委員会の仕事はあり、その一環で文化祭の片付けの仕事を終えた頃だ。


 後夜祭ならぬ校夕祭が体育館で行われるそうだが、俺にはそんな体力がもう残っていないためとっとと帰ろうとしていたとき、昇降口で同じく仕事を終えた橘を見掛けた。


「あ、広瀬。これから帰るの?」


「そうだよ」


 橘のことだ。みんな後夕祭に参加しているし、彼女もそうすると思っていた。


「じゃあさ、一緒に帰ろ?」


 それはもうびっくりした。多少緩和したものの、彼女は俺に罵倒を浴びせるくらいに嫌っていたのではないか? だと言うのにそんな奴と一緒に帰りたいと思うものなのか?


 俺自身は橘を嫌ってはいないし、断る理由もなかった。だから了承した。


「ちょっと待ってて」


 橘が荷物を取りに行っている間、俺は下駄箱に上履きを入れて靴を履き替えた。


 しばらくすれば橘が戻ってくる。


「おまたせ」


 俺を嫌っていた要素はどこへやら。彼女は思わず惚れそうな笑顔で言った。


「一緒に帰ろうって言うなんてめずらしいね」


 気になるものは気になった。道中で俺は橘に問い掛けた。


「だって……1人じゃ寂しいじゃん」


(おまえ、そんな可愛げあるやつだったのかよ!)


 とは言えなかったし、言ったら罵詈雑言を浴びせられること間違いなかった。


 ただこのときドキッとしたのは事実だ。今でこそギャップ萌えだろうと言えるが、当時はそんな言葉を知らなかった。


 家に帰って弟のためにホットケーキを作るんだと言っている彼女は、俺の知る普段の橘さくらではなかったからこそ魅力的に映ったのだろう。



*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*



 2人目は学習塾の先生である。名前は遠藤奈津実えんどう なつみ先生。よくドーナツ先生と呼ばれていたが、俺は終始、遠藤先生であった。若い先生で茶色く染めたやや短い髪が似合う人だった。


 最初は英語のみが担当だったが、諸々の事情によって夏からは社会も担当することになっていた。


 遠藤先生を表現するのなら、親しみやすく、生徒目線に立ってくれる人だ。性格はちょっと意地悪だけど誠実と言ったところか。


 英語のみを担当する頃はそこまで話す関係ではなかった。最初期の自己紹介を除けば、授業中に問題を当てられて答えるだけの会話だった。


 よく話すようになったのは夏になって社会科も担当する頃になってからだ。そのときの課題は日本の都道府県を全て漢字で答えるものだった。岩手県が太平洋側か日本海側かもわからないくらいに無知であった俺が、初回のテストで散々な目に遭ったことは言うまでもないことだ。


「広瀬くんもまだまだだねぇ」


 遠藤先生の表情は明らかに挑発的な笑みであり、俺の悔しさを掻き立てるものだった。


 その後は何度も何度も挑戦し続けた。その度に遠藤先生に小馬鹿にされたし、その度に悔しかった。


 もう数え切れないくらいに都道府県名穴埋めを解き、やっと満点を出すことができた。


「さすが広瀬


 そう言って褒めてくれた。何故氏を付けてくるのかよくわからなかったが認めてくれたのだと思った。


 尤も、次に渡されたのは都道府県庁所在地であったのだが。


 都道府県名よりずっと苦労した覚えがある。札幌や那覇の漢字が書けなかったり、津と大津を間違えたし、高松と松山と松江もごっちゃになったし、松本は長野の県庁所在地か迷ったりもした。その度に小馬鹿にされるのだった。


 それでも挑み続けたのは遠藤先生に褒めて欲しかったからだ。


 社会科のみならず、夏休みの必死の努力の結果、8月末の模試では教室で1番の成績を出すこととなった。この結果が後に俺の人生に影響を与えることともなった。


 ともあれ、俺にとって遠藤先生は歳の離れたお姉ちゃんのような存在だった。従姉はいたがあまり親しくなく、歳上の女性とはほとんど交友がなかった俺は遠藤先生に褒められ小馬鹿にもされ、時には俺もまたこの美人なお姉ちゃんを小馬鹿にしてきた。


 そんな受験生活ではあったが、遠藤先生への唯一の心残りは、彼女の退職送別会に参加できなかったことだ。


 合格が決まり、KSへ復帰して直後の春合宿と被ってしまったのだ。それから2度と会えずにいる。


 ちゃんとお礼を言えば良かったと後悔しているのだ。今でも3月になるとよく遠藤先生を思い出す。



*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*♪*



 先述の8月末の模擬試験の結果が高得点であったことから、志望校を当時の成績で入れるであろう高校からランクを大きく上げることとなった。


 それが進学校として有名な小塚高校であった。小塚とあるだけあって練習場と高校はそれなりに近く、定期券で通えるというのもあった。何より小塚高校の校舎が綺麗だったのが理由として1番だったが。


 入試本番では国語が相当足を引っ張ったもののなんとか合格することができた。


 月見里は残念ながら第一志望校には落ちてしまったものの、小塚高校のすぐ近くの私立高校には合格しており、もしかしたら登下校で会えるかも、なんていう期待を抱くこととなった。


 こうして彼女と出会って5年目、俺達は高校生になった。

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