第7話 白儡召喚


 幸が目をぱちくりさせる。


「え、美味いのアレ? もしかしてあんこ詰まってる? ほっぺかじってみよ」

「ばか、違うわよ。あいつ遅刻ぶっこいたくせにナメた態度取ったけど、誰も文句言わないでしょ? 実習の時間が短くなるから、表立って不満をぶつけられないのよ」


 四十分近い遅刻だ。俺達には古河に文句を言う権利がある。


 仮にそうした場合、古河は自尊心を守ろうと反論するだろう。


 筋が通っているかどうかは問題じゃない。古河の弁解で実習時間が短くなることに問題がある。長く白儡に触れたいなら遅刻を水に流すしかない。


 幸が目を見開いた。


「小賢しいッ! なんて小賢しいんだ古河ッ! あとお前」

「小賢しいのはあいつだけ。間違えないでくれる?」

「やだ」


 あいつこと古河が装置の電源を入れた。


 部屋を分断するガラス張り。その向こう側が光の粒で彩られた。ダイヤモンドダストもかくやといった光景に、クラスメイトが次々と感嘆のため息をもらす。


 白は異空間――俗に霊界と呼ばれる空間に生息している。


 霊界の空気中成分は少し特殊だ。酸素がある。窒素や二酸化炭素も確認される。それらに加えて、煌子こうしと呼ばれる特殊な素粒子が含まれる。


 偽物の白と偽物の霊界。


 先に実用化されたのは偽物の白だ。人間の遺伝子を丸々使って実験したところ人型の白儡ができ上がった。実験に次ぐ実験から新たなデータを得て、人類は異空間すら作り出すことに成功した。


 それを可能とするのが疑似霊界展開装置。空気中の煌子を用いて新たに空間を生み出す装置だが、その本質は空間創造とは違う。


 霊界に繋がる入り口ゲート周辺は空間が不安定だ。この揺らぎを拡張して人が踏み入るスペースを作り出す。水に空気を送り込み、発生した泡の内部を疑似霊界と呼んでいるにすぎない。


 泡と違うのは、疑似霊界は本当の意味で位相がずれている点だ。爆弾が爆ぜても操縦室ではそよ風一つ発生しない。企業に貸し出すくらい引っ張りだこな部屋だ。


 ガラス張りの向こう側に一筋の光が伸びた。線が左右に分かれて、水色の空と緑生い茂る大地が視界を華やがせる。


 世界の裏側を暴かれたかのような光景。その正体はプログラミングされただけの景観だが、一々説明してやるほど無粋じゃない。感動するクラスメイトを横目で眺める。


「いつまで作り物の景色に見惚れてんの? 時間がもったいないから、名簿一番から十番までの生徒は白儡を発現させてねん」


 古河が騒々しく両手を打ち鳴らした。余韻が撃ち砕かれて大半のクラスメイトが顔をしかめる。


 集団の中から細い腕が上がった。


「あの、この部屋で白儡を発現させるんですか?」


 古河がこらえきれないとばかりに破顔した。


「ばっかだなぁ! そんなわけないじゃん。この装置にデバイスをセットして、チョチョイとパネルを操作するんだ。たったそれだけなんだけど、分っかんないかぁー」


 そっかぁー。古河が感慨深そうに腕を組む。


 おそらく悪意はないが、人を苛立たせるには十分な態度だ。質問した生徒の眉がピクっと上下した。


「あ、ありがとうございました」

「うん。君はもっと勉強すべき、そうすべき」


 操縦室の空気はぎこちない。


 ともあれ実習が始まった。清々しい景観に白い球体が飛び交い、それら一つ一つに光の粒が殺到する。雪が降り積もる動画を早送りしたような光景だ。


 一定の衝撃をトリガーにして空気中の煌子を吸収し、核内の情報を参照して体を構成する。蒼穹を背景に白儡実体化までのプロセスが再現された。


 草原にずらっと人型が並ぶ。


 どこまでも真っ白な体に人間味はない。フォルムもシンプルで、はっきり言って地味だ。


 白儡の召喚には煌子操縦器のようなデバイスが要る。このデバイスを所持するには白儡操縦技能者証明証が必要だ。


 特定のカリキュラムを修了し、試験に合格して取得する資格。これを持たない者が白儡を扱うことは許されない。


 俺は資格を持っているが、大半のクラスメイトはそうじゃない。指導官の権限で一時的にデバイスを貸し与えられただけだ。古河の機嫌次第では一方的に取り上げられる。クラスメイトは悔し涙を飲むしかない。


 隣で舌を打つ音が鳴った。


「うぜぇなあいつ」

「四十分も遅刻ぶっこいたくせに、何であんなに偉そうなのかしら」

「気持ちは分かるが聞こえるぞ」


 草原に立つ人型が煌めく粉に還る。


 実習を楽しみにしていたクラスメイトからは、隠し切れない苛立ちが感じられた。


「次早くしてね。時間押してるからさ」


 お前が言うな。


 噴き出しそうになった不満を呑み込んで腕時計型デバイスの画面に触れる。


 ホログラムウィンドウが視界の一部を飾った。電子の文字列を視線でなぞり、作成したデータの名前を人差し指の先端で突く。


 人工音声が警告を発した。


 核が放出されるのは疑似霊界の内部だ。必要のない警告だが設けるのは機器を売る側の義務。おこたると怖い人達が飛んでくる。


 紙飛行機のような物体が空を駆けた。重力に負けて偽りの草原に突き刺さり、見慣れた人型がにょきっと伸びる。


 見間違いかと思って目をしばたかせる。


 質素な人形の中にひらひらしたフォルムがあった。


「はーい正直に手を挙げてねー。ミニスカートを履いた白儡の操縦者はだぁーれだ?」

「わしじゃよ」


 幸が名乗り出た。堂々と背筋を伸ばすさまは、やましいことなど何もないと言いたげだ。


 無論そんなことはない。幸は一つ事前通告を破っている。


「そっかそっかぁ。駄目じゃないか、白儡を勝手におしゃれさせちゃあ。あと一人称がわしって、君何歳だっけ?」

「そんなことより古河、あれを見て何も感じないのか?」


 幸がガラスの向こう側に人差し指を向けた。古河の視線が指し示された先を目で追う。


 ひらひらした白儡が踊り出した。アイドルか何かのつもりなのだろう。振り付けはあまりにも不可思議で奇天烈。ゴリゴリと精神力を削られる。


 古河が幸に向き直った。


「僕にため口はないよねぇッ⁉」


 子供のごときかんしゃくが室内を伝播した。一部の生徒が身をすくめる。


 すぅ、と空気を吸い込む音が聴覚を刺激した。


「どう、でも、いい! あれを見て、何も感じないのか古河ッ!」


 幸も負けじと声を張り上げた。

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