第5話 花も恥じらう乙女たち


「おーっす彩日ーっ! 私一組ぃーっ!」


 十司くんと別れて数分後。聞き覚えのある声を耳にして靴先の向きを変える。


 花の香りに満たされた空間を突っ切る。温かな光に照らされた歩行スペースは、舞踏会の大広間に続くじゅうたんを思わせる。


 二人のお友達が中庭のベンチから腰を上げた。背の高い人影が手を振り、それを見た小動物チックな同級生が腕をぶんぶん振り回す。


「わ、私も一組てすーっ!」


 負けてたまるかと言わんばかりの主張を見て、意図せず口元が緩む。


 快活な真樹に、気が弱そうに見えて線香花火のように弾ける利子。二人とも中学校からのお友達だ。


 ここを受けたお友達は他にもいた。全国の成績優秀者に混ざって、限りのある席を取り合った。


 中学生の学力頂上決戦を制したのは、私を含めた三人だけだった。


 二人と再会できただけでも一種の奇跡だ。今はそれを喜びたい。深く空気を吸い込んで声を張り上げる。


「私も一組だよ! 今年も一年、よろしくねーっ!」


 小走りして両腕を掲げる。


「いえーいっ!

 いえーいっ!

 い、いえいっ!」


 かけ声に続いてパァーン! と子気味いい音が響き渡った。右の手の平が火にくべたように熱を帯びる。


 ショートヘアの友人がニッと白い歯を露わにした。


「今日も絶好調じゃん彩日」

「真樹もいい一撃だったよ。さすがバスケ部の元守護神だね、ちょっとひりひりする……」


 赤くなった右手をさする。入学式まで腫れが引けばいいなぁ。十司くんにはあまり見られたくない。


「私! ねぇ私はどうでした?」


 利子が挙手してぴょんぴょん跳ねる。

 私は口元に人差し指を当て、視線を逸らしつつ小首を傾げる。

「んー、利子はまだ遠慮があるかな」

「そ、そうですか」


 幼げな顔立ちがしゅんとする。


 利子とは中三の後半で知り合ってからのお付き合いだ。


 当時の利子はクラスで浮いていた。いじめから助けたのを機に交流を持って今に至る。最初から同じグループだった真樹と比べると、少しばかり距離が感じられる。


 せいぜいあと数週間だ。気軽に話せるようになるまで時間はかからない。これまで多くのお友達がそうだったのだから。


「おやおや、彩日は早速注目を集めてるね」


 真樹がニヤッと笑んで意味ありげに瞳をずらす。


 視線を追った先で二人組の男子と目が合った。二つ人影が気付かれたと言わんばかりにぎょっとする。


 人間関係の構築は初対面が肝心。顔に微笑みを貼り付けてひらひらと手を振る。


 二本の腕がぎこちなく振られた。男子がそそくさと曲がり角に消える。


 ヒューッと口笛が聞こえた。口を尖らせた真樹の隣で利子が顔を輝かせる。


「これに限るって感じですね! さすが彩日さんです!」

「大げさだなぁ利子は」


 小さく笑って軽く流す。


 いじめから助けて以来、利子は私を慕っている節がある。


 交流を始めた当初は女神様呼ばわりされてびっくりした。根気よくグレードダウンさせて、呼称を彩日さんに落ち着かせた経緯がある。いつかさん付けも取れるといいな。


 真樹が愉快気に身を震わせる。


「入学早々罪な女だねぇ。あの子ら絶対勘違いしたよ」

「手を振っただけなのに?」

「何年彩日と一緒にいると思ってんのさ。何なら賭けてみる?」


 真樹がほくそ笑む。自身の勝利を確信している顔だ。


 私は迷わずかぶりを振る。


「嫌だよ。その手の勝負ごとで真樹に勝ったことないもの」

「真樹が彩日さんに勝つ? あははははっ、無理無理! さすがに身の程をわあああああアアアアアアアッ⁉」


 利子の頭をわしづかみにされた。ワシャワシャと頭を撫で回されて奇妙な悲鳴が上がる。


 パニック状態の利子をよそに、真樹が意地悪げな笑みを引っ込める。


「むかつくけど、このちっこいのが言うことも的外れではないね」

「と言うと?」

「彩日は自覚が足りないってこと。何でか知らないけど、彩日って自己評価低めだよね」


 心外な物言いだ。


 私だって自分の立ち位置は理解してる。男子に好意を告げられたのは一度や二度じゃない。自覚的にならざるを得ない環境で息をしてきた。


 現に、多くの視線に晒される現状を把握している。中庭だけじゃない。校舎の中からも男女入り混じった視線を向けられている。


 それらの視線に気付かない振りをして踵を返す。


「続きは歩きながら話そうよ」

「彩日は要領がいいね、早速自覚が芽生えたか」

「人聞きが悪いなぁ。私は真樹の中でどんな人間なの?」

「魔性の女」

「ひどい。長年の付き合いなのに魔性だなんて」


 目元に手を当てて泣き真似をする。


 注目されるのは嫌いじゃない。声をかけられるたびに立ち止まって、愛想笑いを振り撒くのが憂鬱なだけだ。


 懐かしい。以前副業の方でミスをして面倒なことになったっけ。今となっては良い思い出だ。


「魔性って言えばさ、彩日はあれだけモテたのに誰とも付き合わなかったね」

「タイプの男子がいなかったからね」

「じゃあ彩日のタイプってどんな人?」

「ないしょ」

「えー教えてよー」

「バカですね真樹さん。彩日さんに吊り合う男子なんて同年代にいるわけないでしょうに」


 自信満々な利子を見て、真樹が鼻を鳴らす。


「はっ、これだから信者は。彩日だって女性だよ? 恋くらいするっしょ」

「どうだろうね」


 苦々しく笑って誤魔化そうと試みる。


 告げた言葉は嘘じゃない。身近な男の子の存在が大きすぎて、他の男子を異性として見れないだけだ。


 オオカミのようなワイルドさに、騎士を思わせる気品。何をやらせても私より上手くできるし、そうなるまでの過程を近くで見てきた。人間その気になればここまで至れるのだと、魂を震わされる思いだった。そんな恰好いい男の子を知っているのに、他の男子なんて選べない。


 二人と肩を並べて廊下に靴裏を付ける。


 誰かと視線が合う前に真樹の目を見る。


「真樹はここでもバスケ部に入るの?」

「んにゃ、入らない。せっかくここに受かったんだし、ここでしかできないことしなきゃ損でしょ」

「じゃあ放課後は部室巡りですね!」


 利子が鼻息を荒くする。


 私は意気込む友人の隣で両手を合わせる。


「ごめんね利子。それはできないの」

「へ? どうしてですか?」


 小さな肩に真樹の手が置かれる。


「思い出したまえ。彩日は白初の令嬢なんですぞ?」

「どゆこと?」

「お役目があんでしょうが」


 呆れ混じりな素の声で指摘されて、利子が思い至ったようにハッとした。向き直ってバッと頭を下げる。


「ごめんなさい! わたし、彩日さんの家の事情忘れてて!」

「大丈夫、気にしてないよ。だから顔を上げて?」


 利子がうつむいたまま見上げる。しゅんとした子犬のみたいで可愛い。


 でも早く顔を上げてね? みんな見てる、みんな見てるから!


「でも彩日さんにとって、お役目は嫌なことなんでしょう?」

「うん、そうだね」


 頷いて、気持ちが鉛と化したように重くなる。


 意地で表情だけは繕った。


「私だってお役目はしたくない。でも覚悟はしてたよ。諦めはついてるから安心して」


 優しい声色を心掛けても利子は笑ってくれない。


 言いたいことは分かる。部活動と言えば学校生活の華だ。貴重な青春をひたすらやりたいことに捧げる。そういう生活に憧れがなかったと言えば嘘になる。


 でも我慢しなきゃいけない。私は白宣名家の次女だ。立場の恩恵を受けておいて、その責務から逃げるわけにはいかない。


 真樹が思い付いたように両手を打ち鳴らす。


「そうだお役目で思い出した! 彩日に会ったらこれだけは聞こうと思ってたんだよねー。彩日の幼馴染も入学したんでしょ? どんな人?」


 利子が興味を示して顔を上げる。


 さすが真樹、さりげないフォローに感謝だ。私はすかさず口角を上げる。


「一言で表すならすごい頑張り屋さんかな。首席入学だから新入生代表としてあいさつするの」

「ほーそりゃすごい。彩日より高い点数取るって、どんなばけもんだよそいつ」

「人間だよ」

「知ってる。さすがに怪獣を幼馴染なんて言わんでしょ」

「幼馴染、いい響きですよね! 彩日さんとは、どどとどどどういう関係でッ⁉」


 利子がぐいっと顔を近付ける。先程の暗い雰囲気はどこへやら、すっごく活き活きとした表情で鼻息を荒くする。


 利子は興味のある話題を聞くと、人見知りの属性を投げ捨てて誰彼構わず突撃する。この異様な切り替えの早さ、私も見習わなきゃ。


「ただ面識があるだけ。それ以上でも以下でもないよ」

「本当ですか? 恋心とか、想いが伝わらなくてもやもやするとか、そういうのはないんですか?」

「こらこら、そこから先はプライベートだよー」


 真樹が利子の頭にあごを乗せて、達者な口を封じに掛かる。


 体格で負ける利子に抗うすべはない。小さな体がくぐもった悲鳴とともに沈みゆく。


 愉快なたわむれを前に哄笑して、笑い涙を指ですくう。


「残念だけど、利子が望むような甘い展開はないよ。現実は非常なのであーる」

「そんなー」


 利子の眉毛がハの字を描き、低い背丈をさらに小さくする。


 真樹がからっとした笑い声を上げた。


「なーにショック受けてんの。物語みたいな展開がそうそうあるわけないでしょ? 利子は恋愛小説の読みすぎ」

「わたしは漫画しか読まないよ?」

「知らんわ」

「幼馴染がくっつく小説って思ったよりも少ないよね」

「へぇ、そうなんだ。今度彩日のオススメ教えてよ。というか、もういっそ本人紹介してよ」


 息が詰まった。小さく笑って喉の通りを改善する。


「うーん。話を通してはみるけど、いい返事は期待しないでね?」


 真樹の片眉が跳ねた。


「ひょっとして仲悪いの?」

「うん。あまり好かれてはないんだよね」


 視線が重力に引かれる。


 廊下の床が見えて、私はとっさに視線を上げる。こんな反応、何かありますと告げるようなものだ。


 我に返るのが遅かった。真樹と利子が目を真ん丸にして顔を見合わせる。


「信じらんない……彩日を好かないホモ・サピエンスって存在したんだ」

「真樹さんに同感です。信じられません」


 微かな後悔の念に苛まれた。せっかくの入学式なのに台無しだ。


 改めて顔に微笑を貼り付ける。


「事実だよ。一番人気のキャラが、実は一番嫌われてるなんてよくある話ですから」

「何の話?」


 真樹が首を傾げる。


 利子には通じたらしい。二次元についてのうんちくを語り始めた。真樹がしなびたキノコのようにげんなりする。


 私が十司くんに好かれない理由。それはきっと、私が十司くんと比較しやすい立ち場にいるからだ。


 本家の血筋とよその血筋。性別を除けば、私と十司くんの差異はその一点しかない。


 人生においては、その一点がもたらす影響がとても大きい。


 十司くんには英才教育を施された。一部では神童なんて呼び方をされたことも知っている。そんな十司くんだけど、長い間屋敷に隔離されていた。


 私はその間に学校生活を謳歌した。この事実は、プライドが高い十司くんにとって屈辱だったに違いない。


 白初一族に名を連ねた。この事実だけ取り上げれば、十司くんは世界でもトップクラスに恵まれている。多くの人が望んで止まないステータスだ。こればかりは否定できない。


 でも私は知ってる。十司くんが、多くの時間を研鑽に費やしたことを。


 その背中を見ても、陰でいびる人達がいたことを。

 

 それらの悪意に負けじと涙を飲んで、自らを奮い立たせていたことを。


 白初の一族で在るために、十司くんは多くのものを捧げてきた。


 きっとこれからも捧げ続ける。その生き方を知る身としては、お世辞にも『十司くんは恵まれている』なんて口にできない。たくさん努力できるのもまた才能。私にはとても真似できないから。


 十司くんを哀れんで内心苦笑する。


 人のことは言えない。お役目を果たすために、私も大切なものを捨てた。これからは運命共同体だ。


 できる範囲で頑張ろう。下手に十司くんを真似ても、今朝上り坂で千切られたみたいに置いていかれる。あの時は息が切れて足が止まった。みじめさと悔しさで涙が出た。あんな姿は十司くんに見せられない。


 目的の教室が見えて足を止める。廊下の空気で肺を満たし、笑顔を作ってドアを開ける。男女問わず多くの視線に迎えられた。


 さあ、元気よくおはよーございます! 


 憧れの人に好かれない分だけ、愛される白初彩日を演じよう。

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