第4話 底なしの間抜けと小娘
記念撮影して再出発。寝たふりで会話の発生を阻止していると、停車特有の慣性で体が揺れた。
彩日が身じろぎする気配を感じて、体を揺さぶられる前に目を開けた。八王子の地面に靴裏を付ける。
「送迎ありがとう。帰りもよろしくね」
人工音声がどういたしましてと発してドアを閉めた。黒塗りの車体がUターンして元来た道をたどる。
白初家の屋敷はちょっとした山の上にある。徒歩通学は論外だが公共交通機関は使えない。
寮やマンションでの一人暮らしには誘拐の危険が伴う。もろもろ考えられた末に自宅通いが決まり、通学手段には自動運転車での移動が定められている。
彩日は車での送迎を快く思っていない。友人にからかわれるのが嫌なのだという。校門から離れた位置に停車させたのは彩日のささやかな抵抗だ。
俺は気にしないのに、お姫様の我がままで体力を使わされる。いちいち歩かされるこっちの身にもなれ。
「お友達と待ち合わせをしているんだけど、十司くんも来る?」
「いや、俺は一人で校内を周る」
初めての学生生活だ。最初の友人は自分の手で作ると決めている。
彩日は周りに比べれば優秀だが、俺と比べれば道端の花だ。お友達とやらのレベルも知れている。
俺はビッグになる。将来でかいことをする。悪いが友人は選ばせてもらおう。
「そっか。じゃあ私は行くね」
「ああ」
しなやかな脚が学び舎へと踏み出す。
彩日は白初本家の血筋だ。人当たりもいい。さぞ多くの友人をこしらえることだろう。
俺は少数精鋭でいい。友を作りすぎて目立つのは御免だ。白初を名乗ることは許されているものの、それを面白く思わない派閥もある。
屋敷に身を置いた当初は疎まれる環境を嘆いていた。
今なら連中の気持ちが分かる。白初関連の企業はどこも好成績だ。海外進出も成功して、白初グループの名は世界にとどろいている。白初の名を冠することは一種のステータスだ。
そのエリート集団に、背景の不透明な少年が混じった。しかもそれは総帥の独断で決められた。少年に無作法な振る舞いをされては白初の名に傷が付く。一族に誇りを持つ者ほど反発して然るべきだ。
いまだ一員として受け入れられたとは言いがたい。今日だって彩日とは違う時間帯、違う手段で登校させるべきとする声があった。和武さんが分家連中を説き伏せてくれなければ、あの桜吹雪を見ることは叶わなかった。
白髭公の厚意に甘えてばかりもいられない。俺を庇うたびに、和武さんに対する不平不満が積もる。和武さんが失墜すれば俺の立場も危うい。
ダントツの成績で、されど悪目立ちしないように立ち回ろう。
自分に言い聞かせて昇降口に踏み入った。上履きに履き替えて廊下の床を踏みしめる。
視界に電子的な長方形と矢印が浮かび上がる。
AR。またの名を拡張現実。電子デバイスを用いて現実に情報を付加、強調する技術だ。
事前に配布されたパンフレットは何度も読み返した。拡張現実が実装されていることは把握済みだ。目尻に映る女子のようにひっくり返ったりはしない。
電子的な文字を視線でなぞる。
「三組か」
つぶやいて半透明の長方形に突撃する。
距離が縮まるどころか、パネルと矢印がついてきた。ペットみたいで愛着が湧く光景だ。
上階へ続く段差に足をかける。
一階、二階、三階。果ては最上階の屋上まで練り歩き、有事の際を考慮して脱出ルートを確認した。
集合時刻の十五分前。校舎から脱出するイメージトレーニングを終えて階段を下った。吹き抜けの廊下に靴音を響かせて教室前で足を止める。
室内と廊下を隔てる板が壁に吸い込まれた。
三十近い数の机に、端から端まで届きそうな電子黒板。散歩で時間を潰したおかげか半数以上の席が埋まっている。
靴先を入れるなり電子的なパネルが浮かぶ。どの席につけばいいのか、分かりやすいように図で示されている。
座しているクラスメイトの顔と名前を記憶して歩を進める。靴裏を床に押し付けて目を細める。
親切なことに、机の上には電子的な文字で名前が記されている。どんな間抜けでも席を間違えようがない親切仕様だ。
ゆえに確信した。俺の眼前にいるのは底なしの間抜けだ。
「くかー」
いびきをかく間抜けが俺に気付く様子はない。まさかよだれを垂らしてないだろうな?
「睡眠中すまない。席を間違えてないか?」
「ん~~?」
少年が気だるげに顔を上げる。
まるでヤクザのような目付き。子供が見たら泣き出しそうな顔面だ。反射的ににらみ返さなかった俺に感謝しろ。
「俺に何か用?」
「席を間違えてないか?」
「んなバカな、俺はちゃんと確認したぞ」
間抜けが手前の文字に視線を落とす。
男子がバッと身をひるがえした。わずかに硬直して愛想笑いを浮かべる。
「わりぃ、間違えてたわ。今どく」
「気にしないでくれ。間違いは誰にでもある」
「確かに間違いは誰にでもあるけど、同じことをする奴は中々いないと思うけどねぇ」
後方に横目を向ける。
小柄の女子が腕を組んで立っていた。ウェーブ掛かった長髪。気が強そうなツリ目のわりにあどけない顔。猫を人にイデア変換したらこんな感じになりそうだ。
しかしこの女子、中々興味深いことを言っていた。
「同じことを続けるってどういう意味だ?」
「そいつ中学でも同じことをしてたのよ。率先して声をかけられないタイプだから、強引にでも話すきっかけが欲しいんでしょうね」
「ば、バカお前! 口を閉じろ!」
間抜けが慌てふためいた。少女がフッと鼻を鳴らす。
仲睦まじいなこの二人。俺を放って勝手に盛り上がるな。
「二人は知り合いなんだな」
「知り合いと言うより敵ね」
「物騒だな。殺し合いでもしたのか?」
「何でそうなるの? 単に商売敵ってだけ。動画共有サービスで稼いでるの」
「動画共有サービス?」
二人が目をぱちくりさせた。
「知らないの? ヨッチュベー、コニコニ、ムイッチとか有名じゃない」
「知らないな」
「簡単に言うと、動画でお金を稼ぐ副業みたいなもんだ」
「そんなものがあるのか」
よく考えつくものだ。利用経験はないから想像するしかないが、動画の概念は知っている。出歩かなくても金を稼げる手段と見て間違いない。
俺が勉強不足なわけじゃない。触れる機会に恵まれなかっただけだ。
白初の血を引く者が認めなくとも、社会は俺を白初の人間として認識する。生きるにあたって相応の教養と礼節が求められた。
養子として迎えられる前から教養は積んでいた。煌子工学に関連する論文ならスラスラと読めた。
それではまるで足りなかった。礼儀作法に加えてトレーニングもある。毎日分刻みのスケジュール。俺に娯楽をたしなむ時間はなかった。
だから知らなくて当たり前なのだ。俺がこの二人より劣る証明にはならない。能力の良し悪しは、知った後にどう使うかで決まるのだから。
「名乗りが遅れたな。俺は
「私は
聞いてもいないのに名乗られた。さてはこの二人、俺と友人になりたいのか?
いいだろう。動画共有サービスとやら、将来俺の役に立つかもしれない。
「自己紹介ありがとう。俺は白初十司だ。名前の方で呼んでくれると嬉しい」
「いきなり名前呼び推奨かよ。ハッ⁉ もしかして俺、高校デビュー成功したのでは?」
「アホは放っておくとして、しらぞめって白宣名家の白初?」
「ああ。その白初だ」
「嘘⁉ こんなところで白宣名家の子息に会えるなんて!」
胸の奥からぶわっと焦燥が噴き上がった。教室中から殺到する視線を感じて口元に人差し指を当てる。
「静かにしろ! 以降は白初呼びを避けてくれ!」
白初の名は希少で有名だ。名字を呼ばれるだけでも白宣名家の人間だとばれる。俺を疎む者がいる現状、目を付けられそうな展開は望ましくない。
群がられる事態を避けるには、白初の文字を取り払う方が手っ取り早い。
「あら、目立ちたくないの? 私の配信に出てもらおうかと思ったのに」
「あ、ずりぃ。俺の配信にも出るんだぞ。絶対だからな」
「いや、出ない……そんな目で見ても出ないからな」
間抜けと小娘にじ~~っと凝視される。
黙して視線を受け止めること数秒。二人がにこっと笑んだ。
「冗談だって。今の流れで出てくれると思うわけないだろ?」
「ねー」
「本当か? 俺が折れるのを期待してなかったか?」
「してないって。それにしても意外ね」
「何が?」
「ほら、漫画だと名家の子息ってオラオラしてるじゃない? このオレ様を称えよ、ひざまずくがいい! って感じで」
「漫画をたしなんだことがないから分からないが、初対面の女性にひざまずけと言える奴がいたら見てみたいな」
一つ確かなことがある。俺がそういった行為に及ぼうものなら、確実に和武さんから怒号を飛ばされる。年齢に見合わない鉄拳で済めばマシだ。俺の整った顔立ちが潰されたトマトのようになるかもしれない。
もちろんその時は抵抗するが。拳で。
「漫画も知らないって、十司はすげえ箱入りなんだな」
「ウザいよりはいいじゃない。これからよろしくね十司。私だけ名字で呼ぶのは違和感あるし、そっちも名前呼びでいいわよ」
「んじゃ俺も俺も! よろしくな!」
名前呼びの強制。いつか配信に出てもらうための布石だろうか。
まあいい。
「ああ。こちらこそよろしく」
一癖も二癖もありそうな友人。いいじゃないか、心がおどる。
普通の学生になるには、普通の学生生活と普通の友人を。その理屈は分かるが、俺は『普通』を知らない。夢にまで見た未来図が叶ったかどうか判断しかねる。
おそらく幸と柚希は普通じゃない。
しかし愉快だ。学生生活はきっと楽しくなる。俺の勘が言っているんだから間違いない。
生まれて初めて自分の勘を疑ったのは、それから数時間後のことだった。
白初の傀儡 原滝 飛沫 @white10
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