第3話 嫌いな女と桜のトンネル 


 息苦しい。心臓がバクバクいっている。あのご老体、養子相手になんて目を向けるんだ。


 おもむろに空気を取り込む。科学的に気を落ち着けて足早に廊下をたどり、湯浴びの場に逃げ込んで湯のつぶてに打たれる。


 謁見えっけんは上手くいったはずだ。孫を溺愛できあいする和武さんに彩日を任されたんだ。信用されている、はずなんだ。


 自分に言い聞かせてシャワールームを後にした。タオルで水滴を吹き取って学校の制服に袖を通す。


 いまいちな達成感をさかなにして完全栄養食のパンを腹に収める。


 身支度を済ませて外に出た。駐車場に踏み入ると、同乗者となる少女が高級車のそばに立っている。


 同じ教育機関に入学する者として、装いは制服に指定されたシャツにスカート。魅惑的なボディラインが規格化されたマントに収まり、引きしまった雰囲気を醸し出している。


 元来は手首を隠すための代物だが、前を閉じた様相をよく思わない学生は多いらしい。前を開けて着こなすのが暗黙の了解となっている。


 そよ風に吹かれて、拘束を解かれた長髪が軽やかに踊る。繊細な手で髪を押さえる仕草が、幼馴染に言いようのない気品を付属させた。


 やはり麗しい。入学式でも注目を浴びること間違いなしだ。

 

 恵まれた容姿と白初の名。それらを駆使して、今までも多くの人をたぶらかしてきたに違いない。腐っても名家の令嬢か。


 俺は口元を引き結んで靴裏を浮かせる。


「待たせたな」

「気にしないで。私もさっき来たところだから」


 花が咲いたような微笑に迎えられてこめかみがチリチリした。

 

 視線を外して車との距離を詰める。これ以上目を合わせるとうっかりにらみ付けそうだ。


「行くか」

「うん」


 俺は後部座席のドアを開けて身を屈める。


 彩日が隣の座席に腰を下ろした。仄かに漂うシャボンの香りで意図せず心臓が跳ねる。


 何という失態、屈辱の極みだ。


「ドライバ、出して」


――承知いたしました彩日様。発進いたします。


 人工音声に次いで車体が微かに揺れた。


 運転席と助手席は空いている。俺達が搭乗したのは、高度な人工知能を搭載した自動運転車だ。


 加速や制御は勝手に行われる。年齢制限は存在意義を失って修正された。青い制服の公僕に見られても咎められることはない。


 外の景色が後方へ流れる。土と樹木の芳香が濃さを増す。


 屋敷が鎮座するのは山の天辺。坂を下りれば平坦な道が伸びる。そこまで行けば景色の質も良くなるが、しばらくは草木を観賞するしかない。


「お爺様と何を話したの?」

「内緒だ」

「男同士の約束ってこと?」

「ああ」


 栗色の瞳がすぼめられた。愛嬌あいきょうがあるせいで全く怖くない。


「そんな目で見ても教えないからな」

「秘密にしたいのは分かるけど、どうせ軍事絡みでしょ? 気になるよ。これからは他人事じゃないんだし」


 白初家に身を置いてから、俺は有事のたびに戦場を駆けてきた。養子として迎えられる際に取引をしたからだ。


 白初家は力のある名家。権力や社会的信用がある。メリットなしに馬の骨を受け入れることはない。


 俺には類稀たぐいまれなる才がある。優秀だ。白初家にフットワークの軽い戦力を提供する用意があった。


 俺は白初家に特級の戦力を提供する。


 白初家は俺に安住の地を提供する。


 その内容で取引が成立した。俺はありふれた生存権を得た代わりに、戦いの運命を受け入れて生きている。


 特殊な身の上の彩日には、俺と似た運命が待ち受けている。俺と白髭公の密談が気になるのも道理だ。


「気になるのは分かるが、今回はそういう話じゃない。あの人はこんな日に物騒な話をするほど無粋じゃない」


 艶やかなくちびるが尖りを帯びる。いまいち納得できかねているらしい。


 頑固な女だ。あるいは勘がいいのか。半端に優秀だから面倒くさい。


 俺は陽気を装って口角を上げる。


「せっかくの入学式なんだ、明るい話をしよう。桜の木を植えたと聞いたが、どの辺りに植えられたか知っているか?」

「知らない。お爺様は教えてくれなかったから。朝走った時は見えなかったし、どこに植えたんだろうね」


 早朝のランニングでは桜の木など『さ』の字もなかった。


 ピンクの花が咲き誇っていれば嫌でも目に付く。俺ですら見付けられなかったのだから、本当に植えられたかどうかも疑わしい。遅めのエイプリルフールと言われても信じられる。


 林道の終わりが見えた。道路の輪郭を沿うガードレールが途切れて、フロントガラスからまばゆい光が差し込む。


「わあ……っ」


 隣から感嘆の声がこぼれた。俺も思わず目を見張る。


 空が鮮やかなピンクに染め上げられていた。幻想的な景観をもたらすのは、学生に始まりを告げる桃色の花びら。風に乗って存分に荒ぶり、周囲一帯を吹雪のごとく埋め尽くしている。


 車が進むにつれて、早朝は見られなかった樹木が現在進行形で立ち並ぶ。あまりにも非現実的な絶景。光学迷彩や拡張現実でも施さなければ起こし得ない事象だ。


 何かがいる。俺は直感して街路樹付近を凝視する。


 樹木の近くに小さな影があった。ヒレをくっ付けたでっかい饅頭まんじゅう、直立した小動物チックな何か。他にも奇妙でちっこい物体が俺達を見ている。


 いずれも雪のように白い。冬なら雪をかき集めて作れるが、桜吹雪に溶け込むのは無理がある。


 それらは『白』と呼ばれる知的生命体だ。


 存在が確認されたのは西暦二〇四〇年。空間を裂くように前触れなく現れて、人類に破滅的な文明後退をもたらした。


 白も一枚岩ではなかった。人類は友好的な派閥の助力を得て敵対的な勢力を撃退した。友好派と繋がりを持った家は力を持ち、白宣名家はくせんめいかと呼称されるようになった。


 俺が身を置く白初家もその一つ。窓ガラスに映るちっこい個体は友好派と推測される。


 友好派は人を襲わない。俺はほっと胸をなで下ろす。


「いい眺めだな」

「そうだね。桜のトンネルみたいで、とても綺麗」


 俺はそっと視線をずらす。


 手を伸ばせば届く距離に、春の絶景に見惚れる横顔がある。目をきらきらさせて仰ぐさまは、日に彩られた花のようだ。


 その端正な顔立ちに陰りが差す。


「瑠那《るな》姉様も見れたら良かったのに」 


 白初瑠那。新一年生の誘導に勤しむはずだった彩日の姉だ。


 瑠那はあまり登校しない。昔から体が弱く、今朝も熱を出して寝床に伏した。ランニングの前に和武さんが怒声を張り上げたことは記憶に新しい。


 和武さんは孫に対して砂糖菓子のごとく甘い。そんなご老体が声を荒げたのは異例のことだ。


 全ては、病弱の瑠那が誘導係に立候補したことに起因する。和武さんも驚いていた。誘導係を辞退させるべく、連日に渡って説得を試みたくらいだ。妹を自らの手で迎えたい気持ちは分かる。しかしお前は体が弱く、周りに迷惑をかけてしまうからと。


 瑠那は祖父の制止を振り切って誘導係になった。


 学校側がストップをかければよかったが、瑠那は彩日に勝って美しい。陽だまりのように温かい雰囲気の彩日とは真逆。雪と月がまぐわって生まれたような作り物めいた美貌だ。


 さらには白宣名家の長女ときた。新入生のモチベーションを上げるにあたってこれ以上の人材はいない。学校は瑠那に広告塔としての役割を期待した。


 そして今朝のドタキャン。こうなっては擁護できない。熱を出した身で祖父の怒号を受けたのは自業自得だ。


 正直怒鳴らなくてもよかったのではないかと思う。


 叱ったところでどうにもならないし、俺でも家族がいたらと夢想したことはある。姉妹のやり取りを遠目に見て、胸の内がぽかぽかとしたこともあった。

 

 だから、これは気まぐれだ。


「めったに見れない桜吹雪だし、写真を撮って送ったらどうだ?」


 寂寥感せきりょうかんをはらんだ表情に微笑みが浮かんだ。


「いいね、そうしようかな。せっかくだし私達も記念撮影しようよ」

「記念撮影なら昨日済ませたじゃないか」


 入学式では、大人が子を写真に収めんと猛ると聞く。


 彩日の両親は鬼籍きせきに入った。校門前でよそに混じるのは肩身が狭い。俺は彩日に付き合わされて、先日の内に制服姿をデータに残した。


 そう、写真はあるのだ。わざわざここで撮る意味はないのに、白い頬が小さくふくらむ。


 どうやらお姫様は不服らしい。


「桜はここにしか咲いてないでしょ? こんな絶景、今を逃したら二度と撮れないかもしれないよ?」


 二度と。


 何気ないその言葉が、俺に八年前を想起させた。


 当時は満身創痍まんしんそういで地面に寝ていた。もう少しで永遠の眠りにつくところだった。俺が息をしているのは奇跡と言ってもいい。


 奇跡には二種類ある。


 現実では絶対起こり得ないもの。


 はたまた都合の良いことが重なった結果、起こるべくして起きたもの。


 度々足を運ぶ戦場は不確定要素のかたまりだ。天候、敵の数、地形、仲間と連携を取れるか否か。体や精神のコンディションも含めればキリがない。


 俺は白初家との契約で敵対派と戦う。死のリスクは一般人の比じゃない。幸運は幸運。そう何度も続かない。不幸が重なれば簡単に消し潰される。


 それは今日か、明日か、数年後か。幸運の女神に裏切られるのはいつだ? 


 それは今、この瞬間かもしれない。


「どうしたの十司くん? そんなに……じっと見て」


 ブラウンの瞳が逃げる。窓ガラスを鏡代わりにして前髪をいじり始めた。そこまで撮る気満々だと、提案した者として責任を感じてしまう。


「分かった、一枚だけだぞ」

「う、うん、ありがとう」


 彩日の言葉で人工音声が了承を発した。景色の流れが緩やかになって輪郭を取り戻す。


 ドアがスライドした。桜もちを連想させる香りが車内になだれ込む。


 花弁の流れに規則性が生まれた。桜のトンネルが渦を巻き、撮影に適した形状に変化する。


 俺は木陰に隠れる白に一礼する。携帯端末を掲げる幼馴染と肩を並べて、一枚の写真に収まった。

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