第26話

『この物語はフィクションであり実在する人物、団体、事件、その他の固有名詞や現象などとは何の関係もありません。嘘っぱちです。どっか似ていたとしてもそれはたまたま偶然です。他人のそら似です。あ、CMシーンは別よ。大森電器店とヤマツチモデルショップをよろしく!じゃんじゃん買いに行ってあげなさい。え?もう一度言うの?この物語はフィクションであり実在する人物、団体…………。ねえ、キョン。何でこんなこと言わないといけないのよ。あたりまえじゃないの』

(涼宮ハルヒの溜息 谷川流 角川スニーカー文庫)


40代で職を失った俺には、図書館で本を借りて読むのが唯一の娯楽だった(俺を心配して職を世話してくれた友人達。そして定期的に声をかけてくれた生涯の親友、夏橋君と森田君にはこの場を借りてお礼を言いたい)。

当時は好きな作家の池波正太郎、京極夏彦、宮部みゆき、浅田次郎などを借りて読んでいたが、ネット書評で、ある大学の国文学の教授がその頃評判になっていた深夜アニメ“涼宮ハルヒの憂鬱”の原作について興味深い事を書いているのに出会った。


「源氏物語は作者紫式部が仕えていた中宮彰子のために少しずつ書いていた物語が宮中で回し読みされ、後世に残されたものである。江戸時代に絵草紙として出版され、貸本屋によって東海道中膝栗毛や南総里見八犬伝は流布された。明治以降も漱石や鷗外、志賀直哉や川端康成の作品は新聞連載小説として読者に支持された。いつから純文学とその他下級な読み物と言う垣根が出来てしまったのだろうか?本作“涼宮ハルヒの憂鬱”に始まる涼宮ハルヒシリーズは、決して子供騙しの絵空事ではない。今ラノベだからと軽んじていても、100年後に古典として残らないと言う保証はないのだ(うろ覚え)」


図書館で借りて読んでみて、この先生の力説の理由が良く分かった。ライトノベルと言うと、ティーン向け恋愛小説のイメージしかなかった俺は衝撃を受け、この手のライトノベルを読み漁った。涼宮ハルヒのレンタルDVDも借りて、めぞん一刻以来遠ざかっていた(まさか深夜にこんなにアニメが放送されているとは知らなかった)テレビアニメも録画し始め、やがて“けいおん!”に出会う。今迄俺が生き長らえて来たのは、涼宮ハルヒに出会ったおかげである。


熊懐勤太郎(30歳)

走馬灯が止まり

「オンデマンドです。どちらを選択されますか?」

と言う表示が現れた。

1.オコに告白する。

2.先輩に告白する。

「つまり2を選んだのが今の俺の人生だ。俺はオコにはもう会わないようにして、電話で結婚する事を告げた」

別の人生があった訳だ。


目の前に拡がる走馬灯を目が慣れて来たので良く見て見ると、ここは映画館だった。しかしオンデマンドとは。

途中で上映を止め、観客の多数決によってフィルムを付け替えると言う実験作があったとは聞いた事があるが…。

俺は席を立ち、スクリーンに向かった。

スクリーンの前には、封切りの際の舞台挨拶ができる様に一段高くなっており、壇に上がってスクリーンの裏を覗いてみたら、映画館の定番、ALTECのA7スピーカーユニットが左右に配置されていた。

そしてなんとその間には畳が何枚か敷かれており、

和服姿の白髪の老人と、学生服の中学生が将棋盤を囲んでいる。

「ああ…。これは悪手でしたね。ここでこう指していれば、2387手目の結末は違っていたかも」

学生服が眼鏡を人差し指でずり上げながら言う。

「そうじゃな。じゃが所詮1974687手目からは千日手じゃ」

将棋盤を見ると、“Fido dido“と書かれた白いTシャツを着た男が指で持ち上げられてジタバタしている。こいつが駒か。って俺じゃないか!


「お前たち、他人の人生で将棋指してんじゃねえ!」

老人と少年は立ち上がり

「他人とは無礼な!ワシは熊懐勤太郎(80)じゃ」

「僕は熊懐勤太郎(15)です。自分の人生で感想戦して、何がいけないんですか?」

俺は二人の顔をしげしげと見た。

確かに中学生の俺の顔。そしてもし俺が80まで生きれば、こう言う憎たらしいジジイになるだろうと思われる老人の顔。だが何か違和感がある。

「とっとと出て行け!ワシらは来世に向けてしっかり感想戦をしとかにゃならんのじゃ!」

分かった!

「いーや、お前らは俺じゃない。偽者だ!」

「な、何を根拠に」と中学生。

「なぜならば、俺は正座ができんのだ。無理にしたら、足が痺れてさっきみたいに勢いよく立ち上がれない」

しまった!と言って老人はシルクハットとフロックコート姿、少年はバニーガール姿のうさぎ(中々シュール)の正体を現し、上手に走り去る。


下手から、

「こらー!片付けて行けー!」と叫びながら、腕に

「上映技師」と書かれた腕章を付けた鼠が走って来た。眠そうな顔だ。

「申し訳ございません。最近天才少年棋士が現れて以来、奴らがああいう悪戯をする事がございまして。わたくし、上映技師の眠り鼠と申します」

鼠は片足を引くお辞儀をする。

なるほど、帽子屋と三月兎、眠り鼠と来れば、不思議の国のアリスのMad Tea Partyだな?しかし、この鼠、CVが高校の後輩の猫田君だ。

「申し訳ございませんが、お席にお戻りになり、オンデマンドをご選択いただけませんでしょうか?」

「ちょっと考えさせて欲しい」

「ではお席にお飲み物なとお持ちしましょう」


席に着くと左側に巨大なポップコーンのカップ。右側にこれも1Lはあろうかと言うコーラが置かれていた。さてどうするか。

「考えても見ろよ。お前みたいな熊みたいなデブに、あんなピチピチJKのセクシーボインちゃんが言い寄ってんだぜ。迷う事ぁねえだろうよ。それにお前はまだ知らんだろうが、あの女、ベッドでも凄いんだぜ。うっしっし」帽子屋がポップコーンをボリボリ食いながら囁く。余計なお世話だ!

「じゃあお前はオコルート攻略するんだな?そりゃこれからの30数年は、楽じゃなかったし、辛かったし、後悔する事ばっかりだったろうよ。だがな。じゃあお前が嫁さんと巡りあえた事、子供達と出会えた事は無駄だったのか?嫌な事ばっかり思い出すなよ」三月兎がコーラをごくごく飲みながら言う(うさぎを飼う時水を与えてはダメと言うのは迷信らしい)。


俺の記憶の小さな走馬灯が、バーチャル3Dグラスの様に再生される。

いつもの様にCRXで先輩を送って行った時、俺は初めて彼女にキスをして、プロポーズした。

彼女は少し考えさせて。と答えて3ヶ月程過ぎた頃、

「熊懐君のことは好きだし、付き合いたいとも思う。でも正直今の暮らしも安定してるし、結婚するメリットってあんまり感じない」

こりゃ駄目か。と焦って、

一生大切にする。と俺が言うと、

「一生って。これからの人生色々あるんだよ。結局どちらかが先に死ぬ。ぽっくり行けばむしろ幸せってものだけど、要介護とかなったら、相手の世話をしていかなきゃ行けないんだよ」


先に結婚して親あり家庭に入った元同僚から聞いた自宅介護の実態を先輩は語った。

「お義母さんボケちゃって、一時間ごとにピョコっと鳩時計みたいに顔出して、“嫁子さんご飯まだ?”って聞くらしいの。そのたびに“お義母さんさっき食べたでしょ”って寝床に連れてくんだって、あんなに怖い姑さんだったのに。って泣いてた」

寝たきりにならなくてもボケがあるか…。

先輩がもしそうなっても一生介護する。約束する。と言ってようやくOKを貰った。


しかし俺は結婚の約束をしながら、その事がどんなに重いものかこれっぽっちも判っていない若造だった。30にもなって。

就職してからのバブル期独身貴族の浪費生活に慣れきった俺は、必要最小限の生活費しか妻(先輩)に渡さず、結婚後すぐ娘を妊娠し会社を辞めた妻を、生活費のやりくりに苦しめた。結局矯正されなかった俺の”長時間他人といる事が耐えられない性格(今はスキゾイドパーソナリティ障害と言うらしい)“もあり、どうしても家族の為に生きる。と言う夫であり父親としての自覚が持てず、無責任なままで時間が過ぎて行った。


俺は旨そうな店があると、仕事帰りに立ち寄った上、”男の甲斐性“とか勝手に決めて帰宅しても妻の作った夕食も何食わぬ顔して平らげ、しっかり糖尿病になった。皿洗いくらい手伝って欲しいと言われれば食洗機を買い与え、子供が泣いていても自室にこもってパソコン三昧。休みの日は一人で遊びに行くか、家でゴロゴロ。

「休日くらい寝させてくれよ」と言って妻に、

「主婦に休日はない!」と怒鳴られても改善しなかった。


人生相談によくある

「結婚したら夫が豹変」と言うのが妻の感想だったろう。実家の父の介護を頼んだり、俺がリストラされてからはパートに出たりで、本当に苦労ばっかりかけた。妻は健康と心を病む程だった。

「俺と結婚しなかったら、先輩はもっと幸せだったろう。結婚しなければ良かった」


同じ事を呟いた母(妻)に、大学生になった息子はこう言ったそうだ。

「それでも僕はお父さんとお母さんを世界で一番尊敬しているよ」

普段無口で、そんな事言わない息子が言ったんで、びっくりした、と妻が言っていた。

俺もびっくりした。自分を今まで育ててくれた事への感謝なのだろうか?

しかし俺は尊敬される父親なんかじゃない。

俺がもっと家族のためにお金と時間を費やしていれば、もっと幸せな少年時代が送れたかも知れないのに…。

後悔するのが遅過ぎた。

俺は本当に駄目な父親だった。

うちにあるもう再生手段がない8mmビデオテープに、息子が小さい時、軽井沢で撮った映像がある。

こっちに向かって歩いてきて、コロンと転ぶ。泣くかな?と思ったら、生真面目な顔で立ち上がってこちらに歩いて来て、俺の足に掴まって初めて泣いた。今は就職して他の街で働いている息子。


家に居てくれる、優しい娘ともいっぱい思い出がある。絵本を見ながら俺が

「おーれはおーれはアンパンマン」と歌うと

「バイキンマンでしょ?」と訂正する娘。

後にブックオフを何軒も回って揃えた漫画、

「よつばと!」を読むたび、娘や息子の小さい時が思い出されて、涙が止まらない。

生まれて来てくれてありがとう。


「この子達と出会えた事は、おれの人生の大成功ではないのか?」今は別居して口も余りきかず主にメールでやりとりしている妻も、それなりにおれの事は気にかけてくれている。

自分が結婚に向いてないからと言って、現実に苦労をかけて来た家族をなかった事に出来るのか?


帽子屋と三月兎に礼を言って退散してもらい、俺は立ち上がった。

「2番で」


(後半へ続く)









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