第22話
ミラーに広がるアドレス色の空
想い想いに灯し始める街に
交差点でちょっとテール滑らせて
君の静かな寝息止めたら
もうすぐサテライトシティ
サテライトシティ
真っ直ぐな道の向こう側の
君の住む街
(サテライトシティ 未発表)
熊懐勤太郎(26)
この歳俺は家を出た。
と言ってもそれほどカッコいい話ではない。
前にも言ったと思うが、俺は同じ人と長く一緒にいるのが苦手だ。どんなに親友、好きになった子でも余り長時間一緒に居るとだんだん相手の悪い所が気になってしょうがなくなる。
つくづく結婚には向いてないと思う(そうだ!)。
家族に対しては、なおさら長く一緒に暮らして、やりきれない気持ちでいっぱいだった。これは京都で4年間一人暮らしをして、余計思う様になった。実家にいると、朝ごはんが用意されている。弁当まで作ってくれようとしたが、流石にこれは断った。帰ると夕食があり、着るものは洗濯してくれ、ワイシャツはアイロンまでかけてある。
今思えば感謝しかないが、当時は重かった。
自立しなければ。
職場の近くにアパートでも借りようと思った。ところが父は、
「お前も稼げる様になったのだから、家くらい自分で買うといい。ちょうど駅の向こう側に中古マンションの出物がある」
地下鉄鶴舞線が延伸され、うちの近所にも駅が出来た。子供頃、この駅近辺は田んぼだったが、駅前の開発が進み、マンションがぽこぽこ立ち始めた。
父が勧めたマンションは、そんな流れよりもっと前、ちょっと離れた所にあった公団分譲住宅で、よくある団地型、横に長く各戸のドアがならび、覆われていない通路を歩いて自宅に着くタイプ。核家族向けの2LDKだった。当時は地価がそれほど高くなく、築10年くらいの物件だったが、自分でもローンを返せそうだった。頭金をちょっと親が出してくれたので、月3万くらいの支払いで、
「家賃払ってるのよりいいじゃないか」
と言う誘惑に俺は乗ってしまった。この辺、自立した気でいてもお釈迦様の手のひらの上の孫悟空みたいなもんだ。
駅から20分。駅が出来る前のバス停からは30分以上歩く場所なので、基本車移動前提で、一世帯に駐車場一台分、隣の造成地にも月500円で借りられる未舗装の駐車場があり、独り者の俺には便利だった。最初親は合鍵を持っていて、俺がいない時に掃除でもしに来るつもりみたいだったが、これはお断りした。それでは自立じゃない。離れだ。
実際いろいろお取込み中に突然入って来ようとした事があり(チャイムを押す様な人たちじゃない)、チェーンロックがあったので時間を稼げたが、これじゃ実家と変わらないので、合鍵は返して貰った。
俺様の独身貴族時代がこうして始まった。家や車のローン返済を抜いても、充分使える金はあった。とりあえず、オーディオ趣味にはまった。スピーカーは、行きつけのオーディオ店主自作のバックローホーン型ボックス(多分長岡鉄男の設計)にフォステックスの38cmスピーカー、上には鋳物製のでかいホーン型スコーカーとメタルツイーターの3way。カートリッジは放送局で使われて来たDENON DL-103。横田君が昇圧アンプを作ってくれた(DENONは今はメーカー自身が“デノン”と発言しているが、前身は日本電気音響株式會社なので俺たちは“デンオン”と呼んでいた)。
アンプはそれこそ結構取り替えた。一時はラックスキットの真空管式プリアンプとメインアンプまで作って貰って揃えたが、ハイパワーに目が眩んで、同じラックスキットのB級100W×2、ブリッジ接続でモノラル300Wを2台(しかもこのアンプはA級30Wのモノラルアンプにもなって無敵)作って貰った。
オーディオは一段落し、今度はそろそろ出始めたレンタルビデオを利用するため(映画が見たいため。間違ってもAV系ではない、事にしておく)、ビデオデッキを購入。当時のレンタルビデオ屋は今思えばアホらしいのだが、一つのタイトルが必ずVHSとベータマックスの2種類並んでいた。フィリップスが規格の普及の為にオーディオカセットテープの特許を公開したのに比べ、何という日本企業の了見の狭さよ(未だに銀行合併で名前が両方併記の長い名前になるなど、日本の経営者は本当に子供だ)。
俺は父がソニー党だったのと、初期は明らかに解像度など上だったので、ベータを選んだ。と言ってもソニー製は高価だったので、ベータ陣営の東芝製を買った。
東芝は当時カセットデッキでも“ADRESS”と言う圧縮技術を開発しており、有名なドルビーよりも息継ぎ音が少なく自然だったので、このカセットデッキも買った。このカセットのカタログのADRESSの説明のところに、美しい夕焼けの写真があり、その光景と、彼女の住所に送り届ける、と言う意味を込めて上記の歌を作った。
ちなみにミラーに夕焼けが映る訳だから、車は東に向かっているわけ。
オープンリールテープレコーダーもTEACの4chマルチトラックレコーダーと、Fostexの2トラ38機も揃え、お一人様同時録音にも精出していた。
冒頭の曲はその頃のもの。
最初は家庭用テレビにRFで繋いでビデオを見ていたが、オーディオ店がレンタルしていたカラオケ屋が潰れたか何かで引き取って来たNECのシステムテレビ(そう言うのがあったのだ)用の、当時としては破格に大きい26インチモニター(めちゃくちゃ重い)を買わないか?と言われ、凄く安かったので、ほいほい買い、かくして当時としては最高のホームシアターで、ソファに座って映画を見るのが至福のひと時だった。
電話も引いたので、週一回くらいオコから電話が掛かって来た。夜に店の電話からかけて来るので、直ぐ折り返した(もう高校時代の様に一通話無制限の料金ではなかった)。
バイクを手放してから、健次さんの店には行く用事がなくなった。一度車をセリカからターセル(トヨタ初のFF小型車。なぜこの車に買い替えたのか、熊懐史上謎。またFFに乗りたくなったにしろ、ターセルは縦置きエンジンで、チェリーの荒々しさは微塵もなかった)に乗り換えた時に、ちょっとオコとご飯食べに行ったのだが、納期が早いと言うだけの理由でターセルのイメージカラーのシャインレッドを選んだ為、オコに
「なんか、ぶりっ子」と言われて、もう乗せてやらん!と思ったくらいで、ほとんど電話で話をした。
このマンションにはオコは来ようとしなかった。ちゃらんぽらんに見えて室井夫婦はしっかりしていて、俺の様な性獣の住処に中学生の愛娘を放り込む様な事は禁じていた様だ。
電話は他愛ない内容が多かったが、時々学校行きたくないと呟いた。
中学に行ったら、小学校のミニバスの顧問からしっかり連絡が行っていて、バスケ部に入らされた(とオコは言った)事。バスケ自体は嫌いじゃないけど(おそらく逸材が入って顧問が有頂天となり)、練習がどんどん厳しくなっている事、オコばかりひいきすると、先輩に目をつけられている事(ミニバスは原則学年別チームだが、中学生以上はいい素材は一年生でも抜擢する顧問が多い)。
まあいきなり165cmが入って来たら、他の子は勝てないだろう。しかも両親とも選手のサラブレッドだ。
今はボールが一回り小さく、ゴールも低いミニバスは世界にも広がっているが、本来バスケットボールは子供も同じ大きさのボール。同じ高さのゴールで競う。ミニバスで大活躍しても、余程の人並み外れたジャンプ力がない限り、身長の低い選手が中学生からは活躍するのが難しい。
よく日本の子供は恵まれた他の子を
「ずるい」と言うが、本当に羨望を通り越して憎しみを覚えるほどの素質の差がある事は、健次さんが一番知っていた。だが他の親と違い、素質があるんだから頑張れ!とは、健次さんも麗子さんも言わなかった。
「やめてもいいよ。バスケだけが人生じゃない」
オコはパスを受けて、華麗にシュートを決める事はうまかったが、攻撃してくる敵から隙をついてボールを奪い取る様なプレイは好きじゃない。と言っていた。
きちっと理論のあるコーチで、他の4人もそれぞれ違うスタイルのある選手が揃っているなら、オコはそんな目に合わなかったろうが、理論書ばかり読み漁っていた顧問は、オコをオールラウンドプレイヤーに育てたかったのだろうか?練習は激しさを増し、ついていけない同級生は脱落し、一年はオコ含め3人になり、オコもしばしば練習中に足が攣って倒れた。顧問は激怒してトレーニングメニューを追加、と言う悪循環。
先輩達はミニバス出身の一年生達に危機感を感じ、イジメまでは無くとも嫌味はエスカレート。
親は理解はあるが、自分で決めろと言うスタンス、
オコの電話は、だんだん泣き声が多くなった。
俺は話を聞いて、時々答える事しか出来ない。
「お兄ちゃん、助けて」
「もう健次さん達の言うように、辞めてもいいんじゃないか?」
「だって辞めたら一生敗北者だと先生が言うんだもん」
「ひでえ先生だなあ。そんな事ないよ。俺も中学1年の時、イジメにあって3学期まるまる休んだけど、2年からいい友だちに会えて立ち直ったぞ」
思えばこれがいけなかったのかもしれない。
オコは本当に学校に行けなくなった。
電話では時々話をしたが、店に行っても会ってくれない(ストレスで激太りしてたらしい)。
年が明けてどうしているのか、心配しながら何も出来ないでいた日々が続いたが、3月の始め、突然電話が鳴った(電話はいつも突然なるけどね)。
「熊懐くん?」
「健次さん、どうしたんですか?珍しい」
「陽子が会いたがってる」
「え?どういう」
「怪我をしたんだ。俺のせいだ」
学校に行かず塞ぎ込んでいたオコを励まそうと、健次さんは、モトクロス場に連れて行ったそうだ。興味を持ったオコは私も乗ってみたいと健次さんに言ったそうだ。もちろん健次さんは喜んで、まず体作りからと筋トレを教え、オコは元の体型に戻ったとか。そうして初めてコースに出て、慎重に走っていたが、練習タイムなのに無謀にも競走始めた2人のライダーが激突し、バランスを崩してオコ目掛けて突っ込んできた。オコは倒れたバイクの下敷きになり骨折したらしい。モトクロスは土の上で競うので、ロードレースに比べ、ライダーの死亡事故は少ない。しかしコース周辺に安全地帯が少ないため、オフィシャルやメカニックが巻き込まれて死亡する事がある。
病院に行くと健次さんと麗子さんがいた。
手術後の麻酔が解けたら、両親が見えるなり、
「お兄ちゃんに会いたい」と言ったそうだ。
病室に入ると片足を吊ったオコが寝ていた。
顔はなんか白い。
「大丈夫か(なわけないな)?」
「お兄ちゃん…」
オコの目から突然ぶわっと涙が出て来たので、びっくりした。
「お兄ちゃん。ごめん。エルシノア壊しちゃった」
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