第20話
見れば見る程 ファニーな子
流石のおいらも 負けてるよ
はっきりしないで 男はみんな
おもちゃにするんだ いつだって
やれやれ…。
「ではお嬢様、今日はどちらに参りましょうか?」
「お好きなところへ」
「帰って寝ていたいですね」
「では、わたくしもそちらへ」
「い、いや冗談。どこ行きたい?動物園?」
「そこは駄目!東山動物園のボートに乗るとカップルは別れると学校で言ってた」
「じゃ大丈夫だ。俺たちはカップルじゃ無いし」
確かにこの伝説は俺らが学生の頃からあった。まあ大抵のカップルは東山に行くとボートに乗るし、大半の学生時代のカップルは早晩別れる。
俺?もちろん乗ったさ、元カノと…。
「とにかくせっかく雇った執事ですもの。簡単にはクビにはできないわ」
これからもこき使う気かい。
「じゃあどこ行く?長島温泉?」
「ちょっと遠いな。今度にしましょう」
「じゃあ?」
「あそこがいいかな?遠足で一回行ったことがある。フジパンロボット館」
「そんなのあったっけ?ああ思い出した。青少年公園だね」
「そうそう。熊ちゃん、大阪の万博て行った?」
「日帰りだけどな。人が多いくらいしか思い出せない」
「いいなあ。行ってみたかった。またやるかなあ?」
「どうかなあ?まあまたあるんじゃないか?案外愛知県でやったりして」
「そうしたら毎日行くけどな。世界中を旅行出来るようなもんだろうなあ」
と言うわけで、かつて大阪万博に地元企業のフジパンが出展したロボット館と言うのが、愛知県に寄贈され公開されていた、長久手町の愛知県青少年公園にチェリーは向かう。
陽子ちゃんは手提げバッグの中からスニーカーを取り出した。最初から青少年公園行く気で持ってきた様だ。
青少年公園は、名古屋の東隣の長久手町の広大な丘陵を切り開いて道路と芝生を敷き、テニスコート等のスポーツ施設や、合宿施設を備えた運動公園だ。
駐車場に車を止めると、
「自転車乗ろう!」と陽子ちゃんは駆けて行った。
ロボット館じゃないのかよ。
最近運動不足な俺はついていくのがやっと。
レンタルサイクルを借りて、一周5kmくらいあるサイクリングコースを走る。
「気持ちいい〜っ!」陽子ちゃんはくだりの坂道をびゅんびゅん飛ばす。
俺も負けじと飛ばして行ったが、もちろんエネルギー不滅の法則。下りの位置エネルギーを運動エネルギーに使った後は、運動エネルギーで位置エネルギーを稼ぐ。つまり登り坂を漕がねばならない。
「待ってくれー!」
うっかり八兵衛の様な裏声で呼ぶ。実家に帰って、エルシノアとチェリーのオーナーになった俺は、通勤もちょっとした買い物も全て化石燃料に頼っていた。従って俺の鍛え抜かれた皮下脂肪には更に磨きがかかっていた。
一応10段ギアのスポーツ車を借りたのだが、坂道をゼイゼイ言いながら登って行くと、陽子ちゃんは変速機のないママチャリですいすい登って行く(当時ママチャリとは言わなかったな。婦人用軽快車か)。
途中東屋があって、水飲み場があった。そこで休憩して水をごくごく飲む。陽子ちゃんがタオルを貸してくれた。
まだ暑い8月だが、日陰は涼しい。
(当時は家庭用エアコンの普及もそれほどでもなく、チェリーにもエアコンはなかった。エアコンは熱交換だから、室内を冷やすと言うことは、屋外に熱を放出する事になる。つまりヒートアイランド現象などは、エアコンの排出熱が作っているのである。例の“夏の生活”には、“勉強は涼しい午前中にしましょう”などと書いてあった。少しだけ標高も高く、人家が無く、緑に囲まれたこの公園は名古屋よりかなり涼しく感じたが、日差しは強かった)
自転車を返すと、今度はバドミントンをやりたいと言う。体育でやっているそうで、俺ぼろ負け。パターゴルフ、俺も陽子ちゃんも初めてだったが、惜敗。
と言う感じでお昼になった。
実は希望行き先が青少年公園と聞いて、俺はちょっと嫌な気持ちになった。
まあ3年間も付き合ったのだから当然だけど、ここも聖地だった。
でもこれはデートじゃ無く家庭サービスの予行演習みたいなもんだし。と自らを鼓舞して車を走らせたのだった。
青少年公園には、食事できる施設が一つしかない。正門前にあったレストランで、いかにもな公営の施設だったが、ここは実は“キッチンあさくま”が参入しており、あさくま(当時はファミレスと言うものはまだ無くもう少し高級なイメージ)のメニューが、県の定めた比較的安価な料金で食べられる事で人気があった。
もちろん元カノとデートした時も、このレストランに入ったが、2回目はお弁当を作ってきてくれた。まあそれだけ親密になって行ったわけで…、おっといけねえ、目にゴミが。
で、陽子ちゃんとレストランに入った途端、二人とも
「ああ涼しい!」
「熊ちゃん、なんで車にクーラー入れないの?」
「いいじゃん、走れば涼しいし」
「夏は熱風が来るだけじゃん」
チェリーはデザイン的にはかなり先進的な意欲作で、従来散々デザイナーを悩ませてきた、三角ピラーがなかった。若い方は知らないだろうが、当時の車には必ずこれがあり、この窓をくるりと回すと、走行中外気を積極的に取り込める様になっていた。この三角ピラーがないと、窓を開けても風が入って来ないので、結局俺はカー用品屋で大きな三角形の透明アクリル板で、三角ピラーと同じ役割をする。と言うものを買ってきて取り付けていた。
つまり、デザイン上の都合で廃止したものを、ユーザーが外付けで取り付ける。というおかしな事になっていた。
レストランに入り、俺はカレーを、陽子ちゃんはミートソーススパゲティを注文した。テーブルはビニールコートだがチェックのテーブルクロスが敷いてあり、普通の公営食堂よりちょっと高級感があった。まだ星ヶ丘から東の東名高速名古屋インターまでの間には、それほどレストランも少なかった時代なので、あさくまの経営するこの食堂はドライブデートで立ち寄る人も多かった。足の長いチューリップグラスに水を注いで持ってきたので、陽子ちゃんが気取ってグラスを差し出した。
「乾杯!」
ただし、出発の時のお嬢様よりは、かなり運動によって本来の小学生に近くなっていて、せっかくの縦ロールもバドミントンの時にゴムで縛っていたし、白い肌は上気して、赤くなっていた。肩や背中も、きっと皮がむける事だろう。
でも俺は、こっちの方が綺麗だな、と思った。例えて言えば、新馬戦に出る前の当歳馬の様な可憐さと美しさがある。
「何見てんの?エッチ!」
「何がエッチだよ。子供を可愛いなと思って見てるだけだ」
当時はまだロリコンという言葉は一般的ではなかったので、公園で子供に
「可愛いねえ」と言っても、誘拐を疑われる事はあっても、専ら少女だけを愛する性癖とは疑われなかった。
「私可愛い?」
「そう思うよ」
「美人?」
「あと10年経てばね」
「10年かぁ…。5年に負からない?」
15歳か…。よしこに初めてあった頃だなあ。あの頃の俺はよしこの美貌にうっとりしてた。
「同い年の男の子たちはきっと大騒ぎする様になるよ。俺には若すぎるけど」
「そう言うものなのかしらねえ。熊ちゃんおじいさんみたい」
「もうおじさんだよ」
「そんな事ないって、まだおにいさん…
そうだ!熊ちゃんのこと、お兄ちゃんって呼んでいい?」
なんだか熊ちゃんから遠くなっているような。いや近くなったのか?
「クラスの友達にあやちゃんているんだけど。高校生のお兄ちゃんがいてさ。あやちゃんもお兄ちゃん大好きなんだけど、最近お兄ちゃんの愛が重いって」
「重い?」
「クラスの男子の話をすると、突然お兄ちゃんが暗い目をして“コロス”と」
「あははそりゃ重症のシスコンだ」
「あれ好きだよ。給食に出るとお代わりする」
小学校の給食でコーンフレークがよく出た。ケロッグはまだ本格上陸しておらず、シスコと言う会社のシスコーンと言うのが給食にでた。普段は大嫌いな脱脂粉乳に入れて食べると美味しいので俺も好きだった。
子供が好む様に砂糖をコーティングした、シスコーンシュガーという商品もでて、給食にはそちらが出たので、脱脂粉乳には入れずにボリボリ食う奴もいて、みんなこのお菓子みたいなモノを、略して”シュガー“と呼んでいて
中学で英語を習うまで、全く変だとは思わなかった。
「違うよ、シスターコンプレックス、略してシスコン。女の姉妹に過剰な感情を持つ事さ」
「好きすぎってってこと?」
「そうそう。 だから俺をお兄ちゃんって呼んで熱愛するとブラコンだ」
「ブラザーコンプレックスか」
この子は頭がいい。ちゃんと類推する力があるな。
「私ね、一人っ子だからいつも弟か妹が欲しいって、お母さん困らせてた。私産んだせいなのにね」
「俺なんかうちの母さん、俺産んだせいで、今でも時々入院するんだ。申し訳ないといつも思ってる」
「お父さんが時々、息子が欲しかったとか言ってお母さんに殴られるんだけど(殴られるんかい)、本当に小さいころは私なんか生まれて来なければ良かった、と思った」
「健次さん、そりゃ殴られて当然だなあ。今度そんな事言ったら、陽子ちゃんも殴っちゃえ」
「嫌だね。蹴るね」
「蹴るか。でも、お父さんは陽子ちゃんの事めちゃくちゃ愛してるよ。今朝も俺に手出すなよって」
陽子ちゃんのフォークが止まった。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「女の人のおっぱい好きでしょ」
水を飲もうとしてた俺は盛大にむせた。
「お代官様、一体何を証拠に」
「ええい、調べはついておるわ。お母さんを見る目が、胸で止まる事あるもん」
しまった!小学生にまでばれておったか!まさか達次さんにも?
「お父さんは鈍感だからわからないよ。女の勘」
「オコはまだまだ全然ペタンコだから興味ないよね」
「オコ?」
「しまった!今のなし」
無理に聞き出したら、陽子ちゃんは小さい頃自分のことを”ヨウコ“と言えず、”オコ“と言っていたそうな。なので、両親も今でもオコと言うことがある。小学校に行くまでは、一人称もオコだったが、流石に恥ずかしいと思い、あたしに直したそうだ。やっぱり年齢相応にいつも意識高い系な子だ。
「俺のことお兄ちゃんと呼ぶなら、陽子ちゃんのこと、オコって呼んでいい?」
「断る。まああたしが呼んだ時はすぐ駆けつけて、行きたいところに連れてってくれるなら、考えてもいい」
とんだ奴隷契約だ。
レストランを出て、ロボット館に行った(老朽化著しいな)。
そろそろ帰ろうかと言うと、もう一度あの芝生のところに行こう。と言う。
先に走って行って、誰もいない広場で立ち止まり、
「お兄ちゃん、自転車、バドミントン、パターゴルフ。三連敗だよね。情けないわよ。男として」
いやあ現役アウトドア系小学生にはかないませんわ。と弁解すると、
「もうひと勝負しようぜ。お相撲で」
おいおい、俺はラグビー式タックルで空手有段者を倒した男だぜ(その後土下座して謝ったけどな)。女子供じゃ勝負にならんでごわす。
「まあ、やってみようよ」
ハッケヨイと立ち会ったが、芝生なので土俵はなく陽子ちゃんは牛若丸の様にひょいひょい逃げる。しかも俺は、ナウなヤング(当時からして死語)らしく、リーバイスのブーツカットジーンズに、どんなマゾでも打たれたら相当凹むだろうと言う、いかついバックル付きの幅広牛革ベルトをつけている。つまり立派なマワシを締めた状態。マワシだけに準備は万端だ(※名古屋人以外の方へ、名古屋では支度する事を”マワシする“と言います)。
一方陽子ちゃんはと言うと、
サマードレスは後ろがガラ空きだが、ウエストのところをマワシよろしく持つと、スカート全体が上にずり上がる(健次さん激怒)。
万一首の後ろの結び目が解ければ、上半身裸に(健次さん激怒)。
ドレスの生地は薄くてふわふわなので、うっかり破るかもしれない(麗子さん激怒)。
芝生に転べばドレスが汚れる(麗子さん激怒)。
八方塞がりである。
しかも陽子ちゃんは、結構敏感で、肩にポンと手を置くだけで
「触るな!エッチスケッチワンタッチ」と懐かしいセリフを吐くのでまいっちんぐ。
結局体を低くして、両足を一度に片手で取り、お姫様抱っこにして、ちょっとだけ地面につける。と言う紳士的な決まり手を思いついた。
作戦は上手く行ったかに見えた。
手が両足にかかったかと思った瞬間、
「えいっ!」と掛け声と共に背中越しに両手でガッチリ掴んだベルトを思い切り左に放り投げられた。
俺はばったり倒れ、陽子ちゃんが上にのしかかって来た。
「見事な波離間投げじゃ!自分が倒れ込む力を応用すれば婦女子でも大丈夫を投げ得る道理。いや良いものを見せてもろうたわい、カッカッカ!」
水戸黄門みたいな笑い方をする、通りすがりの相撲好きの爺さんが快哉を叫んだ。
全敗だ。悔しい。陽子ちゃんはさぞかし得意満面だろうなあ。と俺の腹の上に乗ってる陽子ちゃんを見ると、なんとポロポロ涙を流している。どこか痛めたか?
「これよぉこれなのよぉ」愛おしそうに俺の鍛え抜かれた皮下脂肪をさすったり揉んだりする。
聞けば最近麗子さんがジムに通い始めたらしい。どうも健次さんの心ない一言(またかよ)が原因らしいが、もともとアスリートな人なので、肉体が変わって行くのが楽しいらしく(バストアップも出来るし)、お腹が見事に割れているのだと。
娘としては、
「お母さん大好きぃ!」と抱きついた時
「あれ?これお父さんじゃね?」と思うとか。
競馬馬でもそうだが、どんな強かった牝馬でも引退して出産した後のゆったりしたお腹に母性を感じる。人間もそうなのだろう。
「健気な子!」
感動して思わず抱きしめようとしたら、するっと抜け出して、
「近い!控えおろう」との一言。
やりにくい。とりあえずお兄ちゃんのお腹を時々触らせて欲しい。オコって呼んでいいから。とのこと。随分な交換条件だなと思ったけど、あるものを確認出来たので、俺はこの不平等条約を受けた。
それは起き上がる時、激闘のせいでオコのスカートが90度程回ってしまい、胸を覆う布がずれていて……。
「見た?」
「オコ!俺の小さな妹よ!」
「悔しいいっ!試合に勝って勝負に負けたとはこの事だわ。いつかお兄ちゃんをダイナマイトバディで跪かせてやるから」
帰って来た俺たちが、オコ、お兄ちゃんと言い合っているのを聞いて麗子さんはドン引きしたそうだ。健次さんも頭を抱えたが、まあお兄ちゃんならいいか、と言う事になったみたいだ。
こうして俺とオコは、家族公認の、
義兄妹になった。
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