第19話

すぐに膨れて そっぽを向いて

ゴメンと言うのを 待っている

他の男の 話をしても

おいらの反応 見てるんだ


「こんちはー」

いよいよ通勤に車を使う様になったある夕方、俺は久しぶりに健次さんの店に立ち寄った。

「おお熊懐くん。どう?チェリーの調子」

「だいぶ慣れました。この間、初めて高速も乗りましたし」

「高速って、なんでもなかったろ?」

「そおっすね。追い越そうと思わなければ、怖くなかったっす」


この春、俺が車校選びをした時、一番近いところを選ばなかったのは、その学校は高速教習があったからだった。愛知県に住む以上、いつかは高速に乗るだろうが、路上講習のうちから行きたくはなかった。路上講習になってから、教習員の表情がマジになったことを覚えている。中に一人、最初から最後までずっと演歌みたいな曲を鼻歌で歌ってた人がいて、なんて不真面目な人だと思ったが、顔が強張っていたので、緊張を紛らすためだったみたいだ。緊急ブレーキはあるとしても、場内講習終わったばかりの俺たちに、命を預けるのは、怖いだろうなあ…と思う。

まあ、そっちの車校は、近所に“聖地”がいっぱいある。と言うのも本音だけど。


「あらくまさん、元気で仕事してるー?」

健次さんは納車に出かけ、代わりに麗子さんが麦茶持って来てくれた。

麗子さんは、最初は俺の事を娘と同じ熊ちゃんと呼んでたが、途中から“熊さん”に代わり(一応客だもんね)、”NHKみんなの歌“から大流行した”森のくまさん“の、お嬢さんが呼びかける”あらくまさん、ありがとう“から、いつのまにか、あらくまさんになっていた。なんか、子供の頃お祝い事と言えば親に連れて行って貰った日進町(現日進市)赤池の”キッチンあさくま“みたいだ。あさくまはその後チェーン化するが、元々は今も赤池にある”朝熊“と言う割烹仕出屋から別れた店だ。


ちなみに森のくまさんは、アメリカのボーイスカウト世界大会で歌われた、熊に注意しろと言う歌を、日本の代表が持ち帰って日本語に訳して歌っていたが、東京YMCAがこの歌を子供たちのキャンプソングとして使う時に、熊に殺される話じゃまずいと言う事で、落とし物を届ける話に変えたと言う。町に下りて来た熊が射殺されると

「可哀想」とか、この歌のイメージで言う人がいるが、熊は猛獣なので、イヤリングなど届けてくれない。住民にとっては命がけである。

と言う訳で俺は、麗子さんにとっては猛獣だけど心優しい存在。と言う評価の様だった。沖縄には熊はいないもんなあ…。


猛獣扱いはちょっと残念だけど、確かに俺は目付きがイヤラシイと言われる事がある。

ついつい目が胸元に行ってしまうのだ。

一度生命保険に加入した時、中年の勧誘員50代くらいの女性が、勧誘員の制服みたいになっていた胸の割れ目がはっきり見える開襟ブラウスを見せつける様に書類の説明をする時、ついついチラチラ見てしまい、あとで自己嫌悪に陥ったことがある。

「なぜあんなおばさんの…」


麗子さんは、40前じゃないかと思うが、10歳は若く見える。

背は多分173cmくらい(俺より少し低い。でもいっぺん背比べした時、俺の腰をお尻がぐいぐい押してきてドキドキした。足長い)で、長い髪をポニーテールに結んで、足首入るのか?と言うくらいの細いジーンズ。バイクメーカーのTシャツに膝までのエプロン。胸の割れ目は見た事ないが、横から見ると厚手のエプロンを胸がぐいぐい押し上げている。つまりそのままレースクイーンのトップになれるハーフ美人なので、あらくまさん呼ばわりは心外ではなかった。


「実はあらくまさんのチェリーに乗せて欲しいって」

「駄目です奥さん。そんな人妻と…」

「話最後まで聞きなさい!あたしは健ちゃん一筋だからね!」

冗談で言ったのだが、強い拒否反応に俺は縮み上がった。大体俺は大きい女の人が怖い。

でも精一杯虚勢を張って、冗談に冗談でフォローしようとして、さらに自爆。

「じゃあ近所の153cmくらいで、ウエスト細いのに、胸が重力に逆らってる女子高生とか」

おい俺、それ元カノだから。

「んな訳ないでしょ?そんな子あらくまさんにはもったいないわよ(グサッ)。大体ね。おっぱいなんか結婚して子供でも出来たら、下がってくんだから。あたしもアメリカ製のごっついワイヤー入りブラで持ち上げてんのよ」

要らないガッカリ情報ありがとうございます。じゃあ誰?

「陽子よ。胸なしの大女で悪いけど」


陽子ちゃんですかあ?10歳の小学生ですよ。

お母さん、俺はこないだ知り合ったお兄さんですよ。

あまりにも無防備じゃ。

確かに陽子ちゃんは、もう160cmくらいあるし、顔立ちはクオーターだけあって、化粧してない小学生の顔でも、充分目を引いた。

ただ色気は全然なくて、5分喋ればガキだとわかった。いつもタンクトップと短パンで、その辺の公園で蝉とってそう。

お母さんの忠告で、今年の春からスポーツブラをしているそうで、目の遣り場に困る事もなかった。


「うちね。こう言う商売だから、夏休みどこも連れて行けなくて。健ちゃんは休みの日にはモトクロス行っちゃうし」

健次さんは、モトクロスチームの監督で、休日はほとんどチームの人と整備や練習しており、モトクロッサー4台位をサニートラックに乗せてコースのある鈴鹿に行ってしまう。

レースのある日は奥さんに店任せて、前日夜から帰って来ない。

近くのスーパーに買い物に行ったり(奥さんの車はヨタハチだった)、映画見に行ったりするのが、陽子ちゃんの行動範囲だった。小学生だからね。保護者なしで学区外に出るの禁止だからね。


「このままじゃ、夏の生活の絵日記に何も書けないって泣くのよ。」

ああ名古屋市立小学校の宿題だ。懐かしいなあ。あの頃は、1ページずつ日付と天気を入れて行く、毎日科目が違う冊子が唯一の宿題だった。あとは読書感想文と工作位かな?要領のいい子は7月くらいで終わってしまう。俺は溜めてしまい8/20ごろから慌てて取り掛かるが、天気が分からなくて古新聞をひっくり返して天気予報で調べたりした。いずれにせよ“サザエさん”のカツオくんの様に、最終日に家族総出で宿題を手伝う。みたいな光景は、この夏休み日数分しかページがない名古屋市の冊子では、無かったのではないかと思う。その冊子の最後のページが“夏の思い出”と言う絵日記で、個人商店の子などはかなり苦労していた。お盆で独立した兄弟親戚が帰って来て、遊びに連れて行ってくれれば良いのだが、彼らも久々に旧友と会ったりするので、そうそう親戚の子供の面倒も見れない。


「そうか…。でも陽子ちゃん、俺の車には命が惜しいから乗りたくないって」

「最近はそれは言わないわね。熊ちゃんは、運転慎重だって」

「どこで見たんだよ」

「店に入って来る時に、一旦停止してから左折して来るって」

店は往来に面していて、駐車場までには歩道を横切る。俺は一度京都で店の駐車場に入ろうとする車の巻き込みで、エルシノアが転倒した事があり、車から出て来た人に、すみません怪我はないですか?バイク傷付かなかったですか?なんか異常があったら連絡下さいと、名刺と5000円を渡された事があり(怪我も故障も無かったので、この臨時収入は嬉しかった)、駐車場進入時だけは気をつけていたが、運転は下手な方で、同乗者にはよく注意される。

ともあれもし本当に陽子ちゃんが乗るなら、初めて助手席に乗る女性と言う事になる。

「もし良かったら、どうかな?」

「まあ良いですけど、いつ?」

「出来たら明日の土曜」

「そりゃ急な」


とりあえず帰宅して、ガソリンスタンドに行き、洗車してもらう。いつもは家で適当に水をかけて汚れを取るだけだが、今日は手掛けワックスまでして貰った。ガソリンも満タン。床屋に行こうかとも思ったが、なに小学生のガキ遊んでやるのに、そこまで…と思い直した。財布に金は?

ある。一昨日下ろしたばかりで一万ちょい。俺は大学の頃の習慣で、少額ずつATMで下ろしていた。実家住まいで、金のかかる趣味も(まだ)無かったので、給料の残りと、4月から勤務なのでそれほど出なかったボーナスで、チェリーの支払いは終わっていた。


新しい(中古だとしてもだ)車に初めて乗せる女性。というだけで、ちょっと変なテンションだったと思う。まあ陽子ちゃんは、外見だけなら大人に見えないでもない。でもあくまでも今回は

「親に構って貰えない、可哀想な子供のお守り」が目的なのだ。夢々勘違いしない様に。

しかし、そんな決意はあっけなく打ち砕かれた。


店で待っていた陽子ちゃんは、いつものタンクトップと短パンでは無かった。

麗子さんに借りたと思われる(正解!麗子さんが中学生の時に着ていたものだとか)ミディ丈のサマードレス。お出かけ用に赤のれんで買ったサンダル(俺に気をつかってか、踵低め)、いつもツインテールだった髪は麗子さん渾身のカーラー多用の縦ロール。なんか分からんオシャレな帽子。

サマードレスってわかるかな?ウエストから上の背中が全部開いていて、前は首の後ろで結ぶ奴だよ。

白いドレスで柄は赤とオレンジのハイビスカス。

つまり峰不二子(一部残念)が立っていた。

まあモデル立ちしてる訳でもなく、俺が来たので喜んで、ぴょんぴょん飛び跳ねていたが。


例によって健次さんは練習に行ってしまっていたが、麗子さんに伝言二点を残していた。

「事故るなよ。手出すなよ」

まだまだ子供と思っていても、娘の今日の仕上がりに、軽く動揺を隠せなかったらしい。

麗子さんには、

「気をつけてね。傷付けたら責任取ってね」とドスの効いた声で言われた。

頼まれたの俺なんだけど。

と思いながら助手席に座った陽子ちゃんを見ると、化粧はしてないが、お母さんにピカピカに磨かれた肌(女性はこの時期の肌コンディションを再現するためにこの後の人生全力を挙げる訳だ)。まつ毛だけちょっとマスカラ?唇がツヤツヤしてるのはリップクリームかな?

これは可愛いわ。これで話すと小学生なんだから、ギャップがたまらんな。

レディ陽子ちゃんが口を開く。


「熊懐、車出してちょうだい」

調子のんな!





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