第18話

まだまだ子供と 思っていても

下手すりゃおいらは TKOさ

その気になって 迫ってみても

泣き出されるのが オチだけど

(マリールー ブルース)


うちに帰って早速日産チェリーのページを読んだ。

FF(フロントエンジンフロントドライブ)の発想は自動車が作られた初期からあった(馬なし馬車と言う発想を考えれば、駆動装置が前にあるのは普通)らしいが、駆動と操舵を同じ前輪に伝えるジョイント部分の耐久性がなく、量産実用化されたのは、英国BMCのミニからである事。ミニはイシゴニス方式と言う、変速機を横置きエンジンの下に配置する方式であったため、整備性が悪く普及しなかった。イタリアのフィアットがエンジンと変速機を一列に並べるジアコーサ方式を開発し、これが主流になった事。


日本ではなんと1955年にはスズキ自動車がエンジン縦置き式の“スズライト“を発売し、以後フロンテシリーズと言うFF車を製造していた事。ホンダは1967年に軽自動車のN360を発売。人気になった。

この辺までは、俺の少年時代の話で、いちいち記憶がある。だがプリンス自動車がFF車を開発していた事は知らなかった。


プリンスと言えば小学校中学校時代憧れの自動車メーカーである。前にも書いたが、スカイライン1500のボディを延長し、グロリアの直列6気筒2000ccエンジンを押し込んだスカイライン2000GTはポルシェ914と死闘を繰り広げた。日本グランプリのカテゴリーがスポーツカークラスからプロトタイプクラスに変更されると、プリンスは直列6気筒DOHC 2000ccエンジンを運転席後部に積んだプリンスR380を開発し、スピード記録を樹立。日本グランプリでは、ポルシェカレラ6に勝つと言う快挙を成し遂げた。


レースでは俺たちのヒーローだったプリンスだったが、スカイラインとグロリアの販売は思わしくなく、起死回生策として1000ccクラスの小型車を開発していた。しかし結局プリンス自動車は日産に吸収合併されてしまう。

R380のエンジンをデチューンして搭載したスカイライン2000GTRは合併後日産から発売され、たちまち日産のスポーツ車のドル箱になった。

日産にはフェアレディZと言うフラッグシップがあったが、日産は強力な二枚看板を持つことになった。


同様に日産は小型車部門ではダットサンサニー(サニーではなくダットサンサニーが正式名。驚く事にソニーと名前が似ていると、お上から横槍が入ったと言う。ソニーは自動車出していないのに)が、トヨタカローラと販売戦争を繰り広げていた。

同社のブルーバードと競合しない様1000ccの小型車としてスタートしたが、すぐにトヨタがカローラ1100を発表し、“プラス100ccの余裕”、“隣の車が小さく見えます”と言う強烈な比較広告を打ち出した。日産は対抗してサニーを1200ccにアップ。結果1000ccクラスのベーシックな小型車が空白となった。


軽自動車の大流行に対抗する普通車最小排気量のモデルとして、旧プリンスが密かに開発していた小型FF車が日の目を見る事になり、チェリーが発表された。さらに購買層の若者のスポーツ志向にアピールするため1200ccエンジンを積み、吸気効率を上げパワーを稼ぐため、レースカーに採用されていたツインキャブ(キャブレターを2基搭載すること)仕様としたチェリーX1、チェリークーペX1を発表したが、軽量のくせに雨の日の発進で車輪が空転する程のパワーがある事、当時ミニやフィアットオーナー以外誰も経験していない、FF特有のアンダーステア(ハンドルを切っても曲がりにくい特性)と、それをカバーするためのタックイン(コーナー進入時に一旦アクセルを戻す事で、スムーズに曲がる技法)を知らないドライバーには、特にX1シリーズは大変扱いにくいと評価されたらしい。


「なるほど、だからあの子はじゃじゃ馬と言ったのか」

エルシノアも理由は別だが、曲がらない時があり、強引にリーンアウト(意識的に車体だけ倒す事)で曲がる事があった。

「じゃじゃ馬、上等じゃないか」

と思ったのが、間違いの始まりである。


俺は毎日通勤のバスから、

「まだある、よしよし」と眺めながら休日を待った。

大安とかは気にしないのだが、出来るだけ天気のいい日だといいなと思ったら、なかなかいい天気。

帰り乗って帰るつもりで、エルシノアでなくバスで行った。

バス停で降り、中古車屋へ。

「こんにちはー」

「ついに決心ついた?」

「はい、調べたらチェリーX1って面白い車なんですね。俺プリンス自動車大好きだったんで」

「そうそうチェリーはプリンスの忘れ形見だからねえ。じゃあ書類作るから実印と印鑑証明が要るんだけど」

「実印?ああ成人記念になんか立派な判子貰ったけど」

「登録してある?」

「そう言うの要るんですか?」

「区役所行ってさ、実印登録ってのして印鑑証明1通貰ってきて、あ!車検もあるから2通だ」


そういえばこのチェリー、ナンバー付いてなかった。車検2年付き諸経費込みで19万って、安っ!

車代いくらなんだ?

「コミコミって言っても、自動車税と自賠責は別だからね。後は任意保険だけど、うちで入る?」

任意保険は父の会社の親会社が代理店と言う事で、そちらでお願いする事になっていた。

「じゃあ、車庫証明とかやっとくから、実印と印鑑証明、ちゃっと行ってきて。え?バイクじゃないの?」

今日乗って帰るつもりで置いてきたと言ったら、気が早いと笑われた。バスで家に帰り、実印候補の印鑑を持って区役所に行った。


実は俺は成人式に出ていない。当時の成人式は、きちっと1月15日の成人の日に行われたので、年明け8日からいきなり後期試験が始まり、その後2月始めから大学入試が始まる関西の私立では、1月15日に帰郷して式に参加するのは至難の技。

まあ俺はわざわざ帰ってあいつらに会うのも嫌だったので、もとより参加の意思はなかった。成人式に出席すると実印・認め印のセットを貰えたらしいが、篆刻が趣味だった父が用意してくれていた。

しかし隷書と言うのは読めんなあ。

無事にエルシノアで区役所に行って実印登録をし、印鑑証明を貰って中古車屋へ。

書類に捺印して翌週の大安に受け取る事にした。


指定された修理工場に行き、鍵を受け取る。

最初のドライブは室井さんの店まで。

店に辿り着いたら、室井さんが飛んできた。

「おい!なんかボンネットから煙が出てるぞ!」

降りて見て見ると、確かに白い煙!昔のサイレント映画だとこの後ドアが外れて、タイヤが全部取れてガシャン!となるシーン。ボンネットを開けた室井さんが、

「うわひでえ!エンジンに乗せっぱなしのウェスが焦げてる。危うくエンジン爆発だぜ!」

修理工場と店が近くて良かった。

「あの店時々こう言うポカやるからなあ。これから修理は日産プリンス店で頼んだ方がいいよ」

電話で室井さんが静かな怒りを伝えると、程なく工場長が菓子折持って謝りに来た。

安い仕事なのに部下のせいで。中小企業の中間管理職は大変だ。


工場長が帰った後、娘の陽子ちゃんが帰ってくるなり、

「わっ!両口屋だ!開けていい?」

「こら!これは熊懐さんの!」

「ねえ、熊田さん、開けていい?」

「熊懐だけど、いいよ。みんなで食べよう」

「やったー!おおっと千成りだ!私赤いやつとっぴ」

ガタイは大きいが、子供である。

俺も子供の頃、普通つぶあんの千成り(上品などら焼きみたいな名古屋名物。千成りとは豊臣秀吉の旗頭、千成り瓢箪の事である) だが、贈答用の一箱に一つか二つ、白い餡とか、赤い餡のものが入っており、俺も姉と争奪戦になった。ちなみによく言われるひやむぎの赤いのを取り合った記憶はない。俺にとって、ひやむぎは余り好きでない夏の昼食なので、味が同じで色が違うだけの小麦製品には興味が無かった。しかし千成りの赤は味も違うのだ!


麗子さんがお茶を入れてくれ、みんなで千成りを食べた。

前回俺のことを散々に言った割に、お菓子くれるお兄さんにはすぐ懐く小学4年生。

ただ俺の事を熊田呼ばわりするのは許せない。これでも先祖は某県の武士の家柄。

「くまだき?めんどくさいよ。もう熊ちゃんでいい?」

「こら!陽子。仮にもお客さんだぞ!」

いやほんとのお客なんだが。


室井さんと奥さんが仕事に戻った後も、陽子ちゃんは、まだ3つ目の千成りに手を出していた。

ああそれは家に持って帰ろうと…。

学校での出来事の話題に飽きると(カッコいい男子がいない。6年でも背が小さいそうだ)、今度は同席してたら確実に口を塞がれる両親ネタ。


室井さんは麗子さんと同じ高校。麗子さんは一年先輩で、高校時代女子バスケのエースで全国行った事があるそうだ。

身長のせいで男子バスケのレギュラーになれなかった健次さんを、麗子先輩が励ましているうち付き合う事になったらしい。周りからは蚤の夫婦とからかわれたが、当時そう言う逆体格差カップルを描いた漫画も大ヒットし、結局色々あって結婚したらしい。


別の日にそのことを聞いたら、室井さんは、あのやろう余計な事をと言いながら、

「まあかみさんは子供が出来にくい体でさ。陽子は凄い難産で、一時は母子ともに危なかったんだて。名医の先生が二人とも助けてくれたけど、もう次の子供は出来ないって」

俺も同じ様な生まれ方だったと言うと、麗子さんは俺の手をぎゅっと握って(握力強い)、

「お母さん孝行してよ!命がけで産んでくれたんだから。それなのにこの人ったら、未だに息子が良かったとか言うんで、陽子が拗ねちゃって」


沖縄出身でハーフだと言う麗子さんは、キャシー中島が痩せてた時みたいなグラマー。

親の仕事で名古屋に来た小学校で

「大女のガイジン(子供はいつも残酷)」といじめられた時に年下の健次さん(4年で学校をシメてたらしい)が庇ってやった事で

「あたしが先に惚れた」そうだ。

残念ながら麗子さんは試合中の事故でバスケ選手としては高3で引退したが、麗子さんの励ましでポイントゲッターになった健次さんを必ず試合で応援する姿は

「○高の嫁付きゲッター」として有名だったらしい。

二人の年齢から、すぐ結婚した訳ではないようだが、その後の話は今度ゆっくり聞こう。


話を戻して、初めてチェリーに乗った日のこと。

ちょっと乗せてやろうか?と言う俺の誘いを

「まだ命が惜しいから」と言う失礼な断り方をする陽子ちゃんと室井夫妻に別れを告げ、俺は帰宅したが、正直その言葉は正しかったと思うほど、帰りの道はアドベンチャーだった。


クラッチ踏まないとガクガクエンスト。

どこでシフトアップするかわからない(教習車はコラムシフト)。

速度出すのが怖いのでビュンビュン追い越される。

車間距離も分からず急ブレーキ踏んだりする。

しかもチェリーはちゃんと曲がってくれない。

帰宅した俺に母が

「なんか顔色悪いよ」と言うので、真顔で

「かあさん、運転って運を天に任せる事なんだね」と言ったら、本気で心配された。

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