第17話
星は瞬き 貴方と二人
閑けさの中を流れてく
あの頃もこうして 夢見てたわね
窓の外には 比叡の山かげ
懐かしい部屋で 別れる前に
最後の夜を 過ごしましょう
寂しくないわ 信じてたけど
ほんとに冗談 みたいね
これが愛の終わりなんて
(比叡のQuiet Night)
京都編は前章で大団円?を迎えたが、京都で作った歌詞が余ったので紹介したい。
俺のギター遍歴は小学校の時、父が古道具屋でクラシックギターを買ってきた。
かなり小ぶりなギターで、メリハリのあるしっかりした音色だったので、フラメンコギターだったのかもしれない。ラベルは有名メーカーではなく個人名の手書きのもので、手作りの高級品っぽかった。残念な事に表板の下部にヒビが入っており、それで安かったのだろう。当時の俺は表板の共振など解っていなかったので、立って弾く為に購入したストラップを短くして、切り取ったものをこのヒビの上に貼り付けた。
録音した当時はエレキギター弦で多くの支持を得ていたアニーボール社のガット弦と言う珍しいものを使っていた。ラテン系には良く合うギター弦だった。
このギターはある夜酔っ払って踏み割ってしまった。床に置いて置いた俺が悪い。暗闇で電灯の紐を探しての惨事。
惜しい事した。
ボサノバはブラジルのサンバにニューヨークジャズの洗練が加わった音楽で、当時大流行していた。
5-6弦を親指、他を残りの4本の指で弾いてリズムを刻む弾き方で、クラシック風に譜面に記す事も出来るが、譜面の読めない俺はコードで適当に弾いていた。コードはメジャー7と言う、ちょっと気だるいコードを多用していた。
Corcovado(英題Quiet Night of Quiet Star)はボサノバの代表的な作曲家アントニオ・カルロス・ジョビンの名曲。リオデジャネイロの街を見下ろす丘の名前で、両手を広げた巨大な白いキリスト像が立っている。新幹線がなかった頃、母が入院(俺を生んだ事で腎臓に深刻なダメージを負っていた)すると、横浜の祖父母の家に預けられたが、東海道線の大船まで来て、巨大な観音像を見ると
「ああもうすぐ着くな」と思った。
コルコバードのキリスト像を見て、それを思い出した。
幼稚園に行く前の幼児が親元離れて寂しかったとは思うが、祖父がめちゃくちゃ甘くて、フラフープでもダッコちゃんでもなんでも買ってくれたので、楽しみだった気もする。
アストラット・ジルベルトの気だるい、音程が合っているのか合ってないのか微妙な歌声で大ヒットしたこの曲だが、題名は知らなくても、夏にどっかの喫茶店とかに入れば、必ずこれか“イパネマの娘(こっちも名古屋に戻ってからわざと音程を曖昧にしたアストラット風口笛でカバーしている)”か、
「おー尾張旭ー。瀬戸瀬戸瀬戸ー」で始まる(嘘)マシュケナダのどれか、或いは全部を聞く事になる。
原語のポルトガル語版はともかく、英語版の歌詞はキリスト像の立つコルコバードの丘を、帝都の鬼門を守る延暦寺、伝教大師最澄のおわす比叡山に置き換えた以外は上の訳にほぼ近い。つまりジャスト失恋の歌。
大学時代全く恋愛に遠かった俺には、名古屋に戻ってしばらく逆ホームシックだった俺の心境の歌だ。
熊懐勤太郎(23)
家に戻ってから、何をしていたかと言うと、自動車学校(名古屋だとシャコウ。東京ではジコウらしい。当時の大学受験のバイブル“試験に出る英単語”を俺らはシケタン、東京ではデルタンと呼んでいたので、短縮方法に地域による法則性は無いようだ)に行っていた。
就職はなんとか決まり、職場までバス→地下鉄→バスで2時間程かかる事が分かった時、運転免許は急務になった。東京の親戚は、
「通勤2時間で乗り換え2回?近いじゃない」と言ったので、東京で働かなくて良かったと思った。
名古屋人の感覚では、この距離だともう自動車通勤しかあり得ないのである。
名古屋の会社は社員用駐車場が無いと人が来ないのだが、例え有料の駐車場を借りても自動車通勤したいのである。自然朝は大渋滞になるのだが、その為に2時間以上前に出ても、早起き出来るのである。座れない事が多いバスや電車より、自室の様に快適な車内で座って通勤したいのである。
畢竟東京人に比べ、名古屋人のデブ率は高い。タバコ買いに行くのでも車に乗って行くからである。
エルシノアと言う選択肢もあったが、スーツ着用が必要だったので、ちょっと難しいと思った。
スーツは成人式に作って貰ったイージーオーダーの三揃えでとりあえず通った。俺が生まれた時母が保険に入り、満期返戻金で結構な額が手に入るので、独立資金になるかと思ったら、物価が上がり過ぎて、スーツ作るのがやっとだったと笑っていた。
父は理科系でパズルが好きだったので、自分で考案した一番簡単なネクタイの結び方を教えてくれた。
運動神経のダメな俺は実技で時間がかかってしまい、学科試験は休みを貰って試験場に行った。
夏過ぎまではそれでも都市交通で通った。
地下鉄駅までのバスで、通る道に中古自動車屋があった。
名古屋人は結構な金持ちでも子供に最初に運転させる車は中古車。と言う家が多い。
「どうせ壊いてまうで」と言う理屈だが、考えると初心者は事故前提なのは怖い。
その中古車屋には沢山の車があったが、隣がバイク屋なのも気になっていた。
信号で止まる交差点にあったので、自分が買うならどれにしようか?とキョロキョロ見ていた。
京都で学生をやっていると、自家用車持ってる奴に出会う事が少ない。バイト関係で免許を持ってる奴はいるが、年中混んでて駐車場も少ない京都市内では、バイクの方が便利なのだ。一人だけ院生の先輩(チューターって言う事で知り合った)で車持ってる人がいたが、なんとスバル360だった。一度乗せて貰ったが、趣味じゃなきゃ乗れない狭さだった。
雨の日に大学の正門で、傘もささず(屋根のある和風の門)立っていた、物凄く綺麗な南沙織風ワンレン女学生がいたので、カッパ着てエルシノアに乗ってた俺は、折り畳み傘を貸してあげようかと思った矢先、真紅のポルシェカレラがさっと滑り込んできて何事か話し、彼女は乗り込んでいった。彼氏とか知り合いとかじゃなく、完全にナンパのお手本だった。
その時俺の頭上に鳩の様な型の精霊が降り、俺は悟りを開いた。
「男は金。女は顔」
と言うわけで、自動車に夢中だった少年時代から遠く、俺は新しい車の知識が全く無くなっていた。
「えーと…あれは何だ?外車か?なんか目立つ車だなあ」
何よりもフロントガラスには大きく
「19万」の文字が…。
「安いじゃないか」
ある休日、俺はエルシノアでその店に行ってみた。
「こんにちはー」
「はーい。ちょっと待ってねー」
隣のバイク店から男が出てきた。30代くらいか?
「隣の中古車のことですけど…」
「ああ知り合いの会社でさ。うちが管理してるの。整備工場は提携してるところがあるから、大丈夫だよ」
「この車なんですけど」
「ああペケワンか。よく走るよ。ちょっと待ってね。カタログあるから」
男が中古車事務所の鍵を開け、カタログを持って来た。
「日産チェリーX1。1971年製。ツインキャブOHV1200cc。諸経費込み19万。持ってけ!」
と、言われましても…。
「まあ考えといてよ。色が目立つし、一番通りから見えるところに置いてるから、すぐ売れちゃうかもしれんけど」
それは困る。俺の心はこの派手なオレンジ色の、妙にイタリアっぽさを感じる小型車に傾き始めて来た。
「ただいまー。お父さんお客さん?」
ちょっと窮屈そうにランドセルを背負った女の子が立っていた。
「おう、ペケワンが買いたいってさ」
「へー物好き。こんなじゃじゃ馬を」
「こらっ!商売の邪魔すんじゃねえ、あっち行ってろ!」
「へーい」女の子はバイク屋の裏手に走って行った。
「もう生意気になっちまって。まだ4年生なのに。反抗期になった頃にはどうなる事やら」
「4年生!10歳なの?」
男は、予期してた質問と言う様に頷く。と言うよりわざと振った感じ?
「図体でかいでしょ?かみさん似なんだよ。それより兄さん、ホンダのエルシノアかい?珍しいバイク乗ってるねえ。ちょっと調子見てやるから、ガレージおいでよ」
バイク屋にエルシノアを押して行く。名古屋に来てまだ行きつけのバイク屋がなかったので、ここでもいいかと思った。看板にはヤマハ、スズキと並んでホンダの名もあったし。
ガレージの中には、レース用のモトクロッサーが2台程と、パーツ多々。エンジンが組み込まれたシャーシもあった。
「俺は室井健次。バイク屋とモトクロスのチームやってる」
奥さんとおぼしき人が麦茶を持って来る。確かに大きい。健次さんより頭一つ大きい。
「女房の麗子だ。大女すぎて貰い手が無かったんで、貰ってやった」
「なに言ってんの。あんたが“頼む。俺は背が170しかなくて、バスケの選手になれなかった。結婚して、でかい息子作ろう”って手ぇ合わせるから、仕方なくだよ」
「まあそう言う事もあったかな?」
なんか初対面の客にここまであけすけなのはどうかと思ったが、この夫婦はいいなと思った。
エルシノアを点検してもらい、買ってから一度も交換していないチェーンが大分減ってると言われて交換して貰った。2サイクルオイルはいいの色々あるよと言われたが、慣れた純正が良いと言ったら取り寄せ出来ると言うので、5本セットの1L缶を頼んだ。
「じゃあペケワンの件、考えといてね」
走り出すと、いつもより調子がいい。チェーン替えたせいか?新車の時、いやそれよりいいかも。整備の時、ちょっと乗って調子見させてねと、健次さんはモトクロス用メットを付けて10分程走って来たが、聞いた事がある。上手い人が乗ると、エンジンの調子が良くなると。
帰りに本屋で日産の車特集みたいなムック本を買った(まだネットで簡単に調べられる時代ではなかった)。
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