第15話

忘れられない 昔の出来事

思い出しては 悔やんだり

傾く影を 追うように

最後の朝顔 散りました。


いつまでも忘れない様に

開いた両手の間から

夏が落ちた

(夏が落ちた 2番)


この“夏が落ちた”と言う曲も当時録音したのだが、

結構思い出深い。やはり失恋の歌なのだが、前にも書いたNHK少年ドラマ(少年ドラマシリーズの中でも、高校の時毎週見ていた“タイムトラベラー”は、主人公吉山和子役の島田淳子ちゃんの純朴な可憐さで全国の男子高校生の心を鷲掴みにした。当時他校の物凄い不良が“あの子いいよな。俺らの周りのズベとは全然違う“と電車の中で話しているのを聞いた事がある。ちなみに彼女は後にイケイケ系を演じるのが得意な浅野真弓と言う美人トレンド女優になるのだから、女優って凄い。あと、この作品は筒井康隆原作で、原題を“時を駆ける少女”と言う。その後何度も映画、アニメでリメイクされるが、NHKのこの命名センスに、よく筒井先生激怒しなかったなあと思う)、長くなったけど、そのNHK少年ドラマシリーズの

“つぶやき岩の秘密(主題歌:石川セリ)”を何度も寮で弾いていると、この3つのコードを繰り返すだけのイントロが心地良いので、だんだんトランス状態(当時はラリると言っていた)になって行くこのコード進行を使って、一曲作れないかなと思った。


丁度前に作った曲が南沙織さんの名曲“人恋しくて”にメロディラインがそっくりと言う事に気づいて、慌てていた矢先だったので、歌詞だけをこのコード進行に移植して、ほとんどラップみたいな曲になった。この頃クラシックギターで練習していた(俺は譜面が読めないので、適当に自分で)“コーヒールンバ(俺たちの世代だとザ・ピーナッツ。俺の方が井上陽水よりも早い!ちなみに石川セリは井上陽水と結婚した!)を冒頭にして、俺が森田くんに

「サンタナのデイブ・ブラウンみたいに弾いてくれ」とリクエストした、印象的なベースソロで、”夏が落ちた“に繋がる。デイブ・ブラウンはサンタナの初期メンバーで、本当に簡単なフレーズしか弾かないのだが、実はラテンパーカッションロックバンドのサンタナ(映画ウッドストックで一番カッコ良かった)のドライブする疾走感を支えていた。という事が後から分かって(彼の脱退以降のサンタナがイマイチで)、日本でも再評価されたベーシストである。


歌詞の件で2つだけ。1番の”ひぐらし“と言う蝉は初夏から晩夏まで鳴いている蝉だが、声が他の蝉より小さいので、他の蝉がまだ羽化しない初夏が”ひぐらしのなく頃“なのである。当時はなんとなく使ってしまった。南沙織さんの名曲の歌詞(暮れそで暮れない黄昏時)に引きずられたのかも知れない(2番の古い手紙と言う表現も被ってる)。

現在では晩夏の真打、”ツクツクボウシのセレナーデ“に置き換えて歌う事がある。

「夏が落ちる」と言う表現は、京都の秋を表す言葉として、大変素晴らしい(自画自賛)。9月半ばに京都に戻ると、あっという間に秋が来る感じ。名古屋の未練がましく9月いっぱい残暑が続く夏に比べて、盆地の夏は潔く終わる。

この表現は俺のオリジナルなのだが、100年くらい経って、

「昔の人は、“京都の夏は落ちる”と申しました」

とか観光バスのガイドさんが言ってたら嬉しいな。


さて、本当にやるのかよ!と言うレコーディングだが、本当にやる事になった。

秋の連休。場所は実家。録音機材は?

横田くんが電気店でバイトしていた事は前に書いたが、彼は録音マニアで、列車の音とかも録音し、またいわゆる“2トラサンパチ”と言うプロ様のオープンリールレコーダーも持っていた。当時はFM放送生中継などのレコードにならない音源をこれで録音してコレクションするのが、ハイエンドのマニアの趣味だった。一般のオープンリールの2-4倍。カセットの8倍の速度で回すため、10インチと言うでかくて高価なテープが要る。曲数から言ってかなりのテープを消費するが、本格的な音楽録音はやってみたかったので、最終マスター以外のテープは持ち出しでいいと言う好条件だった。横田くんがバイト先の社員価格で、スコッチのオープンリールテープを提供してくれた。

レコーディングと言うと机型の調整卓を連想するが、それはまだまだプロ機材で、森田くんが部活で使う8チャンネルのボーカルアンプを借りてきた。これを使って録音とモニタースピーカーへの返しを工夫して配線した。マイク入力はプロ用のバランス接続ではなく、RCAフォンジャック方式だったので、レコーディング室まで長く伸びたコードのノイズ対策に延長部にアルミホイルを巻きつけた。録音機は居間に置かれたので、愛想のいい横田くんはなんでホイルを巻くのかとか、母の質問責めにあったらしい。すまん。

レコーディング終了の打ち上げで、母は自慢のカレーを振る舞ったが、ちゃんと炊きたてのご飯と、冷やご飯を用意していた。横田くんの

「カレーのご飯は冷や!」と言う信念を事前にリサーチしていたらしい。


姉は結婚して家を出ていたので、姉の部屋と俺の部屋が使えた。姉の部屋にはピアノがあるので、こちらでキーボードやギター、ボーカルの録音。

ドラムは俺の部屋で、両方が見渡せる廊下で、森田くんがベースを弾きながらコンダクターをやった。

勿論一発どりで、俺が一番迷惑をかけたと思う。

メンバーは

俺:ヴォーカル、ギター

ベース:森田くん

キーボード:篠崎くん

ドラムは篠崎くんが高校の同級生で、他のバンドで活躍している奴を連れて来てくれた。ドラマーだけあって車を持っていたが、一度乗せて貰った時、靴を脱いで、と言われたのにはビックリした。そう言う人がいるとは聞いていたが、そこまで車を大事にするとは…。

エレキギターは森田くんの部活の人だったか?

無口だが、確実なプレイをする人だった。

あと、女性ボーカルが要ると言う事で森田くんが後輩を呼んで来た。付き合ってたかどうかは知らない。


これだけの人々に参加して貰って、ボランティアと言う訳にはいかないので、親から借金して本当に薄給だが、僅かのギャラを払った。これは就職してから返済したはずだ(踏み倒してないと思う)。

本当に楽しい思い出だった。

俺が作曲した曲が1曲か2曲(一曲怪しい)。

元歌があるものが2曲。

後は森田くんが作曲してくれたと思う。

編曲は全部彼。

当時これでメジャーデヴューしてビッグになってやる!と思ってたかと言うと、まあちょっとは考えたが、出来上がったテープを聴いて、己の声の音程の定まらなさに、たらーりたらりと脂汗(蝦蟇の油状態)を流してからは、野望は持たなくなった。

多分他のメンバーは、録音中に気づいた事だろうと思う。

(森田くん関連で、今も“花の様なELE”を演奏してくれているバンドがあると聞いて、ちょっと嬉しい)


俺の実家。Bear Hug Studioでの2日間のリハーサルとレコーディングは、本当に懐かしく思い出す。

怖いもの知らずの20代だからできた事だった。

完了後にカセットへのダビングも横田くんにお願いした。カセットはマクセルだったかな?

パッケージは手書き(俺風な帽子屋が狂気の笑みを浮かべてる横に米国誌PlayBoyに出てくる様な、アメリカコミック風顔立ちのバニーガールが立ってる絵を描いた。これと歌詞カードを白黒コピーして、30本くらい作ったろうか?

勿論誰かがお金を出して買ってくれる訳ではないので、これらも持ち出しだった。

ソンガーシングライターとしての俺の

「First & Last」はこうして世に出た。

いや出なかった。


MAD TEA PARTY

マリールー ブルース

岩倉の秋

花のようなELe

コーヒールンバ/夏が落ちた

比叡のQuiet Night


レコーディングが終了すると、いよいよ就職活動と卒業論文も準備が始まった。

大学と言うモラトリアムの終焉。

そして第二の故郷とも思える、4年間を送った京都を去る。

そう言う季節がやって来る。


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