第10話

過ぎ去った冬を語れば 結ばれる二人の心

ティカップに花びら浮かべ いつしか影は流れる

星一つ貴女の指に 花一つ貴女の髪に

片寄せて窓を開ければ スミレ色の月は輝く

(MAD TEA PARTY)


ここ数話この歌が流れている。

これは恋の歌。

一度心が離れた恋人達が、再会してまた愛し合うと言う歌なのだが、実は失恋の歌なのだ。

一回生の夏。俺は生涯ただ一度の失恋をした。

と言うより、生涯ただ一度の恋愛だった。

高校時代の最高の思い出。最高の彼女だった。


中高通じて、俺のあだ名は

「クマゴロー」小学校の頃は名前通り

「キンタロウ」だったのだが、背が結構高い方で、太り気味(今よりは痩せてた)だったので、クマゴローが優勢になった。いつの時代もハンサムで勉強ができてスポーツ万能が女の子にモテるに決まっている。少しでも優秀な遺伝子を残したいと願う、人類と言う種としての当然の本能である。

「左近の少将様には、帝の覚えめでたく、和歌に優れ、蹴鞠も好く遊ばせたまふ、眉目都に並ぶものなく、あな尊し」とか宮中の女官達もきゃあきゃあ言っていたに違いないのである。


ただ世の中には常に違う好みの女子もいるわけで、

1.熊みたいで可愛い。

2.ぼうっとしてるところが、なんか深く考えているみたいでいい。

3.大きくて頼りがいがある。

4.他の男子より優しい。

こんなレアポイントを掬いあげて、俺に好意を持ってくれる女子は昔からいて、友達は多かった。

ただ一時的に急接近する事はあっても、恋愛に発展しなかった。

「そんな人だとは思わなかった」と言われて恋はいつもプロローグで終わった。


まずは俺はそんなご立派な人間じゃないのだ。

1.クマみたい?熊は決して可愛いくはない。無表情な動物である。アメリカの人気アニメ「Yogi Bear(邦題はクマゴロー)」はイエローストーン国立公園をモデルにした自然公園で暮らす一匹の熊が主人公だが、こう言う自然公園は巨大な灰色熊(最強熊ランキング第2位。1位はホッキョクグマ)その他の野生動物を、出来るだけ自然環境で生息させるための施設で、決してサファリパークなんかじゃない。周辺のハイキングコースやキャンプ場はレンジャーに守られているが、勝手に一歩奥地に入って“熊出没注意”のエリアに入ったら、頭を吹き飛ばされても文句は言えない。


世界一有名なテディベア(熊のぬいぐるみ。国民的人気のあったセオドア・ルーズベルト大統領が母熊を猟銃で撃ち殺したが、子熊は助けた。と言う結構血なまぐさいエピソードから、彼の愛称テディの名をつけた熊のぬいぐるみが爆発的にヒットした)くまのプーさんのイメージが強すぎて、熊=可愛いが定着しているが、例えば北海道山間部にお住まいの方は、違うご意見をお持ちだと思う。

誤解は困るので付け加えるが、俺は可愛いくない熊だが、凶暴ではない。臆病なので、ケンカはほとんどしない。一度寮の庭で、ブルース・リーごっこでじゃれ合っていて、つい巨体を生かしたラグビー流(高校の体育で習っただけ)スクラムで、空手の有段者を押し倒した時も、青白い炎を目に宿して

「もう一回来いよ」と言う彼に土下座して謝り倒した。


2.「クジラは海中で深く思索している海の哲学者」

みたいな、勝手な思い込みに過ぎない。

昔から俺は黙ってぼうっと他の事考えている癖があり、父にもよく言われた。父はペギー葉山のファンで、よく歌を口ずさんでいたが、特に

「風よ空よ雲よ」と言う歌が好きで、この歌に出てくる雲の様にお前は何を考えているかわからん。と言われた。まあ本当のところは俺の脳がマルチタスクに出来ていないので、一つの事に集中すると、他の事が疎かになるだけなのだが。これでも5歳の時はIQがかなり上位と判定された事もあるのだ。(あまりにもボーっとしてるので叔母が心配して小児神経科に連れて行った)、しかし成長するにつれて凡人以下になってしまった。

よく言えば悠然として、思索する大人(たいじん)に見えない事もないので、勘違いした女子が寄ってくる事もあったが、テストの点を見て去って行く。

ある子に言わせると

「オール満点とか、エジソンみたいに0点ばっかりとかだと天才を感じるけど、熊懐くん平均点過ぎ」

放っとけ!

まあ落語で言う

「ムク犬のケツ(どっちが頭でどっちがケツかわからん、ボーっとした奴)」


3.小学校の時、肥満児だった俺は健康優良児の学校代表になった。戦中戦後の食糧難時代の名残りで、当時は体重があれば健康とされた。実は運動神経ゼロで、ソフトボール投げは参加代表中最低である。

翌年俺は母に頼み込んで代表を辞退させて貰った。すると担任(生徒に全く人望の無い人だった)に呼び出され、なぜ名誉ある代表を辞退するのか、と詰問された。今ならば

「先生、もうデブが健康と言う時代じゃないですよ」と説明できるが、同じ事を思っていても、泣いてしまってしゃくり上げて声にならない。担任はエキサイトして、何度も詰問する。ようやく泣くと喋れなくなると息も絶え絶えに言うと

「そのくせ、直せ」と言って解放してくれた。

直せるか馬鹿!

頼りがいもない。俺は集団行動が苦手で、独りでいるのが好き。思いやりのかけらもない利己的なチキン野郎である事は、林間学校の肝試しで、ペアの女の子を置き去りにして逃げると言う、女子間の好感度を一気に下げた事件が物語っている。


4.俺が優しいと言うよりは、当時の男子は女子に優しくする事自体恥と思うところがあった。今でこそイジメが問題になっているが、当時はそんな事日常茶飯事だった。外見や性格、生い立ちをしつこく言い募る。俺も名前の事とか外見をずーっと言われ続け、あろうことか

「やーい健康優良児」と言う褒め言葉で野次られた事が、辞退の引き金になった事は言うまでもない。そう言う事は言うべきじゃないと小さい頃から教えられた俺は、その輪に入る事は無かったが、やめろと言う勇気はなかった。

そしてある事をきっかけに俺は、出来るだけ敵を作らず、外見上だけでも優しい奴と思われ、目立たない様に、自分の鎧を作る様になった。

事件は、中学一年の時起こってしまった。


中学一年なんて言うのは、小学校の延長だ。

いくつかの小学校から生徒が集まってくるのが中学だが、一年の頃は同じ小学校の友達とばかり話していた。小学生の頃から自転車で無闇に校庭を周回するだけのレースをしたり(時計が6時になるまで何回回れるか)、レーシングカーで遊んだり、生沢徹の幻のトップ(実はアナウンサーの間違いで周回遅れ)について熱く語ったり。親友だと思っていた。


未だに何が悪かったのかわからない。ただイジメの温床のような、件の担任の6年生とは違い、中学一年の担任の女性教諭は、生徒の身を案じ、いいところを褒めてくれる素敵な先生だった。俺は毎日が楽しくて、教科の英語も一生懸命勉強した。

きっと楽しすぎて、調子に乗りすぎたのだろう。

ある時から、友達が口をきいてくれなくなった。

そのグループは同じ小学校出身でも有力だったようで、別の出身者にもおふれが回ったらしく、誰も俺と喋ろうとしない。元より他の小学校出身者は余り接点がなかったので、無関心だった。

結局俺は3学期の殆どを欠席した。


実はその頃イジメられていた実感はなく、なぜ孤立したのかわからないまま、風邪で休んだと思っていた。でも親はかなり心配して学校にも相談に行ったそうだ。なんでも

「KKK団(熊懐と口きかん団)」と言うのが結成されており、担任も頭を痛めていたそうだ。4月から産休に入る担任は、教師が介入しても逆効果だと言う事は分かっていたので(旧担任ならイジメられるお前の性格を直せ。とか言いそう)、次年度のクラス分けで、イジメ首謀者と俺が一緒にならない様に配慮し、当時急激な都市化でマンモス化の一途を辿り、一時は学年20クラスを超えたので、アルファベットが足りなくなる事を考えて、クラス名が数字に変わった我が母校で、臨時に校庭(田舎の中学だけにやたら広かった)に建てられたプレハブ校舎に俺を入れてくれた。


さらに他の先生お墨付きの、正義感の強い頼りになる他小学校出身のリーダー的存在を同じクラスに配置してくれた。

彼(仮に佐竹としておく)は、新年度早々、1年の事を覚えている同じ小学校出身者が俺を遠巻きにする中、いきなり挨拶して友達になってくれた。彼は先生の評価通り、正義感の強い好人物だったが、決して主張の強い青春野郎ではなく、寡黙だがいつも側にいてくれて、本当に頼りになる奴だったので、凍りついた俺の心も次第に溶ける思いだった。

たまに教室移動で、件のKKK団に出会ってしまい、引きつって固まった時も、さっと別の話題を振って熊懐復活をアピールしてくれた。


ただ、俺はやっぱり状況が良くなってくると調子に乗る性格の様で、ある日他のクラスメートを馬鹿にするような陰口を叩いた時、

「熊、それじゃ奴らと同じだから」とだけ真顔で言われた。俺はハッとしてすぐ詫び、どうしたら彼の様に自然に振舞って、人望を得られるのか、観察する様になった。

性格が違うし、激しい対人恐怖(親しい友もいつか裏切るのでは?と言うトラウマ)も完全には消えなかったので、同じ様には出来なかったが、表面上だけでも、どうしたら人に嫌われずに生きて行けるか?佐竹ならこんな時どうするか?

を自分なりに身につける事が出来る様になった。

本当に感謝している。親友よ(実はその後音信不通になるのだが、それはまた別のお話)。


3学期まるまる休んだせいで、勉強は中の上から下の上へ下落していた。特に英語と数学は取り返しのつかない状態になっており、後々まで苦しめられる事になった。母は、不登校時は生きててくれればいいと思っていたそうで、勉強の事は言わなかったが元気になると、そこそこの高校に行って欲しいと欲が出て来てようだ。

“勤はやればできる子”と常に俺を過大評価する母だった。


一学期中間のテスト結果を見て流石にこれはマズイと思った俺は、母に佐竹が通っていた塾に行かせて欲しいと頼んだ。

この塾は規模も大きく、学費も高い。さらに学区の一番遠く、他の中学の学区にあり、バスで通う必要があった。実はこのマンモス中学も俺はバス通学だったのだが、さらに遠い塾にバスで通う事になり、交通費も馬鹿にならない。

「あの勤(雲男)が自分から塾に行きたいだと?!」

と両親の驚きは相当なものだったらしいが、自分で勉強する気になった!と言うだけで、

「金なんかだそうじゃないか!」と言う気になったらしい。さらに佐竹が行ってる塾。と言うだけで、母は納得したらしい。

俺が佐竹の話ばかりして、日に日に明るく、しかも落ち着いた性格になって行く俺を見て、両親の中で佐竹への信頼はMAXだったらしい。


学区を接していたその塾は、半分は隣の中学の生徒だった。

なんか高校に入る時の予行演習みたいだと思ったが、途中から入ってくる奴もやめる奴もいるのが塾なので、

「今日は新入生を紹介する」

みたいなイベントはない。

佐竹の横に座って、知った顔はいないか(特にKKK団。居なかった…。まあいたら佐竹が誘う筈がないが)キョロキョロしている俺だったが、後ろに座ってた子が佐竹の背中を突いて、

「佐竹くん、友達?」

と聞いた。見慣れない声だ。別の学校か?

「ああ、熊懐って言うんだ。よろしくな」と佐竹。

俺は振り返って、声の主を見た。



彼女がそこにいた。



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