第2話

熊懐勤太郎(21歳)

俺も京都に来て二年。大分京都人らしくなっただろうか?

関西以外から入学した学生は、最初はなんか嬉しいのか、あるいは早く環境に慣れたいという焦りからか、やたら京都弁を使いたがる傾向がある。

俺も寮その他の友人との会話で、

「じゃあ俺そろそろ行くし」

とか、言っちゃうのである。なんか動詞の最後に”し”をつけると、なんか京都人になった気がするのである。

実はこれは京都人には噴パンもので(京都人の朝食は圧倒的にパン)、偽物と容易にバレるのだが、京都の方はそんな時でも、

「京都弁、お上手どすな」と褒めるのである。


京都は学生さんに日本一優しい街だと思う。70年安保の時、デモ隊に機動隊が攻めかかった時も、逃げ惑う学生をあちこちの路地で、家の中から、

「こっち来なはれ」と匿ったという。ただ学生さんは卒業すれば帰るおひと。

「立派に出世して、また京都に遊びに来てくれたらええ」という存在である。

京都の地元意識は徹底していて、少なくとも戦前から住んでない人は

「他所から来はったひと」である。地域連合体的には幕末には住んではるのが正式で、名家となると応仁の乱の頃には住んでいないと。嘘でなく、貴族でなくても

「うちとこは、桓武天皇について奈良から移ってきた商人の家柄」とかいうのがゴロゴロいる。

大学のゼミでコンパやった時、一人の女学生に二次会いこうとみんなで誘ったら、

「うちとこ門限厳しくて…。前ちょっと遅れて帰ったら、お父さんに蔵に入れられてん」と真顔で言われた。呉服をしまう時の紙?を商っている問屋さんだとか(こういう伝統産業の分業にもびっくりさせられる)。


だから入洛して二年程の俺たちが、京都人ぶってもボロが出まくりなのだが、名古屋弁丸出しの俺が、なんとか京都人というか、関西人っぽく見せる喋り方が、実はあって、それは”関西弁をしゃべらないこと”である。

関西人でも、仕事上共通語(標準語という言葉は東京が威張りすぎで嫌い)を使わざると得ない事もあるので、そんな時自分は共通語のアクセントだと思っている単語をポロリと関西弁のイントネーションで話す。相手は、

「あ!この人、関西出身なんだ」と思う。これは関西人にもなかなか見破れない。

京都人は表と裏を使い分ける天才なので、関西人の中で一番共通語が上手だと思う。

でも時々ポロリと出ることがある。これを真似する。

京都に来てすぐ、

「ああ…。俺は今関西にいるのだ!」と感慨にふけった出来事がある。

車の来ない小路で、小学校低学年と思われる女の子数人が、運動会の徒競走の練習をしていた。一人が

「位置についてー」と言ったら、よーいどんを言う役の子がふざけて、

「にーについてー」もう一人ものってきて、

「さんについてー」と言いながら、一歩づつ前にでて、面白かったのかそれを繰り返して練習にならず、ゲラゲラ笑いころげていた。

これは例えば東京の小学生には理解できないだろう。

”位置”と”一”ではイントネーションが違うから。

そのくらいの小さな違和感を共通語にさりげなく混ぜるのがコツ。


このころ東京から来た友達と

「新幹線で、どこまで来たら関西弁になるか?」と話し合い、結論としては

「関ヶ原じゃないか?」ということになった。

確かに俺も車内販売のコーヒーを買う時、関ヶ原前だと、

「ねえちゃん、コーヒーちょう」関ヶ原過ぎると、

「すんまへん、コーヒありますやろか?」と言うように思う(嘘)。

この友人は入学時の自己紹介の時、地元出身の学友に、

「へえ、君の田舎、京都なんだ」と言って大爆笑を買ったやつなのだが。

東京弁で”田舎”は故郷の意味だが、東京人が京都を田舎扱いはダメだろ。


前置きが長くなったが、高校の頃から京都が憧れで、なんとか京都に来ることが出来た俺にとって、何気ない小路の片隅にお地蔵さんがあって、おばあさんが拝んではるのを見るだけで、感動してしまう。カメラがあったら撮りたいぐらいだが、学生の身ではカメラ買ってもフィルム代や現像・焼きまし代が出せない。

大学は街中にあるため、広大なキャンパスを確保できず(俺たちの卒業後郊外に移転した)、次の授業はここ。体育はここ。と結構歩いての移動があった。

体育と言えば、俺のいる寮の真ん前はテニス部のコートで、四年に一度くらい、そのテニスコートで、テニスの体育授業があった。

体育の単位が取れないので、卒業できない寮生への配慮だったらしいが、そういうことを口実に8回生(関西は留年がなく8年やって必須単位がとれないと、有無を言わせず退学。関東の留年ありの四年制の方が、実は優しいのかも)までズルズル居座る学生が多かったのも事実である。

「◯◯くーん、◯◯くーん?」

「はーい、ちょと待ってください。今行きまーす」

先輩が飛び出す。

こういう例外はあったが、ほとんどの授業や体育がメインキャンパスの近くの

校舎や体育館で行われ、サッカーの授業は御所の球技場を借りてやった。


そんなある日…。

いつものように、なるべく午前中の講義を取らないようにしていた俺は、9時頃に起き出し、朝食を我慢して、寮母さんが鳴らすベルをひたすら待つ。そんなやつばっかりなので、10時半頃には昼食準備完了のベルが鳴る。

安い食費で、工夫して作ってくれる美味しい昼食を食べて、バイクで大学に行く。

寮母さんは、はんなりした生粋の京都人で、俺たちは”ママさん”と慕っている。

学生運動盛んな頃は、刑事が聴取に来たが、

「捜査令状がなければ、寮には一歩もいれません」と仁王立ちしたとか。

本当に信頼出来る寮母さんだ。

相談事でたまに、寮母室(住み込みではないけど)にお邪魔すると、お茶とお菓子を出してくれるのだが、その日本茶が生まれて初めてくらい美味しく、

「京都の茶道楽(普段使いの茶葉の値段が一桁違う)」は本当だと思った。


さて、

俺の一日だが、昼食後バイクに乗って鴨川に沿って下り、大学に着く。

真っ先にするのは、掲示板の確認。休講連絡である。

大学専任の教授・助教授以外は、他大学から招く講師が多く、諸般の都合で休むことが多かった。

掲示板に休講があればラッキー。なくても90分の講義の始まり30分まで先生が来なかったら休講。事務の人が知らせに来る事もあるが、30分近ずくとカウントダウンが始まり、過ぎるとみんな帰ってしまう。

大阪から来る講師で、結構いつもギリギリの先生がいて、窓から見て、歩いて来ないことを確認して、

「あと5分」と帰り支度をしていると

「やあやあ遅くなったね」と入ってくる。何回もあった。

「山伏の世界」という、大変面白そうな講義だったので、珍しく休まず聴講していたが、年配だが背丈も大きく、短髪の額に傷がおありで、本当に修験道の修行者だったらしい。額の傷は真剣白刃取りに失敗した。30分直前に姿もなかったのが突然現れるのは、先生くらいの修行者になると、壁を登って来るに違い無い。それも忍者が蜘蛛の様に這い上がるのではなく、壁に垂直に歩いて…。と噂されていた。

正直大学の授業でこの講義が一番好きだった。

「関西ではね。普通のおっさんが、突然山伏になってしまうことがあるんですよ」


でその楽しみな授業のあと、次の授業は休講だった。

最後の5限は体育館で卓球。

「1時間以上あるな…、正反対だけど、あそこ行くか…」

そこは京都では有名な喫茶店で、山口県岩国市にある”ほびっと(ベトナム戦争に反対の反戦米兵を匿ったりしてたと言われる喫茶店。魔王=米帝に対するホビット)”という反戦喫茶の姉妹店とのことだった。

そんなに政治に関心があるわけでは無いが、やはりベトナムでのアメリカのやり方には、批判的な世論があるのだ。と言うわけで、俺みたいなノンポリでもそういう運動にコーヒー代でもカンパ(とは言わないか)できるなら…。と思っている。

もちろん、それ以外に黒髪ロングボブのすごい美人のウエイトレスさんがいることと、チリコンカーンなるメキシコの豆スープが美味しいので(そっちか)。

京都の喫茶店というのは、独特な雰囲気がある。

何冊かの本にも書かれた

「しあん・くれーる(思案に暮れる、から来たらしい)」などは観光客が多すぎて一回しか行かなかったが、先輩に連れた行かれた、凄い大音量のジャズが流れる

「蝶類図鑑(蝶の標本が壁にずらり)」

東山通りの、椅子が籐椅子で、真空管アンプでゆったりとジャズが流れる

「メルコ」などは、他の街にはないなと思う。

普通のコーヒー店でも、例えば三条通りのイノダ本店の様に、町屋の中の普通のお店なのに、中に入るとわー!、コーヒー飲んでわー!(最初からミルクと砂糖が入ってはる)と、俺みたいなミーハー京都ファンは感動してしまう。

学生会館の喫茶店で飲めば安くコーヒーが飲め、方向も体育館に近いのだが、

ここは雰囲気重視で、その喫茶店に向かう途中、


俺は運命の出会いをした。


商店の立ち並ぶ狭い歩道に駐輪された一台のバイクと。

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