不意に訪れた心の惑い

「それにしてもさ」

「ん?」


 今日の仕事場を見つけ、店開きの準備をしている最中、ヨウミに話しかけられた。

 お喋りせずに仕事をすることはほとんどないのだが。


「もう二年近く一緒に行商してるけどさ」

「あぁ。で?」


 ライムは俺のそばで、まるで俺の仕事を見学しているような感じで、俺の動きに合わせててっぺんの尖ったところをぴくぴくと動かす。

 冒険者の姿がないのが幸いだ。

 もしいたら、特に女性から黄色い声がかかってただろう。


「こないだのアラタの話を聞いてさ、自分の世界に帰る方法が見つかったら帰るって話あったよね」

「あぁ」

「探す気、ないでしょ」

「え?」


 ぎくりとした。

 米を研ぐ手も止まった。

 背中に冷たい物を感じる。


 確かに言った。

 決して誰かに言わされたのではなく、自分の意思で言った。


 仕事をしながら、帰る方法を探す。

 見つけたら、自分の世界に戻る、と。


 横目でヨウミの方を見ようとした。

 けど、視点が定まらない。


「……どうしたの? 手が止まってるよ?」

「そ……」

「ん?」

「そんなの、俺の勝手だろうっ!」

「!」


 体が固まった。

 思わず出た声の大きさに、自分で驚いたこともあるのだが。


「ご、ごめん……。そ、そうよね。お、お店終わったら、次の場所まで移動しなきゃいけないしね……」

「え? あ……、すまん。なぜか声がでかくなった……」


 ヨウミの声が震えている。

 その声で謝られた。

 けど、俺の声も……。


「……あの……どうしたの? 具合、悪い?」

「え?」

「いや、顔、ちょっと青いから……。休んだ方がよくない? ほ、ほら、ここまで来るのに歩き通しで、しかも気温高めだし……」


 ……少しでも具合が悪くなると、誰かが気遣って「学校休んだら?」なんて言ってくれた小学生時代。

 成長すればするほど、そんなことを言われることが減っていく。

 そして社会に出たら「それくらいで休むな」と、逆のことを言われることが多くなった。

 それどころか「お前がこの仕事をやるって言いだしたんだろう!」などと責め立てられ……。

 あ……。


「代わりにそれ、やってあげるから中で休んで……」

「……それは、無理だろ」


 いろいろと考えさせられることが一度に押し寄せてきた。

 元の世界に戻らなきゃならない。

 それは、俺はこの世界の人間じゃないから。

 けど、戻らなきゃいけないのであって、戻りたいのかどうかまでは……。


 いや、今はこの仕事をしなきゃいけない。


 なんせヨウミが作るおにぎりと俺が作った物とでは、食った後の体調などの変化に差があるんだとか。

 その評判を聞いてしまった。

 聞いてしまった以上、ヨウミには任せられない。

 そして俺がしなきゃいけない仕事だ。


 あれ?

 ……働いていた時、俺がしなきゃいけない仕事って意識、あったっけ……?


「で、でもさ、お客さんが来る頃には、ずらっとおにぎりを棚に並べてなきゃまずいでしょ? あ、そうだ、ライム、おにぎり包むやつたくさん作ってきてよ」


 忘れてた。

 おにぎりは柔らかいから、周りから圧迫されると歪んでしまう。

 けれど、硬い入れ物は量産できないし、できたとしてもかさばってしまう。

 ならばその処置は買った客に任せるとして、こちらでは先人たちの知恵に学ぶ。

 水筒づくりの際に、おにぎりを包装するための竹の皮も作る。

 ライムが仲間になる前はヨウミにやってもらってたが、俺がやってたとしても人の手での作業だから手間はかかるし時間もかかる。

 ライムが来てくれて、本当に助かってる。

 けど、なるべくなら依存したくはないんだけどな。


 仕事の指示ならヨウミの言うことも従うようになってきた。

 スライムのどこに脳味噌があるのか、つくづく不思議だ。

 が、まず、今、俺のすることは。


「……んじゃヨウミは水汲んできてくれ。水はいくらあっても十分ってことはないからな」

「うん、分かった」


 ヨウミはいつもの調子に戻ってる。

 俺も何とか手は動く。

 だが……心の中に引っかかるものがあり、その原因は絶対忘れちゃならないものだってことは分かる。

 仕事に集中すると、それを忘れるような気がする。

 が、仕事の手を抜くわけにもいかない。

 けど今している仕事は俺にとっては単純作業の米研ぎだ。

 手を抜こうにも抜くことができない仕事で助かった。


 米と一緒に水の中を、手でぐるぐるとかき回す。

 まるで、困惑している今の俺の心の中って感じがした。

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