第8話 美しき死顔

20年前、俺は何処にでもいる普通のサラリーマンをしていた。


妻の美和とは大学で知り合い3回生の夏から付き合い出した。


そして会社に入って二年経って結婚する。


俺達は夫婦と言うより最高のコンビだ。


女と言うより人間として大好きだった。


とにかく馬があったし、何をしても美和と居れば楽しくて笑い転げていられた。


結婚生活には何の不満もなかったし、この幸せが死ぬまで続くと何の疑いもなく思っていた。


ひとつだけ欠けていたのは二人の愛の結晶がなかなか出来なかった事位だか、俺は新婚気分が長く続く方が嬉しかったので文句はなかった。


美和はやっぱり女性だったので子供が欲しいとたびたび言う。


そして、結婚5年目にして妊娠した事が分かった妻は涙を流して喜んだ。


俺はまだ実感はなかったが美和の幸せそうな顔を見てるだけで嬉しかった。


そんな時に少し気になる事を美和が言い出す。


「最近歩いてる時に誰かに見られてる気がする」と言った。


「美和は美人だからみんな振り返って見るんだろ?」と俺は言った。


実際街に出ると男は必ず美和を見て振り返える。


中には通りすぎた後、再び戻って来て見に来る奴もいた。


「違うの。そうじゃなく、もっと薄気味悪い感じがする」と美和は恐がっている。


俺はその頃、仕事が忙しかったので気にはなったが、美和の勘違いだと思い込んで何も対策は取らなかった。


そしてあの日が来た。


俺は珍しく仕事が早く終わったので美和の好きなケーキを買って急いで家に帰ったが、美和の姿が見えない。


リビングにも寝室にもいなかった。


俺は買い物にでも行っているのかと思ったが、何だか嫌な予感がした。


その時、電話が鳴った。


「警察です。奥さんが何者かに襲われました。直ぐに病院まで来て下さい」と言われた。


俺は頭が真っ白になった。


何も考えられなかったが急いで病院に駆けつける。


受付で部屋を聞く。


病室に向かう。


部屋に入る。


ベッドに横たわる美和がいた。


じっと顔を見る。


美和の顔に涙の後があった。


頬に手を当てる。


まだ微かに温もりがあった。


俺は

「美和、早く起きろよ。こんな所で何してるんだ? 今日は仕事が早く終わったから美和の好きなケーキ買ってきたんだ。美味しいコーヒー煎れてくれよ」


と言って美和を抱き起こそうとしたら、誰かにに止められた。


「離してくれ。早く帰らないと、今日は美和の好きなドラマがあるんだ。間に合わなくなるじゃないか。邪魔しないでくれ。なあ、美和。早く帰ろう」と言って再び抱き起こそうとした。


誰かが俺を羽交い締めした。


俺は振り剥がそうともがいた。


別の誰かが腰にしがみつく。


俺は

「邪魔をするな」と大声で叫んだ。


それからの記憶が無い。


俺は酷く暴れたらしい。




どれくらい時間が経ったのか分からないが、気が付いたら俺は美和の実家に寝かされていて、傍らに美和の両親がいた。


二人とも泣いていた。


俺は美和の所に行こうと起き上がったら、義父が目にいっぱい涙を溜めて俺を抱きしめながら

「拳一くん。美和は天国に行ってしまったよ。赤ちゃんと一緒に」と言って号泣した。


俺はその時初めて美和が亡くなった事を理解した。


俺の喉から哀しみの声が飛び出す。


俺は辺りを憚らずいつまでも大声で泣き続けた。




やがて

「拳ちゃん、ごめんね」と美和の声が聞こえた気がした。


いや、聞こえたんだ。


俺は立ち上がって美和が安置されている、居間によろよろ向かった。


美和は化粧をされて、いつものように綺麗な顔をしていた。


「美和、ごめん」と言って俺はまた泣いた。


「許してくれ。美和」


俺は懺悔した。


「もう泣かないで。拳ちゃんは何も悪くない。だから私の分まで生きて」と、また美和の声が聞こえる。


美和の声が優しく俺を包んでくれた。


俺は少しだけ救われた。


俺は美和の顔を見ながら無理に笑顔を作って、

「うん、分かった。先に天国で待っててくれ」と答えた。


美和が微笑んだように見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る