龍の男


ありさは薄れゆく意識の中で、獲物を変え、あんずに襲いかかる二匹の獣の気配を感じとっていた。それは勿論あんずにも。


だが人間の視力で追えない相手への対処方など知るよしもない。そして考える時間も今はない。


(・・ならこれしかっ!)


少女はゆっくりと目を閉じる。よく格闘技を学んだ者が気配を察するために使う方法。だが限りなくゼロに近い可能性。・・失敗それは即ち死を意味する。


(・・チャンスは一度。失敗したら私だけじゃなくてありさも死んでしまう・・


そんなのは絶対にイヤ・・守りたい。あの笑顔をっ!もし、ほんとうに人以上の力が私にあるというのならっ)


『・・今この場でその可能性にかけるっ!!』


カッっと見開く両の目。自分の身体が軽くなり全身にみなぎる様なエネルギーを感じる。それらはあんずに勝利を確信させていた。


・・一瞬の出来事だった。おそらくは彼女自身も覚えていないだろう。サイレントの一匹は宙を舞い、もう一匹はアスファルトの上で沈黙を保っていた。


ドサッ


やがて宙を舞っていた物体が地面に叩きつけられる。即死だった。


『・・やったの?』


二体の身体から液体が流れ出る。辺りの暗さのせいで色は確認できないが、人でいうところの血液なのだろう。人でならざる物の亡骸。


それを静かに眺めているあんずの心境は複雑だった。大事な人を守ることができた。でもそれは自分が特別な人間の証明、めぐ、るり、ありさとは異なる・・存在。


ふぅっと力が抜けるのを感じる。今まで一度も使ったことのない常人離れした動きが身体に大きな負担をかけていたのだ。力のコントロールができない今のあんずにとっては諸刃の剣だった。こらえきれず膝をつく。


『・・さすがは特性変異人。やるなっと言いたいところだが、もうエネルギー切れとはな。拍子抜けだ。これでは次も堪えられるか疑問だがサイレント!!』


黒い影の声に答えるように先ほどの魔狼が暗闇から姿を現す。その数5。


『・・うそ・・ま・・た・・立ち上がら・・なくちゃっ・・』


少女はおぼつかない足取りで立ち上がり後ろを振り向く。そして視線を下げると、気を失っている親友の顔をみた。


(・・ありさだけは何とか守りたい・・でも、この動かない身体でどうすれば・・)


『・・はっ!!』


あんずが気づいた時にはもう、5匹の魔狼は獲物(自分)に向かい走り出していた。


『ぐっ・・もうだめ!!』


瞼を閉じて死を覚悟する。


・・不思議だった。あんずは何度もその魔狼の

スピードを目にしていた。人の目では追うことのできない速さ。もうすでに自分はその攻撃範囲にいるはずなのだ。


しかし、音もしなければ気配も感じられない。恐る恐る目をあけ現状を把握してみる。


『・・えっ!?』


空いた口が塞がらなかった。少女の人生にピリオドを打つ筈だった魔狼たちの胴体は、それぞれが宙を浮かぶギロチンに囚われて身動きのとれない状態になっていたからだ。


首より上を固定され、前足や後ろ足をバタつかせてもがく様はとても悲壮感が漂う。ギロチンの上の重量感のありそうな刄がサイレントたちの行く末を示しているようだった。


『怪物にも恐怖というものがあるんだねぇ、一つ勉強になったよ』


何処からか聞こえる男の声。まだ若干幼く感じられる。あんずはキョロキョロと辺りを見回しその声の主を探す。


『探す必要はないよ・・すぐにいくからさ』


この生きるか死ぬかの緊張感がはりつめた空気に合わない陽気な口調。まるで簡単な用事を済ますようだった。


自分を助けたところを見るとどうやら敵ではないらしい。何故かその誰かもわからない相手にあんずは安心感を覚えた。緊張がとけ、その場にペタンと座り込む。


(・・助かった。でもなんだろう一度も逢ったことないはずなのに・・信じられる・・それにあの力・・私とは比べ物にならない・・一体何者なの)


『まぁよくやったか・・もうちょっとペース配分を考えるべきだったが、友達を守るためにしたことか・・ふっ、この腐った世の中にもそんな奴がいたんだな・・


・・おいっ、そこのあんた・・狼ばかり出して芸のないやつ。他のことはできないのかよ?』


『な・・なんだとっ!・・ぐっ!・・この私を馬鹿にするとは・・人間風情が死にたいらしいな・・』


見下していた人間に罵られ黒い影は初めて感情を露にする。


『・・よかろう、貴様から殺してくれるっ!!』

『あっ、そっ・・とりあえずは邪魔な犬達を片づけちゃおうかな!』


その言葉の終わりと同時に無慈悲に振り下ろされる5つの刄。ドンッっという音とともに魔狼たちの首と胴体が別れをつげ、ゴロリとアスファルトに転がる。


『ここにこいつらの死体があると町中が騒ぎになるな・・消しとくか』


止めどなく噴き出す血の噴水を眺めながら男は呟く。


ゴオオォォォォ!!


辺り全体が赤く染まる。どれは物凄い熱さなのだろう、サイレントたちの焼落ちた姿や、臭いを感じさせない程の・・蒸発と世間では言われているもの。そのまわりに火の粉すら飛ばないのは神業としか例えようがなかった。


『・・すごい・・』


あんずはその信じられない光景を目のあたりにして、思った気持ちが自然と口からもれていた。・・それと同時に恐怖も。


(今は味方になってくれているようだけど、もし敵にまわってしまったら)


そう思うと素直に喜ぶことができない。


『・・あれほどの業火を召喚するとは特性変異人のそれを越えている』


黒い影は初めて人類というものに脅威を感じていた。


『はっ!?』


あんずは目の前に何かの気配を感じ視線を向ける。そこでも信じられない光景が写し出されていた。


景色の一部が縦に割れそこから人影が現れるとその人影はゆっくりとこちらに振り返る。


『こんばんわ』


そして陽気に挨拶をする。


・・この者が、さっきから常識では考えられない光景を作り出していた張本人なのだろうか?とてもそうは見えない。


服装は下からシューズ、ジーンズ、今の季節によく見かけるTシャツの上にポロシャツという服装だった。そしてサングラスのようなものをかけている。


ただ珍しいのは、そのポロシャツに刺繍してある龍の絵柄だった。


『予想していた姿と違った?』

『・・え・・いやっ・・あの・・その』


急に声をかけられあんずはしどろもどろになる。


『・・くっ』


その少女の様が面白いのか男は口元を緩める。


『転移能力まで扱えるというのか・・馬鹿なっ!!』


『なぁ、今回は退いてもらえないか?・・あんたと俺が戦えばどうなるかぐらい予想できるだろ・・ぶっちゃけ死にたくないだろ?』


『・・ぐぅっ』


男は中々理解を示さない黒い影に苛立ちを覚えたのか声のトーンをさげ、口調を荒げる。


『わかんねぇやつだな・・見逃してやるっていってんだよ・・殺すぞっ!!』


自分より強きものに弱気ものは恐れを抱く。悪魔が人間に。という珍しい組み合わせではあるが。


『ぐっ・・わかった今回は退かせてもらおう・だが覚えておけ。貴様の魂は私がもらう・・覚悟しているんだなっ!!』


負け犬の遠吠え以外何者でもない。それだけの力の差を感じたのだろう。


『・・俺も一つ忠告しておいてやる。俺に対抗するために他の奴等の魂を食らうのは勝手だが次にその姿を見たときは容赦なく消えてもらうこっちもなにかと忙しいんでね』


消えゆく厄の根元を見つめながらあんずは男の言った言葉を心の中で思い返していた。


(他の奴等の魂をくらうのは勝手だが・・それじゃ、他の人はどうでもいいってこと?


・・次にあったときは消えてもらう・・これって多分、死んでもらうってことだよね・・味方なの?)


『・・あのっ・・』


躊躇するようなか細き声。どうしても気になったあんずは男に後ろから声をかける。振り向く男。


『・・ん、お礼か?・・気にしなくていいよ。俺がしたくてしたことだからな』

『・・あのっ・・あなたは私たちの味方なんですか?』


予想外の質問だったのだろう。男は首をかしげすぐには答えを出せずにいたが、やがて理解したのか口をひらいた。


『・・その答えはNoかな。俺は口先だけで結局は自分のことしか考えていない人間って奴が大嫌いなんだよ。


あんたの友達を大切に思う気持ち、自分を犠牲にしてでも助けようとしたその行動に心を打たれただけのこと・・


なんか格好いいこと言ってるけど。つまりは他の人間達のためにこの力を使うつもりはないよ。』

『・・そう・・ですか・・』


(私はあの人に、敵にまわって欲しくなくて質問したんだ。・・あの強大な力と戦っても勝ち目なんてないから・・大切な人たちを守りたいって気持ちはほんとう・・


でも、その為にあの人に力を借りようとするのは私の身勝手・・。)


『・・う・・ううん・・いっ』


あんずは後ろの方で声がすることに気づいた。その声の持ち主がいるであろう場所に視線を下げる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る