第299話、龍の『火』

 球体をして暴れ回る乱流の漆黒。


 暴乱の黒月に晒されるマファエルは、蝕まれ、削られ、滅され、天使の身を成すがままに破壊される。


 地上の一部を消滅させ、埋もれていく黒い巨星。巨大な暴力の塊が天使ごと地底へ埋まりながら、滅茶苦茶に壊し尽くす。


 天使と言えども、逃れる術はない。跡形も現世に残さず、消え去ってしまう。


『————』


 天使ならば、消えていただろう。


 しかし天使の格を割っても、素体側の“龍鱗”は破れない。傷付かない。天使の羽が破り捨てられ、粉々と散って消えていく中でも、尊き龍翼だけは力強く羽ばたく。


 マファエルは鉤爪で、軽く引っ掻いた。


「ッ…………」


 轟々と渦巻く黒玉を引き裂き、上空のクロノへ断空の爪撃が向かう。


 軽く身を捻って避けたクロノ。その向こうにある雲を割り、破壊の玉を裂いてマファエルが姿を現す。


 マファエルは降り立った魔王を名乗る男と向き合い、陽を取り込んだが如き熱を体内で燻らせる。沸騰する地面、体熱だけで燃え広がる炎。遠くの雪山すら禿山として、まだ熱波は高まっていく。


「…………」

『…………』


 “魔王”。それは後付けで当てはめられし、勇者と対を成す烙印。都合良く歪められた物語の印。断片だけを切り取られ、恐ろしくも悪役に祭り上げられた最も偉大なる御方。


 それを名乗る不届き者が現れる。


 【黒の魔王】だ。まさか本当に名乗れるだけの力を持つとは、信じ難い。けれど、これで排除すべき理由が一つ増える事となった。


『行きます』

「————」


 二人の姿が消える。爆速と超速で追って追われて、熾烈な肉弾戦が始まった。


 それでも辿る軌跡はハッキリと明瞭だった。


 炎龍の通った後の地面は熔けながら雲より高く舞い上がり、時に特大の炎が吐かれ、特に大爆発を起こし、変則的な軌道で地形を歪めている。


 そして、運河へと龍の息吹きが接触した際に、爆発の度合いは桁違いに。


「————っ!?」


 大爆発なのか、瞬時に蒸発したのか、辺りから水辺が失われて真っ白な濃霧に晒される。


 舞い上がる様々な物体により、気配察知は困難を極める。


『————』


 だが龍の嗅覚は数時間も共に過ごした匂いを、的確に辿っていた。


 全力で振られた龍尾が、背後から魔王を打ち付ける。


「くぁっ——————」


 打たれた人族の身体など、それこそ彗星を彷彿とさせた。異なるのは、重力も無視して飛ぶ事のみ。


 森を超えて山肌に埋め込まれる。


『————ッ!』

「っ……!」


 飛び出し、追って来るマファエルへ構えようとするも、〈不運〉が魔王を襲う。


 途中、踏み抜いた場所からガスが漏れて引火。爆発で吹き飛んだところへ、龍爪を右肩口でまともに受け、虫の如く叩き落とされた。


 山は切り裂かれ、魔王は傾斜を滑るように飛ばされる。先程まではまだ森だった荒野まで転げ落ちた。


わたしを相手に勝機は望めません』


 飛び上がり、いとも容易く吐き出される龍の炎球。人で言うなら、溜め息のように易々と生み出される炎弾だ。


 けれどそれは龍が放つ赫赫たる赤光の炎。


「っ…………!」


 既に対抗して用意していた至極の〈玉〉で迎え討つ。漆黒の巨星で迎え討つに相応しい灼炎の塊なのだ。


 撃ち出された流星は瞬く間に巨大化し、炎球とほぼ同程度となって競り合う。混ざり合いながらも優劣を競い、黒を焼こうと灼炎が滾れば、炎を呑もうと闇黒が喰いかかる。


 容易い最高火力と渾身の最凶魔力は、一歩も譲らず拮抗していた。


『……ッ————!?』


 眺めていたマファエルの背に、強烈な衝撃が走る。


「悠長だな。遊び気分は抜けないか」


 上空から飛び蹴りを刺し、天使の両羽を掴んで急降下させる。蹴りの速度を引き継ぎ、急速で墜落する。


『……〈不運〉』

「っ、都合の良い能力だッ!」


 またもや不運が訪れる。


 悲運な事に本日二度目の隕石が、偶然にも魔王へ着弾する。だが今回は、学習して気配を察した魔王により掴み止められた。


 しかしそれで、片羽は自由を取り戻す。


 片方だけ羽ばたき、勢いを付けて殴り付ける。


「っ……!」


 隕石を握っていた右手で受け止められ、揉みくちゃになりながら地上へ落ちていく。落ちた瞬間に明暗を分けたのは、技術の差だった。


 魔王は落ちる間際に空を蹴り、体勢を立て直す。不恰好に不時着したマファエルへ回し蹴りを当てた。


『ッ——!?』


 飛ばされるマファエル。超速で先回りしていた魔王にまた殴られ、先回りして打たれ、迅雷を超える連撃が六度も続く。


 しかし、また不運は訪れる。マファエルの戦い易いように捻じ曲げられた、些細な不運だった。


 熔ける大地の足場は選んでいた筈だが、運悪く足場が滑ってしまう。靴などが溶岩流に埋まり、溶かされていく。


「っ!?」

『勉強になります』

「っ————」


 意趣返しの七連撃が始まった。魔王を見習い、力と速度を暴力的にぶつける。不条理に速く、理不尽に強くぶつける。


 飛ばして先回りする最悪の龍撃。龍爪、龍拳、龍尾で紡がれる悪夢の連撃。一打一打で地を大きく揺るがす打撃を返し、またマファエルに龍が馴染む。


 けれど、これだけ高め合って、互いに傷ひとつ付かない。超越者同士が傷付けあって、力を奮い合って、それでも傷付かない。


『あなたは恐るべき御方です』


 そして、マファエルは決断する。


 魔王へと、龍翼を羽ばたかせた。送り込まれる龍の炎風は、魔王を足場ごと易々と吹き飛ばす。


「ッ……!」


 吹き飛ばし、灼炎の大竜巻を幾つも巻き起こして、また新たな煉獄を作り出した。


 これでも魔王が死ぬ事は当たり前にないだろうが、少しの猶予が生まれる。


『“龍罰りゅうばつ”というものをご存知ですか?』


 神罰と同じく、いや神罰を超える龍罰。


 天上天下、その狭間すら焼き尽くす、龍が与える万物への罰。永劫に地を焼く炎の刑罰。


 単純な極限火力のみならず、罰でなければならない。その炎は消える事なく、永遠に燃え盛る事だろう。


 龍の気を悪くする愚かな者達が忘れぬよう、他の者達が龍を手間取らせぬよう、世界へと刻み付ける訓戒だ。


 高く高く、空高く、天高く昇るマファエル。


『————————』


 宙と空の境目で、煌々と神威の輝きを放ち始める。


 それはほのおほむら、『』。原初の利器にして、神より簒奪せしめた始まりの自然威。最強種が持つ禁じられた超威。


 陽を吐き出すように、龍罰の『火』を地上へ落とした。


「————っ」


 体勢を立て直して身構える魔王。


 気配を察して見上げれば、極小に閉じ込められた太陽が落ちて来る。燦々と輝きを放ち、天から最大の“火”が落ちて来る。


「っ……——————————」


 魔王より僅かに外れた位置へ、境界線から放たれた龍罰が到達する。


 龍の炎華が花開く。滅火の飛沫しぶきが地上を罰する。超爆発を続け、灰燼は果てしなく続く。数多存在するこの世の何かを、一切平等に瞬間焼却して尚も猛る。


 森を越え、河を越え、山を越え、それら自体を含めて範疇にあるものが総じて失われて、尚も燃え続ける。


「…………」


 遠く離れるセレスティアは、視界全域にて目にしてしまう。


 雲にも届かんばかりの……雲も空も焼き尽くす巨大な炎の魔神が、何体も暴れて見えた。踊って見えた。山をも見下ろし、足蹴あしげにし、炎の魔神達の暴虐は二度と止まる事はない。


 龍炎により炎渦が巻き起こる滅界が、世界の一角に誕生した。

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