第298話、漆黒の星

 一つ目の不運、『隕石』。


 宙を流れる金属片は遠く空の向こうから、引力に導かれて落下する。加速するに連れて空気を割り、摩擦熱により燃え上がりながら、地上の一点へ落下する。


 ただ法則に従って落ちる硬度の高い物質だ。自然法則に則り、宙を漂い、流れ、引かれ、落ちた。


 それが、当たった。


 龍の爪を指先で受け止め、空いたクロノの右脇腹へと不運にも命中してしまう。


「————っ!」


 想定外の不幸に遭い、戦闘中の身体が吹っ飛ぶ。


 小さな金属の飛来物と言えども、宙から落ちる速度は人が受けていいものではない。


「くっ……!」


 無傷と言えども驚きは大きく、マファエルが口走った単語を聞き取って嫌な予感を増大させる。


『————』

「っ……!」


 飛ばされて転がる先に回り込んでいたマファエル。身体を捻って振られる尾が、またクロノを打ち飛ばす。


 風圧で地面の表面が空高く剥がれ、高波となり、龍の尾力を遺憾なく示しながら。


 一瞬一瞬で移り変わり回転する視界でも、マファエルが顎門を開き、砲台を固定する様子は明確に確認できた。


 吐き出されるのは、言うに及ばず龍の息吹き。導線上の物質を片っ端から焼滅させる炎の濁流。滅火の砲撃だ。


「ッ————」


 魔力を溜めた足裏で空間を蹴り、宙空を真横に移動する。射線上から大きく逸れたと同時に、息吹きは放射された。


 直後、————滅却の灼炎が通る。


 まかり通る龍の炎。全生命の最高火力。予想通りに導線上の一切を滅して通り抜ける。悠然と繁る森も、聳える山さえも丸々と抉って、その炎は通る。


「っ……!」


 着地後に駆け出したクロノ。放射後の隙は埋め難く、狙い時は今だった。


 龍でも大技には隙ができるものだ。


 だがマファエルは龍に留まらず、天使だった。


「うおっ!?」


 二つ目の不運、『崩落』。


 マファエルを道半ばにして、踏み込んだ瞬間に地の底が抜ける。深さは三百メートル、幅は二十メートルを超える陥没穴の発生と、足を踏み入れた時機が不運にも重なってしまった。


 底には酸の溜まりがあり、暗く静かに落下を待っている。


 空を蹴って脱出するかを思案する瞬刻。既に龍翼は羽ばたき、マファエルの姿は頭上に移動していた。


「っ…………」

『そこに逃げ場はありません』


 息吹きも終わり切っていない内から飛び上がり、龍火の球体を放出した。


 巨大な炎弾。陥没穴を丸ごと塞ぎ、出口も逃げ道も塞がれる。


「ッ————!」


 即座に空中を蹴る。輪状に広がる魔力の波を残し、陥没穴の淵を突き抜ける軌道で脱出を試みる。


 炎が落ち切る寸前に土壁へ突っ込み、地上へ飛び出した。


『逃しません』

「ッ……!?」


 飛来したマファエルが後頭部を鷲掴み、大噴火を背後に残し、クロノを地面へ押し付けられながら音速を破る。燃える空気の壁を破裂させ、顔面を硬い地面へ押し付けて地表スレスレを飛ぶ。


 マファエルの後には砕けた石ころや土煙が空へ舞い上がり、見る者がいたなら悲惨な行いに目を背けただろう。


「…………」


 顔を地表で削られ続けるクロノは、静かに両手を引いた。魔力を両掌に集めて、地面を叩く。


 黒い爆発によって高速飛行するマファエルの軌道が跳ね上がり、クロノは着地の体勢を確保しつつある。


『っ————〈不運〉』


 効果なしと見たマファエルは、瞬時に〈不運〉を唱えた。巡り巡る運は太古の因縁を呼び起こす。


 三つ目の不運、『ベヒモス』。


 遥か大昔に生息した強大な魔獣で、巨象の身体と獰猛な牙を併せ持つ陸の獣だ。


 ベヒモスは通常の繁殖方法では子を産まず、卵を土中に埋めて、卵は養分として自然から魔素を吸い上げる。多くは栄養が足りず死んでいくのだが、身体を形成するまでに至る個体は、大昔の地上にあって強大であった。


 つまり何処で孵化するかは分からない。民は突如として現れるベヒモスを恐れ、現れた際には身を隠して去るのを待っていた。


 しかし、このベヒモスは違っていた。立ち寄った初代勇者により、作製された剣の試し斬りに使われてしまう。


 ベヒモスの首は飛ばされ、近くの土中に埋められる。大人しく埋められ、やがて来る復讐の時まで、眠る事を決めた。たった一撃だけでも報いる為に、溢れる生命力を温存して機を待った。


 そして今、目覚める。


「————ッッ!!」


 目の前の山から飛び出した、ベヒモスの頭。太古の生命を食い破って来た分厚い牙を剥き、マファエルへと噛み付く。


 しかしその前に、その道中に投げられていたクロノが、不運にも重厚な顎門へ放り込まれてしまう。


「くっ……!」


 反応したベヒモスに胴を噛み付かれながら、クロノは拳を握る。


 口内から脳天を突き抜けるように拳を突き出し、ベヒモスの頭を易々と粉砕した。


 弾けて消失するベヒモスの頭蓋。残った僅かな上顎を投げ飛ばし、頭上から迫る龍尾の鉄槌から退く。


 ——大地を割る龍の鞭打。


 ベヒモスの怨讐なども無関心に叩き潰す。尾っぽの先から割れ目は何処までも伸びていき、癒し難き裂傷を大自然に刻む。


「————」


 その尾を掴まれる。


 感じる握力、振る腕力、かけられる遠心力。どれもがマファエルに警鐘を覚えさせる。耳元で激しく鳴るのを自覚するのは、投げられた後だった。


 クロノによるマファエルの速度を超える龍投げ。遠くの岩壁へ突き刺さり、内部へ埋まっていき、姿を消してしまう。


「…………っ」


 けれど、しかし、これで終わるべくもないのは、互いに分かっていた。感触や手応えを通じて理解していた。


 ——爆炎を破裂させて弾ける岩壁。吹き付ける獄熱の熱風。内部から超熱を放ち煌々と昇り、更なる炎熱を体内で明滅させるマファエルが現れた。


 岩壁は熔けて滝のように流れ、弾けて打ち上がった燃える岩石が無数に降り注ぐ。地上を焼いて、焼き焦がす。


 龍が生み出すこの世の終わりで、二体の強者が目線を絡ませる。


「…………」

『…………』


 燃える岩雨に晒されながら、黒眼と龍眼が一時も離れず見つめ合う。


 互角のやり取りに、また数段階も引き出される互いの力。伴って高まる緊張感の合間に、ぶつかる視線を妨げるように炎が揺らめいた。


 ————既に目の前に、マファエルがいた。


 攻め手を待てども、音速すら生温い速度で飛翔を終わらせていた。羽ばたきは火焔の渦を四つだけ残して、マファエルを撃ち出す。


 炎熱による爆速は距離という空間を潰し、差し向けた爪を知る者はいない。感知される事なく絶対断絶するのみだ。


「————」


 しかし、まだ届かない。これでもまだ届かない。龍眼は空振る爪よりも、横合いへ回り込んだ男の動向を見る。


 瞬間的な移動に合わせて翼の生え際へ手を当て——押し潰した。


 地盤ごと圧し潰し、圧壊。天使の衣は破裂し、壊れた一帯の大地が宙空へ打ち上がる。殺意の証明をその身に知らしめ、地を砕いて表し、マファエルを更に奮起させる。


 羽ばたきで起き上がり、蓄熱を高めて構えた。


『…………』


 周囲を警戒しながら視線を巡らせるも、その姿はない。


 逃げたのだろうか。それでは直前までの眼差しが合致しない。むしろ姿を消す術か知覚を阻む能力などが考えられ、妥当と思える。


『………………ッ!』


 男の気配に気付く。それは頭上にあった。高く高く、雲を抜けて現れる小さな影。


「…………」


 空から落ちる。その手に膨大な魔力を溜めながら。


 打倒マファエルに選んだのは、魔力放出系の正解の一つ。クロノが辿り着いた一つの解答だった。


 強引な収束、過度の回転、異質な加速、必然な膨張。即ち放出系、その極地の一例。効率と撃破力を重視して編み出した〈ハンマー〉の行く末だ。


 無理矢理に、力付くで、汲めども汲めども目茶苦茶に集められる魔力が、嘆きの叫びにも似た甲高い異音を放ちながら、その時を待つ。


「——あげた技だけど、少し借りるよ」


 究極の発露。暴君が放つ破壊の魔力撃。


 無尽蔵に集い、荒れ狂う手中の黒粒を、眼下の天使へ投下する。薙ぐように振られた手から、黒球は溢れ落ちた。


『あなたは……何者ですか』

「俺は、魔王だよ」


 限界まで押し込まれ、乱然と渦巻く内部から膨張を開始する。狂い咲く〈玉〉。加速度的に加速し、巨大化して墜落。暗黒の巨星が、マファエルへと墜ちる。


『ッ——、————っ!!』


 天使の『衣』なき身に、昏き破壊は容赦なく通る。






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