第295話、ひとえに、処刑
〈寝所〉内に侵入していたセレスティア。アークマンが儀式に踏み入った後に、部屋には一切の波紋も立たなかった。つまり入ったのは、アークマンよりも前。
しかし、どうやって?
呪剣で穢された様子はない。その不純な疵があればアークマンならば即座に発見できる。つまりマヌアによる高圧魔力膜の突破ではない。先程の鬼族ならば可能なのかもしれない。だがセレスティアは焼かれた様子すら感じられない。
「私はこのような場合に、賭けをするほど愚かではありません」
『…………』
「戦闘で成果を得るなど、不確定な要素を好みません」
加えて、果たして目の前に立つ女性は、セレスティア・ライトなのだろうか。まるで別人だ。温かな陽の光を思わせる笑顔の華やかな王女こそ、彼女ではなかったのか。
「あなた方がどれだけの創意工夫をしようとも、彼等がどれだけの失態を重ねようとも、私の目的は必ず完遂されます。必ず……」
変わらず行き過ぎて怜悧な彼女は、反して酷薄な目をしている。感情を無くして初めて完成するものが、女神なのか。真の美とは人の枠を超えたところにあり、真の智慧は人の目線では推し測れないところにあるのか。
情を捨て去り、人と天使という存在を正しく捉え、本質を見抜き、どちらも思うままに動く駒とする。セレスティアの意に導かれ、今この時が存在していた。書き連ねた筋書きは、指で沿って読まれていき、最後のページが遂に開かれる。
「ひとつの不具合を除き、
『あなたではマヌアさんが付いていようと、私は倒せません。その刃ごと滅してみせましょう』
「言った筈です。戦闘は不確定だと。ここで決すると判断した私が、あなたと正面から戦うとでも?」
セレスティアは一枚の紙切れを取り出す。特殊な質感を思わせる四角形のものだ。警戒心を生んだのは、描かれた魔術式らしき模様だった。
予想通りに魔力が通され、書かれていた魔術陣が浮かぶ。
『——ようやく出番か、カッカッカ!!』
魔術陣から現れる異形。座した足元から順に現れる骨魔。
骸の形相が転移した頃には、魔物としても馬鹿げて膨大な魔力が〈寝所〉を踏み躙る。長く魔術に浸り、深淵を覗き続けて得た非凡なる魔力が、滲み漏れて聖域を穢して荒らす。
『ほぅ、これが天使アークマンか……。思っていたよりかは普通じゃな。形状が個性的なのは予想に応えておる。そして美しくもなく、醜くもない半端な風貌じゃ。興味深いわぃ』
『……あなたはここに入るべきではありません』
『じゃろうな。儂も同感じゃが、念入りにと頼まれてのぅ』
『何を餌に雇われたのかは分かりませんが、来るべきではありませんでした』
魔物はその種の変異型と推察できる。一目瞭然ながら魔力量が身に余る。並べて不自然なのが、饒舌が過ぎる。つまりは聡く賢く、魔物らしく狡賢いのだろう。
兵器を失ったのは痛手だった。守護兵器さえあれば、三人を相手にしても渡り合えると推定される。
と、そこまで読み解いて気が付く。中途半端な参戦をして兵器を砕いた鬼族。そして目前に浮かぶ突然変異を果たした骨の魔物。
しかし、思考は纏まる前に結末を見る。
『王女様、あなたの主人が戦われるやもしれません。【沼の悪魔】様が来られたなら、こちらは早く済ませるべきでしょう』
「重々、承知しています」
マヌアから助言を受けずともセレスティアは動いていた。室外で起こりつつある神話の一戦。龍達に怯えるのは、誰もが一緒だ。
「猶予はありません。終わらせましょう」
セレスティアは天使抹殺へ動いた。危険を冒して骸よりも前に歩み、マヌアも背後に付き従え、アークマンへと一歩も前へ。
右手に『黎明の剣』を生み出し、刻まれた太古の恐怖を知ったか知らずか呼び起こして、貴き宣告を告げる。
「あなたを抹殺します。人を栄養としか見ていないあなたは、人にとって、あまりに害となる」
『そう簡単に倒れるとお思い——』
変化はセレスティアの左手に現れる。黒々と渦巻く勝利への秘策が、手から零れる。大きくなるにつれて形を整え、重きを表す地鳴りと共に〈寝所〉へと打ち鳴らされる。断頭台の刃を下ろすように、無慈悲に打ち下ろされる。
————漆黒の全身鎧が、現れる。
王国の希望。英雄の具現化。正義と高潔の象徴。今や彼の着る豪傑の証は、ライト王国全土に知れ渡っている。
「抗えると考える事自体は、あなたの自由であり権利です。許しましょう」
換装の時が来る。黒鎧に指先が乗り、遺物の声を受け取る。
「ですが、あの御方のお心を害した罪は許しません」
激しい苛立ちを視線にのみ乗せて通告した。
問いにも似た鎧の呼びかけを理解し、鎧を自身へと適合させる。これを瞬時に行う技量と実力なき者は魔力を吸い上げられ、瞬間にして絶命に至る。反して見合う者には、欲す能力を備えた最適解へと変わるだろう。
セレスティアが選んだのは、『黎明の剣との接続、光との同化』だった。鎧は自身も含めて、剣、セレスティアを、光へと導く。
その不可能を可能とする原動力があるのだから。
「————」
鎧には持て余すものが残されていた。鎧が吸い続けた男の魔力だ。一向に適合化される事なく、延々と波々と注がれ続けた魔力。鎧の特性をしても満杯まで溜め込まれた力の貯水量たるや、セレスティアの想像すらも絶していた。
海は、人間の予想すら出来ないほど深いものなのだという。深海と呼ばれる地点は、この世のどの山々さえも、丸々と入って更に更に深いところにあると聞く。
鎧を纏ったセレスティアは、魔力の深海に浸っていた。陽光も呑み込む闇。上下左右もなく、取れる術もなく、何処までも広がる暗闇を漂う。底も知れず、深みも知れず、存在が溶けて無くなるような儚さを知りながら。
その黒い大海を、——手中にする。
「————……」
遺物を着装したセレスティアは、無力感、虚無感、脱力感、恐怖心が転じる。反転した全能感、陶酔感、高揚感、好奇心に包まれる。
不可能を可能とする大魔力。大海を纏い操る事の意味を知り、数多の選択肢を与えられ、女神は真に女神の領域へ至る。
「っ……、…………ふぅ」
黒の抱擁。
形状を変えてセレスティアの誘惑的な躰付きを覆い、しかし魅力を一切削がない黒鎧。ようやく換装を終えたセレスティアは、天使にまで情欲の心を芽生えさせかねない熱い吐息を吐く。
数度ではまだ慣れない魔力の海を経験する感覚。摂理を無視した魔力量に晒された一瞬は、やはり呑まれる。それでも溶けて消えてしまいそうな時を越えたなら、存在の昇格とすら言える褒美が贈られる。
「……では、さようなら」
この間、実に一秒半。
これより行われるのは、戦闘にあらず。戦とはその時点で手段として失敗。ただ人物を消去するだけなのに、何を戦う必要があるのか。
断罪。処刑は戦闘に成り得ない。
兜越しにアークマンへ視線を合わせたセレスティアは、大海から一滴ばかりの魔力を取り出した。両手で掬ったそれを足元に落とす。
『ッ————』
眩い光がセレスティアから放たれ、〈寝所〉を満たす。それは彼女の聖域であり、その領域内において彼女は完全無欠の支配者となる。
誰も彼女を傷付けられず、誰も彼女から逃れられない。黎明の剣と同化した鎧により、彼女もまた光である。
更にセレスティアは一滴を注ぐ。天使殺しとなるべくその身を裂いた呪術者へ、その術を与える。
「天使の壁を切り裂いてください」
『——承知しましたッ!!』
尋常ならざる青黒いオーラを噴き出して加速。鎧の魔力を焚べられた呪剣は、マヌアと共に神風と化した。
『っ、意義の障害は焼き尽くすのみですッ!』
『無駄です、アークマン』
襲い掛かるマヌアへ天使の魔力を放つ。
だが放つ前には、既にマヌアがアークマンの隣にまで疾駆していた。
『————!?』
視界の端で微かに捉えたマヌアは、——迸る緑雷を帯びていた。悍ましき呪いは、蠢めく迅雷を得て駆けていた。
目線だけが、後方で嗤いながら魔術を編む骸魔を見る。呪術と魔術が重なった時、呪刃はまさしく必中必殺。怨敵を確実に咬み殺す牙となる。
『————っ』
邪な緑雷が迸り、執念の青黒い呪炎に呑まれ、第二天使は瞬時に瀕死へ様変わりした。呪剣の力は以降も天使を蝕み、腐らせ、疎んで壊死させる。抵抗する隙もなく消えゆく間際だった。
天使は最後に、天使たる自身を人の身で超えた異端児を見る。
兜を消して素顔を見せ、凍るほど冷めた目付きを受け止める。その姿は光と消えて——
「————」
光速移動。背後に現れたセレスティアが、黎明の剣で直々にアークマンを処刑した。
脳天から縦に割ると翼も爆ぜる。
長くライト王国で暗躍したアークマンは、聖域内で真っ白な翼を散らして消えた。八万二千七十八人もの命を奪ってさえも、意義を果たせずして散る。
『…………』
白き羽根が降る。
邪悪な神秘を浴びながら、マヌアはそっと目を閉じた。
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