第294話、発動される〈聖域〉
ほぼ確信していて問いかけているのは、アークマンにも伝わっていた。だが正直に受け止めて頷けるだろうか。真っ当に呑み込んで答えられるだろうか。
否だ、殺される。
久遠の時を乗り越えて臨む今日を、落日とするのは目に見えている。避けられない殺戮であるのは、火を見るより明らかだ。
「……もう一回、訊こうか?」
『…………』
「あの子をあの姿にしたのは、ベネディクトさんだよね?」
確認とも取れる強い追及。あまりに強過ぎる追及だった。決定的とも取れる通告を突き付けられる。恐怖は刻一刻と新たに塗り替えられ、時は無情に過ぎゆく。
それでも言葉は出ず、答えられずにいる。だが男は天使を見下ろし、三度目の問いはされない。急かすでもなく、焦れるでもなく、威を放つ闇色の恐ろしき眼を沈黙して向けるばかり。
『……………………っ』
逃げられない、抗えないと決断したアークマンは、自然な反応に委ねた。天使の感度に任せて委ねた。
アークマンは、…………首を左右に振っていた。はじめて、天使が嘘を吐いた。存在の性質を無視して、故意に偽りを表した。
「…………」
『っ…………』
男の反応は微かだった。気のせいかと思う程度に眼を細め、アークマンを酷く疲弊、畏縮させる。
「嘘も吐けるじゃないか……」
けれどすぐに一言呟いて、二つ目の質問を投げかけた。真にアークマンから引き出したい情報は他にある。一度目の問いは二度目の返答を吐かせ易くする呼び水だった。
「けど次の質問には嘘を吐かないでくれ。これだけを正直に答えてくれれば、俺が君に手を出す事はない。誓うよ」
最も知りたい知識がある。最も求める答えがある。知っているとすれば当人達だろう。
そう考えての問いなのは、明らかだった。
「君達への怒りは確かにある。けど、俺の怒りなんて
男が真に知りたいのは、とても意外なものだった。
「あの子をそのままの彼に戻す方法が知りたい」
『…………』
「これに嘘は無しだ。答えてくれ」
手を振って虚言を押し留め、真実のみを欲す。しかし、人族は嘘を吐く。見た目だけでも人によく似たこの存在は、嘘を吐くのだろうか。
『………………ありません』
「…………」
どちらにしても嘘を思い付かない。嘘の意味を成さない問いには、そう答えるしかなかった。龍と言えど元に戻るわけがない。書き変わった事実はもう消せない。
アークマンは自らの権能を使っている。だからこそ熟知しており、戻せないと分かっている。
「……君の能力で変えたのに?」
『兵器化という能力なので、戻す事はできません』
「あの取り憑いたものを剥がしても?」
『既にあれは、マファエルなのです。素体となった彼はもういません』
「そのマファエルっていうのが、自ら宿主から離れたら?」
『守護兵器が停止するだけです。死骸が残るだけです』
「……仮にだけど、あの身体を使った蘇生は?」
『魂を呼び戻したとして、定着はありません。たとえ死骸から蘇るとしても、現れるのは龍の身体をしたマファエルでしょう』
「…………この世に不可能はない筈だ。何か方法は必ずある。教えてくれ」
『人族が希望を捨てさせない為に生み出した
「……そっか」
常時淡々と交わされていた言葉は途絶える。素気無くも聞こえる最後の一言を切っ掛けに、男は振り向いてマファエルへと視線を定めた。
約定は遵守され、目標が移り変わり安堵が訪れる。威で縛り付けていた黒眼から抜け出し、身動きが戻る。
『…………』
ホッと胸を撫で下ろした。これ以上なく、助かったという安堵が心地良く。
意義を諦める程の危機を、幸運にも脱したのだ。最後にして最大の賭けに勝利した。天運はアークマン……ひいてはリリスへと味方した。
手放した命が、帰って来た瞬間だった。
けれど、それがまた
「約束は守る」
『——ッ!?』
アークマンの核が握り締められる。
背を向けながらに冷徹な声をかけられ、精神的負荷により天使の身に亀裂が刻まれる。
殺されていないのが、あまりに不自然な語気だ。平坦で静かに紡がれる声音には、第二天使も凍り付く深い憤りが宿っている。
「……でも、助かったとは思わない方がいいかもしれない」
不穏な言葉を最後に男は飛び去り、マファエルの元まで跳躍した。
「…………」
『…………』
龍体を持つ天使と右殿の尾根で相対す。極限生物の威光を放つ龍眼を見つめ、開口の機を待って静かに佇む。
超越者と呼べる二者が、国の行く末など些事として向かい合う。
『アークマン、我等が存在する意味を忘れてはいけません』
『っ…………』
空振らせた龍爪は断絶の斬撃となって、踊り場を切り裂く。切り裂く。切り裂く。踊り場のみを割いた筈が、龍の爪痕は崖全体に及んだ。三つの裂け目が深々と刻まれる。
軽い調子で穿たれた爪撃により、本殿は浮上していく。熱風に巻き起こる異常気流により流され、遂に誰の手も届かない空へ。
『すぐに取り掛かります……!』
『お願いします。こちらの御方は私が』
『どうやらあの御方ではないようですが、戦闘は可能な限り控えてください』
『……分かりました』
第二天使・アークマンが飛び去る。今のマファエルならば謎の男相手だろうと問題はない。あとは役目を果たすのみ。
『リリス様』
本殿前に難なく辿り着いたアークマンは、〈聖域〉を再開する。数秒の時間をかけて、本殿は〈寝所〉として生まれ変わった。
後は、〈聖域〉の一つを発動して、皆の“信仰”を回収。〈寝所〉へ集めた【白き天女】への信仰心を、一つの明確な偶像へ纏め上げて復活させるのみ。
『失礼します』
不可侵の〈寝所〉へ、九百年振りに踏み込む。
純白の部屋だ。大きな寝具を除き何も置かれていない神聖な寝室。穢れなき天女が再生するには、これほど潔癖でなければならない。
魂が再構築され、白き魔力から受肉を引き起こし、存在を現世へ確立させるには、これほど純な聖域でなければならない。
不純など一雫も混じってはならなかった。
そして、
『——〈聖域〉よ』
今、まさに二度目の〈聖域〉が発動する。時は合わさり、苦難と死闘を経て都合は付いた。アークマンの願いは成就し、〈寝所〉を目指して送り込まれる
信仰心が集まる感覚がある。
後にも続々と集まる事だろう。偶像を形とするまで、半刻もかからない筈だ。
満たされていた。一度目とは違い、心の安寧を保ちながらの権能。確実に第一天使は復活する。意義を果たせる喜びがアークマンを満たしていた。
だからこそ、衝撃は大きかった。
「それだけ喜ばれては、私も阻み甲斐があります」
『ッ…………』
幾つの未踏を果たせば気が済むのか、アークマンの身に鳥肌が立つ。〈聖域〉も強制的に停止させられ、僅かな回収に終わる。
「まだそこまでの日数は経過していませんが、思いのほか久しく感じます」
『……セレスティア王女っ』
顔を上げたアークマンは、寝台の枕元に立つセレスティア・ライトを見る。〈聖域〉を斬撃にて中断させた剣が、青黒い軌跡で彼女の元へ。やがて足元に一匹の猫が現れ、剣と揃って天使へ殺意を覗かせた。
積年の呪いは今、ここにある。
『ベネディクト・アークマン、次に堕ちる天使は————あなただ』
『マヌアさん……!』
………
……
…
背後で起こる理解不能な事象に蹴り出され、丘へと転がるように舞い戻ったダン。団長のジークから命じられた通り、アルトの姿を探す。
「おいっ! 殿下は何処だ!」
「後方に下がっています! 現在も出来るだけ遠ざかっておられるかと!」
「ちっくしょうっ! マズいじゃねぇか!!」
しかし愚痴を吐いても事態は好転しない。八つ当たりしようとも、雰囲気を悪くはしても幸が舞い込むわけではない。ダンは馬を奪い取って走った。
やがて退避する王国兵を軒並み抜いた頃、その姿を捕捉する。侍る顔触れも同じくして、中心で論議を交わすその姿を。
「殿下ぁぁぁぁっ!!」
「……ダンかっ! 無事だったか!」
馬車から転げ落ちながらアルトと部下の間に割って入る。
「離れてくだせぇ!! こいつらの中に裏切った奴がいるんですっ!!」
「なんだと……? どうしてそう言える」
「殿下がマヌアの呪剣を渡したでしょう!? ネムの兄貴に返す時! そん時、偽物にすり替えられたらしいんすわっ!」
「……返す? 何を言っている。呪剣はネムが常に携帯していただろう」
並み居る部下へ槌を差し出し、応じて抜かれた剣に警戒しながらも、食い違う主張はある種の鎮静剤となる。
特に混乱しているダンは、事態の把握に苦心するアルトを目にして落ち着きを取り戻した。口を突いて出たのは、的確にして明快な問いだ。
「……殿下がネムの兄貴から一旦、呪剣を預かってたって聞きましたよ?」
「どうして私が預かる必要がある。私よりも奴の方が盗まれ難いだろう」
「うぅ〜んっ?」
呪剣の一時預かりを、アルトは完全に否定した。ではネムがマヌアの呪剣を渡したというアルトは何者なのか。それともネムが嘘を吐いたのか。また次なる疑問がダンを襲った。
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