第293話、天使の味見

 アークマンが最後に頼ったのは、天使と人の合わせ技だった。


 奥の手として手近に控えさせていた兵器槍を手に、人がそうするように握り締める。そして槍をアークマン由来オリジナルの〈見放されし者に最後のジウ・ラ・ヘクマ慈悲を〉へと変える。


 幾度かも反乱勢力を壊滅させて来た慈悲の槍。これまでは空からの直下降により、不敬者を一掃して来た都市殲滅の白槍を、ネムの攻め手ひとつに使用する。


 人々がそう使うように振り、最後の切り札にて矢を打ち破った。白撃の薙ぎ払いによる目を焼く程の眩い軌跡が、第二天使自身の魔力矢を打ち消した。


 一瞬で燃え尽きる兵器槍。だが、アークマンは護られた。


『……あるいは人族は天使よりも優れているのかもしれません』

「…………」


 ネムの杖が吸い寄せられない微量の魔力を軽く滲ませ、ズラッカの束縛から逃れたアークマン。


 熱気もやっと冷めて格の衣も羽織られ、残る秒数を考えた時、ネムには十五秒以内にアークマンを葬れる道筋を思い付けなかった。


『あなたは歴史に名を刻む偉大な魔術師です。リリス様も祝福されるでしょう。それでは失礼します』


 アークマンは制限無しでならば、ネムから逃れられなかっただろうと予想していた。仮にマヌアの呪剣があったなら、確実に敗北していた。


 魔力と多彩な術、策略を含めてネムに敬意を表し、マファエルを待たずして〈寝所〉へ向かう。


『この時をどれだけ待ち望んだ事か……』


 本殿前へ降り立ったアークマン。〈寝所〉を完成させ、すぐにでも〈聖域〉を使う必要がある。


 そしてすぐ、第一天使リリスが再誕する。


『お待たせいたしました、リリス様』

「————」


 竜王の嘶き・・と共に中層から巨体が跳び、竜に乗った人影がその背からまた跳び上がる。


 高く高く、偶然にもネムが手放した残る十数秒間を掻っ攫い、第二天使との力比べに参上する者がいた。


 竜達の躾という仕事を終わらせ、残る時間での寄り道だった。


 神殿上層まで跳躍した魔壊竜・ダゴの背から飛び、アークマンの背後に降り立つ。


「——降りろ」

『っ——!? グッ!?』


 片刃の長剣で天使の衣を斬り裂き、その黒戟・・の刃元を首に引っ掛けた。まるで死神の鎌の如く。


「天使とやらを測るのに、ここは狭い」

『グゥゥ————!?』


 かかる戟を引っ張り、呻くアークマンを雑に投げ飛ばした。投げ出されたアークマンの身は、本殿への階段半ばにある、広々とした踊り場らしき場所を打つ。


 そして、————九秒間だけの蹂躙が始まる。


「口上は必要ないな?」


 追って踊り場に跳び降りた襲撃者は、戦闘部族と有名な鬼族だった。脇目も振らず、喜悦に唇の端を吊り上げ、駆け出した。距離間二十メートルにも満たない間合いを埋めていく。


 衣を穢す謎の剣を左手に、艶のある黒い矛を右手に持って肩に担ぎ、攻撃性を遺憾無く発する三白眼で踏み鳴らす。肉薄の一歩目を踏み鳴らす。


『————』


 アークマンは体勢を立て直し、守護兵器を呼び戻す。


 しながらに、謎の乱入者を観察した。


 何の効果もなさそうな矛はいい。だがあの長めの剣には、一撃で衣を剥ぎ取るだけの膨大な瘴気が内包されている。天使の魔力すら蝕み、実際に咀嚼する音が聴こえそうな邪悪さを醸している。


 鬼族の肉体もただならない。分厚く、大きく、しかし動きは阻害されない戦闘用のものだ。他者を叩きのめす為に造られたものだ。


 何にしても、守護兵器による排除が望まれる。


 兵器剣が飛燕の如くアスラへ振られた。漂う熱風を引き裂き、空気を歪ませ、炎を纏いながら鬼を断つ。


「————っ!」


 鳴り響いたのは、何枚もの鏡が割れるような派手な物音。


『————』


 奇しくもアークマンは、通常の見た目以上に間の抜けた顔で舞い落ちる破片を見ていた。兵器剣が砕ける様を、初めて見ていた。


 戟を振り下ろす。それだけで砕け散った兵器剣を前に、言葉を無くす。


「バケモンだねぇ……」


 ネムの想像も飛び越え、手放しで呆れる力技。


 天使の衣で受けるでもなく、魔眼で歪めるでもなく、ただ許容量を超えた腕力を叩き付けて破砕した鬼に、瞠目を向けていた。


 だが片やアークマンは瞬時に思考を切り替え、兵器を総じて鬼へと強襲させる。


『信仰の刃よッ!』

「それでいい。雑魚如きが手を抜くな」


 刃から煙を上げる戟をまた振り、嬉々となってアークマンを見る。鬼気が紫の魔力と重なって滲み上がり、武器を持つ前腕などは狂おしい程の締まりを見せる。


 けれど、いくら鬼族と言っても説明が付かない。人族の限界値である剣を、人族のパワーで破るなど、道理に合わない。


「ッ————!!」

『皆様、彼が最後の試練です。参りましょう』


 叩き割られる。砕き破られる。怒涛の猛進で剣と戟を豪快に操り、アークマンへ迫りながら群がる兵器を破壊せしめる。


 魔術を笑い、潜在的優位を嗤い、鍛えに鍛えた筋骨から生まれる剛力をぶつける。


 ネムが駆使した術も、ジークが観せた不屈も、開幕から今に至るまでの時間を、溢れる暴力によって九秒間で埋めていく。


『今ですっ、守護の矢よッ!』


 いや、人族そのものをぶつける以上の力は無い。アークマンの兵器は力も硬度も人の限界値であり、人を超える速さも加わり、これ以上は有り得ない。


 溢れかけた確信を取り戻したアークマンは、鬼へと最高兵器の矢を放った。右手側から射出され、貫く人の矢。鬼の進路も先読みして、正確に撃ち抜いた。


「——ふっ」


 掴み止めた。戟を床に突き立て、単なる握力で掴み止めてしまった。数メートルは勢いに流され、突き放されるも、紫色に染まりつつある右掌が矢を握り砕く。


「滅鬼の血を揺すり起こしたかッ——!」


 獰猛に駆け出し、戻された距離を巻き返す。


 既に悍ましき瘴気の剣は、天使の眼前にあった。


『これが人族の可能性ですか』


 敬意を表する天使は、ネムを見た。ジークを見た。だからこそ『矢』を阻んだ鬼を前にしても動揺なく、締めの一手を打ち出せた。


 天使の贈り物。白き魔力を挟み持つ両手を捧げる。清らかな高魔圧で焼き、生命へ安らかなる死を届ける天使の光。


 前方へ放たれ、慈悲の白光が鬼を包み込む。


『————』

「っ、こいつはウチにとっても幸運だなっ……!」


 唖然として鬼を見ていたところに光が起こり、慌ててネムも杖を翳して魔力を導こうと試みる。


 だが。


 光が収まっ————収まるのを待たずして、巨掌が飛び出る。肌は濃紫に染まり、より凶暴な五指は白光を破り天使の頭蓋を掌握する。


 格差の壁にぶち当たるも、白と紫は拮抗して弾ける。発散の白は凶暴な紫により、双方へと魔素の粒子となって舞い落ちた。


『……有り得ません』

「それは現実が決める事だ。残った事実こそが答えだ」


 アークマンも驚愕の所業が行われる。


 第二天使の魔力に耐える肉体があった。焼かれた肌から煙を上げながらも、光を割って鬼が現れる。アークマン誕生から歴史上、数少なくとも一切の証拠を葬って来た白光を、突き破る者が現れた。


「このような肉を焼く程度で、笑わせるな」


 まるでこれ以上の攻撃を、頻繁に受けているかのような物言いだった。


 しかし、どちらにせよ鬼は破ってみせた。


『————』

 

 負けた。アークマンは鬼の左手にある片刃剣を目にして、敗北を認める。この腕力で突き込まれ、斬り裂かれたなら、アークマンも終わりだ。


 故に、————自爆を決意する。


 〈寝所〉を諦め、第二天使の魔力を解放。神殿ごと鬼を葬る決断を下す。マファエルだけは間違いなく生き残り、夜の祈りには確実な〈聖域〉を実行可能となる。


 アークマンは勇気ある選択により、強烈な輝きを放ち始めた。


「…………」

『っ…………』


 ところが鬼はアークマンから手を離し、背を向け…………戟を拾ってダゴの元へ跳び去ってしまう。


 勝敗が決した瞬間からアークマンに関心を無くし、いないもののように跳躍してしまった。


『——馬鹿な真似は止めてください』


 それが、五十秒に達した時だった。右殿の天井を破り、新たに兵器となったマファエルが現れる。


 天へ登って早々に、龍が体内に“炎”を燻らせる。


 人で言うならば拳を軽く握った状態を保ち、如何にも柔らかな敵意を示す。


 それだけで発生する熱風は、倒れる半竜のジークを焼き、ネムを庇った金属体をも少しずつ溶かしていく。


 エンダール神殿さえも熔解させ、龍の熱に晒された避難中の常人は悲鳴も焼かれて消滅していく。


「くっ……! 盾にするしかないかっ!」


 ゴーレムの金属体を全て防壁へと回し、丘でも追加で増殖を行う。どれだけあっても足りない。まるで話にならない。


 龍と戦う・・など、笑い話にもならなかった。


『…………』

『マファエル……分かりました』


 人工的にも見える成長を遂げた龍。伸びた手足は逞しく、全体的に流線的な曲線をしている。より洗練された無駄のない形状で、守護兵器と落ち着いた。


「…………」


 ダゴの背中に飛び乗った鬼は、暴れるだけ暴れ、熱気から逃れるように帰路に就く。毛を燃やしながら龍へと頭を垂れるダゴの向きを変え、走り去ろうとする。


「あんたっ、アスラさんでしょ? 提案なんだが、今回ばかりは共闘しちゃもらえないかい?」

「もう用はない。天使とやらは不足なく見れた。そもそもアレ如きを倒せないのなら、共闘に何の意味がある」

「耳が痛いねぇ……。しかしベネディクトだけは倒しておかないと、だろ?」


 金属体の壁に隠れるネムはアスラが魔王軍と知って、共闘の誘いをした。けれどアスラは大きな前提として、無意味であると返す。


「龍は相手に出来ん。それに、奴等の行く先は既に決まっている」


 ダゴを操って踵を返す瞬間に、右殿への階段へと目を向ける。静かに右殿を登る人物を目にしてから、疾く神殿を駆け降りていった。


「退避しかないかっ……」


 気絶するジークを抱え、流れるように熔けるゴーレムの壁を作り替えながら、背に庇って撤退を余儀なくされる。


 その二人の姿が見えなくなった頃だった。


『…………』

『…………?』


 本殿への階段上を飛んでいたアークマンは、突如として炎熱を収めたマファエルに疑念を抱く。右殿の上に浮かぶマファエルを目に、それから視線を追って階段の道を目で辿る。


 そこには、大地を焼く熱気をもろともせずに階段を上がる男がいた。服の端々から炎を上げながらも、マファエルのみを見つめて歩む。


 黒髪の男だ。見ているだけで身体が竦む。魂が屈服する。先程に感じた禁忌なる“怒り”の正体だと、瞬時に悟った。


 駄目だ。アレに触れてはいけない。


『っ…………』


 アークマンは天使の身で、人の皮を被っていた時の癖なのか、額から目元を腕で拭った。既に手放した筈の発汗をした気になったのだ。


 それから腕を退けて、再び男へ目を向けた。


「————」


 眼前間近に、男の黒い双眸があった。目元を覆った一瞬の間に、吐息の当たる至近距離にまで迫られていた。


『ヒャぁああ!? イぁああっ……!?』

「…………」

 

 突如としてスレスレの距離で目を合わせられたアークマンは、腰を抜かして階段へと尻餅をつく。


 視界を埋め尽くす男の顔面。男の双眼を目の当たりにして理外の暴圧を錯覚し、身体を支える全ての力を手放して脱力していた。


『っ……、……っ!』

「…………」


 無意識に身体を触り、存在しているのかを確かめる。殺されていないかを、よく確認する。失った発汗を天使の身体で発現しながら。


 その無様な様子をしばらく見下ろしてから、男の方から声をかけられた。


「……ベネディクトさんだよね」

『さ、左様です……』

「そっか、はじめまして。それで、いくつか訊きたい事があるんだ。少しだけ時間をもらおうか」

『っ…………』

「まず、何よりも初めに——」


 男は激情を昏い色合いの瞳に宿し、恐れ慄くアークマンをしかと見据えて問う。


 返答以外の数多ある選択を視線で奪い取り、無数に混在する可能性を消し去り、裁定の場へと強引に引き摺り込む。


「——彼をあんな姿にしたのは、君?」


 問いは、完全にアークマンの動きを止める。


 簡単に答えられるものではなく、頭は一度真っ白になった。耳に届くのは、超熱に煽られて不規則に渦巻く風が生む奇妙な音色のみ。狂想曲のような調べは、愚かな天使をはやし立てる。まくし立てる。


 破滅を唄い、崩壊を息吹く龍を目の当たりにした生命達と同様に、アークマンにも究極の選択が突き付けられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る