第290話、不運の果てに

 晴天の王都、歓楽街の路地裏に見慣れた光景があった。


「…………」


 自分よりも大きな大男を一度だけで殴り倒し、胸ぐらを掴んで気絶している事を確認。ジェラルドは返り討ちにしたマフィアの用心棒を投げ捨てた。


 肌寒い季節の冷たい地面に寝かせ、やっと戻った日常を満喫していた。


「お〜、イテぇ……」

「…………」


 懐の煙草に手を伸ばそうとするも、大男が平然と起き上がる。


「噂通りに、なかなかやるじゃねぇカ————」


 上段回し蹴り。大男の横顔が蹴り付けられ、砲弾の如く飛び、巨体が転がり回る。加減を緩めた蹴りにより、大男は必要以上に伸びる羽目に。


「…………」


 動かなくなった大男を今度こそ確認し、懐へ手を伸ばした。


 こう見えてジェラルドの機嫌は非常に良い。大男が耐え得る必要最低限の打撃で止めていた。思わず情けでもかけたくなる程に、上機嫌だった。


『あ〜っ、楽しかったぁ……!』

「……冗談だろ」


 煩い同居人が突如として消え去り、気分爽快に外出するも、またすぐに馴れ馴れしく肩を組まれる。


 さしものジェラルドも頭を抱え、何事も無かったかのように舞い戻ったノロイに嘆きを表した。


『なんだよなんだよ、お前の息子を助けて来たんだぜぇ? きっちり一回、殺されてたんだからよぉ』

「だったらそのまま、あっちにいればいいだろ」

『たまにはいいかもな。でもお前との生活に慣れちまってさぁ……あっ、メシまだなら、ステーキにしようぜ。どうせ行くつもりだったんだろ?』


 味覚は共有しているようで、食事時には特にやかましくなる。煩わしいノロイに眉間を寄せ、マッチを使い煙草たばこに火を付けた。


 つい先ほど、歓楽街を裏で荒らしていた闇組織を潰したばかり。腹の頃合いも良しと、ノロイに言われたからではないが、ジェラルドは予定通りに馴染みの店へ向かう。


「…………」

『……こういう時さぁ、普通は息子の事を訊いたりすんじゃねぇの?』

「てめぇが暴れて、あいつが助かった。他に言いたい事でもあるのか?」

『全部言いたい。詳細を語って聞かせたい。今夜は覚悟しな。寝かせねぇぜ……?』

 

 耳元で吐息混じりに言うノロイを睨み付け、苛立ちから向かう足先を変えた。


『ウソウソっ! ジョークだろうがっ、真に受けるなって! ステーキ食おうぜぇ、毎週の楽しみじゃねぇか!』


 焦るノロイにも耳を貸さず、ジェラルドは簡単な屋台飯を求めて、表の世界へ歩み出す。


 その時だった。


『あっ…………悪い。お前の息子、やっぱり死んだわ』

「……まさか、向こうでヘマしたのか?」

『いいや、オレとは無関係』

「てめぇがまた行って来りゃあいいだろ。静かで助かる」


 また少しだけ自由な時間が持てると、ジェラルドは進んでノロイを送り出す。


 かつて王都の空を覆った疑似聖槍を喰い尽くした時から、ノロイの能力には何の疑いようもない。


 口には出さないが、ジェラルドも認めざるを得ない。


 なのだが、


『それが無理なんだわ。こればかりは、どうしようもない。全員、死んだなコレ…………て言うか、オレ達もヤバくね?』




 ………


 ……


 …



 

  そして……、ここで運が尽きる。


 権能による度重なる干渉により因果律の流れが歪み、不運が重なり、遂に悲劇が生まれる。本来なら〈不運〉など無縁の存在にも、悲運をもたらした。


 地下部屋へと一歩踏み込んだクロノの目に飛び込んで来たのは、竜と天使双方の翼を生やした…………ヒューイだった。


「っ……、っ……!!」


 青白く美しい竜の腹を、長く伸びた竜の尾で突き刺し、持ち上げていた。直後、まるでゴミ屑でも捨てるように、無情にも放り捨てられる。


 クロノの真横を通るように、高速で投げ捨てられる成竜。


 反射的に左手を伸ばして、水天竜を受け止めた。ぐったりと腕にもたれ、その竜は致命的な重傷を負わされていた。温もりが失われていくのが、肌越しに伝わる。


「っ…………」

「…………」


 母だろうと分かるその竜に目をやり、再び天使に取り憑かれたヒューイへと視線を戻す。純真に輝いていた無垢な眼からは、完全に自我が失われており、虚な死体の瞳をしている。


 忌まわしい金色の紋様にも見覚えがある。デューアがガニメデと決闘する際に見た、マンティコアを思い出す。


 存在そのものを変えられていた、あのマンティコアを思い出す。


 何が起きているのか、何が起きたのか、それらを理解した時、初めて相応しい感情は湧き上がる。


「————」



 ————時が止まる。



 神殿を越えて、時が止まる。


「…………」


 アークマンから奪い取った魔力を導き、必殺の大矢を形成したネム。天使の魔力は白々と消滅の圧を放ち、放てば第二天使すら貫くだろう革命の一撃となっていた。


 けれど……ネムは放たずに、微動だにしない。いや、放たないわけではなく、僅かにも動けずにいた。指先どころか視線すらも動かせない。


「…………」


 ネムだけではない。ジークも他の騎士も、連行する騎士も連行される貴族も。ライト王国とエンゼ教の決戦場エンダール神殿を中心に、異常な静寂が生まれていた。


『…………』


 アークマンも例外ではなく、唯一の危機的状況にも関わらず、魔力矢の矢尻からも逃げられず、ただ静かに潜んでいた。


 何かが怒っている・・・・・


 強く、強く、とても強く、怒っている。


 怒らせてはいけない存在が、怒ってはいけない存在が、その感情を抱いてしまった。起きてしまった現実を本能が受け取り、無意識に察知してしまう。


 人と天使如きが騒いだからなのか、理由など察せられる筈もない。ただ気に障らぬようにと、身体が正解を体現していた。これ以上は怒らせてはならないと、揃って不動に徹していた。


 人も天使も、その他の生命も、自然すらも。


「っ…………」


 生死の境にいたハクトすら叩き起こす激情。目覚めたハクトは身体を起こす事は叶わずとも、不可解な異変を真っ先に察した。


 音がない。人も、虫も、鳥も、吹いている筈の風すらも、息を潜めるように静まっていた。概念すら失われたのではと思うほどの無音。


 静謐に浸る内に、自身も動けなくなっている事を思い、しかしながら突然に時は動き始める。


「…………っ」

「っ、まだ息があるのかっ……」


 目線をマファエルから外し、血を吐いた水天竜を横たわらせた。怒りは焦りへと切り替わり、穴の空いた竜の腹へ手を当てる。


 黒々とした魔力を流し、人族とはまるで構造の異なる竜を探りながら治療する。


『……————』


 少し遅れてマファエルが賭けに出る。依然として謎の男から注目されているが、ここで離脱しなければ危ういと飛び立った。


 天井も無関係に破壊して地上へ出る。分厚い石板だろうが関係なく、一度の羽ばたきで空へと脱した。


「……カゲハ、俺の大きい方の服を用意してくれる? 普段の方が動き易い」

「っ……!? は、ハッ!」


 逃げた天井の穴へ鋭い横目を向けながらも、固まっていたカゲハへ命じる。


 最も身近で恐怖に凍り付き、停止させられていたカゲハも、主人の呼びかけを受けて自然と反応していた。瓦礫の降る地下牢から、覚束ない足取りで駆け出した。


 離れていく足音を耳にしながら、水天竜・シュリンへ魔力を流す。繊細かつ緻密な魔力操作で、肉体構造を探る。


 大抵の生物ならば諦めている。経験上、この傷では助からないと知っている。だが竜ならば見込みがあるのではと考えた。


 丘での戦闘を見ていたが、その回復力と生命力は並外れている。なので竜ならば、少しの手助けで治癒するのではと予想した。


(っ……傷が治らないな)


 だが傷は自然治癒を拒み、埋まらない。治らない。焦るクロノにも理由は思い当たらなかった。


 その頃、地上では……。


 神殿を突き破って天空へと飛び上がる影。動き始めた時により自由を取り戻した王国軍は、空からゆっくりと舞い降りる影を見る。


 紺色の竜に黄金の紋様、それぞれの翼。竜の子のようでもあるが、放つ気配は何処か異なっている。


『……マファエル、何があったのですか? まさかとは思いますが、あの御方がいらっしゃるのですか? 粗相をしていないでしょうね』

『不明です。そして想定外です。良し悪し共に、想定外の事態でした』


 アークマンとマファエルなる天使の会話。


 間に合った第三天使に対する安堵と、何よりも濃い危機感を併せ持つアークマンは、それでも取るべき選択肢を掴む。


『ここは任せます』

『分かりました。リリス様をお迎えください』


 言葉も少なく互いの意思を確認し、アークマンが〈寝所〉へと飛ぶ。


「っ、そうはさせないよっ!」


 思考を取り戻したネムは、第二天使の魔力矢を向ける。照準は、——〈寝所〉。


 これならばアークマンにも重なる上に、回避されても〈寝所〉を破壊できる。ネムは迷わず射出した。


「————!!」


 射た瞬間から、絶大なエネルギーが一点を目掛けて駆け抜ける。第二天使の底無しである魔力を、現象すら滅する魔力を、人の武器たる矢として放った。


 本来は意義に沿う形でしか許されない禁忌の魔力。奇しくも矢尻は当人へ向けられ、人の最高兵器として人類に勝利を与える。


『…………』


 第二天使の白矢が割って入ったマファエルへ当たり、————弾けた。


 矢が呆気なく弾け、巨大な魔力は破裂して視界を白く照らし、徐々に回復して晴れていく。


 天空に君臨する天使を見上げ、言葉も無くして呆然と崇める・・・。無意識に奉る・・


「…………おいおい」


 ネムは知っていた。


 その正体を知っているからこそ、顔付きを絶望に染めてマファエルを見上げていた。


 第二天使すら足蹴あしげにして、実際に絶命にまで追い込みつつあったネムが、もう戦意を失って諦めている。


 術を放り、策を投げ、命を捨てている。


「こりゃあ、なんの冗談なんだい……」

「ネム……?」


 初めて見るネムの失意、絶望。声をかけたジークは、矢を胸に受けても無傷で浮かぶマファエルを見上げ、呟いたその言葉を聞いてしまう。


 ジークもまた引き摺られるように、不屈の心を挫かれてしまう。言葉一つで、砕かれてしまう。


「あれはまさか…………本物の“龍”か?」


 神とも、神を殺したともされる龍が、天使の母体としてエンダール神殿へと降臨した。



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