第289話、母を捜して
背後から迫る王国軍に押されるように、油に引火して燃え上がる中層から上層へ。
肉を食って酒を飲んで、相変わらずの大騒ぎをする貴族達の中に飛び込み、単刀直入でぶっ刺す。
「すみません、ギラン伯爵はどちらにいらっしゃいます?」
「ピぃ〜!」
ヒューイが鴨肉のローストを見つけて欲しがるので、甘やかしてはお母さんにも悪いと思いながらも、超速で掠め取って頭上の木桶の中へ。
……後で髪を洗わせて欲しいな。ヒューイの涎と肉汁で居心地が悪いったらない。
すると酒で泥酔している貴族の一人が、ピエロみたいな赤鼻を向けて答えた。
「伯爵〜? ……はっはっはっは! 面白い見せ物じゃないか!」
「そうでしょ?」
あんたもな。
みんなが死に物狂いで働いているのに、上に立つ者の性根とは思えない。
「ピュ〜!」
「あぁ、なんだったか……そうだ、伯爵だ。……ぴゅぅ?」
ヒューイが新しく鹿肉の煮込みを欲しがり、皿ごとは入らないし、これを手掴みで、木桶の中かと涙を流しながら与える。
「き、気にしないでください。それで、ギラン伯爵はどちらに?」
「そういうのは、酒を飲んでいないシラフな奴を捕まえて聞いた方がいい。当たり前だろう?」
「酔っている人に正論を説かれるとは……」
頭の上に感じる絶妙なトロミ。ヒューイは跳ねて喜んでいるが、俺は髪を洗いたくて焦っている。
というわけで辺りを見渡して、まともそうな給仕の人とかを探す。すると呆気なく見つかる執事服の青年。この大騒動の渦中にありながらも、忙しなく貴族達の世話を務めている。
「すみません、ギラン伯爵はどちらに?」
「伯爵なら前線から戻られて、食器を下げに炊事場へ向かった際、左殿への階段を登っていくところをお見かけしましたよ」
相当の疲労感を感じさせる。樽を着て桶を被る俺を見ても何も言及する事なく、淡々と仕事をこなしている。
安心して欲しい。もうすぐ終わるから。こいつら、ぶっ飛ばされるから。
…………あっ、この人もか。
「ありがとうございました!」
「ピュイ!」
よくやった! とばかりに鳴いたヒューイを連れて、早速左殿への階段を目指す。神殿から出て外を走り、樽人間として注目を集めながら左殿方面へ。
ここで大事件が起こる。
「もうすぐだね。結果として最短ルートを辿れたんじゃないかな」
「ピュ〜〜〜〜〜っ」
「君のお母さんも強いだろうし、カース森林でも上手くやっていけるよ。なんなら金剛壁でもいいしね」
「ピュぅ〜〜〜〜〜〜っ」
「……な、何を唸ってんの?」
「ピュぅぅぅ〜〜っ」
ここで気付く教養豊かな聡明魔王。ヒューイがトイレ休憩を取っていない現実に、ようやく思い至る。
あれだけ食べたのだから当然だ。バカタレ、クロノ。
「だぁぁぁぁぁ!? 待ってっ、まってヒューイ!!」
「ピュゥゥっ……!」
かなり厳しい状況だ。赤ん坊に排泄をするなとは言える筈もなく、しかしその場所は俺の頭なのだ。
とりあえず竜の子を見られるわけにもいかない。機転を過去一番で効かせた俺は、再び炊事場の物陰から大ジャンプ。左殿へとまず跳んだ。
何故か。ギラン伯爵と入れ違いになる愚を避ける為だ。賢いなぁ、俺……。
一気に左殿の後方へ周り、木桶を外して放り投げながらヒューイを抱き下ろし、崖から突き出す。
「…………セ〜〜〜〜フ」
一大事をなんとか避ける事に成功。しかもヒューイさん、大小同時に行われており、洗う手間が格段に上がっていた事実が目の前にある。
「ピュゥゥ〜イっ!」
「桶の中で窮屈だったよね。ここで羽を伸ばそうか」
スッキリしたヒューイも悠々と飛び回って気晴らしを始める。ずっと頭の上でストレスも溜まっているだろうから、お母さんに会うまで、もうひと頑張りする為にここで気力回復だ。
だがその前に、やらなければならない用事を片付けてしまおう。
「丁度いいところにあるじゃないの」
どのような原理なのか、左殿の横には水の湧き出る水場がある。三秒だけ時間を貰い、高速で髪を洗わせてもらう。
「ふぅ〜」
俺の頭もリセットして、そのまま二秒だけかけて高速手櫛で髪を乾かす。
「ヒューイ」
「ピュ?」
「俺は中でお母さんの居場所を訊いて来るから、ここで待っててね」
「ビュいっ!」
逃がさねぇ! とばかりに鼻息が荒くなる。流石はヒューイ。この程度では信頼関係を結ばせてはくれないらしい。
慌ててまた俺の頭へ戻ろうと飛んでくる。だがこれには待ったをかけさせてもらう。
「ちょっとタイムっ!」
「ピュ……?」
「やっぱり……なんか頭ともなると、気になるからさ」
さっき炊事場の裏で掠め取った布巾を使って、小首を傾げるヒューイを綺麗にしてから、頭の上を叩いて迎え入れる。
「ほら、おいで」
「ピュ〜イ!」
もはや巣のように頭上へ戻って来たヒューイ。弾む声音から察するに、なんだかんだと懐いてくれてはいるみたい。
これっきりではなく、縁が続きそうで俺も喜ばしい。お母さんに何事もなければ言う事なしだ。
行儀は悪いが足先で木桶を跳ね上げ、掴んでまた被る。
「——うおっ!?」
唐突に左殿が激しく揺れる。
不安感マックスの階段頼りとは言え、これまで揺れなど全く感じなかった。それがどうしたと言うのか。
「ピュィ……?」
「あ〜らら、階段を壊しちゃった」
何がしたいのか、ベネディクトさんらしき
左殿ごと絡み取って、俺の心配も解消した。続いて騎士団が慌てて登って来ている。左殿の人間を救出する為だろう。
「…………」
すぐそこではもう、本ボスが巣作りを放棄して戦闘へ移行していた。雪祭り気取りで、真っ白な建物を製作しているようだが、その実情を知っているからなのか全く綺麗に思えない。
誰が脳味噌を集める施設だと分かるだろうか。なんとも恐ろしいものだ。
既に上層へ到着していたジーク達が、ベネディクトへとミサイルみたいなのが撃たれ始めたのを切っ掛けに戦い始め、激戦はすぐに過熱していき、いよいよ俺も急がなければならなくなる。
「……俺はヒューイのお母さんを優先させてもらお」
天使達に背を向けて左殿内へ突撃。中にいたのは女性や子供ばかり。六十人以上はいるだろうか。床に炊事場から運ばれる料理を並べて、もう昼食を始めているらしい。
辺りを見回してギラン伯爵らしき人物を探すも、その姿は見当たらず、代わりに外から轟音や怒声が激しくなっていく。
「なにっ!? もうここまで攻められたの!?」
「は、伯爵は昼食を食べていいって……! 食べていれば終わると言っていたじゃない!!」
「うわぁぁぁぁん!!」
戦の音は聴こえていただろうが、まさか一瞬で上層まで攻め込まれるとは思っていなかったのだろう。
バリケードはヒューイにより破壊され、中層に至っては自業自得地獄。ほとんど素通りで上層まで来ているのだから、当然っちゃ当然だ。
「急げっ! 迅速に連れ出すのだっ!」
そこへ騎士団員も入り乱れ、不安と焦燥に揺れる左殿。もう昼食どころではなさそうだ。
山と積まれたトンカツを是非とも味わって欲しかったが、無念……。
とりあえずは、この人達に訊ねてみよう。
「ギラン伯爵は何処へ?」
「今の今まで居たわよっ! 昼食の時間を早めて、もう食べ始めるように言ったばかりだから!」
「……おかしいな。階段を降りて行った人はいない筈だけど」
階段は長くて、ヒューイの世話や髪の毛を洗ったとしても、降りて行ったなら見えたし気付けたはず。
……えっ、もしかしてホラーな話してる?
「でもいないって事は降りたって事だよね……。急いでるから仕方ない。こうなったら駆け回ってヒューイに匂いを感じ取ってもらうか」
七不思議に追加してもらいたい。ギラン伯爵失踪事件。追えども追えども捕まえられない国賊貴族。
「こんにちは」
「はい? こ、こんにちは」
全裸に樽を着て桶を被ったこの姿にも関わらず、にこやかに挨拶をされて戸惑ってしまう。
どういう感性なのだろう……。樽に桶だよ? 俺なら怖くて関わりたくないけど。
けれど、その女性は騒動にも
「何かギラン伯爵に御用ですか?」
「……ある人から、竜の居場所を訊いて来いって言われてるんです」
「ひょっとして、六体目の竜ですか?」
「そ、そうです……」
最短コースで会話が進んでいく。女性は竜の事までご存知のようで、ギランなる伯爵などはもう忘れた。
「そうなのですね。それなら偶然にも小耳に挟みましたよ?」
「小耳に挟めるようなもんなんですか……? 小腹が空きましたよ? みたいな気軽さで言ってくれますけど……」
「最後の竜は、神殿上層の地下牢に隔離されているようです。東側に入り口があるので、そこから降りるとよいでしょう」
「あら、解決」
嘘とは思えなかった。嘘を吐くメリットがなさ過ぎる。
しかもかなり具体的なので、信用に足る情報なのではと踏んだ。
何者なのだ、この人は。
「ありがとうございます! お姉さん、変な人だなって思ってすみませんでした!」
「い、いいえ。でも今の上層は危険ですよ?」
「危険って言われても危険だったこと無いんで、大丈夫です! じゃ!」
最有力な情報を入手した。あとは高速で上層の地下に侵入し、囚えられているであろうヒューイのお母さんの牢をぶっ壊して脱出。カース森林に招いて生活環境を整えるなどなど。
俺は一つ頷いて恩人の女性が安全である事を確信し、上層の地下牢入り口がありそうな地点へ向けて、立ち幅跳びを試みる。
「——待ちなさい!!」
「ぬおっ!? なにをするんですかっ!」
樽を掴まれる。ヒステリックに叫んでいたマダムによって、最後の大ジャンプを阻止されてしまう。
「逃げるつもりっ!? 一緒に天女様へ祈るのよっ!」
「嫌ですっ! ちぇい!」
「イタっ——!?」
相手にしていられないので、手首に中指を弾いて痺れさせ、再びジャンプを試みる。
救出に上がって来た騎士達と揉み合いになっている隙に、最短で跳躍する。そして膝を曲げた。
「こんなところにもまだ子供がっ!」
また桶の淵を掴まれてしまう。今度は騎士により、有り難迷惑が挟まれる。
「ち、ちょっと! 止めてください!」
「いいから来るんだっ! 早く避難しなければ! そんな物、早く捨てろっ!」
「止めてっ! 樽に触らないでっ! なんなんですか、あなた! 他人の樽に触るなんて非常識ですよ!?」
真っ裸で階段を降りろと、問題発言を受けながら樽を揺すられる。
「ピュっ、ビュゥゥイッッ」
桶まで揺れてヒューイも苦悶させられる始末。
「っ〜〜! ——ピュっ!」
「あっ!」
我慢の限界を迎えたヒューイが、桶から顔を覗かせて騎士を引っ掻いてしまう。スパンと騎士の鋼鎧を切り裂き、半裸を晒した。
ヒューイが威嚇目的でなければ、騎士さんは真っ二つになっていただろう。やはりカース森林で俺と力加減を学んでおくべき力量だ。恐るべし。
「わぁぁぁぁ!? なんだ、これは!」
「っ————!」
やっと左殿から跳び去って、ベネディクトやジークをハードル代わりに超えて着地。神殿上層へと舞い戻る。
あとは地下牢だ。
「……ピュっ!?」
着地直後、頭の上でヒューイに変化が現れた。
「ピュ〜〜〜〜〜イッ!!」
歓喜が爆発して桶を跳ね除け、端にある地下への階段へと一直線で飛んでいく。
おそらくは母竜の匂いを明瞭に感じ取ったのだろう。
「ヒューイっ!? ちょっと待って!」
慌てて追いかけようとした時、俺の姿を見付けたらしいカゲハが降り立った。
「主、着替えをお持ちしました」
「あ、ありがとっ!」
やっと樽とのお別れだ。惜しむ事なく脱ぎ去って、恥ずかしさもあれども着替えを……。
「…………」
「…………」
子供の姿と言えど中身は魔王。ジッと見つめていたカゲハを反転させ、恥じらいを持って子供服を着る。パンツを穿いた段階から追いかけ始め、着替えながらに地下へと突入。
追従するカゲハを伴い、ヒューイと合流する。
「ヒューイ? ここかな?」
薄暗い廊下を慌てて行くと、中はそこまで部屋数は無く、四つほどで扉が開いていたのは一つ。
迷わずその部屋へと踏み込んだ。
「ヒューイ」
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