第288話、天使に相応しき最強の竜
かの天使に待ち望まれるマファエルは、呪いを受け続け、獣の猛威に晒され続けていた。
「〈三の呪い・
ノロイのオーラを少年の身体に纏う。透明な巨影の口から、何千という長い舌が伸びる。吐き出されるは、呪いの言葉。罵倒、嫌味、妬み、恫喝、教唆、陰口。自らを穢して相手を呪う人の
知性ある獣の恨み節は威嚇音や遠吠え、咆哮となって吐き出される。
吐かれる怨嗟の叫びは呪いの音
「ッッ!? っ……!?」
「——っ!? ッ……——!」
錯乱する竜達はのたうち回り、感覚の失われた巨体で出鱈目に暴れ回る。
今まで正常に働いていたもの全てが、彼等の世界から奪われてしまった。
『————っ、ッ——』
天使も例外なく、醜く薄汚い言の葉の呪力に蝕まれていた。格の衣など意味を成さない。天使の魔力など武器にもならない。
訳も分からず狂乱して思考を止めてしまう。
「……これで与えられた分はほぼ返したな」
一で生まれ、二で育ち、三で呪って、四で受け継ぐ。後に向かえば、より呪いとして強くなるわけだが、オズワルドが受けた報いではもう〈仔〉は望めない。
〈仔〉を産むには、それなりの体力が必要だ。
「〈二の呪い〉で挫くか。そうだな、折角出て来たんだから、もっともっと楽しませてもらおうや」
呪禁を解かれ、憔悴し切って立ち上がった竜へ、ノロイは改めて目を合わせる。
与えた炎や魔力は倍にもなって返され、己が心もすり減らされた。荒々しく荒んだ精神は、肉体にも影響を及ぼす。傷は回復しても、まるで力を発揮できない。
まだ立ち向かえるのかを自問自答するように、王者等はノロイから少しずつ距離を取っていた。
「そろそろ〈牙〉も使おうか。顎の味も見ておきな」
竜の心情とは裏腹に、ノロイは一向に牙を収めない。何故ならノロイが現界できているという事は、まだ報いは与えられる事を意味する。
つまり呪い返しは続行中だ。
「あん? なにやつ?」
何度となく、巨岩。
影に気付くも嘆息混じりに、〈爪〉を使う。傷付けられて研ぎに研がれた始まり時と異なり、ほぼ呪い返して切れ味の鈍った爪だ。
しかし、それでも呪獣の爪がただの岩石に劣る事はない。
「————」
見えざる爪撃の連続。多段して掘削されていく岩石は、空中にて細かく砕かれる。
「ヒャハハハっ!! 呪い返して綻んでた方が、鈍くて切り応えがあるぜっ!」
飛び上がったノロイ。八腕の撃爪でマファエルが乗り移った離岩竜・ジョルマの装甲を、八つ裂きにする。
「ヒャハハハハハっ、ハハハハハはははッ!」
無残な処刑が行われている。飛び乗ったノロイの幻影により、ジョルマの背にある岩はあっという間に切り刻まれ、掘るように肉体を抉り飛ばしていく。
再生など片時も間に合わない。その“獣”にとって地上の生物は等しく栄養源。養分にして、獲物でしかない。
やがてジョルマは…………微々たる手脚を残して肉片や石ころと化してしまう。僅かな残骸を置いて、獣に食い散らかされた。
「……違うな」
いない。竜等が獣に敗北宣言を示す中で、ノロイはジョルマから去っていたマファエルの気配を探していた。
額の岩を放ってすぐに、ジョルマから離脱して囮としたらしい。
つまりノロイが切り捌いていたのは、死体。
「……は? 舐めたマネをしやがって。ノロイ様が手違いをしちゃったじゃねぇか」
罠にかかる獣ほど恥ずかしいものはない。顔を真っ赤にするノロイは、すぐさま天使の気配を探す。
「…………いたなぁ」
エンダール神殿へと飛ぶ小さな影を捕捉した。
金色の紋様のみで飛ぶ翼。天使の羽のみで浮かぶ、何とも頼りない虫ケラ。
愉悦を禁じ得ないノロイは大きな跳躍を見せ、
「よう、何処へ行く?」
『————!?』
即座にマファエルの真横まで跳び、呪いから逃れようとした無責任な輩を捉える。
「まだオイラの〈牙〉が残ってるぜ?」
『〈不運〉』
マファエルにとっての幸運。それはノロイが本気でオズワルドの肉体を媒体としていなかった事。本来ならノロイに運など無関係で、逃げられようもなかった。
けれど今のノロイは厳密に言うならオズワルドであり、〈不運〉の適用範疇であった。
「——カハっ!」
『〈不運〉』
突如として吐血したノロイへ、マファエルは史上初めて二連続での権能を行使した。
伝染病を発病したオズワルドの身体は呪獣のオーラに包まれ、そこへ蟲の群れが突っ込む。マファエルから離され、別方向へ運ばれていく。
半世紀に一度の虫害。数億匹の虫は作物を食い尽くし、重大な飢饉をもたらす悪魔と化す。その正体は、
「……バッタは食ったことないな」
〈牙〉。
「邪魔だ、虫共」
無感情に〈牙〉を使い、黒い蝗の大群に風穴を空けていく。獣の幻影が噛み付く度に、蟲の雲が目減りしてしまう。
噛み付かれたなら消化され、しかし排出される事はなく滅される。生き物への最大の呪いを、退屈にも虫に使ってしまった。
「ちっ」
地上へ降り立ったノロイ。その視線はマファエルが去った神殿へと当てられる。
「…………」
逡巡する素振りを見せるノロイ。だが天使を追う事はしなかった。神殿にいる存在には近寄りたくない。すぐに顔半分を占める“獣”を治め、オズワルドへと身体を返却する。
「あ〜……まぁ甥っ子みたいなもんだから、手は貸してやる。ただ負けるなら、もっと喰い甲斐のある相手にしてくれな。あと、オレは代われる時と代われない時がある。ほとんどが代われない。お前が死ぬだけだ。条件は面倒だからまたの機会な。とにかく、死にたくないなら死ぬな。それだけ。あばよ。ばいば〜い!」
朧げにオズワルドへとメッセージを残し、力が抜けた身体は地面へ倒れ伏した。
一方で、マファエルはある人物を探して神殿の上を飛行していた。
嵐の中で彷徨う蝶の如く、頼りなくフワフワと。
音や会話を拾いながら飛び、重要な役目を担わせた人間を捜索する。
「えぇいっ、離せ! この無礼者め!」
「大人しくしろっ、諦めるんだ!」
そして見つけ出す。
上層神殿内で食事をしていた上流階級の人間達は散るように逃げ、取り押さえられ、一人一人が拘束されて連行されている。
その中に一人、見覚えのある人間を発見する。
アークマンが指導者として抜擢した人間だ。彼はアレが何処に保管されているのかを知っている。
『——ギラン伯爵』
「ぶっ……!?」
心臓が飛び出る思いだっただろう。
端にある建物の陰で騎士を相手に悪戦苦闘していたギラン。突如として〈不運〉により騎士を心停止させて殺し、目の前に降って来た天使に、ギランは唾を吹いて仰天した。
『挨拶は割愛します。時間がありません。ただちに例の個体がある部屋に案内してください』
「ま、マファエル様! 分かりましたっ、こちらです!」
王国軍との戦闘に伴って出されたアークマンからの救援信号は、不運を司るマファエルに届いていた。強引にノロイ戦から脱出した事もあり、素体の確保は最重要となる。
熱風はここまで届き、あのアークマンが苦戦させられている事が分かる。急がなければならない。
「こちらです。今、鍵を開けますので」
瓦礫の散り方や神殿の壊れ具合から、他の竜は下層の地下にあったように思われた。けれどその竜のみは、上層の地下に隔離されていたようだ。
「いやぁ、私だけは捕まってはいけないと隠れていたのですが、目敏い騎士に見つかってしまって…………開きました」
最も奥に位置する暗い部屋の扉が開かれる。
開かれるに連れて、いかにこの竜が他とは一線を画すかを、漏れ出る空気感によって知る事となる。
『…………』
「アレが、水天竜・シュリンです」
人間の想像するところの、天女像を見ているようだった。
美しい形状をした雅な竜。
焚かれた香が充満する暗闇の奥で、息を潜めて眠るは青白い竜だった。水を主に、液体全般を操る能力を持つ、水辺の妃と呼ばれる神秘的な竜だ。
自然界にこれほど美しく生まれた生物が、あとどれほどいるだろう。神に望まれて創られたとしか思えなかった。
この個体ならマリア=リリスを迎えるのに相応しい。いや、これ以上、天使に相応しい竜はいない。
最強にして最高の竜を前に、マファエルは即答した。
『牢の鍵を開けてください。彼女と共にアークマンの元へ向かいます』
「わ、わかりました……」
竜にさえ寄生してしまう天使に、未知の恐ろしさを抱きながらも、ギランは唯々諾々と従った。
猛獣などより遥かに恐ろしい水天竜へ歩み寄り、鍵穴へと震える手で鍵を差し込む。
「…………」
「っ……!?」
立ち上がるシュリンに、ギランの心臓は縮み上がった。香により意識はあやふやな状態となっている筈。
けれど戦場にて暴れた竜よりも強いと言われたなら、臆すのは必然だろう。
『心配は無用です。私がすぐに彼女と同化します』
「し、承知しました……」
ギランは逃げ腰で、再び鍵を握り締めた。
そして、ここで運が尽きる。
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