第287話、ネムの魔術

「急げっ! 早く避難させるんだ!!」


 ネムの指示によって団員達が左殿へ駆け上がり、中にいる子供達を避難させる。樹の根を踏み、残された階段を駆け上がり、子供を中心に神殿上層へ下ろしていく。


 アークマンの兵器による階段の寸断は今もなお行われており、上層にいるネムが魔術やゴーレムにより懸命に凌いでいる。何をしても急がなければならない。


 のだが……。


「止めてっ! 私達は残るわ! ここにいなければならないのよ!」

「何を言っているのだ! 今のを見ただろう!? お前たちを殺そうとしているのだぞッ!」


 抵抗する者がいるのだ。


 左殿にいたのはエンゼ教徒ばかりではない。保身や利得に流された貴族の子息子女も多くいる。


 けれどやはり過半数を占めるのは、エンゼ教徒だった。


「天使様があんた達の魔の手からお救いくださったのよッッ! 私達はここで天女さまをお迎えするわ!!」

「なんと愚かな……! ならば子供だけでも連れていくっ! ここはもういつ崩れてもおかしくないッ!」

「何を言っているのよっ! この子もエンゼ教徒よ! 共に天女様の愛をいただくのッッ!!」


 幼い身で騒動の渦中に晒されて混乱しているのだろう。泣いている子供を力任せに抱き締め、金切り声で騎士を寄せ付けない女性。この女性だけではない。


「下の方が危ないに決まってるっ! あなた達はベネディクト様を殺そうとしているじゃない! だから戦火からお助けくださったのよ!!」


 見方が変われば捉え方も様々。エンゼ教側から敵として見た時、騎士団は山賊団としか思えなかった。


「人質にする気でしょ! 絶対に足手まといにはならないから!」

「止めてっ! 私の子に触らないで……!」

「このっ、このぉー!!」


 中には刃物を振り回して抵抗する者まで現れる。連行されれば何をされるか分からないといった表情だ。身の危険を感じているものが多く見られる。


「ち、ちょっと! 止めてください!」

「いいから来るんだっ! 早く避難しなければ! そんな物、早く捨てろっ!」

「止めてっ! 樽に触らないでっ! なんなんですか、あなた!」


 子供にも激しく抵抗する者がいる。 


 騎士達は選択を迫られていた。誰を助け、誰を見捨てるか。全員を拘束してでも連れ出すのか、はたまた母親から奪ってでも子供は助けるのか。


 それともエンゼ教徒は見捨てて戻るのか。全員を見捨てるのか。


「隊長……どうしますか」

「…………」


 足元は常に激しく揺れている。壁一枚向こうでは、ジークやネムが死に物狂いで戦っているだろう。


 現場を任された騎士長は、苦慮した末に決定を通達する。


「……全員を無力化して連れ出せ」

「しかしっ、それでは戦闘に割ける人員が減ります!」

「構わん。我等では団長等の補佐は務まらん。ならばこちらでは最善の結果を望もう」

「……分かりました」


 騎士隊は総出で避難を強制した。女性や子供達の意思とは無関係に、強行する事を選んだ。


 力付くで女性を押さえ付け、子供を抱え、乱暴でも早急な避難を決行した。


 気が触れたのかと疑う程の絶叫や悲鳴を受け、頭を痛くしながらも左殿から続く長い階段を女性を抱えて降りていく。


「————ッッ!?」


 その間にも兵器剣が階段を攻撃し、墜落の危機に晒されながらも耐え忍ぶ。


「見境ないねぇ……」

「人間の脳を食い物にする生物らしいやり方だ!」


 階段を繋ぎ止めるべく一夜樹を育てるネムが嘆きを漏らせば、聴こえたわけではないだろうが、ジークも苛立ちを叫んだ。


 そのジークは肘までを灼魂竜・アルマグレンの影響を受けて侵蝕され、自在に飛行するアークマンを追う。


 常人には数分も保たない激痛を引き摺りながら、魔剣とも闘いながら卑劣な天使を追う。


「どれだけ人を弄べば気が済むのだッッ!!」

『分からないのは私も同じです』


 飛来する兵器剣を宙返りで避けた先で、アークマンに大翼で叩かれる。


 金属体へ降り立つ瞬間を狙い澄ました翼は、接触したならジークをしても為す術なく滅される。跡形も残る事なく消えてしまう。


「ッ————!?」

「それは危ない。お手伝いしますよ」


 空中で天使の翼が迫るジークへ、ゴーレムを当てて回避させる。


「ぐっ……!」


 荒いにも程がある助け舟だが、前髪を掠めた翼に血の気が引く。この白い魔力は触れてはいけない。


 自分という存在の事実すら、この世に残さず消してしまうのではとすら予感させる。


 無意識にもう少し魔剣との同化を進め、右の背から竜翼が生える。僅かな時間だけ、宙での行動が可能となった。


(駄目だっ、もうこれ以上は渡せないっ……)


 耐え難い激痛と、剣に貪られる自我。竜翼を用いて金属体に降り立ちながら、ジークは猛烈な危機感を察していた。


 これより先に侵蝕が進めば、完全な竜となる。自我は無くなり、竜としての生命活動を始めるだろう。身体の変質を許すのは、ここまでだ。


「だが……」


 かつてない竜炎。正しく強者の炎。天使討伐に、これほど頼りになるものはない。空気を焦がして熱量を上げ、更に起こる灼火は爆炎を連ねる。


「————!!」

『とても分からない』


 灼魂の剣を振り、爆炎をアークマンへぶつける。ゴーレムの足場を跳び回り、人類代表として天使へ刃を振り翳す。炎は炎を呼び、竜炎は執着して天使を包み込む。


「たとえ竜となっても、貴様は殺してみせるッ!」


 使命の火炎で斬り付け、焔が宿る竜腕で殴り付け、人を超えた気迫で天使に挑む。避難を進める団員とネムに代わり、第二天使とたった一人で殴り合う。


『リリス様は皆様を愛してくださいます。何がご不満なのでしょう。世界を救う唯一の方法を阻むのは、何故ですか?』

「チィッ……!!」


 天使の翼が大爆炎すら抹消し、アークマンが単純明快な問いを投げかけた。残滓と散った輝く粒子はジークの竜鱗を焼き、格の違いを遺憾無く見せ付ける。


『あなた方は救世を、単なる我が儘で阻んでいます』

「人間も天使も変わらないなっ! 自分達の都合が良ければ全て良しだ! ならば分かる筈だッ!」

『分かりかねます』

「天使の都合で死ぬ人間がいるように、人間の都合で天使が死ぬだけだ!」

『なんという暴論なのでしょう……』

 

 竜眼で睨め付けるジークが提唱したのは、あまりに身勝手な自己正当化。アークマンは人間の欲深さを嘆いた。


 人間の側に何の不利益もない理屈も理解せず、リリス降誕を妨げるだけはある。


『ならば説破は無意味ですね』

「とうにな」


 明確な生物の壁がある限り、いや、同族であっても確固たる主張を持つならば交わる事はない。和解どころか、妥協すらない。


 そもそも衣をいくら焼こうとも、人の刃は第二天使を傷付けるには不足している。


「足元も覚束ない子供さんを狙っておいて、天使様は言う事が違うねぇ」

『————!?』


 複雑かつ流麗な軌道で、数多撃たれた魔力の矢がアークマンを襲う。


「子供を狙うのは、確かに大人の弱みを突いてる。けどそれは同時に、虎の尾を踏む行いでもあるわけだ。おじさんもねぇ…………頭に来たよ」


 矢はネムの眼前に展開した巨大な魔術陣から放たれ、今までと段違いに緻密な魔術と分かる。


 女子供の避難を見届けたネムが、苛立ちを口にしながら本格参戦する。


「〈霜憑デューク訪凍ホワイト〉」


 新たに魔術陣を編み、アークマンの頭上へ。魔術陣は巨大化し、白い冷気を発するものに。


 凍える冷気を放ち、雪の如き薄青色の結晶が舞い散る。ひらひらと舞い落ちて冷気を振り撒き、ジークの竜火も立ち所に掻き消す。


『…………』

「避難が終わったか! 貴様の奥の手は間に合わなかったみたいだな!」

 

 生命機能を停止させる冷気の魔術を無数に浴び、空気中の水分を瞬間的に凍らせ、アークマンの身体はあまり余る氷雪で固められる。


 離れたゴーレム片へ飛び退いたジーク。火を散り散りに熱気を放つ竜腕をも凍らせる寒気が降りかかっていた。


 動きが止まったところへ、


「長々とやるつもりはないんだ。早く帰りたいんでね」


 氷結する第二天使を、四方八方からゴーレムが挟み打つ。猛烈な速度で結集し、アークマンを氷塊ごと打ち砕く。


 続いて当たり前に無傷のアークマンを、渾身の猛火が襲い掛かった。


「堕ちろッ————!」


 金属体の足場と氷塊を高速で移動し、片翼の竜戦士が爆炎を叩き付ける。何度も何度も、爆炎が消えぬ内から竜炎をぶつける。


 そして、——天使の翼により、無力化される。


 しかし格の壁は、取り払われた。


『我等の羽ばたきは母を妨げる者等を——』

「〈震えジェイク吼砲ロード〉」


 黒煙が晴れた時、ネムの震えは完成されていた。


 戦禍の激震、地を猛打する足鳴り、爆発や怒号に至る、響き響いた振動は今、ネムの元へ集められた。


 あの日より大きな歪む球体を翳し、得意の魔術を撃ち出す。


「今なら通る筈だよね?」


 半透明に揺れる崩しの波動が、天使アークマンへと放たれた。天使の衣は同族の力を取り込んだ竜炎に剥がされたばかりで、格の壁は破られた。


 物資を分解する超振動の砲撃。筒状に突き進む震えの激流。


『ッ————』


 取れる手段は一つだけ。


 アークマンは己が身に宿す第二天使の魔力を前方へ展開。〈寝所〉を傷付けないようにしながらも、想定外の現象を高純度の魔力に呑み込み、消失させる。


「グッ————!?」


 猛烈な閃光の巻き添えとなりつつあったジークが、竜翼をはためかせて離脱。ネムの足元へ飛び退いた。


 所詮は天使の衣が無くなれども、魔力を浴びせたなら人の術は無力と化す。敗北は無い。


『————……っ!?』


 選ばれし証である白き魔力が、吸われていく。自分ではない何かに導かれて、前方へ連れられていく。


 穏やかな表情を変えないネムの持つ杖。示す先に誘導されて、集められていく。先端に刻まれたのは、同族であるハクトの血で書かれた魔術式。引き寄せられた多量の魔力は、既にネムを術者としてアークマンへと牙を剥く。


「流石に、これを魔力で防ぐのは難しいんじゃないかな?」

『…………』


 灼魂竜の剣は問題ない。ネムの魔術も真の脅威には及ばない。衣無くとも、第二天使の肉体と魔力はそれだけの権利を持っている。


 だが、それだけはどれほど危険かを、第二天使は誰よりも自覚している。


『————ッ!!』


 焦るアークマンは剣で薙ぎ、槍で突き、矢で射る。兵器の性能を全開で強襲させる。


「わたしは殺せないよ。何故ならアンタら天使は、弱いからだ」


 鼻で笑うネムの周囲が歪み、魔眼により全ての兵器が歪む。軌道の先は決してネムに届かず、捻じ曲げられ、天使の意は突っぱねられた。


『っ…………』


 避けるしかない。


 極太の矢と化した自身の魔力を前に、言葉無きアークマンは即座に回避を選択した。


 ネムは瞬く間にして、真にアークマンの喉元に辿り着いてしまう。


 だが…………運はここで尽きる。


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