第284話、コモッリの処刑人


「……出会ったのは馴染みのレストランだ。新しく入ったウェイターが粗相ばかりで、目に付いたのが運の尽きだった」


 かけた言葉は『よくもそうまで失敗を重ねられるものだな。清々しいくらいだ』という辛辣なものだった。テーブル近くで食器を落とした際に、皮肉を込めて言った。


 すると返されたのは笑顔と『ありがとうございます』という奇妙なものだった。


 理由を聞くと『嫌味でも、この街へ来て初めて褒められたから』だそうだ。


「お前が知っているのかは知らないが、奴はそのころ母親を亡くして天涯孤独だった。だから少ないツテで住み込みの仕事を続けるしかなかった。やった事もないウェイターをな」


 母が苦労していたのは知っていた。だから尚も苦しませ続けるコモッリに、当時からより一層の憤りを感じていた。


「何かが気にかかった。だから時間を潰そうと考えた時にはレストランを多用した。話す機会も増え、その度に土産もくれてやった」


 まるで恋する青年の話だ。自覚なき青い恋を聞いているようだ。


 今の激しい憎しみを思えば、それだけ純真に愛していた裏返しだったのだろうか。


「誰も彼もがあの女に事情を聞き、同情し、ほだされ、あっという間に看板娘となった。店は売り上げを伸ばしていただろうな」


 語気は再び、徐々に強いものとなっていた。


「この時に気付いておけばっ! 奴は多くの男に媚を売り、端から粉をかけて回り、品定めしていたのだ!」


 人気者は多くの男に声をかけられ、コモッリはその中の一人に過ぎなかった。特段に仲を深めていると錯覚していたコモッリは、後に重い痛撃を胸に食らう事になる。


「交際から子を宿したと分かった頃、いつまでも宝石やアクセサリーを身に付けない奴に不信感を持った。だから家の者に調べさせたのだ」

「それで、他の男性に渡していたところを見たのですか?」

「そうだ。調べようにも訳の分からん男だったがな。奴の故郷の人間でない事だけは確かだ。結局のところ、奴は最後まで口を割らなかった」


 白状しない事もコモッリに更なる怒りを抱かせた。それだけ、その男を愛していた証なのだから。


 コモッリは沈痛に胸を蝕まれ、締め付けられながらも考えたのだろう。不貞と詐術に対する罰則を。


「……だから生まれて来た子供と一緒に、屋敷で虐げていたのですか。納得などありえませんけど、理解はしました」

「女の居所を教えてやる。私を欺いた奴の罪も、貴様との縁も切ってやる。だから私が王国軍突入の手引きをしたと報告して、無罪放免を訴え出ろ」

 

 コモッリの言い分は終始を通して一貫していた。


 被害者はあくまでも自分で、全ては屈辱と愛憎による正当な罰に過ぎない。今も尚、愛を裏切られて胸を痛めている間は、コモッリ自身は加害者とはならない。あくまでも被害に対する報いであって、加害にはならない。


 償うべくはリリア達に他ならず、それを免除するというのだから受けない手はない。


「……あなたが仮にお母さんから騙されていたとして、売られた私やお母さんが受けた仕打ちは別物です。別の事件です。それにお母さんが罰を与えられるとしても、あなたが決める事ではありません」


 贈り物を他人に譲渡しただけで、犯罪に繋がるとは思えなかった。だがコモッリ……パーター家は確実に多くの犯罪を犯している。


「あなた方が犯した犯罪も、私には何も関係ありません」

「このっ……!」

「あなたはあなたでした。話を聞いた上で、やはり変わるものはありません。私は私の知っているお母さんを信じています」


 安堵の溜め息を吐きながらも、リリアは結論を下す。やはりコモッリは信用ならず、カゲハに任せるのが最善と己に念じた。


「ヒサヒデ、お願い」

「————」


 頭に乗る梟の眼が、変わる。


 光の線が走り、描き、編まれ、魔術陣が浮かび上がる。鮮やかな紋様は洗練されており、神鳥の魔力が及ぶ範囲において、作用し始める。


「っ————」

「————」


 怒鳴り付けようとしたコモッリを始め、パーター家、部下、そして炎までもが停止した。


 消失するのではなく、揺らめきもそのままにして燃焼現象が硬直してしまう。


「……炎は消していいですよ?」

「…………」


 瞬きを返した梟は、リリアの言う通りに油へ引火した炎のみを消す。


 煙すら上げずに鎮火した後に残されたのは、身動ぎ一つしない人形達のみ。彫像のように固まる人型を残し、リリアはその隙間を縫って通り過ぎる。


「そのまま捕まって、ズバッと裁かれるがいいです。今までの分も。それと言っておきますが、私の名を持ち出しても無駄とだけ伝えておきます。極刑か、監獄で死ぬまで可愛がってもらうといいです」


 通る際に見る見慣れた面々から受けた、日常的な暴力や罵倒。物心ついた時から酷使され、親子共に倒れた事は一度や二度でない。嫌がらせで死にかけた事もある。


 同情の気持ちは、やはり無かった。


 己が騎士団へと合流し、貴族派や敵兵の拘束。牢馬車への移送を指揮すべく向かう。


 このままなら事なきを得ただろう。少なくとも、この場では。


「…………」


 しかし人間の持つ心の機微に疎い神鳥は、不思議でならなかった。リリアの考えがまるで読めない。


 どうして、自分に真偽を確かめるように願わないのか。


 さすれば即座に母親の安否は知れる。居所も過去も、何があったのかもつぶさに判明する。リリアが求める答えはすぐ頭の上にある。


「————」


 毛むくじゃらの首を反転させた神鳥は、気を利かせてすぐにも魔眼を使用した。


 好かない人間を掌握し、本人の自我を封じる。脳を支配して記憶を探らせ、人間が知っている情報を口から吐き出させた。


 どのような結果になるかなど、想像すら出来ずに。


「——リリアの母は、既に死んでいる」


 強制された自白。コモッリの平坦な台詞は、リリアの足を止めた。


「子爵から求められ、リリアを送る事を決めた日だった。何処から耳に届いたのか、聞き付けたあの女は私にしつこく言い迫った。今まで見た事がないほどの剣幕で、激しく怒鳴り付けて来た」


 真実が語られる。母に起きた真実が、当人であるコモッリから語られる。


「絶対に許さない、あなたの子なのにどうして、どうしてもと言うならリリアを連れて逃げる……」


 あの日にぶつけられた女の文言は、コモッリに強く残っていたようだ。


「……頭に血が上った私は、その当時に問題となっていた山賊団が住まうアジトの場所を教えた」


 母の末路は想像を絶するもので、コモッリにより残酷極まる仕打ちをされていた。


「そこへ、既にリリアを送ったと言ってやった」


 背中合わせで静かにコモッリの言葉を受け止める。残酷な真実を、受け止める。


 静かに、何も発さず、沈黙して。


「顔を青ざめさせて、すぐに出て行った。勝手に家の馬に乗って姿を消した。その後、何かの用事で出ていたリリアは戻り、女は帰って来なかった」


 そして、遂に無情な宣告がされる。


「翌日、騎士団により殲滅された山賊のアジトにて、無残な女の遺体が見つかった。向かう途中で騎士や兵士に助けを求めたらしいが、結局は断られて一人で向かったのだろう」

「…………」

「この目で、しかと確かめた」


 言うまでもなく、残虐非道な行いをされた上で殺されただろう。山賊達により、コモッリにより。


 何も知らなかったあの日の顛末を、リリアは知った。


「…………はぁ」


 呆れ果てたとばかりの溜め息だけが返される。


「そんな事だろうと思いました。あなたは相変わらずですね……」


 どうやらリリアも察していたようだ。


 念の為に確かめようとしていたようで、コモッリへの関心も完全に失い、また歩みを進める。


「…………」


 神鳥は欠伸をして、呑気にも毛繕いを始めた。人間達がどうなろうと知った事ではない。お気に入りのリリアが無関心ならば価値すらない。


「…………?」


 けれど……神鳥はそれにまでは考えが至らなかった。


「…………」

「…………」


 ふと見下ろせば、無言で……滝のように涙を流すリリアがいた。耐え難い悲しみに顔をくしゃくしゃにしながら、溢れ出る涙で静かに顔を濡らしていた。


 母が生きているとの微かな希望を、リリアは確かに抱いていた。どうか生きていて欲しいと、一縷の望みを見て一心に祈っていた。


 それが予期しない時に、予想だにしない形で、唐突に挫かれてしまう。卑劣な嘘を、暴いてしまう。


「…………」


  俯いた神鳥はリリアの心情を、ようやく察した。


 カゲハに頼もうとしていたのは、探し出せなかった時も、最後の希望は持ち続けていたかったからだ。所在も安否も分からないのなら、まだ世界の何処かで生きているかもしれないのだから。


 神鳥は自分が余計な真似をして、リリアを失意のドン底に突き落とした事実を知る。


 会いたいという切実な想いも、抱き締めたいと願う些細な我が儘も、生きていてと祈る必死の努力も、たった今、砕いてしまった……。


 大好きな母を二度も失い、止まらなくなった涙。細かく震える身体の上で、猛省しても取り返しの付かない失態を知る。


「…………?」

「…………」


 意気消沈するヒサヒデ達の背後で、破砕音が響く。


 人体の防御値を大きく上回る力を受け、コモッリの左膝は服や肌、骨も砕いて千切れて飛んでいた。


 掠めた右膝も同様だ。皮一枚で繋がり、断面からは割れた骨や血肉が見えている。


 そしてヒサヒデに囚われ、言葉も漏らせないコモッリの前に立つのは、小さな人影。胸中でのみ絶叫を上げて、脳を焼く激痛に晒されるコモッリ。その処刑人。


「ガルルルルッ……」

「レルガ……」


 本物の怒りを露わに牙を剥き、肩を震わせるレルガが立っていた。


 見た事もない眼をしている。敵に向けるものには違いないが、いつもとは違う鬼気迫るものを感じる。


「————ッッ!!」


 目にも溜まらない速さで、レルガによる処刑が始まる。打ち付けた拳は床も砕き、肉も骨も耐え切れず破裂。蹴り付けても鈍い音で弾け、コモッリを出来る限り生かしながら暴れるままに壊していく。


 そして激怒している者は、もう一人。


「目障りだな」


 目付きは異様に鋭く、いつものお調子者らしい様子は陰も形もない。カゲハもまた、見た事のない殺気に滾る眼差しをしていた。


 虐げられて来た彼女の時を思い、ひとえに殺意の獣と化していた。友をこれ程までに悲痛に晒した要因を、全て殺し尽くすつもりだ。


「————心中のみでいい、詫びろ」


 カゲハは並み居る人間達へ、影を飛ばした。


 白黒混じりの灰色の人影は、魔力で出来たカゲハの影。ひとつの動作を仕込んだ、残像の打撃。


 突っ立つカゲハから影が飛び出して行き、上段回し蹴り、跳び蹴り、前蹴り、下段回し蹴り……などといった各々の挙動を取り、多方の人間を次々に打つ。


 鞭が鳴ったような音を立て、しなりの効いた強烈な蹴り技が人間の各部位を破壊した。拷問だ。問いなき拷問。ただ苦しめと、非人道的な罰を下した。


「その子に詫びろ」


 また飛び出す影が、また別の部位を破壊する。方々に疾走する蹴り技が鞭の如く人体を打ち、肌から神経へ激痛を送り込み、無防備な敵対者へ責め苦を与える。


 痛みを表現する事も出来ず、過度なストレスも相まって、それでも失神する事すら叶わず責められ続ける。


「詫び続けろ、愚物共」


 口元を覆う黒布越しに嗜虐的で冷酷な笑みを覗かせ、パーター家を中心にカゲハも出来る限りの苦痛を義務として押し付ける。


 驚くべき魔力技巧により、立つまま分身によって人体を壊していく。蹴りによって肌を破り、肉を削ぎ、指を切り、骨を砕く。複数人を一度に纏めて、不必要に捌いていく。


「どけ」

「おっと……もうほとんど死にかけているぞ?」

「まだやる」

「そうか、では任せよう」


 人の形では無くなっていた。死に絶えたコモッリを投げ捨て、次の獲物へ。


 処断をレルガに任せたカゲハは、申し訳なさそうに頬を掻きながらリリアへと歩み寄る。


「……これはやり過ぎだと、主から怒られるかもしれんな」

「…………」

「今日はもう休んでもいいだろう。このあと主の元に参るので、そこで伝えておこう」


 呆然とするリリアへ、慎重に言葉を選んで告げる。慰めの台詞などに意味はなく、半端な言葉は無責任の汚名を被るだけだ。


 それとなく落ち着く時間をと、精一杯の気遣いを知らせた。


「……大丈夫。今は何かをしていたいから」

「そうか……」

「レルガにも、大丈夫だからって伝えて。私はもう行かないといけないから」

「あぁ……ただ上層の奥には行かないようにな? もう激戦となっていて、数人の暴れ舞台となっている」


 姉のように微笑んでリリアの頭を撫で、危険を知らせた。


 上層で鳴る爆音よりも、レルガの生む破壊音は大きく、幸いにも周辺の者達は中層神殿に近寄るつもりすらない。


 だが競り合って激突する上層は、より周りを置き去りにして鎬を削っていた。

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