第283話、母の過去

 母を探す子と少年が上層へ上がり、次なる行先へ向かう頃、入れ替わりに果敢な一団が中層へと到達した。


 三つの階段からの進軍でほぼ同時に下層へと至り、アークマンの元を目指す王国軍。いよいよ元凶を目の前にして誰もが息巻き、敵陣にて軍靴を踏み鳴らす。


 内部の者等は片っ端から拘束され、ある程度を纏めて連行していく。化け物の専門家と言えるジークに続いて、攻略班のみが脇目も振らずにベネディクトを目指す。


 全てが王女セレスティアの計画通り。むしろ容易いにも程がある。彼女の想定よりも上手く事が運んでいるとすら思えた。


「っ……!? 油をいたかっ!」


 灼魂竜の魔剣を手に先頭を行くジークが、炎が敷き詰められた燃える中層に眉間を寄せる。


 けれど何か差し障るなど、足を止める要因になるかと問われたなら…………否だった。


「撒いたって言っても……端から避けて行けそうだねぇ」

「何がしたいのか分からないが、階段から流したなら多少の打撃は与えられただろうにな」

「多少のって程度でもないでしょうけどね。わたしがいて、魔術でもない火は通しませんよ」

「何でもいい……行くぞッ!」


 剣の影響もあり、血気が盛んだった頃に戻ったジークは止まらない。ベネディクトを目指して炎の神殿を突っ切って、直線的に走っていく。


「他の人は真似しないでね。迂回うかいして後を追うよ」

「はっ!」


 団員達には常識的な指示を出し、ネムもまた上層へと続く。神殿横を通り、階段を何段も飛ばして上がり、神殿を前にするジークと合流する。


「…………」


 ジークが冷めた眼差しで見るのは、騒ぎにも無関心に昼間から宴を楽しむ貴族派の者達だった。戦闘や罠に四苦八苦の多難を送るエンゼ教の使徒とも違い、ただ贅沢を堪能している。


 古代の上級民を思わせる布切れ一枚での優雅な生活も、状況と人物により目も当てられないものとなっていた。


 今まさに死んでいるものがおり、王国民の危機である現実を思えば、殺意が芽生えるのは自明の理である。


 斬り殺して進もうかと本気で迷うも、ジークは近くに立っていた【黒の騎士団】副団長のローエンの元へ。


「すまない。手筈通り、こいつらの捕縛は任せたい」

「無論、承りました」

「ところでリリア団長はどうした」


 身振り手振りで団員達に先を急がせながらも、姿の見えないリリアを憂いて問う。


 返って来たのは、予想外な答えだった。


「団長は、例の人物達の無力化を買って出られました」

「……あぁ、アレか」


 思い当たるのに時間は必要なかった。


 彼女にとっての因縁の相手がいるのは、初めから分かっていたのだから。


「我等はジーク殿らの支援を命じられており、謀反人の捕縛を担っております。特に問題はないかと」

「問題視はしていない。……情に流されて逃がさなければだがな」


 中層神殿の屋根を見下ろし、対峙しているであろう少女を危惧する。肉親を慮って逃がす事はないだろう。


 だがあの男のあの口振りを受けた彼女は、馬鹿な真似を選ぶのではと危ぶむには、不足ないものだった。




 ………


 ……


 …




 灼熱の中に取り残されたパーター家と、数名の部下達。煮えた油に付いた火は、猛火となって辺りに流れ出た。


 やがて作られたのは、自業自得を体現する火炎の牢。


「…………」

「…………」


 熱気にカーテンのように揺らめく陽炎越しに、娘と父が視線を交わす。


 かつては虐げられ、虐げていた関係。強き立場を悪用して、力任せに押し付けて従わせていた間柄。


 今回、怒りの眼に射竦むのは、


「っ…………」


 父親の側だった。


 リリアの眼に宿る憤りは虚勢ではない。何がそうさせるのか、おそらくは立場だろう。それとも、何処かで学んだのか、腰元にある剣故だろうか。


 いずれにしても、あの頃とは別人に逞しくなっている。


「…………」

「なっ!?」


 ふくろうを頭に乗せて歩み出すリリアに従い、炎のカーテンが開かれる。まるで神殿の主人を出迎えるかの如く、摂理を捻じ曲げた現象を引き起こした。


 リリアが神殿内へと踏み入ると、やはり決まり良く炎は閉じる。行儀良く開き、閉じてしまう。


「あなた達を拘束します」

「…………っ」


 想定は悉く裏切られる。母親の居所を気にしていない筈がない。開口一番から口を突いて出るのは、辛抱堪らず問いかけてしまうのは、母親の安否や居場所でないとおかしい。


 けれどリリアは情など見せる余地もなく、投降を義務付けた。


「……読めたぞ。尋問に期待しているなっ……?」

「卑怯者めっ! 恥を知れ、恩知らずめ!」


 憎々し気に言う父コモッリに続き、長男のバットも妹を罵り吐き捨てる。


 憎々しく睨む視線が集まる。だがリリアは感情的に返すわけもなく、表情の険しいコモッリへと冷静に返答した。


「……あなた程度が隠せる範囲は限られています。黒騎士様にお願いしなければなりませんけど、私の友人なら数日以内に見つけてくれます」

「出来るものかっ! そのような類にはいない!」

「生きているという情報が真実ならば、です。友人なら必ず見つけてくれる筈です」


 既に心は決まっている。リリアにはコモッリにこれ以上の猶予は、一欠片も与えるつもりがなかった。


 弱い心は漬け込まれる。弱みを見せれば付け入られる。そうして利用され、小間使いとしてすり減らされ、使い捨てられたのだから。


 もう目の前の人間に、弱い自分は決して見せない。たとえ母が関わっていようとも、彼女に誇れる態度を貫こう。


「あなたは俗に言うクズです。あなたを信じるほど、私は愚かではないです」

「……クズか、ならば教えてやろう」

「何をです……?」

「あの女がどのような女なのかをだ。私がクズならば、あの女はなんと呼ぶべきなのだろうな」


 コモッリの雰囲気が変わったのを、リリアは敏感に感じ取っていた。


 感じられるのは今の今までみせていた、高慢で驕り高ぶったコモッリとは異なっている。むしろ傷心により弱々しく、やがてそれは激しい苛立ちに変わっていく。


「裏切ったのは、あの女の方だッ……」

「…………何の話です?」


 芝居とは思えなかった。あのコモッリが歯を食いしばり、母を憎悪していた。


 吐露されたのは、“裏切り”という聞き捨てならない言葉。明るく温和な母とは無縁なものだ。


「貴方っ、もう止めてっ!」

「言い寄って来たのは誰だと思う」

「止めてったら!」

「私か奴しかいないだろう。どちらだと思う?」


 しがみ付いてまで妻が止めようとも、問いかけるコモッリは止まらない。もう聞きたくないとする妻にも構わず、娘へ問う。


「貴方ッ!!」

「黙れぇええええええ!!」

「ッ……!?」


 初めて見るコモッリの感情を剥き出しにした怒りの形相。そして初めて聴くヒステリックな怒声だった。妻も、息子も娘も部下も、誰もがコモッリが感情に任せて怒鳴る姿など見た事がなかった。


「答えないのなら教えてやろうッ! 近寄って来たのは奴の方だっ! 私の金目当てになぁ!」

「……有り得ません。お母さんはお金に執着の無い人でした」


 乱心そのものとなったコモッリだが、所詮は逃げ延びる為の演技だとリリアは冷めた目を向ける。


 しかしコモッリは喧々とした感情を治める事なく、女の面影を残すリリアへ怒声を見舞う。指差しを突き付け、追い込まれた現状もあり、感情のまま語り聞かせた。


「あいつ自身はなッ!! だが奴は他の男へと貢ぐ為に私へと擦り寄っていたのだッ! あの売女は私がくれてやった宝石や贈り物を、男へと貢いでいたのだッ!!」

「っ…………」


 語られたのは、母とは無縁の類の話。予想だにしない内容を真に迫る様子で説かれ、二の句は告げられなくなっていた。


 無論、コモッリの発言が真実とは限らない。むしろ彼の日頃からの言動を考えたなら、虚言であると考えた方が説明がつく。


「だと言うのに働き口が欲しいからとっ、貴様が本当の娘であるかも分からない内から雇ってやって! 何が悪いッ!! 少しは役に立つのは当然だろうっ!」

「私は嫌で嫌で仕方なかったです。でも母はあなたの子だと断言していました」

「どうだかなッ! 交際していた三年間も私を謀っていた女だぞ! 私どころか、あの男の子供かすらも分からんわっ!」


 始まりは純愛であるかのような物言いだった。愛は裏返り、強い憎悪へ。


 リリアには俄に信じ難いが、ある変化がコモッリの主張を裏付けるように示された。


「っ…………!」


 思い出すのも嫌と、夫人が唇を噛み締めていた。まるで屈辱か恥辱に耐えるように、血が滲むほど思い切り。夫人は婚約者であったが、母とコモッリが愛し合っていた頃を知っているのだろうか。


 まさかという思いが、心中に生まれるには十分な反応だった。


「愛していたと言うのですか? あなたが? お母さんを?」

「…………」


 荒い息を繰り返し、その内に冷静さを取り戻したコモッリは、呼吸を整えてから返答した。

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