第281話、天使と獣

 それは獣だ。呪いの本質でもある因果応報。人を呪わば穴二つと言われるように、人に向けた呪詛は己が身へと返る。呪獣はそれを体現している。


 獣には復讐する牙があり、爪がある。手負いであればある程、追い込まれれば追い込まれる程、恨みが募れば募るほど鋭くなる。


「ヒャハハハハハハッ!!」


 獣は止まらない。概念として纏う見えざる弩級の体躯で疾駆し、宙に浮かぶ仮の姿は労せずして災害を振り撒く。


 悪辣に笑いながら、面持ちを痛快感に歪め、爆発するダゴのひずめも弾き飛ばし、ついでとばかりに腕を払い斬爪で胴体をほぼ両断する。


「っ————!?」


 鱗の壁と筋肉の鎧を纏うダゴの胴が、さいの目状に解体される。見えざる八脚による破茶滅茶な引っ掻きは、竜の皮や鱗など容易に破り、食い込むままに肉を掻き飛ばした。


 ダゴは右半分を超えて、瞬間的に骨肉を半分以上も失ってしまう。


 けれどそれは遠目から見る者には、ほとほと奇異なものに見えていた。


「………………なんだっ?」

「竜が…………勝手に、倒れていく……」


 浮かびながらにして移動する小さな人影。おそらくは魔術だろうと予想して納得。ただ問題は、王者たる竜だ。


「————!」


 額の岩石を飛ばしたジョルマ。しかしその岩は僅かに投げ上がり、————突如としてジョルマの額へと返る。


 それどころかジョルマの顔面すら地面へ押し潰し、岩も粉々に粉砕されて頭部は形も無くなるほど潰えた。


 前脚を上げて踏み付けたダゴと同じく、勝手にだ。


 まるで……その人間へ仕掛けた仕打ちが、己へ跳ね返ったかのように悲惨な目を見ている。王国軍とエンゼ教徒達には、そう見えている。


「ははははははははっ!」


 微かに耳に届くのは、さも愉快げな少年の笑い声のみ。


「————!?」

「っ……!!」


 人の周りで警戒していた灼魂竜と蒼冠竜が、何もない空中で縛り付き、屈強な竜体が枯れ木の如くへし折れていく。


 紅炎がどれだけ吹かれても、蒼炎がどれだけ猛きとも、呪獣は必ず応えてしまう。竜から仔猫のように可愛らしく戯れられるも、責務として応えてしまう。


 軟体化した屈指の竜王達を放り捨て、ノロイは瞳に魔術陣を浮かべる。


「これはオレ様の力じゃないがな。勘弁してくれ。そこまで跳ぶのがメンド臭い。便利なものがあるから使わせてもらう」


 殺意を送っておきながら、一人だけ難を逃れる妖姫飛竜・サンバーン=クインを見上げた。


「嫌う、憎む、蔑む、それらの感情だって、時に呪いとなって生き物を殺す。特に人間はな。それで呆気なく殺されてしまう」


 魔眼の作用でサンバーン=クインを掴む。


「それは恨みに繋がり、憎しみが形となって返されるかもしれない。恐ろしいだろ? だから呪いは怖くて醜くて、病み付きになるんだ」

「ッッ————!?」


 急速に墜落するサンバーン=クイン。天空を棲家とする妖姫飛竜が、翼でも抗えない力で地上へ引っ張られる。体験のない自由の効かない空は、思いの外に居心地悪く、最悪と言って良かった。


 しかし自由を失い、中身が浮くような不快感はすぐに終わる。地面へと急下降して叩き付けられ、圧迫感から叫びさえ無く砂塵を巻き上げた。


「ッ……————っ!?」


 だが更に引っ張られる。地底の地獄から呼ばれる。地中へ埋もれても止まらない。引く力は止められない。


 ストレスで竜毛は禿げていき、極度の引力により血は流れ落ち、けれど魔眼は止まらない。


「ははっ、いい働きをする眼だ」


 やっと狙いを変えて、それぞれ肉体を復元した竜達へ眼を向ける。


 雄々しき三体もの竜体も魔眼で掌握し、地面へ押さえ付ける。四つの魔術陣に竜王達が引き潰されていく。


 ジョルマを乗っ取るマファエルを見るノロイは、竜や視線とは別に気にかかる事があった。


「…………」


 ふと気が付いたのだ。


 ノロイの関心は、オズワルドへの返礼にあった。


 というのも、ノロイはこの身体に長居をするつもりはない。もっと優れた、もっと酷な仕打ちにも耐えられる肉体を、既に見つけてあるのだから。


「あの魔王を殺れる程に、力を使えるわけでもねぇしな」


 そこでノロイは考えた。考えた末に答えを見付ける。


「……両方が同じなんて損だよな。片方は別の方がお得だ。きっと喜ぶぞう?」


 オズワルドの右眼を抉った。


 抉り取った右眼に浮かぶ魔術陣を眺め、顎に手を当てて軽く思案する。


「……夢あるやつがいいよな」


 オーラを宿した人差し指の指先で、眼球を傷付けていく。焼き付け、引力の魔術陣を書き換えていく。呪獣ならではのオマケも添えて、贈り物とした。


「オレのアイデンティティを盛り込んで…………う〜ん、これでいいだろ」


 再び、右の眼窩がんかに目玉を嵌め込み、元通りに戻した。


「はっはっは、申すな申すな。感謝を申すな。親父の方から駄賃はいただくからな」


 などと巫山戯ふざけている間に、魔眼の余韻から抜け出した竜達がノロイへの怒りに滾る。


 未だ王の矜持を崩さない彼等を代表して、ジョルマに寄生したマファエルが声を上げた。


『分析は出来ました』

「分析……? ほぅ、採点してやろう。人間の間ではこういう優劣のある関係性があるんだ。大体が性能に大差ない奴等なんだがな。オレ様は違う。オレはノロイ様だ」

『あなたはおそらく、不滅です。ですがその人間が耐えられない攻撃を受ければ、少なくともこの場からは消滅するのではありませんか?』


 マファエルの考察によれば、ノロイは攻撃を率先して受け入れるものの、岩石や竜炎を受ける事は拒んでいた。


 傷を与えられる毎に、その力を増す存在が受け入れなかったならば、当然ながら理由がある。


 マファエルは冷静に分析した結果、ノロイは常軌を逸して恐ろしいが、攻略する術がないわけではないと結論付けた。


『あなたの周りにある存在感も、実在はしていません。あなたは風や土煙の影響を受けています。あなたは、その獣が実在したならば可能であった事象を、現世へと引き出せるようです』

「…………」

『結果、その母体が耐え切れない攻撃を当てたなら、あなたは敗北します』


 マファエルは確信めいてノロイを看破した。


 自慢げに語られたノロイは、間の抜けた顔をして暫く返答に苦慮する。


「……なんだ、ただの正解か」


 確かに現在のノロイに、防御力は無い。野晒しの状態に等しい。オズワルドの身体から〈爪〉などの武器しか使えない。


 人体を丸々と呑み込む炎、潰れたならノロイの回復する余地の無い巨岩、蹴られたなら血の霧と化すダゴの脚力……。


 呪獣は地上で、非常に難儀を余儀なくされていた。


「聞いて損した。そんなもんは初めから何の弱みにもならねぇんだぜ。本当に強いのは、まだ使ってないんだからな」


 オズワルドの身体がノロイのオーラに包まれる。


「〈三の呪い〉」


 四の〈仔〉に次ぐ凶悪さを誇る呪いが、マファエルと竜王達を襲う。



 ♢♢♢



 解決されるべきは何か。祈りだ。祈りの成就だ。


 アークマンはベネディクトの殻を脱ぎ去り、天使として本殿まで飛び立つ。


 〈聖域〉を発動して、〈寝所〉を生成し始める。


 母が目覚める為の〈寝所〉を、寝床を支度し始める……。












〜・〜・〜・〜・〜・〜

12章、終わり。

先に言っておくと、アークマンのイメージは、ハニワです。

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