第280話、不条理な死が呼び起こすもの

 ここでハクトが起きたなら、間違いなく激昂して新たに破茶滅茶な成長を見せ、マファエルと激闘を繰り広げていただろう。


 だが“重度の不運”は、そのような希望を残す余地はない。


 倒れるハクトは完全に戦闘不可能となっている。


『…………』


 しばらく怯える一同を見渡すも、立ち向かって来られる者はもういない。心は根本から完全に折れている。屈服している。


 この場は対処済みとして、次は神殿内へ侵入しようとしている勢力に対応しなければならない。主要な人物へと〈不運〉を使い、アークマンを手助けしなければ。


 マファエルは意義に従い、エンダール神殿へと翼をはためかせた。


「何処へ行く」

『…………』


 背後からかけられた笑い混じりの跳ねる声に、飛び立とうとしていたマファエルの動きが止まる。その声は有り得なかったからだ。


 聞き間違う事など有り得ず、声の主は…………オズワルドだった。


『…………』

「こんなもの、なんて事はない。不運万歳。この通り、まだまだ死んでいないぞ? 天使ちゃんの目は節穴だな、ははっ」


 振り向けば、やはりオズワルドがいた。


 全身を余す所なく壊死させ、それでも二足で立ち、愉快気に手を仰ぎ広げて微笑むオズワルドがいる。


「お、オズワルド……? 無事なのかっ?」

「うん?」


 気遣う騎士に振り向いたオズワルドは、死人の身体をしているとしか思えなかった。


 謎の変色は全身を覆い、口元からは血が流れ出ている。


 しかも一見すると、呼吸をしているのかも怪しい。


 けれどオズワルドは何不自由なく立ち、何違和感なく動く。

 

「…………あぁ、そうか。ちっ、面倒だな」


 騎士を少しの間だけ眺めていたオズワルドだったが、ふと何かに考えが至ったのか独り言を呟いて視線を外した。


「っ…………」


 騎士は無自覚に一息を吐き、狙いが逸れた事を安堵していた。


 誰もがそうだ。


 誰もがマファエルに対してではなく、オズワルドに腰が引けて身構えているのだが、その事実を自覚する者はいない。


「死にたくないよな?」

「……何を言っているのだ?」

「当然だよな、愚問だよな! さぁ、分かったなら、帰った帰った! 死はいつでもお前達自身の責任だ! 誰も責任を取ってくれやしないぞぉ!」


 オズワルドが手を叩いて促すも、戦場には沈黙しか残らなかった。


 右を見て、左を見て、それらを確認したオズワルドは続けて言う。


「……あと十秒しか待たない。オレは逃げろと教えた。何故かなんて言うまでもない。この場に残れば、奴かオレによって死ぬからだ」


 オズワルドの中に得体の知れないものを見る。


「っ……、……」

「…………っ」


 震える程に悍ましく、想像も付かない程の恐ろしいものが潜んでいるように思えてならない。


 そしてそれは本質的に、とても醜く強大なものなのだろう。淀み澱んで、濁り歪んだ恐ろしい化け物に違いない。


 そう直感していた。


「だからお前らはさっさと…………」


 背後から純白の発光を受けて、オズワルドの心臓から左肩にかけてが丸々と消滅する。


『不可解です』

「……あぁ、そうだろうな。不可解だろう。だから大人しく待ってなよ。受けた分は遊んでやるから。相棒も久しぶりの一人を楽しんでいるだろうから、オレも楽しまないとな……だろ?」


 上半身の左部分を失って尚、飄々ひょうひょうおどけてみせる様は異様そのものだった。


 まさにグールそのものだ。


 徐々に左へ傾く頭を右手で支え、血色の失せた顔をする騎士等へ告げる。


「お前らのせいだぞ?」

「ウワァッ!? ウワァァァァァ!!」


 屍人同然で話しかけるオズワルドに、騎士が恐れを成して逃げていく。


 軍隊も怯える化け物と化したオズワルド。


 去っていく騎士達をケタケタと笑い、一頻り哄笑を上げてからマファエルへ向き直る。


「キャハハハハっ! はっははははは!」

『…………』

「あ〜、なんて愛しい奴等だ。無様で醜い人間が最高に愛しい」


 それから頭を掻きながら、一言だけ発した。


「〈一の呪い〉」


 右眼を残してオズワルドの全身を、澱んだ浅葱あさぎ色のオーラが纏わり付く。毒々しい水色が身体を包み、それはマファエルも知らない未知のものだと察せられる。


「あぁ、生まれたての坊や。手を出す相手を間違えた自分を恨まず、オレを恨め。好きなだけ憎み、蔑み、吐き捨てな」

『…………』

「ただ綺麗事だけは言うな。虫唾が走る」


 オーラが消失した際には、全身が元通りとなっていた。


 奇病や破損の痕もなく、健康体そのものに戻っている。


『……あなたは何者ですか?』

「オレ様はノロイ。ふたつ月の夜に生まれし呪法の根源。“海”よりさとく、“樹”よりつよき、情の病とも言うべき哀しき“獣”だ」


 呪獣ノロイ。無念などというものではない故意の死に見舞われしオズワルドの肉体を拾い、天使マファエルの前に立つ。


 しかしマファエルにとっては正体不明の存在。魔力を受けて肉体の三割を滅されようと、不治の即死病を患おうと、秒と経たずに元の姿を取り戻したノロイは、不気味の一言だ。


「末代まで祟るって言葉がある。知らなかったか?」

『知っています。知識として知り得ています』

「だったら分かるよな? 呪いは血によっても繋がっている。だからお前は、唯一この場で手を出しちゃならない相手を殺してしまったわけだ」

 

 無邪気な少年にも思える仕草でポケットへと手を突っ込み、八重歯を見せて笑う。左顔面を覆うオーラは獣の毛のように靡き、その眼は人のものではなくなっているが……。


「よ〜し、報いを始めよう。ノロイの時間だ」


 血を通じてオズワルドの器を奪ったノロイ。奮える力は未だ十分の一だろうか。大凡の算術で弾き出した結論を念頭に、『獣』としての宿業を果たさんが為に天使を呪う。


「〈二の呪い〉」


 突然の異変だった。マファエルの右腕が肘の上辺りで千切れ飛ぶ。ノロイの周囲が仄かに乱れ、巨大に揺れたかと思えば変化は突然だった。


『————っ!』

「呪いに人も天使もないぞ? お前の力と同じく、等しく万人に降り掛かる」


 格の壁である“天使の衣”も破り裂き、見えざる何かが腕を引き割いた。引き千切るような乱暴さで、腕がもがれる。


「獣には感情がある。傷付けられれば執念を持ち、傷が深ければ執着し、治ったならば粘着し、八つ裂きにしても憎悪し、更なる報復を求める心を持っている」


 〈二の呪い〉であった。ノロイは悪意による害を受ければ受けるだけ、本来の【呪獣】としての自分を現世に反映させていく。この世に形を整えて、存在を明瞭化させていく。


 即座に死に至る謎の奇病であれば、文句無しの授乳と言える。赤子が立ち上がる程度の養分は確保できた。


「ほらどうしたどうした、天使。そんな魔力じゃ、オレ様は殺せないぜ?」

『————』


 物理法則も無視した動きで飛び回るマファエルは、魔力を心臓へ照射し続ける。けれど意味はない。ノロイ由来のオーラを突き抜けるだけで、オズワルドの肉体を傷付けることは出来ていない。


 道理であった。ノロイは殺せない。呪いが形を成しただけのノロイを、物理的に殺す事は出来ない。


 一度でも野に解き放たれたなら、完全に復元する一途を辿るのみ。


怨毒おんどくの末路だった。生まれた忿懣ふんまんと遺恨ははらわたの中で育ち、日々蠱毒こどくのように育まれ、体外に怨嗟の呪詞となって吐き出される。たとえ唾棄だきし、踏み躙り、分量の報復を成し遂げたとて、それでも刻まれた私怨が消える事はない」


 ノロイが〈二の呪い〉を使用する。

 

「そして呪いオレ達生まれた造られた


 またノロイを取り巻く空間が揺らぎ、マファエルの下半身が切れ飛ぶ。二度目にして、感覚的に猛烈な勢いの何かに引っかかったような印象を受ける。


もろいな、つまんね……」

『っ…………』


 マファエルは寄生した生物を第三天使の格まで引き上げている。脆いはずがない。少なくとも不動の相手に傷付けられるなど、到底あり得ない。


『——不運を行使します』

「ふぁ〜いっ……」


 欠伸あくびをしながら待ち構えるノロイへ、重度の不運をもたらした。


「…………」


 存在が定かではないノロイに対して、天使の権能は作用しない。だが人体に定着している現在は異なるようだ。オズワルドにとっての不運が発動する。


「……なんだ?」


 風に流れたマファエルから香る香を嗅ぎ取った竜が飛び立ち、赤子を護らんとして敵対するノロイを取り囲む。


 鎖も振り解き、生物的強者の証である竜眼にてノロイを睨み下ろす。


 王者だ。彼等は世界の王者を象徴する者達。生まれし時より捕食者であり、死する時まで統治者であり、人間などは虫……いや、毒虫程度にはなろうか。


 だが先ほどと違い、どうにも気に入らない。何故なのか興が乗らなかった今までの人間達と異なり、目の前の人間からは強烈な獣臭が発せられている。


 人間は住む世界が違う。数の多い人間とは進んで関わる事はない。毒虫に自ら近付く事はほとんどない。けれど同じ自然に生きる獣が、あろう事か命乞いすらしないとは何事か。


 竜達は傷付けられた誇りを取り戻すべく、それぞれが戦意を示した。


「…………地上の虫共が、何の真似だ?」

『——————ッッ!?』


 五体の竜が押し潰れる。勝手に揃って地に倒れ込み、五体投地でうめき始める。ダゴをして身動きできず、アルマグレンをして灼熱も無力に、ジョルマの岩石が割れる程に、重く押し潰される。


 そして、よく目を凝らすと微かに見えてくる〈二の呪い〉……。


 透明な獣をノロイはまとっている。呪獣としてのノロイの姿だ。竜を押し付ける熊のような極太の八脚、機嫌良く振られるひょうのような柔らかな六尾、ニヤける焼け爛れた虎のような顔と牙。


 竜すら仔犬とするほど途轍とてつもなく巨大で醜悪な“獣”が、透けながらにして薄らとそこにいる。

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