第279話、最凶の第三天使

 不動のまま浮かび、締め括った直後からマファエルは存在意義の為に動き出す。


 ベネディクトの〈聖域〉を守護すべく誕生した兵器達。


 それらを滅する軍隊は、〈寝所〉を脅かす存在に他ならない。


 スヤスヤと穏やかな眠りから、気持ちの良い目覚めを届ける第三天使・マファエル。


 天女覚醒を確定的にすべく、目の前にいる王国軍は壊滅させなくてはならない。


『対処開始。消去を開始します』


 浮かび上がったマファエルが、オークのゴツゴツとした手から魔力を放ち始める。


 ハクトのような技巧ではなく、ただただ天使が無作為に放つ人間排除の魔力波。


〈聖域守護の衛士〉と異なり、戦闘ではなく有り余る魔力をそのままぶつけて駆除していく。


「ナッ————」

「に、にげ————」


 ベネディクト・アークマンから格段の魔力を分け与えられて創造されたマファエルには、太陽光の如く魔力を照射して人間を蒸発させるなど、造作もない。


 直径五メートル程の射光に照らされた端から、音もなく排除されていく。正に、駆除。掃除であった。


「っ……!? くそぉォォォォ————」

「ルーカンっ!! ち、チキショーっ!!」

「散らばれっ! 的を絞らせるなぁぁー!!」


 アークマンが遣わせたであろう最凶の第三天使は、魔力においても別次元の性能を誇っていた。


 動く的を空から魔力光で追う作業に従事する。


「くっ!? っ——グワァ!?」

「っ……!? こんな時にベルトが切れるとはっ……!」


 不可解なのは、足を引っ掛けて転んだり、ベルトが切れてズボンがズレるなどして、逃げ遅れる者が続出した事だ。


 それは一人、二人の話ではない。


 偶然が度重なった、奇跡的な不幸、そのような確率の少数派を引いたという程度ではなかった。


 退避する全ての者達が、何かしらの異変に遭って、逃げる足を引っ張られているのだ。


「くっ……!? ハクト君っ! 早く撃ち落としてください!」

「クソっ!!」


 矢をマファエルへ放つも傷付けるどころか何の効果もなく、魔眼も作用しないとあって、オズワルドは声を荒らげてハクトへ叫んだ。


 しかしこの時、苦境に立っていたのはハクトも同じだった。


「周りに人がいたら集中できないんだっ! 上手く〈ハンマー〉が纏まらない……!」


 習得したこの〈玉〉の威力は、疑う余地はない。当たればマファエルも倒せると確信している。同規模ならば黒騎士のものよりも強力だという、彼自身の言葉もある。


 しかし、だからこそだった。


 膨張する性質上、〈ハンマー〉は作製過程で失敗すれば、その時点で膨れ上がってしまう。


 すると、どうなるか。


 説明に及ばず、使い手を除く周囲にいる者達も、ハクトの持つ高純度の魔力に巻き込まれてしまうだろう。ベネディクトの兵器すら砕く高圧乱流に晒され、人体ならば跡形も残らない。


「チィッ……もう直接いくっ! オズっ!」

「はいっ!?」


 何の説明もなく呼び掛けた。


 すると、散開する流れに逆らって駆け寄るハクトを目に、勘のいいオズワルドは言わんとするところを察する。


「えっ!? そういう事ですかっ!?」

「やるぞ! 騎士が訓練でやってたろっ!」

「け、経験なんて無いですからねっ。文句は言わないで————」


 両指を組み合わせ、駆けて来たハクトの足を受ける。


 そして足腰と背筋を思い切り使って、跳ぶハクトに合わせて投げた。


「————っくださいッ!!」

「おおおおおっ!!」


 空を駆けるハクトが、手に溢れる魔力で鎖を形成する。


 まだ完全に形にならない内から、すぐに鎖を振ってマファエルの身体を巻き付けた。


『不適切な行動です。これらは——』

「いきなり虐殺を始めるのは適切なのかよッ!!」


 そのまま通過して着地し、鎖を思い切り引っ張る。


『適切です。何故なら全ての————』


 オークの重量も無関係に投げ飛ばす腕力。マファエルを地面へ叩き付けた。


 だが相手は天使。ハクトの魔力なら無効化の衣も斬り裂けると伝えられてはいても、天使は存在そのものが常識外にある。


 油断なく続けて遠心力をかけて回し、巻く鎖を締め付けて胴の切断を試みた。


「んなわけあるかっ! ぶっ千切ってやるッッ!!」

『…………』


 怪力により速度を上げて回される内に、白く光る鎖が天使となったオークの身体を焦がす。天使の羽衣を破って肌を灼き、肉へ食い込もうとしている。


「ッ————!」

『…………』


 天使の身で命の危険を感じる。ここで慢心すれば殺される。


 つまり、アークマンから受けた要注意人物の一人と予想された。


 何者なのかは魔力の色合いと、天使の衣を破った事からも明白だった。


 即ち『勇者の血族』。


 偉大な系譜と血筋を持ちながらも、憐れな運命を課せられたライトの下僕。


 だがそれらは無関係だ。意義の阻害になるならば、たとえアークマンであっても敵なのだから。


『……——————』


 マファエルが、〈不運〉の権能を執行した。


 大雑把に呼び込んでいた不運とは異なり、定めるべき対象を選択した上での不運が訪れる。


 ハクトの姿が突然、吹っ飛ぶ。


 何が起こったのかを即座に察せられる者はいなかった。


 飛来した何かにハクトが巻き込まれ、そのまま転がって行ってしまった。


「ハクト君っ!!」


 糸の切れた人形のように動かなくなったハクト。近くに転がった物体を視線で追って、よく目を凝らして見てみると……。


「…………牛っ?」


 そこに一緒になって横たわっていたのは、五百キログラムはありそうな牛だった。


 肉付きのいい牛が空から飛んで来て、ハクトに接触したとしか思えなかった。


 そのような事が起こり得るのだろうか。


『運は巡っているのです』

「っ……!」


 鎖の縛から解放されたマファエルが浮かび上がる。


 常識的に考えたなら生存は絶望的だが、魔王の時を思えばハクトの秘める何かが反応した可能性はある。


 問題は、この第三天使だ。


『運は巡り、繋がっているのです。歩幅や体型などとこの場の地形が合わされば、転ける事もある。年季が入ったベルトならば、まさに今になって切れる事もある』


 マファエルが『運』について語る。


 抵抗など無駄に終わる故、死を静かに待てとでも宣告するように。


『遠く離れた地で発生した竜巻が、牛を舞い上げ、何らかの生物が捕えて途中まで運び、死して冷えた獲物に関心を失って手放した』

「それが偶々、ハクト君に当たったと言うのかっ……」

『正しく〈不運〉に見舞われたのです』


 マファエルは信じ難い事に、意図的に能力を使って牛を当てたのだと言う。


 先程から転倒する者や、足を取られる者が続出したのも、マファエルが行っていたかのような物言いもしていた。


 世に満ちる“運”が敵に回り、マファエルの指示で牙を剥く。これほど恐ろしい能力があるだろうか。


「……それが事実なら、あなたの思うように世界は進むはず。現在も神殿を攻められている状況は説明できません」


 オズワルドはマファエルが会話をする余地があり、より時間をかける事で権能対策やハクトを助け出す隙を作ろうと試みる。


『私が呼び起こせる不運は、私の手が届く範囲までとなっています』

「……具体的には? 実際のところは、その“手が届く範囲”では無いでしょう。もっと適切に表す言葉があるはずです」

『肯定です。実際には権能使用時、私を中心に数十キロメートル圏内の敵対者に軽度の不運は訪れ、私がこの目で補足した者には、重度の〈不運〉が訪れます』


 マファエルの淡々とした説明には、〈不運〉打開の助けとなるものが確実に含まれているのだろう。


 けれど権能自体が卑怯にも思える程に制約もなく破格なものである為に、〈不運〉も例に漏れず手の施しようもなく思える。


『加えて〈不運〉は、本人にのみ訪れるものではありません』


 敵対すれば敗北必至にも思える〈不運〉だが、悪質さは更に予想の上を行く。


 マファエルはアークマンから、人間がどのような生き物で、何を重んじて生きているのかを説かれていた。


 だからこそ、そのような使い方を見つけ出したのだった。


『あなたにとっての不運とは、愛する者達の不運でもあります』

「…………」

『そうなのですよね?』


 オズワルドのみならず、言葉の意味を察した者等は総じて、一斉に血の気が引いた。


 無垢な天使の純粋な問い返しに、根源的な恐怖を覚える。


 世間を知らぬ赤子が饒舌に喋りかけているかのようだが、その内容はあまりに残酷なものだ。


『分かりませんか? ではそこのあなた』

「………………わ、私か?」


 マファエルが指を差したのは、初めに声をかけて来た熟練の騎士だった。


 まず初めに記憶した人間を指差し、応えられた事によりマファエルは頷く。


『はい。あなたには、配偶者がいますか? 又は血縁者がいますか?』

「…………皆と同じく」

『最も年若いのは誰でしょうか』

「…………」

『この答えで何かが起こる事はありません』


 天使は嘘を吐かない。


 アルトから伝えられた情報を思い出し、騎士は安堵してマファエルへと答えた。


 先月に生まれたばかりの、最愛の存在を。


「孫のエドガーだ」

『おそらく先ほど、死亡しました』


 血が凍る。体温を抜かれて身の毛がよだつ。


 理解を拒絶しても、嘘を吐かない天使による言葉は、嫌でも理解してしまう。


 〈不運〉は、指差した時には既に行使されていた。


「な、にを……言っている……」

『理解できませんか? いいえ、理解している筈です。これもあなたの不運となるのです。その胸の内で感じられている事でしょう』


 まるで証明の為だけに、見本を見せるように。手本を見せるように、愛する者へと“運”を敵対させた。


 老齢の騎士へと不運を体感させたのだ。


『あなたも』

「っ……!?」


 次に指差された若い騎士は、慌てて手で口を塞ぐ。


『配偶者か血縁者は……またはそれに類する方はいますか?』

「…………」


 返答をせずに震えて標的が変わるのを待つ。


 だがこの行為に意味はない。この時には既に〈不運〉は彼に訪れているのだから。


『現在、あなたの愛しい人に“重度の不運”が訪れています』

「………………キッ、サマぁぁぁぁ!!」


 若い騎士は涙を振り乱し、剣を手に走り出した。


 空に浮遊するマファエルへ、復讐心に任せて剣や盾を投げ付ける。それは憐れながら滑稽に思える程、無意味な姿だった。


「クソッタ——」


 すぐに視線も向けずして、白き奔流が憐れな騎士を天に召した。まさしく天使の慈悲だ。


『あなたはどうですか?』

「っ……や、止めてくれっ」


 天使を傷付ける事はできない。復讐すら叶わず、大切な最愛の人達までもが不運に見舞われるのみ。


 騎士達は明らかにマファエルを恐れて、心挫かれて引き下がっていく。自身や仲間の死よりも恐ろしい結末が、まさか戦場で待っているなど、誰が心構えられるだろうか。


『……あなたは、どうですか?』

「っ…………」


 マファエルの問いかけは、他の騎士と同じく目が合わないよう俯いていたオズワルドへもされる事に。


 心から身内への被害を恐れていたのは、オズワルドも同じだった。


 家を出たオズワルドにも、家族が一人だけ。祖父の跡を継ぎ、今も王都で日常を送る父親がいる。


「…………もう、権能を使ったんですか?」

『いいえ、否定します。信者の可能性があります。必要以上の減少は、致命的な過ちに繋がりかねません』


 天使からの返答は、紛れもない事実を意味する。


 それが知れたなら、もう迷う事はない。


「心から尊敬する父親がいます」

『……理解できかねます』

「僕は、あの人と祖父に憧れています。あの人達は僕にとって、かけがえのない人達です」

『言動の不一致が見られます。理解できません』


 まだ存命であった父に心中で頭を下げて謝り、謝り尽くし、覚悟を決めて弓を引く。


 その眼からは悲しみの涙が滾れ落ち、父親への不運も理解しての行動である事が分かる。


「っ…………」

「…………」


 その姿は騎士にも理解し難いもので、心情はとても察せられるものではない。


 勝ち目があるなら、剣を取れたかもしれない。


 けれどハクトがいない以上、天使を傷付ける手段がこの場にはないのだ。立ち向かう理由が無い。立ち向かうだけの利点が無い。


「死ぬ覚悟はして来ました。でもまさかっ、父が巻き込まれるとは思わなかった……!」

『それでは、何故でしょう』

「彼等なら……誰よりも前に出て弱者を護って来た彼等なら、ここであなたに屈する僕を叱る筈です」

『あなたに私は倒せません』

「だとしても、数秒の足止めにはなる。僕はこの国を護る為にここに来た。家族愛しさにあなたを見逃して、その数秒によって民が死んだらと思うと…………僕は、明日の僕に胸を張れない」


 何より父ジェラルドは、自分を庇った事にこそ激怒するだろう。


 オズワルドは流れる涙もそのままに、瞳へ魔術陣を浮かばせる。


 誰よりも、その戦場の誰よりも、確固たる覚悟を決めていたのは、ハクトが連れて来た平民の少年だった。


『あなたですね』


 だからこそマファエルは、アークマンから言われた通り、ふるいにかけても落ちなかった特に警戒すべき人間へと〈不運〉を発動した。


 騎士がオズワルドによって決死の覚悟をする直前に、彼は重度の不運に襲われる。世界の運が、オズワルドへと敵対する。


「………………ブフッ」


 大量の血を吐き、オズワルドが崩れ落ちた。吐血としても不自然な量の血液が、口から溢れ出る。


 それだけではない。倒れたオズワルドの耳や鼻、目頭からも血が流れ出ている。


「少年っ!?」

「なんだっ、何が起こったのだッ……!!」


 発症例は六千年前にたった一人。致死率九十九.九%以上の名前すら無い奇病が、オズワルドに発症した。


 肌は黒ずんでいき、内臓は死滅し、すぐに心臓まで蝕まれる。


 天使の慈悲なのか、意識はすぐに失われる。


 奇跡的な完治などは最早あり得ない段階にまで肉体は死滅し、鼓動は…………六秒前に停止していた。


 不運は続く。

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