第277話、元凶、現る

 竜は倒され、王国軍の陣営へと連れられていく。


 ギランの想定では半日は暴れ回り、王国側は手をこまねいて竜力を受け入れる事しか出来ない筈だった。


 しかし興奮した魔壊竜・ダゴは自滅し、妖姫飛竜・サンバーン=クインは二体の炎竜に挑み、仲間割れの末に倒してしまう。


 離岩竜・ジョルマに至っては、例の厄介な白い魔力の勇者により、正面から打ち負かされたようだ。


「…………」


 冷静に現在の状況を顧みて、整理する。


 エンダール神殿に残された大司教は、二十七名。司教は百四十九名。


 これらで竜五体を倒せるかと考えたなら、答えはNOだ。


 間違いなく負ける。それだけクジャーロが改造した竜達は強かった。


 目が覚める能力の数々を、直に目の当たりにしたのだから疑いようもない。


 となると、戦況は絶望的なわけだが、ギランは少しも動揺していなかった。


 達成すべき目標は二つだけなのだから。


 ひとつは、自身の生存。これは問題なく果たされるだろう。


 二つ目は、ベネディクト到着まで時間を稼ぐ。これも入念に策をろうして来た。


 竜だけではない。バリケードや罠、丸太落としや待ち伏せなど、王国軍到着までに繊細な部分まで詰めてある。


「は、伯爵、竜が敗北しましたが……?」

「焦るなコモッリ君」


 忠実な弟分は焦りを感じているようだが、未熟な面は以前から感じていた。


 教えを説くようにコモッリへと告げ、周りも含めて不安感を宥める。


「地の利は常に我等にある。用意して来た罠はまだ一つたりとも使っていないのだぞ?」

「…………」

「あちらはどうだ。これまでの戦闘で、私達はあちらに何が出来るかは分かった。向こうは? 向こうは何の情報もなく、何も分かっていないのだ。本当に恐れているのは……どちらだ?」


 何事にも動じない指導者は、他者に安心感を与える。


 納得の演説は、兵に再びの自信と勝機を想像させる。


「まだ竜がいると思っているかもしれない。その可能性を排除できない。まだまだ竜以上の兵器を隠しているかもしれない。奴等は未知と戦っているのだ」

「伯爵の仰る通りですな。私とした事が、失念の極み」

「そうとも。だがそれも我等が毅然としている限りだ。怯えて不安がるなど、攻めてくださいと言っているようなものだぞ、君達。あはっはっはっは!」


 さぞかし、この高笑いは響いた事だろう。


 神殿にも兵の心にも、頼もしく見えた事だろう。


 元々が勝ち戦なのだ。


 問題は何処で〈聖域〉を行使するかのみで、場所によって時間の誤差が生まれるだけだ。多少の誤差が。


 そして、その誤差が埋まる時は必ず訪れる。


「————皆様、お待たせしました」


 エンダール神殿に、白い四翼を羽ばたかせるベネディクト・アークマンが降り立った。足先が神殿へ降りたと同時に、厳粛の時を迎える。


 その瞬間、対面する王国軍は感知した。戦場を包み込む空気が一変した事を、アルトを始めとして誰しもが肌で感じていた。


 僅か数分後、エンゼ教側の変化はとても顕著に表れる。


 大司教、司教達が決死の表情で神殿前へと降り立った。


 福音の羽は新たなる創造の礎を築くべく、使命の糧となって羽ばたく。


 王国軍から見た司教達は、まさしく天使のようだった。天使の軍団が天使長を守護するべく、美しき翼で舞い降りたように見える。


 けれど同時に、隠し切れない不吉さを感じるのも事実。


 何か恐ろしい事が起きようとしている。大地を生きる生命の直感が、そう告げている。


「………………来たな。遂に現れたか、世紀の詐欺師め」


 降り立った天使達とは格が違う。


 巨大な四枚羽が羽ばたき、ベネディクト・アークマンが神殿から浮上する。空へと、ゆっくりと浮かび上がっていく。


 老人の貧相な身体から、日輪を押し込めたような魔力の羽を生やし、小さき生物等を見下ろす。身の丈の何十倍も広がる羽をピンと伸ばし、説法と宣誓の場を整えた。


「っ…………」

「アレがっ……、本物の天使……!」


 通達されたお伽噺とぎばなしのような情報よりも、その目で見る第二天使は超越的な存在だった。


 その四枚羽が解き放たれれば、地上は焼き払われるであろう。


 埋め尽くす魔力は溶岩流よりも熱く、濁流よりも早く、雪崩れよりも容易く人間を呑み込み、溶かす事だろう。


 触れる事すら叶わず、逆らう事すら馬鹿馬鹿しく……。


 第二天使とは、紛れもなく天上の生命体だった。


「——天女様が、お目覚めになられます」


 不思議と行き渡る老人のしゃがれ声が、上空から発せられる。


 呼応して……エンゼ教軍は、何千年来の悲願を胸に祈りを捧げる。両膝を地面へ突き、両手を組み合わせて目を閉じる。


「白き愛故に生まれ、白き愛故に散ってしまった無垢なる愛の天使様……」


 ベネディクトの語る言葉を理解できる者は、エンゼ教軍にいるのだろうか。


 けれど意味深な愛を語る祝詞のりとと無関係に、悍ましき光景が誕生しようとしていた。


 人間のような強欲さもなく、存在意義に忠実な天使によって、生命は形を変えようとしていた。


「彼女は全ての生物を平等に愛してくださいます。分けへだてなく、何ものであっても、何の見返りもなく、あなた達を愛してくださるのですッ!」


 語気に威勢を露わにし始めたベネディクトが、権利として持つ〈聖域〉の一つを使用する。


 あらゆる生命体を、〈聖域〉を守護する兵器へと転じさせる。


 本人の同意があれば、如何いかなる生命も【母】の誕生を守護できるのだ。


 そして、祈り・・とは即ち同意・・


「ガッ、ギ!? ッ————」

「ゴッ————」


 大司教と司教が同じくして、変貌していく。


 祈りなさい。さすれば望んで止まなかったエンゼ教の宿願が、遂に成就する、と伝えられた。嘘を吐かずして、導いた。


 ベネディクトの言葉通りに彼等は祈り、そして彼等は彼等の自覚する限界を超えた兵器となる。


〈聖域守護の衛士〉。


 両手に〈見放されし者に最後のジウ・ラ・ヘクマ慈悲を〉と呼ばれる魔力の槍を携え、宙に浮かぶ自我なき人影。


 白き天女の愛を拒み、あまつさえ阻もうとする度し難き者と言えども、最後の情けは与えんと作り直された人形達だ。


「…………言葉にならないな」


 未体験の異様さに恐れおののく王国軍だが、それをすぐに責める声は上がらない。


 ジークもまた火を燻らせる魔剣・バルドヴァルを手に、想像を絶する悪質さに顔をしかめていた。


 以前に〈聖域守護の矢〉を射たれたネムもまた初見だが、以前と同じような変化の過程だった為に、衝撃の度合いは低い。


「矢の時もあんな感じでしたよ。人間と天使ってのは完全に別種ですから、残酷って自覚も無いんでしょう」

「人が草花を踏み付けて歩くようにか……。……考えさせられるな」


 骨の白と血の赤が不完全に混ざり合う色合い。形状は木製の操り人形のようで、動きにはまるで命を感じない。


 魔力の翼のみが、生物を模して動いている。


 その優美な動きが同族を主張して誘っているようで、より一層の不気味さを醸し出していた。


「リリス様も再誕の立役者を祝福されるでしょう! その栄誉こそが信仰の対価です! もうじきにあなた方の信仰が報われるのです!」


 悪意なくのたまうベネディクトに賛同するのは、変貌した衛士達のみ。天使の聖槍を掲げて、再度の同意を示した。


 天女に矛先を向けた救いなき者達へ、浮かぶまま前進を始める。


「あなた方の信仰に、感謝します……」


 やる事をやったベネディクトが、一度だけ短く祈ってから神殿へと降りていく。


「では伯爵、私は〈寝所〉を再びしつらえなければ」

「……え、えぇ! 無論ここはこのギランめにお任せをっ!」


 恐怖していたのは王国軍のみならず。神殿前線に構え、戦術に関わっていた貴族派の者達も同様だった。


 お人好しを絵に描いたような気優しい老人像は消え失せ、天上の怪物を見る目となっていた。


 今の一部始終を目にしても、当然ながら逃げる事など叶わず、もはや逆らうなど出来はしない。


 ただベネディクトに背かないよう、能力を使われないように立ち回るしかなかった。


「本殿へ向かいます。決して誰も通さないように」

「こ、心得ました……!」

「それと……」

「っ……!? な、なにかっ!?」


 ギランの心臓が口から飛び出る寸前だった。


 言い淀んだベネディクトの、続く言葉が何十秒にも遠く感じられる。


「……現在、マファエルがとある方を引き離す偽装工作を行なっています。終えたならば合流しますが、そちらもよろしくお願いします」

「あぁ……! 例の個体・・・・ですな。問題なく果たしてみせましょう!」


 ギランの即答はベネディクトの気を良くしたようで、ほがらかな微笑みとなって返される。


「感謝いたします、伯爵。それでは、また愛が降る時にお会いしましょう」

「あ、愛が降る時に……」


 独特の挨拶を交わし、ベネディクトがとうとう〈聖域〉構築へと踏み出した。


 片や人類に迫る天使の人形達は、身のたけを超える魔力の槍を握り締め、やけに静かな行軍を見せる。


 誰もこのような敵と対決した経験はなく、王国軍は人形の行進に連れて、後退りしていた。


「………………出るか」


 一人だけ、天使と正面から戦った経験のあるアルトが、先陣を切る決意を固めつつある。それだけ急激に、士気は低下していた。


 十分に伝えていた筈だったが、一部を除きほとんどの兵士が内心で負けている。


 これで押し返せると誰が判断できようか。アルトは黒剣を引き抜き、馬へと目指す。


 魔力の規模から考慮しても、あの時に倒した第三天使ナリタスよりも格下なのは察せられる。


 あの時の苦労を思えば、いくらでも戦いようはある。本格的な参戦は出来よう筈もないが、喝を入れるくらいはしなければならない。


「……————ッ!?」


 勇んで向かう足を止める爆発。先頭の人形が戦場に落とした槍が、爆音の後にクレーターを作り出した。


 アルマグレンやブレトなどの竜の一撃に匹敵する威力を、人形達はそれぞれ二つずつ持っていると判明する。


「っ、くそっ……」

「——っ!?」


 適当に投げられた槍で舞い上がった騎士が、次々に落下する。


 その様子がまた更なる恐怖となる。


 更に事態は悪化していく。人形の性能が判明していけばいくだけ、士気は下降を強いられる。


 また兵器人形は、魔力槍を緩やかに横へ振った。


「っ……!? オオ————ッ!」


 その横薙ぎは武術ではなく、ただの動作というもので、受け止めるには十分な余裕があった。


 剣で受けた王国軍騎士…………だったが、


「————グッ、くっ!?」


 矛の動きは止まらず、身体ごとズラされていく。


「ハァ——ッ!! っ、ぐ、ぐぅっ!?」

「ぬんっ……!?」


 一人、また一人と矛を受けるも、九人は勢い止められず運ばれ、飛ばされた地点へ魔力槍が投げられる。


 また機械的に人間が殺されていく。


 人のように心動く事もなく、竜のように怒る事も飽きる事もなく、淡々と人間を殺していく天使の人形。


 どう倒すのかさえ見当の付かない兵器を前に、攻めあぐねて貧窮する。


「……誰か気骨のある勇士はいないものかなぁ」


 ネムは手を出すつもりは無い。ゴーレムや魔術を、量産された人形に充てるつもりは無かった。


 自身はこれからすぐに神殿へと突入し、ベネディクトに備えなければならない。先陣はジークを置いて他には任せられない。


 アルトは論外だ。


 実力が不明であるリリアや、突貫して神殿を挟撃する予定の【黒の騎士団】も担えない。


 となれば他には……。


「ッ————」


 矢の速さで飛び出した影が、白光の大剣で斬り付けた。


 反応速度も人間を超えているのか、〈守護の衛士〉は交差させた槍で受け止める。


「ッ——!」


 だが思い切りよく振られた大剣は、同じ純白の槍ごと爆撃人形を斬り裂いた。


「おおっ……!」

「や、やったぞ! 流石は勇者の子孫だっ!」


 勝機はやはり、苦難を打ち崩す一騎当千の英傑にあり。


 一刃の元に斬り捨てたハクトへ、一縷いちるの希望を見る。


「…………」


 勇ましく立つハクトは、揺るぎない眼差しで人形達を見据えていた。


 痺れの走る手を誤魔化し、このに及んでたじろぐ戦士達へと叫んだ。


「ここはオレが受け持つッ!」


 己の力を過信しているとしか思えない宣言だった。


 だがハクトは客観視もできているような口調で、自覚していて続きを発する。


「ベネディクトが現れたッ! もう時間は無いっ! 皆、神殿へ突入すべき時が来たッ!!」


 左手にも魔力の大剣を形成し、兵士達へ進むべき道を示す。


「ここはオレがやるッ! だから先を目指せッ! ベネディクトを目指せッ! ベネディクトが見えたら、もう迷わないでくれ! 躊躇わないでくれ!」


 天使の兵器から目を逸らさず、天上の生命体に気後れする騎士へ叱咤を見舞う。


「恐れる必要なんか無いッ! セレス様が勝てると言って、アルト様が見守っている! あとはオレ達次第だ! この戦場で、陛下や民に誇れる騎士であれッ!」


 まるで伝承の勇者の如く勇敢に、だがハクトらしく不器用に騎士の背を押し出す。


「…………」

「彼を連れて来てくれて助かったねぇ。思ってたよりずっとやれる・・・。この場は任せて良さそうだ」


 感心するネムと視線を交わしたジークが、軽く頷いて続けて号令を発した。


「……任せたぞ、ハクトッ! 光の元に勝利を届けよ! 俺に続けぇぇぇーっ!!」


 ジークの隊が左方の階段を目指して発進する。


 主力のネムを有している事もあり、この部隊を補佐する形で全ての人員が動かなければならない。


「私達も指示通りに向かいます」

「はっ! 【黒の騎士団】の精鋭達よ! 我等は東側より攻めるっ! 続けぇーっ!!」


 揺動をかけるべく、リリアが率いる【黒の騎士団】も神殿へと行軍を開始した。


 三十年以上もの間、王国軍で士官した副団長ローエンの指揮の元、漆黒の騎士団が攻め手に打って出る。


「バーゲン隊長、我等は如何しましょう」

「……ハクトを…………いや、そうか。ならば半分は神殿中央の階段を攻めさせろ」

「残る半分は、ハクトと共に……?」

「いいや、ジーク殿やリリア殿に人形達が向かわないよう、牽制する程度でいい。大至急、行動を開始させろ」

「……承知しました」


 彼の補佐を務める副隊長は、内心で強い憤りを秘めながらも了解を返す。


 自身の兵士をなるべく減らさずに、ハクトを使い潰すつもりなのは明らかだ。


 だが命令に背く事は出来ない。ただでさえ負けられない戦であり、これ以上の内なる諍いは致命傷となるだろう。


 命じられた通りに、本隊を分けて行動させた。


「オオッ!!」


 魔力形成した鎖で、【黒の騎士団】へと槍を構えた人形二体を巻き付ける。


 渾身の力で引っ張り、何体かを巻き込んで注意を引く。


「ハクト君、あんなに大見得を切って良かったんですかっ?」

「ジーク達はベネディクトをやらなきゃだし、兵も叛逆者達を捕まえなくちゃならない。俺もこのくらいはやらなきゃな。今日のオレは、ここって事だ」

「…………?」


 抜け目なく弓に矢を番えるオズワルドが駆け寄り問うと、ハクトは神妙な顔で答えた。


「槍だけじゃない、あいつらは硬過ぎる。全力で斬ったのに手応えがあるなんて、魔王以外で初めてだ」

「…………気味が悪いだけではないんですね」

「多分、ネムかジークの魔剣じゃないと倒せない。だから二人を送る為に、ここはオレがやらないと」


 この戦場でたった三人しか傷付ける手段が無い。


 竜や岩でさえ、感触もなく斬れた。ハクトの魔力剣と腕力は魔王との戦いで、その段階へ高まっていた。


 にも関わらず、手が痛むほどの手応え。


 それだけ人間の限界を引き出されたベネディクトの兵器は、性能で群を抜いている。


「それで邪魔にならないよう、全員をベネディクトへ向かわせたんですか……」

「数が多いってもんじゃないけど、やるぞ……オレが倒すから、コイツらから神殿へ向かう奴等を護ってくれ」

「了解ですッ!」


 早速、空へ向けて矢を放ち、オズワルドが移動を開始する。


「——おらっ!」


 同時にハクトも跳び上がり、人形兵器達の真ん中へ降り立つ。


 眩い純白を両手に集め、


「オオッ……!」


 荒れた地面へと濁流の如く注ぎ込む。


 周囲に拡散するよう、制御しながら流していき、やがて周りの大地から光の爆破が次々と膨れ上がる。


 何撃もの白光が一斉に飛び出し、人形も打ち上がり、直撃した個体などは欠損や大破を余儀なくされる。


「その槍だけは撃たせないからな」


 危機的状況は変わらない。


 魔力の槍を放たれたなら、一射で騎士団の壊滅も有り得る。それだけは阻止しなければならない。


「————」


 これまでと戦法を一新。ハクトは黒騎士に開発してもらった専用の魔力操作法、〈ハンマー〉を使用する。


 手の平に、渦巻いて収束する小さな魔力の球を作り出した。

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