第276話、ヒューイ、油の味を知ってしまう

 ちょっと長く感じるもん。


 さっきここで会ったばかりなのに、頭の上のヒューイが馴染み過ぎている。


「ピュっ、ピュイっ!」


 相変わらずプンプンと、俺を含めた人間達に怒ってるけど……。


 髪の毛を掴んで、竜の怪力による頭皮マッサージが止まらない。


 さっきまでは遊び感覚で機嫌が良かったのだが、お母さんを思い出して、早く捜し出せと御立腹だ。


 遊んでいてはヒューイのイライラも加速するばかりなので、今回の崖はスパイダー並みの速さで登っていく。


「…………」


 反対側の戦場が騒がしくなっている気がする。


 でも大丈夫だよな。あのネムって人もいるし、何よりセレスに任せたんだもん。


「さてと……」


 当たり前なのだが、この程度の崖などその気になればすぐに登り切れる。


 空中に昇り出る本殿への階段横から、神殿を覗き見。ヒューイと目元だけを崖から覗かせて、神殿の最上部を観察する。


「……ここはお偉いさん達の遊び場になってるんだね」

「ピュ?」

「ズルしてるって事だね」


 不思議そうに小首を傾げるヒューイへ、人間社会の薄汚い部分を教えてあげる。


 下の騒ぎなどお構いなしに、食って呑んで騒いでと、神殿内は堕落した半裸の権力者達が晩餐会を開催中だ。


「ピュぅ……」

「そうだね。醜いよね。でも人間にはよく見られる光景なんだ。立場の弱い人に働かせて、上の立場から踏ん反り返るだけの悪い上司がたくさんいるんだ。こういう人達が得をする世の中って、魔王にぶっ壊されたって構わないよね」

「ピュウゥゥ……」

「ダメダメ。この人達をブッ飛ばしたい気持ちは分かるけど、騒ぎになったら君のお母さんを見つけ難くなる」


 口元から炎を燻らせるヒューイを止めて、どう動くべきか思案する。


 有力候補から挙げていくと……。


 プランA・予定通りに破壊工作をしながら、兵士と仲良くなってコッソリ聞き出す。


 プランB・腹ペコなヒューイが奏でる腹の音を静めるべく、とりあえず炊事場らしき右端の建物に突入してみる。


 プランC・手当たり次第に潜入して、当たりが出るまで繰り返す。ちなみに、いつもなら確実にコレ。


 プランD・知ってそうなお偉いさんを捕まえて、尋問する。これの唯一の懸念点は、俺が尋問の方法を知らない事。


 プランE・赤ちゃん竜のお母さァァァァン!! と叫んで、返って来た声の方へ行く。ただ間違いなく俺達が見つかる。あとはヒューイのお母さんがコレの意味に気付かなければ、色々と終わる。


 以上、五つのプランを取り揃えている。


「たぁぁ……五個も一瞬で思い付いちゃったか。俺って策略家向きなのかなぁ……」


 異世界の竹中半兵衛と呼んでもらいたい。


 思わず感嘆の溜め息を吐いた。自分でも自画自賛してしまう程の知略を発揮したのだから止む無し。


「ヒューイはどれがいい? 今から言う…………」

「…………」


 食べ物の匂いに気付いたヒューイが、涎をナイアガラの滝させながら炊事場を見つめている。


 プランAとプランBが入れ替わった瞬間だった。


「まっ、仕方ないよ。育ち盛りだし、竜はいっぱい食べなきゃね」


 またヒューイをハットの中に隠して被り、炊事場へ向けてコソコソと忍び足で接近する。


「鴨肉っ! ロースト出来た!?」

「もう出ます!」

「さっきも同じ事を言っていたじゃない! 十秒でやってッ!」


 懐かしき厨房という名の戦場を見る。クジョウの厨房よりもずっと激し目だが。


 五十代くらいだろうか、女性の料理長というかシェフが、部下の料理人達に怒声を飛ばしている。


「食材は惜しまなくていいわ! こんな馬鹿な仕事は今日で終わり! でも私達は超一流の料理人なの! 最後まで気を抜かないで!」

『ウィ、シェフ!』


 ちょっともう……外とはまた別に、映画化されそうなドラマが繰り広げられている。


『限られた食材。舌の肥えた貴族達。保証されない命…………それでも料理人私達には、美味い料理しか許されない』


 映画の宣伝でありそうな謳い文句だ。いかにも全米が泣きそう。


 プライドの高いシェフと料理人達が衝突してたけど、それも乗り越えた先で一致団結してるもん。確実に紆余曲折があったでしょ。


 その過程を見たかったぁ……。


「————っ」

「シェフっ!!」


 あっ、シェフが倒れた! きっと過労か病気だ!


「だ、大丈夫、大丈夫よ……」

「大丈夫なわけありませんっ! ここ一週間っ、ほとんど休めていないじゃないですか!」

「大丈夫だからっ、魚料理を焼き始めて! またあのギランとかいう貴族が注文するから!」

「シェフ……」

「大変なのはあなたも、みんなも同じ。ここで止めたら、シェフ失格よ」


 シェフ……。


 俺が星をあげられるなら、九つはあげたい。


 こんなドラマチックな厨房から、食材を盗んでいいものだろうか。


「ピュぅぅ……」


 頭上で容赦なく腹が鳴り、ヒューイの胃袋から行けとの指示が出る。


「……ちょっとだけ寄り道しちゃおうか」


 干してあった料理人の服を着て、ダボダボブカブカながら度胸一発。コック帽にヒューイ用の穴を空けて被り、竈や焚き火で調理する即席の厨房へ突入する。


「こんにちはっ! 助っ人で送られて来ました!」

「なにっ? なんで子供が送られて来るのよ!」

「ちゃんとプロのところで修行した子供だからです」

「例えば? どうせ名も知られていない料理人でしょう?」

「まぁ……一応、キチョウって人なんですけど」

「…………キチョウさんって、和料理のキチョウさん?」


 えっ、あの人って有名なの?


 忙しなく料理を盛り付ける手を止めなかったシェフが、キチョウ料理長の名前を聞いて初めて、動きを止めて目を合わせた。


 でも考えてもみたら、あのヒルデが全幅の信頼を置いて料理を任せているのだから、それだけ名が知られていても不思議ではない。


「そうです。一応、季節の料理コンテストで選んでもらった実績はあります」

「あそこを卒業した子がいたのね…………それなら助かるわ。今はとにかく量。何処の火を使ってもいいから、作れるだけ作って。どうせ食材も駄目になるだけだから……ほら、早く行きなさいっ!」


 子供もここでは料理人。怒声を放たれて、俺も激戦に身を投じる。


「はいっ!」


 ヒリ付くぜぇ。


 こんな大真面目な厨房でヒューイのオヤツを作りまくると考えたら、それだけで魔王だ。


「そこのヒョロっとした先輩っ、食材は何処ですかっ!」

「ちょっと失礼だね、君! その、そこの階段を降りたところに冷蔵室が作ってあるから、そこから好きな物を取って来て作りなさいっ!」


 忙しい厨房なので端的に特徴を捉えて言うと、先輩のコンプレックスと激突してしまったらしい。


 けれど優しい先輩で、迷いなく教えてもらえた。


 その入り口の古びた扉へ足早に向かい、隣に置いてあったカンテラを手に中へ。


 薄暗い階段を降りると……貴族達が購入して持ち込んだのだろう。高級そうな食材がまだまだ残っている。


 まったくっ、懐も皮下脂肪もどれだけ肥やすつもりだ。


「ピュュューイっ!!」

「ま、待ってよ、ヒューイ! ここは魔術的な何かで温度が低くなってるでしょ? 食材も冷たいの。大丈夫だとは思うけど、お腹を壊してもいけないから、調理するまでまだ待っててくれる?」


 食欲が暴走して食材に噛みつこうとするヒューイを抱き止め、もう少しばかり我慢してもらう。


 ヒューイがどれだけ食べるか分からないが、竜だからかなり食べる筈。


 それにシェフ達の負担を軽減する為に、お礼として賄いくらいは作ってから去ろう。


 今、頭に浮かんでいるメニューなら、ヒューイのを作るのと時間は変わらない。


「まず豚肉、卵、キャベツ、レッツゴー!」


 これだけで美味しく作れる日本人の大発明がある。


 折角なので生肉ばかりであろうヒューイにもご馳走しよう。


 階段を駆け上がってすぐ、豚肉を常温に戻す間に、油を温め始める。


「…………先輩、これって何油です?」

「オリーブだ。高級だけど貴族が買い占めてるから、ソレ・・でも文句は言われない。やったね」

「イェェェ〜イ!!」


 揚げ物用にドコドコドクドクと鍋へと注ぐも、高級オリーブオイルを咎める者はいない。


 キチョウ料理長にはみっちり叱られたが、ここではフリーダム。


「タラララララララララララ」


 油が温まる間もやる事はある。料理人は並行して作業を行ってこそ一人前。


 キャベツの千切りを、五秒で四玉分だけ切っておく。


 切れ味悪い包丁だなぁ……。


「シャカシャカシャカシャカシャカシャカ」


 卵をしっかり溶かすのも忘れない。


 白身の存在が黄身世界に溶けてなくなるまで、親の仇が如く混ぜる。


「パララララララララララ」


 卸金で荒めのパン粉も挽いておく。


 スキー場にある雪を散布する機械くらいの速度でパン粉が積まれる。


 フワッフワのパン粉が出来上がった頃に、熱している油に指を突っ込んで温度を確かめてみる。


 当たり前だが、手は洗っている。衛生面は抜かりない。


「……そろそろだな」


 百五十度を超えたくらいだと判断して指を拭い、豚肉の準備に取り掛かる。


「えぇ肉やで……」


 白身と赤身の間にある筋へ、包丁を何度か入れて切る。揚げた時に身が縮まる原因になるので、横着せずにやります。


 塩胡椒を満遍なく、しっかりめに味付け。理由はソースが無いから、そのままでも美味しく食べられるように。


 でもこれはおススメ出来ないやり方だ。料理は足し算。引き算は出来ない。塩をしてしまったら、後から取り除けないので、味を見ながら徐々に足していくのが正解。今回は俺が魔王だから出来ているだけ。


 小麦粉をきちんと全体に付けて、ダマを憎んで入念に落とす。


 卵液に潜らせ、パン粉にぶち込む。幼い頃の俺は……この作業いらないだろ。『母ちゃん、ふざけてんの?』と、よく思ったものだ。パン粉だけでいいじゃん、卵に潜らせるって我が家はイカれてんのか。などとキッチンで見かける度に鼻で笑っていた。


 また母ちゃんの我流が出たかと疑っていた俺をお許しください、地球のお母さん。


「これからやるのは全部、ヒューイの分だよ?」

「ピュぅぅ……」


 目をキラキラとさせているであろうヒューイのトンカツを、そっと油へ入れる。


 …………シャー言うてますわ。


 すぐに次のを投入できるように、既に出してあった豚肉を次から次へと仕込む。何十人前を作るつもりだってくらい仕込む。


「っ……豚肉がないぞっ!」

「そこに新しいの出しておきましたよ?」

「あ、あぁ、助かった! よくやった!」

「いえいえ……ところでちなみに、竜って何処にいるか知ってます?」

「竜っ? いるって噂だなぁ! しかしそんな危ないものなんて、貴族がいるこの辺りには置かないだろっ。もっと下の方の建物の中とかじゃないか?」


 仕込んだ山盛りの豚肉を背中に隠し、先輩を危機から救う。


 ついでに働き盛りの先輩から情報も収集。どうやら竜の居場所は全員が知っているわけでは無さそう。


 そんなわけで出来上がったトンカツを、足元に隠したヒューイへ献上する。


「はい、魔王風トンカツが出来たよ。好きなだけ召し上がれ」

「ピュ〜イ!」


 出来立て熱々なわけだが、ヒューイは構わずトンカツに噛み付く。


 器用に指を使って一気に食べていく。


「っ……ピュュュ〜〜〜〜っ!!」


 トンカツがお気に召したのか、歓喜の雄叫びを轟かせてしまう。


 慌てて熱気が立ち込める厨房へ視線を巡らせる。


「っ……、っ……!」

「次のソースを準備してっ! もう上がるわよ!」


 ……幸いにも厨房は依然として激戦中。シェフの怒号が違和感を掻き消してくれた。


「ピュイっ、ピュイ!」


 食べ終えてしまったヒューイが足を引っ張って、次のトンカツを早くも催促し始めた。


「美味しいでしょ? 剛毅で有名な竜だから胃もたれしないだろうけど、味変も用意するからね」


 尻尾でバシバシと脹脛ふくらはぎをシバかれながら、二枚目を揚げる。


 揚げ上がったトンカツの油を切り、またヒューイへ渡す。


「…………」


 モグモグと無心で味わう事を覚えたヒューイのお陰で、トンカツを余裕を持って揚げられる。


 いやぁ……竜のお母さんにも是非ともこの味を味わってもらいたいなぁ。


 そんなわけでヒューイに四枚目を食べさせる頃には、賄いも念頭に仕込んだ豚肉を、殆ど揚げ終わってしまう。


『——主』


 そんな時に現れたのが、カゲハだった。


 背後にある壁の向こうから、声をかけて来た。


「なに? カゲハも食べて行きなよ。美味しいよ?」

『はっ』

「レルガの分もあるから、持って帰ってあげてね」

『はっ』

「それで何の用?」

『……大して戦況に差し支えるわけでもないので、報告をするか否かを迷ったのですが』

「うん。でも来たからには一応言ってごらん」


 カゲハは珍しく迷いながらも、先ほど起こった出来事を語った。


 その目で見た事実を、そのまま報告した。


「——勇者が敗北し、オズワルド・アーチが死亡しました」

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