第275話、再びクライマー魔王へ


「っ…………」


 地面へ落ちて目が霞む感覚を、赤い竜頭を振って追い出す。気高い竜とは思えない小賢しい動きに翻弄ほんろうされ、格下相手に撃ち落とされてしまう。


 少しも治らない腹の内を、否応なく収める。今となっては飛竜を追う事なども出来ない。


「なんだ、あの飛竜に負けたのか」


 人の言葉ではなく、不吉な気配に反応して振り向いた。


 落ちた場所は先ほど戦っていた地点のようだ。まだ己が吐き出した炎は微かに大地を焦がしている。


「ではあの飛竜の方が、今の俺に相応しかったのかもな」


 これもまた先程と同じく、無礼にも立ち向かう人間。


 異なるのは、その手に持つ剣の形状と発する違和感だった。


「お陰でバルドヴァルはかなりの出来に成長したのだがな。負けて来たものには似つかわしくない程に」


 剣に生写しを見ているようだった。


 赤く雄々しく変化した魔剣は、始まりの時よりも大きく、片鱗さえ見せなかった赤炎を発している。


 まるで灼魂竜の魔剣だ。ただ在るだけで気高き竜炎を醸し、王者に相応しい熱波の威風を放っている。


「魔剣・バルドヴァルは敵を斬り、魔力や血を吸いながら、そいつを倒すのに最も適した形態へと変化していく」


 囀る人間が、剣を振る。


「…………」


 開幕で己が炎を返された時のように、竜鱗を燃やす業火で煽られた。


「流石は竜。竜は竜で倒すしかないとバルドヴァルは言いたいらしい。安心したか?」

「…………」

「これで仮に倒されても、竜の矜持は保たれるなぁ」


 同種が迫るような圧迫感を受け、同じ竜王を相手にする心境となる。これほど力を奮い甲斐のある相手はまずいないだろう。


 しかし灼魂竜・アルマグレンは……心構えを解き、灼炎を生む剣を間近にして座り込んだ。


「…………」

「……なんだ、空の喧嘩はそれほど疲れたのか?」


 参戦時の闘争心が嘘のように消え、同種の炎を前にしても寛ぐアルマグレン。業火を宿す魔剣にも関心を示さず、ジークを前に寝息まで立て始める。


「……おい、…………お〜い」

「っ…………」


 連れない態度にジークがちょっかいをかけるも、一人で遊んでいろとばかりに尾で払われてしまう。


 寂しげに溜め息を吐くほど拍子抜けしたジークだが、最上の成果を上げたと言える。


 倒せなかった場合、ベネディクトが現れたなら団員と入れ替わって神殿へ向かわなければならなかった。失われる命や被害は、考えたくもないものになっただろう。


 それが、被害も無し。魔剣も最高位のものが出来上がった。適格な準備が整ってしまう。


 片や、先んじて派手に撃墜された蒼冠竜・ブレトは……。


「あららぁ……坊ちゃんの悪い癖が出てるよぉ」


 無数のゴーレムに取り押さえられ、ネムにより無力化されていた。


 灼魂竜の炎撃を直撃したならば、如何にブレトと言えども即立ち直るとはいかなかったのだろう。墜ちたところを抵抗なく取り押さえられてしまう。


「飛竜と争ってくれたお陰なのか楽が出来たけど、何も寝てる竜にまで喧嘩を売らないでいいのに……」

「団長、やっぱスゲぇぜ……!」


 生き生きと魔剣を振って待っていたジークは、灼魂竜の竜爪や息吹きに負けじと張り合うつもりだった。


 竜と竜の一騎打ちを思わせる姿に、ダンを始めとした団員達も息を呑んで見守っていたのだが。


「馬鹿を言わない。こんなところで体力を使っちゃって……後で殿下に叱ってもらわないとね」


 けれど魔剣・バルドヴァルは、この局面において最高の形態となった。ネムの魔力も最低限の消費に収められただろう。


 王国軍にとっては好転する形で、竜達を抑え込められたと言える。


 疲弊し切って舞い降りた妖姫飛竜・サンバーン=クインも、もう戦う気力を持っていないようだ。


 黒の騎士団が心配要らない事は確信していた。経験豊富な面子が揃っているのは明らかだ。


 つまりは、残る竜はあと一体となる。


「ッ————!」


 離岩竜・ジョルマは針山の如く突き立てられた純白の剣をしても、まだまだ止まらない。


「ハァ、ハァ、ハァ!」

「…………っ」


 生意気な人間に白い大槌で殴られ、口内に溜まる血を吐き出して睨む。


 対する人間もまた石飛礫が掠めて血の滲む肩を押さえ、傷だらけの身体で呼吸荒く睨み返している。


 こちらはジークと異なり、正真正銘の一騎打ち。人が一人で、真正面から竜と殴り合っていた。驚異的な再生力を持つ強化竜を相手にだ。


 そこへ仲間らしき人影が駆け寄る。


「ハクト君っ、飛竜の方は終わりました! 勝手に飛び回って、色んな竜にちょっかい出して疲れて帰って来ました!」

「そうか……なら引っ込んでベネディクトに備えていてくれ」

「い、いや、手伝いますよ。なんでですか……」


 すると人間は仲間へ言った。


「タイマンなんだよ、これはっ……! もう喧嘩なんだよ、オレとあいつのっ!」

「っ…………!」


 目を血走らせて睨み合うジョルマとハクト。


 同感だとばかりにジョルマも奮起する。竜ともあろうものが、一人の人間に負けたなどとは死んでも言えない。


 まして殴り合いで負けたとあっては、離岩竜の名が廃る。


 ジョルマも決死の覚悟だった。意地のぶつかり合いだった。


 その背後に…………子供が降り立っているとも知らずに。


「ちょっと失敬」


 背後に降り立っていた黒髪の子供が、短い尾の付け根辺りに張り付いた岩を剥がし取った。小さい手で身体の何十倍もある巨岩を、剥がして放り投げてしまう。


「ッ————!?」

「…………なんだ?」


 予期せぬ時機で岩の鱗を剥がされ、不意に訪れた激痛によりジョルマが悲鳴を上げる。


 突然の異変に王国軍が疑問符を浮かべる間に、背後の子供は子竜を掲げて匂いを嗅がせる。


「…………どう?」

「ピュぅぅ……」

「違ったか……まぁ、そうだよね。ゴツ過ぎるもん。ヒューイにこのジャンボの遺伝子は、少しも感じられないもんな」


 ぬか喜びとなってしまい、目尻に涙を浮かべる子竜。すると腹立たしいのが、目の前にいるよく分からない竜だった。


「……ビュぃっ」

「怒るのも分かるけど、この竜は悪くないよ……。また二人で出直そうか。匂いは残ってるんだから、何処かにはいるんだからさ」


 機嫌悪く鳴く子竜を連れ、頼みの綱を再度訪問する。




 ♢♢♢




 全ての竜を調べ終えたクロノは、容易に見つかると思っていたところで現実を知る。


 成果もなく頼りのセレスティアへと、再三の助言を貰いに向かった。


「易々とはいかないね。全部の竜を見て来たんだけど、違ったみたい」

「ですがクロノ様のご活躍によって、全ての竜が拘束されました」


 戦場を見渡す山の上で、緊急性を有する作戦会議を開く。


 眼下には大人しく縛に就く多種の竜達が見える。


 クジャーロ国の研究機関から渡され、エンゼ教軍に投与された薬物の影響も薄れたのか、精神も安定しているように感じられた。


「確認ついでにね。ヒューイも遊ばせて元気付けてあげたかったし…………本音を言うと、ここにいた時から蒼い竜がお母さんだと思ってたんだけどね」

「蒼冠竜は目撃例も少なく、繁殖率が低い竜の中でもより少ない種なので無理もありません」


 だとするならと考えた時、セレスティアは数多くの可能性から最善と思われる行動を提案する。


「あれら以外に竜がいて、その母親がこの近くにいると言うのなら、やはり神殿内でしょう」

「ふむふむ」

「竜による襲撃の第二波があるのか、その個体が特殊だから残しているのか、何にしても向かうべきはあちらです」


 セレスティアの無感情な目線はエンダール神殿へ向けられる。


 竜でさえ大した打撃を与えられず、敗色を感じ取った前線から動揺の波が広がっているのが見える。


 ベネディクトが自身の権能や現状を伝えていないので、あやふやな態勢で臨む決戦。それは必然だった。嘘を吐けない天使だからこそ、余計な事を言えない都合上、仕方がないとは言えだ。


 例えば福音を持つ者は強制的に信仰を回収されるなど、知られたなら叛意が芽生えるなど明らかだろう。そうした危険性を排していった末に、動揺は生まれていた。


 だが、決戦の鍵は単純なものだ。


 竜や兵力など関係なく、ベネディクトが信仰心変換の〈聖域〉を発動できるか否か。


 第一天使・マリア=リリスが復活するか否かだろう。


 現在も【炎獅子】から逃げているであろうベネディクトは、もうこのエンダール神殿しか頼れない。朝に変化が無く、討伐成功の一報もないのなら、間違いなくココを目指している。


 またセレスティアの裏をかこうと企み、人知れない場所に隠れて〈聖域〉を使おうものなら、ドレイクに追いつかれる可能性がある。そうなれば二度目の逃亡チャンスはない。


「……私の予想では、あと半刻の間に全てが終わります。あまり時間は残されていません」


 ここなら王国軍とエンゼ教軍の二勢力をドレイクにぶつけられる。


 ドレイク相手に発動までの時間を稼ぎたいのなら、ここに向かうしかない。


「ふん、この魔王から逃れられるとでもっ? 行って来ます」

「お待ちください」

「うん? まだ何か?」

「天使が現れるまで、猶予はありません」

「……うむ」

「始まれば終結まで瞬く間の出来事。そろそろ到着すると見ていますので、すぐに向かわれるのが良いでしょう」

「今、行こうとしてたけどねっ? 止めたの君だよねっ。今の、歩き出す前の会話をもう一回繰り返しただけでしょ? どして?」


 クロノとの交流を無表情で満喫し、また膝を突いて頬に口付けを送る。先程とは逆の右頬へ。


「……登頂を願っています」

「祝福まみれで行ってきます。今度こそ登るよ。あまり祝福を活かせる体質じゃないみたいだけど、是が非でも登って来るよ」


 カウボーイハットの中で黒髪を引っ張り回されながら、クロノは改めて崖へと挑戦する。


 送り出したセレスティアもまた、待機地点へ向けて移動を開始した。


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