第270話、ギランの奥の手
ギラン伯爵は交渉から帰還したコモッリの報告から、次なる一手を打とうとしていた。
「やはり時間を稼ごうという思惑は見抜かれました。私共も可能な限り、食い下がってはみたのですが……」
「いや男爵、十分だ。そう肩を落とす必要はない。危険を承知で、よくやってくれた」
足取り重く早々と戻って来たコモッリを労い、ギランは奥の手を投入すべきと判断する。
いつの間にか運ばれていた竜は六体。
どれもがクジャーロ国の研究者により処理が施され、性能強化に加えて簡単な指示ならば可能とされている。
長い開発の歴史により生まれたクジャーロの技術は、“香”に辿り着く。
竜の赤子を素材として作る香は、本能に呼びかけ、自分達を守るべき対象と思わせる事ができる。クジャーロの研究者達が特別な配合をする事で、大まかな命令ならば可能とするまでに至る。
だがそれでも竜は竜だ。
特注の檻が無ければ、大司教と言えども鎧袖一触に屠られる化け物達だ。
ネムが見せた絡繰は確かに凶悪極まりないが、ベネディクトが残した戦力は十分に勝機を望めるものであった。
ベネディクト最高司教による言い付けの通りに、特に強力な一体を残して、戦場へと解き放つ決断を下した。
「——ゆけ、新たな時代の礎となれ」
選ばれし、五体の竜。
かつての古き伝説が如く、多種族を率いて魔王と戦う勇者となって命じた。
信仰に自由あれ、弾圧に粛正あれとエンゼ教徒に祈られながら、守護竜となって王国軍へ立ち向かう。
対する王国軍は、神殿下層を破壊しながら平地に飛び降りる竜を確認する。
何処に格納されていたのか、五体もの竜が迫る様に、土砂の波が如く圧される。勇猛なる巨躯は何倍にも見え、地を響かせる足音は鼓動を急かす。持て余す生来の竜撃を見舞わんとする姿を、ただ人は見つめるばかりだった。
「とうとう竜を出して来たか……」
「妹の報告の通りだ。気高い竜を利用するクジャーロを、私は容認できん」
龍を好くアルトはクジャーロの姿勢を非難し、振り返って全体に通達した。
竜へ呑まれていた軍を、咆哮をも払い除ける怒号により打ち据える。
「傀儡とされた竜を解放するッッ!! 全員、救済と心得て打倒せよッ!!」
『オオオオオオーッ!!』
アルトの号令を受け、王国軍が開戦を叫ぶ。
これもまたセレスティアの筋書き通りに、順序も正しく出来事は続いている。
即ち全てが計画通りに進行していた。
率いる将の側にも迷う者はいない。言われた通りに動けば、自ずと勝利を手にするのだから。
だがアルトは決まり切った指示の合間に、ジークへ声をかける。自前の魔剣を木箱から取り出しているところへ、手短に告げる。
「ジーク、お前達は厄介そうな左の竜だ。ベネディクトを確認したら、竜に構わずそのまま左階段から攻めるのだ」
「予定通りだな。了解だ。ハクト達は中央に回っているが、くれぐれもお前が出るなよ」
「あぁ、弁えている」
「…………? まだ何かあるのか?」
何かを言いたげにして、一向に視線を外さないアルトへ自ら問う。この期に及んでまだ何か話し合うべき議題があるとは思えない。
「……いつかお前達がまた傭兵団に戻るとしても、今は国の矛であり盾だ」
「そうだな」
「見捨てるべき時は、見捨てろ」
「…………」
「ネムでもダンでも容赦なく切れ。決して大義を見失うな。私達にはそれが許されない。たとえ結果として間違った道であったとしても、走り抜かなければならない時もある」
ジークはバーゲンとは対照的と言える。身内を出来る限り傷付けず、被害を最小限に留めて目的を達成する事を常々意識している。
「勝たなければならない戦いだ。救える命だったとしても、見捨てて進む決意をしておけ。お前にだけは言っておく。犠牲を厭うな。これは命令だ」
「…………」
これまで国家に所属して来なかったのには、このような理由も関係している。命令されたなら聞き分けなければならない。仲間を見捨ててでも撤退するなり、被害を出してでも突撃するなり、目的完遂に臨んで決行しなければならない。
だからこそ、自分の判断で動かせる無所属の傭兵団を結成した。
だが今回、命じられたからには、アルトの責任によって実行しなければならなくなる。
「……お優しい事だな」
「早く行くのだ。悪い癖を出して一人で担い過ぎるなよ」
「あぁ、行ってくる。帰還の暁には、切り落とした天使の生首を見せてやろう」
「……素行不良だった学生時代に戻ったのか?」
趣味の悪い冗談に眉間を寄せるも、片やジークは威勢良く、隊を引き連れて歩んでいく。
何やら騎士から布に包まれた物を手渡されながら待っていたネムと合流して、更に勇んで先を目指す。
「ここは魔剣に喰わせる。俺とネムとでやる」
「ダンも使いますよ。呪剣の事を考えると、あまり魔力は使えない」
「あぁ、ダンにはここで踏ん張ってもらおう……あぁ、そうだ。これも伝えておく。他の部隊がやられたなら、お前は待機だ。余裕があれば俺が行く」
「張り切ってますねぇ……。……でもまずは受け持った分を頼みますよ」
大まかに三つの部隊に分けられ、ジーク率いる騎士団、バーゲン率いる本隊、そして黒の騎士団だ。
ジークの騎士団には、【反則】ネム。
本隊には、ハクトとオズワルド。
黒の騎士団は、一人一人の騎士の質が格段に高い。加えて黒騎士により、特殊な手法も修めている。
加えて増殖するゴーレムが後衛に展開され、徹底交戦の陣形が取られる。
「……剣を抜いてください」
「総員、抜剣ッッ!!」
初めに交戦したのは、黒の騎士団。
その一団に目を付けたのは、漆黒の毛並みをする馬にも似た地竜であった。五体の中でも最も大きな身体で、最も速く獲物へと駆ける。艶のある体毛越しに見える肉感が、溢れんばかりの引き締まった筋肉を連想させている。
地を踏み付けて瞬足で迫る魔壊竜・ダゴに対して、リリアを筆頭に怯む事なく剣が抜かれた。
黒い剣身は細く頼りなくも見えるが非常に頑丈で、騎士団は皆、これを取り扱う技法を黒騎士から伝授されている。
「守護の剣は曲がってはいけません。揺らいではいけません」
歩幅短く歩み出るリリアの教えを、黒の騎士団が耳にしながら開幕の時を待つ。
「決して初心を忘れるべからず。すべての善き民の盾となり、一切の悪を断ち切る刃であれ」
鋼色の曲剣を構え、嘶きと同時に高く上がった凶悪な
強く打つ。これに勝るものはなし。
「——その為だけに、これらの剣は授けられたのです」
斜め上に跳びながら蹄と交差し、剣を斬り上げる。猛き魔壊竜の竜血が散る。ダゴの左眼が裂かれ、対竜戦の火蓋が切って落とされた。
忠実に再現された黒騎士の魔力法は、剣の強度など無関係に竜の鎧を斬り裂いていた。
「ッ————」
痛みよりも誇りを傷つけられて苛立ちを上げながら、その場に急停止する。
「包囲ッ!!」
鼻息荒く足踏みするダゴの左眼が
目玉も裂いた切り傷が、すぐに完治してしまう。
「私であの程度しか斬れないなら、この竜は倒せませんね。肉体が強過ぎます」
「想定よりも強そうですが、如何しましょう」
「時間をかけてもいいです。この竜は倒せなくても、抑えられていれば構いません。ただし神殿に突撃する部隊は常に備えを。王女様の指示通りに、肝心のベネディクトに留意するのです」
『ハッ!!』
黒の騎士団は、最後まで騎士の理念を失わなかった兵士や王国騎士、その意志を受け継ぐ若者で構成されている。
薄汚い利己心や理不尽な暴挙を見ても尚、本懐を忘れず、あるいは取り戻した者達だ。
彼等は今、どのような権力や巨悪にも揺るがない絶対正義の元で、少しの迷いもなく剣を掲げる。
「————ッッ」
溢れる魔力で大地を軽く踏み締めたダゴ。魔力が砕けた地表を伝い、殺到する騎士を吹き飛ばす。
福音を持つ大司教との戦闘も考慮し、黒騎士から魔力の圧を受けながら手合わせもした。
しかし竜の魔力は地団駄の風圧や衝撃も加わり、言うならば全身を巨大な張り手で打たれたようなものだった。
「ま、間近であれを受けたなら命は無いなっ……」
「獣も人も、強大な相手を狩る術は変わらん。取り囲み、隙を見つけた時に攻め、逃げる。卑怯と呼ばれても我等は負けられんっ!」
「行くぞぉぉーっ!」
足踏みして人間と戯れるダゴへと、黒剣の痛烈な斬撃が群がる。だがダゴが止まる事はない。
実はこの後この戦場で、唯一手が付けられない暴竜が、ダゴだった。単純に馬力が高いのだ。
しかしダゴは肉体的に強靭な地竜だが、他の竜も決して引けを取らない。
「どう戦えばいいんだ……?」
最も前線で大亀にも見える竜と対峙するハクトは、目の前にある岩の塊を前に立ち尽くしていた。
離岩竜・ジョルマ。特殊な体液を鱗から出して岩を作り、鎧のように身体を護る習性を持つ守りの竜だ。
見た目通りに防御力は非常に高い。だがそれよりも……。
「…………——っ!?」
首を振る事で、ジョルマの額にある岩が投げ飛ばされる。
眼前を埋める岩が迫る。数トンの物体を球遊びの気軽さで放られ、血の気が瞬時に引く。
「イヤぁぁぁぁ!?」
直感的に魔力で特大剣を造り出し、岩へと縦一線に振り下ろす。刃の薄さで入り込む純白の高圧は抵抗もなく、岩石内部からも白威を放って切り進む。
白き魔力の故を遺憾なく示して、巨石をも左右に分つ。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
左右を転がっていく岩が地面を揺らす。足裏から伝わる振動が、どれだけの重量かを嫌でも知らせ、斬ったと言えど冷や汗は止まらない。
「ハクト君っ、まだ来ますッ!」
「えっ……?」
オズワルドの注意喚起が中央の戦場に響く。
その声を聞いて竜へと目を向けた者は、ジョルマの身体中から飛ばされる岩の雨を目にする事に。
雨に濡れた犬のように身体を振り、全体へと岩を落とした。
「避けろぉぉぉぉーっ!!」
「なんて出鱈目なヤツなのだ……!」
数十トンの落石が戦場に投下される。
抵抗など出来よう筈もなく圧し潰す無情な物量。重さは武器で、単純にして爽快な攻撃だった。
受け取る側はただただ恐ろしいわけだが。
「こいつッ!」
自分に落ちてくる岩は無いと判断したハクトは、鱗からまた数秒で岩を生成するジョルマに狙いを定める。
両手に宿す純白の光。
レークで謎の男から譲り受けた技の応用を、ジョルマへぶつける。
「————オラっ!」
両手を地面に打ち込み、魔力を送る。送り込まれた魔力は地面を一直線に駆け抜け、ジョルマの元へ。
そして直撃すると、——大爆発を起こす。
「オオオオッ……!!」
更に清流の如く速やかに送られる“閃光の息吹き”。予測不能な重量を持つジョルマを押し込みながら、白き威で焼き焦がす。
「————!?」
剥げた竜鱗の内側をも焼きながら、ジョルマの巨体を反転させた。
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