第268話、クライマー魔王、爆死させられそうになる

 ふむ……久しぶりでも無いけど、やはり壁はいい。


 殴ってよし、壊してよし、登ってよし、消し去ってよし、家にしてよし、何でも受け入れてくれるのが壁。


 今日は登る。思っていたより高いが、一気に飛んだりせず真っ向勝負で着実に挑む。


 背後を見れば、向こうには大河もあり、森も山脈もあり、絶景を箸休め的な感覚で時々眺めながら、クライミングを楽しむ。上の問題が解決したら、帰りは釣りをやってもいいかもな。


 何故なら例の如く戦力外通告されて、やる事がないから。


 作戦も『何もご心配になられる必要はありません』と言われたら、鷹揚に頷くのが俺にできる精一杯。それが関の山。春の富士、秋の岳、夏の海、冬の…………まぁ、冬は思い付かないけどさ。お鍋とかだな。鍋の野菜は食べ過ぎるとバカになるくらい美味しい。


 なので邪魔にならない程度の手伝いしか、俺には残されていない。


「…………」


 登る手が止まる。別に跳ばなくてもこの先も登れるが、右側のコースに飛び移らなければ先を目指せない空気を醸し出す。


 そして、命知らずの覚悟を決めた顔付きで、体全体を使って勢いを付けて……飛び付いた。


「っ……!?」


 飛び移ったまでは良かったが、足を滑らせて絶体絶命…………な感じを出してみる。崖へ指を突き刺せば止まるし、仮に落ちたって何ともならないもん。


「っ…………」


 危機一髪。滑り落ちる寸前、突き出た岩の先端に右手の指が引っかかり、宙ぶらりんに。あわや何百メートルも下で、マッシュドクロノになるところを回避した……ようなつもりになる。


「ふぅ……ははっ」


 やれやれ参ったぜと言いたげなハンサムスマイルを見せ、壁に背を向けるように身体を反転させ、左手を凹みにかける。


 それから目を閉じて集中。集中する必要たるや皆無にも程があるが、山も九号目からが本番とばかりに気を鎮める。


 からすみたいな鳥の鳴き声、クライマーには手厳し過ぎる風の音、出発前にレルガから言い残された『アレだけしといて』という謎の言葉。


 それらを噛み締めながら、心を決める。


「…………っ」


 右手を離す。引っかかる左手を軸に下半身を持ち上げ、崖に足をかける。ミスの許されない連続。間違いは死に直結する世界。精神と体力の双方が試される。それが絶壁クライミング。


 そしてまた手を伸ばし、垂直に登って行く。


 のだが……。


「…………」

「…………」


 な、なんだ、この子。


 横から、ものすっごい睨まれている。


 没入感系クライマーの何が気に入らないのか、わざわざ進路を変えて俺の元へやって来たのも分かっている。


「…………」

「そっちに行けばいいの……?」


 ちっさい指をくいくいと曲げて、俺を呼びつけた。


 パタパタと飛んでいるのだから、そっちから来てくれればいいのに……。


 壁を左にカサコソと移動して、その生物に近寄り、接触もとい交流を試みる。


「……何?」

「——ピュイっ!」


 やりやがった。


 小さな赤ちゃん竜に因縁を付けられる。


 ヒルデを彷彿とさせる爆炎で、クライマーの頭部を吹き飛ばしてしまう。


 俺が魔王クライマーでなければの話だ。


「………………ピュっ!?」


 綺麗な緑色の目をパチパチとさせて、豪火が晴れて現れた無傷のクライマーに驚ている。


 深みを感じる紺色をした竜の子だ。どうやら火竜の類らしい。


 何故こっちに来いと言ったのか、このアホみたいな火力と揃って、その二つだけが謎。


「……君にボルケーノされたせいで、見てごらん? サングラスが跡形もないよ。あれは上に着いた時に使う為の物だったのに」

「ピュイっ、ピュイ! ピュイ!」

「うわっ! なんか怒ってる!」


 竜に道理は通じず、理不尽な怒りで応えられる。


 セレスの祝福も虚しく、憤慨する竜に登頂を阻まれてしまう。


「ぴ、ぴ、ピュイっ! ピュイーっ!」

「…………」

「ピュイ? ピュイピュイピュ〜イ!」

「…………」

「ピュ……! ピュイピュ! ピュっピュイッ!」

「…………」


 絶壁の中腹で、荒れる赤ちゃん竜から激しめの説教を受ける羽目に。これが一筋縄にはいかなかった。


 なんと、何を言っているのか分からないのだ。


「ピュイ! ピュピュイっ!」

「……なんとなく、人間が嫌いって事は分かる。あと、俺を誰だと思ってんだ的な難癖も」


 自分を指差したり、俺に怒鳴り付けたりと、可愛らしい見た目をしてキュートな怒りっぷり。


 しかし真剣に怒り散らかしているので、水平に伸ばした右手で崖に掴まり、竜の話を親身になって聞く。


「人間を恨んでるっぽいのは分かるんだけどなぁ……」

「ピュぅぅ……」


 魔王と竜で会談するも、難題にぶち当たる。


 さしもの魔王も竜の言葉は未習得。まったく話が通じないものだから、竜の子も疲れてしまった。


 互いに伝わらない意思疎通を思い悩み、長考になるかと思われた。


 その時、


「……あっ、そうだ。あの子がいるじゃん」


 良案を思い付き、急いでリリアの天幕まで帰る事に。


 逃がさないぞと竜の赤ちゃんに頭を噛まれながら、彼女のいる天幕まで引き返して、来た道を逆走する羽目になる。


「レルガ! 起きて、レルガ!」

「なにぃ〜……」


 時差を言い訳にいつまでも寝ているレルガを揺すって起こし、竜の赤ちゃんを頭から引き剥がして見せる。


 片目の目蓋まぶたをググ〜っと半分だけ持ち上げたレルガへ、日頃の任務で得た能力を遺憾いかんなく発揮してもらう。


「レルガは金剛壁周りの魔物と話せるようになったって言ってたでしょ? この子が言ってる事を訳してくれない?」

「……ピュイ」


 寝惚ねぼけた様子のレルガは、目元をこすりながらも竜を見上げ、寂しそうな一鳴きを聞く。


 すると欠伸あくびを噛み殺し、それから浮ついた口調で言った。


「……こいつ、かあちゃん探してる」

「お母さんを探してるのか。なるほど」

「ニンゲンに捕まったって言ってる。どっかに連れてったって。ニオイがあったみたい」

「……そういう事か」


 竜の赤ちゃんは、人間に捕獲されて何処かに持ち去られた母竜を探していた。


 正当な理由によって人間を恨んでおり、寂しくて仕方ないみたいだ。


 まだ赤ん坊だもん、可哀想に……。


「ピュイ」

「かあちゃんの匂いを辿って、ずっと旅してる」

「ピュイ」

「そしたら、ちょっとだけ似た匂いしてたから、クロノさまをブッコロそうと思ったって」


 過激派な竜の子に、誘拐犯として目を付けられていた。


 それにしてもレルガはよく分かるな。ピュイしか言ってないのに。


「う〜ん……君のお母さんと似た匂い? 思い当たる節は無いけどなぁ……」


 竜の匂いと言われても心当たりは無い。


 お味噌の匂いくらいしかしないはず。


 あとは直前に会っていたセレスの良い匂い。それとチョークと体臭。今は焦げ臭さ。


「ピュイ」

「ウソつくんじゃねぇ。はっ倒すぞって言ってる」


 レルガからも聞きたく無い暴言を浴びせられたと知る。


 こんなにつぶらな瞳をして、こんなに可愛らしく鳴いているのに。


「そんな言葉遣いしないのっ。君のお母さんも聞きたく無い筈だよ」


 母親竜の代わりに今は俺が注意するのだ。再会した時に成長しているところを見れば、心配していた母竜もきっと喜ぶ筈。人型代表としてアフターケアは怠らない。


 けれど竜の子は続けて鳴く。鳴き続ける。


「かえせって言ってる」

「…………」

「かあちゃんと帰りたいって言ってる」


 旅をしていると言っていた。


 食物連鎖の頂点にいる竜とは言え、突然に母を連れて行かれ、赤子が一匹で旅をしている。


 人間への憎悪よりも、何より母が恋しく、そして寂しいのだろう。だからずっと匂いを追っている。母に会いたい一心で。


「さっきからずっと、かえせって言ってる」

「……よし、そうだね。勿論返してあげなきゃいけない。責任を持って俺が一緒にお母さんを探すよ」


 ライト王国とエンゼ教の一大決戦は組織と国に任せ、俺は竜の母親探しをする事に決めた。


 この広い世界で、あの崖の一点で出会い、ドラゴンブレスを決められたのも何かの縁。この子の力になりたいと思ったのなら行動あるのみ。


 すると端に控えていたカゲハが近寄り、静かにひざまずいた。


「主」

「ん? 何?」

「御身自らがお手を煩わずとも、私が捜索しましょう」

「カゲハはリリアとレルガに付いていて欲しいな。それにこの子は力が強いから、カゲハだと怪我しちゃうかもしれない」

「……御意」


 リリアが竜を見る憐憫の眼差しは、少し不安になるものだ。頼もしいカゲハには、ここに残っていてもらいたい。

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